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8.異母弟の訪問
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マティアス殿下との顔合わせが終わった翌日。
いつもより少しだけ寝坊をしたが、疲れているのだろうと咎められることはなかった。
今日の予定は特にない。
強いて言えばこれまでの学習の復習をして、ケイトとお茶をする位だろうか。
これまで使ってきた教科書をめくっていると、室内にノックの音が響いた。誰だろう。今日は誰とも会う予定はなかったはずだ。
「見て参ります」
そう言って見に行ったケイトが困惑の表情を浮かべて戻ってきた。
「お嬢様、エリク様がお会いになりたいそうです」
「エリクさんが?」
同じ屋敷で生活するようになったとはいえ、継母とも異母弟とも特別親しくなってはいない。
以前もこんな突然の訪問があっただろうかと記憶を振り返ると、思い当たることがあった。
当時の私は初対面の日にお父様に叱られたことを引きずっていて、貴族としてはありえないアポイントなしの訪問にも腹が立ち、とても会う気になれずに追い返したのだった。
今回はそのようなわだかまりはない。それに、気になることもある。継母との仲は今のところこじれていないが、どうなるかはわからない。どういうつもりでやってきたのか知るためにもここは会っておいた方がいいだろう。
「では、そうね、私の応接室にエリクさんと二人分のお茶の準備を頼めるかしら」
私が使っている部屋は、今勉強をしている私室と寝室の他に応接室が付属している。その応接室に通すよう伝え、立ち上がる。
「よろしいのですか?」
心配げにケイトが尋ねるが、私は頷く。
「ええ。折角来てくださったのですから会ってみます」
「事前のお約束もないのに、そこまで優しくする必要はないと思いますが、お嬢様がそう言われるのでしたら」
ケイトと共に応接室に向かい、エリクさんに入室を促す。
「どうぞ、そちらにお座りになって」
「は、はい」
エリクさんは緊張した様子で腰を下ろした。
「今日は突然どうなさったの?」
「その、僕……」
そこまで言って、エリクさんは俯いて黙り込んでしまった。
私としては困惑しかないが、ひとまずエリクさんの言葉を待つことにする。
長い沈黙の途中で、ケイトが戻ってきた。
テーブルの上にお茶とクッキーの盛り合わせを並べ、支度を終えると他の侍女と共に部屋の端へと下がっていく。
「ひとまず、お茶とお菓子をどうかしら?」
勧めると、はっとしたようにエリクさんは顔を上げ、そして困ったように父に似た榛色の瞳を揺らした。
「私としたことが、好みを聞いていなかったわ。もしかして、このお茶はお嫌いだった?」
「いえっ、その」
エリクさんは躊躇うように言いよどんだ後、続ける。
「僕、その、まだマナーで合格もらえてなくて、お嬢様にお見苦しい姿を見せてしまうかもしれません」
そういえば、晩餐の時は食べやすいものが並んでいた。前回もほとんど彼らと食事を一緒にすることはなかったため、そこまで思い至らなかった。
「そうだったの。そうよね。突然貴族のマナーをと言っても難しいでしょうし。私は気にしないわ。それに、この家のクッキーはとても美味しいのよ。さぁ、召し上がって」
「……ありがとうございます」
クッキーに手を伸ばすエリクさんは、本人が粗相のないように気を付けているからか、言う程酷いマナーではなかった。
エリクさんがなかなか訪問の目的を言わないので、私は私で気になったことを伝えることにした。
「ところで、私のことはお嬢様ではなくて、姉と呼んでくれないかしら」
「そんな、恐れ多いです」
榛色の瞳が驚きの色を浮かべる。
「でも。エリクさんは私の弟になったのだし、私はそう呼んでもらいたいわ」
「その、姉上は、僕達の事、御不快ではないのですか?」
どう答えよう。大胆なことを聞いておきながら、エリクさんは失言したと思ったのか慌てている。
一度目は、彼らの存在に嫉妬していた。でも、対応を間違え彼と不仲になれば、私は彼を毒殺しようとしたという冤罪を被せられ処刑されるのだ。無難な言葉を選ぶことにする。
「最初は驚いたけれど、お父様が決められたのだから、私は受け入れるわ」
少なくとも嫌われていないと認識したのか、エリクさんはほっと肩の力を抜いた。
「そう、ですか。あの、では、本当に、姉上と呼んでよろしいのですか」
「ええ」
微笑みと共に頷くと、素直に私のことを優しい人だと思ってくれたようだ。
瞳には信頼の色さえ滲んでいる。
「それでは、姉上と呼ばせてください」
嬉し気に言われ、来た時の緊張も消えたようだ。
「ところで、今日は何の御用事があったの?」
「その、姉上と仲良くなりたくて」
エリクさんは恥ずかし気に俯いた。
「そうだったの。突然姉が出来て戸惑ったでしょうに、気にかけてくれたのね」
エリクさんは首を振る。
「姉上がいらっしゃるって聞いていて、どんな方だろうと思っていたんです。できれば仲良くしたいなって。初めてお会いした姉上はとてもお綺麗で、王家に嫁がれるって聞いて、話しかけない方がいいかもしれないって思ったけれど、でも、気になって」
「エリクさんはほめ上手なのね」
エリクさんは照れたようで頬を赤くして俯いた。
他意はなく、むしろ好意を持ってくれていたのを知って、私もほっとする。
「あの、また会いに来てもよろしいですか?」
「ええ。でも、次からは事前にお約束いただけると嬉しいわ」
きっと、そのうち家庭教師から教わるだろうけれど、貴族では約束のない訪問は相手を軽んじているように受け取られて好まれない。そのことを伝えると、エリクさんは頭を下げる。
「ご、ごめんなさい」
「知らなかったのでしょう? 次から気を付けてくれたらいいわ。どうしていいか分からない時は、侍女が相談に乗ってくれるはずよ」
侍女を頼るように促すと、頷いている。エリクさんはまだ話したそうにしていたが、緊張から大分疲れているように見えたので、また次回話しましょうと促して、余ったクッキーを持たせて帰らせた。
いつもより少しだけ寝坊をしたが、疲れているのだろうと咎められることはなかった。
今日の予定は特にない。
強いて言えばこれまでの学習の復習をして、ケイトとお茶をする位だろうか。
これまで使ってきた教科書をめくっていると、室内にノックの音が響いた。誰だろう。今日は誰とも会う予定はなかったはずだ。
「見て参ります」
そう言って見に行ったケイトが困惑の表情を浮かべて戻ってきた。
「お嬢様、エリク様がお会いになりたいそうです」
「エリクさんが?」
同じ屋敷で生活するようになったとはいえ、継母とも異母弟とも特別親しくなってはいない。
以前もこんな突然の訪問があっただろうかと記憶を振り返ると、思い当たることがあった。
当時の私は初対面の日にお父様に叱られたことを引きずっていて、貴族としてはありえないアポイントなしの訪問にも腹が立ち、とても会う気になれずに追い返したのだった。
今回はそのようなわだかまりはない。それに、気になることもある。継母との仲は今のところこじれていないが、どうなるかはわからない。どういうつもりでやってきたのか知るためにもここは会っておいた方がいいだろう。
「では、そうね、私の応接室にエリクさんと二人分のお茶の準備を頼めるかしら」
私が使っている部屋は、今勉強をしている私室と寝室の他に応接室が付属している。その応接室に通すよう伝え、立ち上がる。
「よろしいのですか?」
心配げにケイトが尋ねるが、私は頷く。
「ええ。折角来てくださったのですから会ってみます」
「事前のお約束もないのに、そこまで優しくする必要はないと思いますが、お嬢様がそう言われるのでしたら」
ケイトと共に応接室に向かい、エリクさんに入室を促す。
「どうぞ、そちらにお座りになって」
「は、はい」
エリクさんは緊張した様子で腰を下ろした。
「今日は突然どうなさったの?」
「その、僕……」
そこまで言って、エリクさんは俯いて黙り込んでしまった。
私としては困惑しかないが、ひとまずエリクさんの言葉を待つことにする。
長い沈黙の途中で、ケイトが戻ってきた。
テーブルの上にお茶とクッキーの盛り合わせを並べ、支度を終えると他の侍女と共に部屋の端へと下がっていく。
「ひとまず、お茶とお菓子をどうかしら?」
勧めると、はっとしたようにエリクさんは顔を上げ、そして困ったように父に似た榛色の瞳を揺らした。
「私としたことが、好みを聞いていなかったわ。もしかして、このお茶はお嫌いだった?」
「いえっ、その」
エリクさんは躊躇うように言いよどんだ後、続ける。
「僕、その、まだマナーで合格もらえてなくて、お嬢様にお見苦しい姿を見せてしまうかもしれません」
そういえば、晩餐の時は食べやすいものが並んでいた。前回もほとんど彼らと食事を一緒にすることはなかったため、そこまで思い至らなかった。
「そうだったの。そうよね。突然貴族のマナーをと言っても難しいでしょうし。私は気にしないわ。それに、この家のクッキーはとても美味しいのよ。さぁ、召し上がって」
「……ありがとうございます」
クッキーに手を伸ばすエリクさんは、本人が粗相のないように気を付けているからか、言う程酷いマナーではなかった。
エリクさんがなかなか訪問の目的を言わないので、私は私で気になったことを伝えることにした。
「ところで、私のことはお嬢様ではなくて、姉と呼んでくれないかしら」
「そんな、恐れ多いです」
榛色の瞳が驚きの色を浮かべる。
「でも。エリクさんは私の弟になったのだし、私はそう呼んでもらいたいわ」
「その、姉上は、僕達の事、御不快ではないのですか?」
どう答えよう。大胆なことを聞いておきながら、エリクさんは失言したと思ったのか慌てている。
一度目は、彼らの存在に嫉妬していた。でも、対応を間違え彼と不仲になれば、私は彼を毒殺しようとしたという冤罪を被せられ処刑されるのだ。無難な言葉を選ぶことにする。
「最初は驚いたけれど、お父様が決められたのだから、私は受け入れるわ」
少なくとも嫌われていないと認識したのか、エリクさんはほっと肩の力を抜いた。
「そう、ですか。あの、では、本当に、姉上と呼んでよろしいのですか」
「ええ」
微笑みと共に頷くと、素直に私のことを優しい人だと思ってくれたようだ。
瞳には信頼の色さえ滲んでいる。
「それでは、姉上と呼ばせてください」
嬉し気に言われ、来た時の緊張も消えたようだ。
「ところで、今日は何の御用事があったの?」
「その、姉上と仲良くなりたくて」
エリクさんは恥ずかし気に俯いた。
「そうだったの。突然姉が出来て戸惑ったでしょうに、気にかけてくれたのね」
エリクさんは首を振る。
「姉上がいらっしゃるって聞いていて、どんな方だろうと思っていたんです。できれば仲良くしたいなって。初めてお会いした姉上はとてもお綺麗で、王家に嫁がれるって聞いて、話しかけない方がいいかもしれないって思ったけれど、でも、気になって」
「エリクさんはほめ上手なのね」
エリクさんは照れたようで頬を赤くして俯いた。
他意はなく、むしろ好意を持ってくれていたのを知って、私もほっとする。
「あの、また会いに来てもよろしいですか?」
「ええ。でも、次からは事前にお約束いただけると嬉しいわ」
きっと、そのうち家庭教師から教わるだろうけれど、貴族では約束のない訪問は相手を軽んじているように受け取られて好まれない。そのことを伝えると、エリクさんは頭を下げる。
「ご、ごめんなさい」
「知らなかったのでしょう? 次から気を付けてくれたらいいわ。どうしていいか分からない時は、侍女が相談に乗ってくれるはずよ」
侍女を頼るように促すと、頷いている。エリクさんはまだ話したそうにしていたが、緊張から大分疲れているように見えたので、また次回話しましょうと促して、余ったクッキーを持たせて帰らせた。
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