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番外編「ぬしと私は卵の仲よ私ゃ白身できみを抱く」

19 迫る女難

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 意外にも快い対応で二人で話してきてはどうかと提案してきたウィルコックス卿に、クアスは半ば焦りながら、貼り付けた笑顔のウィルコックス卿と若干頬を赤くしているキャサリン夫人の気持ちが全く読めなくて、思わずシュクラのほうを見た。
 どこの世界に元婚約者の男と自分の妻を二人きりにして笑顔でいる現夫がいるというのだろう。
 シュクラも端で聞いていておかしいと思うだろうと、ちょっと焦ってシュクラに視線を送ったクアスだったが、シュクラはきょとんとした顔でこっちを見ているだけで特に止めようともしていないことに、クアスはいささかショックを受けてしまった。

「シュ、シュクラ様……!」
「ん? おお、そうじゃ。中庭の花が見ごろじゃぞカイラード卿。夫人を案内してやったらどうかの」

 シュクラまでもニコニコしながら促してくることに更なるショックを受けたクアスの横で、キャサリン夫人まで「まあ、楽しみですわ」などと暢気なことを言っているので、孤立無援なクアスはとりあえず促されるままに夫人を中庭に案内するしかなかった。


 


 中庭の噴水前のちょっとした休憩用のベンチをそっとハンカチで払ってからキャサリン夫人を座らせたクアスは、彼女からひと席分離れて腰かけた。元婚約者だからといって、既に人妻の彼女の隣になど、今やどこぞの馬の骨にも等しい自分が座ってはならない。

 しばし沈黙が訪れたが、とりあえず何か話さなければこの気まずい時間が終わらないと思ったクアスは思い切って何気ない話をふることにした。

「……その、お元気でしたか」
「ええ……」
「そ、そうですか」
「…………」

 会話のラリーは続かない。もともと口数が多いほうではない自分だが、まだ彼女と交際していたころは、ここまでひどくなかったような気がする。
 こういう時、何から話せばよかったのだったか。近況をお互いに話し合うのがまず最初だろうか。
 
 ……いや、間違えるな。私は彼女に対して信頼を裏切ってしまったのだ。

 ほかならぬ自分自身が罪人の烙印を押されたせいで、婚約解消。その時に彼女は気が狂わんばかりに泣いてくれたと彼女の父親に聞いた。それに対して自分のことは一日も早く忘れてくれと彼女の父親を通して伝えたのみだったはずだ。
 あのときは今生の別れと思っていたので仕方なかったが、こうして彼女本人が目の前に来てくれたなら、直接謝る機会が訪れたということだろう。
 
 そう前向きに考えたクアスは一瞬で冷静になった。

「……一年前のこと、突然の婚約解消のこと、申し訳ありませんでした」
「クアス様……」
「本来ならもっと早く直接謝罪をせねばならなかったのに、気付けば、一年も……」
「…………」
「友人の帰還で処刑は免れましたが、それでも一度は罪人の烙印を押された自分が、既に新たな婚約をして幸せに過ごしている貴女とその婚約者殿に、迷惑をかけるわけにはいきませんでした」
「迷惑だなんて、そんな……」
「申し訳ない……」

 悲痛そうに頭を下げるクアスを見て、キャサリン夫人は言葉に詰まったものの、一度俯いてから顔を上げてくすっと笑った。

「……敬語」
「え?」
「私に敬語だなんて、ちょっと他人行儀すぎですわ。ね、クアス」
「……いや、しかし」
「今だけでいいんです。昔のように話してください。キャシーと呼んでいたように」
「……わかりま……わ、わかった、今だけなら……キャシー」
「ふふふ」

 その笑い方も、昔と変わらない。いつも溌溂とした笑顔の彼女だったが、今は少しの憂いを帯びた大人っぽい表情をしていた。やはり人妻ともなると変わるのだろうか。

「……ええと、今更だが、結婚おめでとう。ウィルコックス卿も人の好さそうな男性のようだし、君も幸せそうで良かった」
「ええ……ありがとう」
「私は、騎士団は退団してしまったが、今はちゃんと充実している。心配などしていないかもしれないが、一応、ちゃんとやっていることを伝えておきたかった」

 クアスの言葉にキャサリン夫人はまた昔のままの笑い方で微笑んだ。だが、次の瞬間その笑顔にふと陰りを見せた。

「……ねえ、クアス。怒っているのでしょう?」
「えっ?」
「私の事、怒っているわよね。たった一度の醜聞だけで一方的に婚約を解消した父のことも、そのあと貴方とは別の人と結婚した私の事を」
「……は?」

 一瞬何を言われたのか理解が追い付かなかった。彼女はそのことを謝りにきたというのだろうか。
 しかしそもそも醜聞を作った原因はクアス自身にあるのだから、彼女の父は家族や従業員を風評被害から守るために仕方なくも賢い選択をしたに過ぎないのだ。
 こちらが謝るならともかく、彼女には何の咎もありはしないし、クアスが彼女に対して怒る理由など全くない。彼女の父が苦渋の選択をしてそれを娘であるキャサリンに告げたとき、彼女はクアスとの別れを惜しんで涙すら流してくれたというのに、それ以上をクアスが求めるのはおかしいわけで。

「いや、怒ってなどいない。怒る理由がそもそもないだろう。悪いのは私だ」
「……でも」
「君が今ご主人と幸せに暮らしているのがわかっただけで、私はホッとしている」
「……幸せ、ね。まあ、確かにあの人は私を愛してくれているわ」
「私はそれを知れて本当に良かったと思っているから、そのことでなら罪悪感などは持たないで欲しい」

 今となっては、全ての事柄が起こるべくして起こったとしか言えない。運命を司る神がいるのなら、神の行うことに人間がどうやって抗えるだろう。
 クアスは自分とキャサリンの道はあの時しっかりと分かれ、その後は決して交わることはないと、あの牢獄で婚約解消を告げられた時にそう思い、処刑を免れた後もずっとそう思ってきた。

 心穏やかな別れだったと今でも思う。
 彼女のことを愛していなかったわけではない。交際して婚約者だった頃、決して激しい愛情ではなかったけれど、静かにゆっくりと穏やかな愛情を育んできたつもりだった。だからこそ、別れたあともキャサリンの幸せを祈る気持ちにゆっくりと変わっていくことができたのだとクアスは思っている。
 そこに、クアスに対する罪悪感で彼女が幸せとは言えないなら、ここでそれは誤解だと言っておきたかった。
 
「……クアス、貴方は変わったのね。……やはりシュクラ様のおかげ?」
「……! ま、まあ、シュクラ様には色々と恩恵は受けた。感謝してもしきれないくらいだ」
「そう……」
「……キャシー、どうしたんだ?」
「変われていないのは、私だけなのね……」
「……えっ?」

 突如としてボロボロと大粒の涙を零し始めたキャサリンに、クアスはぎょっとした。
 何か気に障る様な発言をしてしまったのだろうか。ああ自分はどうにも女性の気持ちをわからなくていけない。
 クアスがキャサリンの涙に情けなくもオロオロとしていると、こちらを涙目できっと振り向いたキャサリンが訴えるように言う。

「教えてクアス……私のこと愛してましたか?」
「な……」


 





 クアスが応接室からキャサリン夫人とともに出ていったのを見送ってから、シュクラはおもむろにウィルコックス卿に問う。

「……本当によかったのか? まあ人妻に手を出すような器用な奴ではないが」
「ええ、妻の気が晴れるなら」
「そなた、夫人を愛しておるのだろう?」
「愛していますよ。でもこのままじゃ前に進めないと言うものですから……」
「それで昔の男に会わせてやるなぞ、そなたとことん妻に甘いお人よしなのか倒錯しとるのかわからぬな」
「はは……」

 シュクラの言葉にウィルコックス卿はやや寂し気に笑った。
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