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番外編「ぬしと私は卵の仲よ私ゃ白身できみを抱く」
5 成るも成らぬも成り行き任せ
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エミリオに魔力交換を施してくれた土地神の娘が王都へやってくる日、クアスはエミリオに指定された時刻にメノルカ神殿に赴いた。
第二師団に復帰する少し前に、今後の活動について土地神メノルカに祝福を賜りにメノルカ神殿に赴いたのだが、そのときにエミリオと偶然会ってデレデレした親友が見せてくれた掌サイズの肖像画(いわゆる現代でいうスナップ写真)で、スイ・マナカというエミリオの想い人の顔を見せてもらっていた。
この国では珍しい長い黒髪と黒い目を持つなかなかの美人だ。やや目尻が上がった猫のような大きな目が、勝気そうな雰囲気を醸し出している。
メノルカ神殿で今売り出し中の子供用玩具、ジェイディ人形とやらに似ていると言っていたが、成程、彼女をディフォルメしてキャラクター化すればあの人形のポスターによく似ている気がする。
見た目通りの強気で我儘な令嬢であれば、神の娘として権力を持ってエミリオに騎士団を辞めてシャガに引っ越してきて欲しいとでも言ったのだろうか。
エミリオは自分がそうしたいのだと言っていたが、男が今の名誉ある職を辞してまで傍に居たいと思うなど、クアスには考えられない事だった。
「クアス! こっちだ」
ロビー内でこちらに向かって手を振る、魔術師の正装をしたエミリオと合流したクアス。二人の元に、聖人たちに周りを囲まれながらやってくる男女がいた。件のスイ嬢と、彼女を貴公子ばりにエスコートしている絶世の美青年は、西部辺境シャガ地方の土地神シュクラだ。
エミリオに紹介され、騎士の礼で自己紹介をしたクアスに対して、シュクラは朗らかな顔をして、
「うむ。良きに計らえ。苦しゅうない」
と至極ご満悦な感じであった。
「カイラード卿といったか。こちらは吾輩の娘、スイじゃ」
「よ、よろしくお願いします、スイです」
エミリオに肖像画を見せてもらっていたので顔は見知っていたけれど、正装している彼女は肖像画よりも凛としていて美しかった。
「確かにエミリオ、お前の言った通りの美人だな」
「そうだろ? もうすごく可愛い人で……」
「エミさん、ちょ、やめてよ……」
デレだすエミリオの情けない顔といったらない。それに応じて恥ずかしそうに、それでいて満更でもない感じで頬を染めるスイ。
彼女が魔力枯渇で瀕死だったエミリオを救い出してくれたと思うと、クアスは彼女に感謝してもしきれないくらいなのだが、それを逆手にエミリオをシャガに縛り付けようとしているように思えてクアスは胸に抱えていたモヤっとしたものをうっかり吐き出してしまったのだ。
「……エミリオ、確かに王都一の魔術師エミリオ・ドラゴネッティが、王都騎士団の魔法師団第三師団長という名誉ある地位を投げ出してまでその元に行くと言い張るほどの惚気っぷりだな」
その言葉にエミリオは「えっ、そ、そうかな……ははは」などと照れ笑いをしているだけだったが、クアスが無意識に込めた言葉の棘に、スイは気付いたらしく、一瞬にして表情が固まる。
その様子に、本当にこの女性がエミリオを欲して騎士団を退団させ、手元に縛り付けようとしているのだろうかとまじまじと上から下まで眺めやってしまった。普段の騎士道精神はどこへやら、決してレディにしていい態度ではなかったのに、クアスはその時は完全に無意識だった。
だが騎士としての危険察知能力は衰えていなかったらしく、そのすぐ傍からクアスに向けて放たれる殺気にも似たものを感じてそちらを見ると、黄金の瞳を三白眼に見開いて瞬きもせずにこちらを睨みつけるシュクラの恐ろしい顔があった。
「……我が娘に、何かもの言いたげであるな? カイラード卿?」
思えばこのときの邂逅が、のちのクアスに影響を与えた瞬間だったのかもしれなかった。
シュクラが怒るのも無理はない。クアスはスイに対してエミリオを騎士団退団に追い込んだ、悪女とまではいかないまでもしょうもない女という勝手な思い込みで見てしまっていたから。
スイはシュクラ神の愛し子だ。何を置いても彼女を守ろうとするシュクラが、クアスのスイに対する嫌味を許すはずなどなかった。
腹を割って話そうではないか、と喫茶コーナーで四人掛けのテーブルを囲んだときの居心地の悪さといったらない。
「我が娘に対して何が不満じゃ。申せ、クアス・カイラード」
「……不満はございません」
「じゃあ先ほどの無礼な物言いは一体何じゃ。腹割って話そうではないか。そなたの言い分をちゃんと聞いてやろうぞ」
「シュクラ様、クアスに悪気はありません。どうぞお怒りを鎮めていただけませんでしょうか?」
「エ、エミリオ……!」
「怒ってなどおらぬ。吾輩は全然全くこれっぽっちも怒ってなどおらぬわ」
いや、怒っているというよりも、シュクラはへそを曲げているみたいだ。口を尖らせてぶすくれているので、その美貌が台無しだ。
しかし、先程のクアスの言葉。無意識で言った言葉とはいえ、心の奥底で思っていなければ出なかった言葉だ。クアスは未だモヤっとしたものを抱えたまま、それでもレディに対しての態度ではなかったと改めてスイとシュクラに謝罪する。
「スイ殿、申し訳ありません。気を悪くなさらないでください」
「え、ああ、別にあたし全然気にしてませんよ。むしろさっきのアレのどこが悪口だったのかもさっぱりなんですけども。エミさんが聞きしに勝る惚気っぷりだったから呆れたって言いたかったんでしょ?」
「は……? え、ええと、まあそう、ですね……」
「ちょ、スイ、俺別に惚気てなんて」
「エミさん、あたしら単にバカップル過ぎて引かれただけだから」
しかし、先程は確かにクアスの言葉にビシリと固まっていたはずで、クアスの言わんとしたことを理解しているはずなのに、スイは全く怒った様子もなかった。その代わりシュクラの怒りがなかなかおさまらなかったみたいだが。
どうしたものか。このままこの謝罪で全て会話を終わらせたほうがいいかもしれない。エミリオの幸せを考えたら、自分が介入する事では決してないし、クアスの持つ考えをエミリオに押し付けるなどして、その後自分のモヤッとしたものが晴れるかといったら定かでないのが本音。
しかし、悶々としたところで何も弁明しなければシュクラの怒りは解けないだろう。クアスは思い切って腹の内を話してしまうことにした。
「先のシャガ地方の魔物討伐で、我が騎士団から討伐隊を派遣し、私はその隊長の任についておりました。こちらのエミリオはその討伐隊の魔術師長を担っていたのは、シュクラ様もご存じの事と伺います」
「であるな。そなたらが我が神殿に祝福を受けに来たのも覚えておるぞ。まあ『あのときは大勢』いたのでぇ? 顔などはもう忘れておったがのぉ~?」
シュクラの嫌味が止まらない。痛いところを突かれて言葉に詰まるも、全て話してしまわなければとクアスは気を取り直して話を続けた。悪く言われても仕方のないことは、クアスが一番よくわかっている。だから、ただ淡々と、何も偽ることなく事実を淡々と話した。
「エミリオは当時既に魔力が尽きかけていました。それでもなけなしの魔力を使って我らを脱出させてくれました。そのような状況で彼が生き残れるはずがないと思い、私は絶望していました。それでも、エミリオはこうして五体満足で戻ってきてくれました。しかし……」
「クアス……」
「その代償が、騎士団を自ら退団することだったなんて……それが私には納得がいかないのです。愛する人がシャガにいるから丁度良かったなどと言って……。彼は今回のことでは英雄です。それが栄誉ある騎士団を自ら去るなどと。……スイ殿、貴方は男が自分のために騎士団を辞めるということについて、どう思っていらっしゃるのですか」
「えっと……」
「なるほど、そなたの不満の種はそこか、カイラード卿」
不満、そうだ。不満があったのだろう。
クアスはあの任務までは道を誤ることなくまっすぐに騎士の道を歩んできたつもりだった。騎士である自分と騎士団という地位にゆるぎない誇りを持っていたのだ。
友人のエミリオもまた、己の魔力の多さに驕ることなく素直に魔術師としての道を歩んで、今の地位に上がったのだから、きっと彼もクアスと同じ気持ちだと思っていた。
しかし、エミリオは想い人と共にいるという、ただそれだけのために、今の地位を呆気なく捨てる決意をしていた。クアスが最も大切にしている騎士団の地位を、エミリオはそれほど重く考えていないという事実にショックを受けていた。
そして、彼の想い人であるスイに対してそんな怒りをぶつけてしまったのだ。
これは単なる八つ当たりだ。そう恥じるも、口から出た言葉は覆ることはない。
どう罵られても詰られても仕方がないと思いながら、クアスはスイの言葉を待っていた。彼女は紅茶を一口飲んでから一息ついて、それでエミリオを横目にやや苦笑気味に答えた。
「……うーん、正直なとこ、ちょっと重いかなって思いました」
スイの言葉にエミリオはぽかんと口を開けてしまっていた。シュクラもまたスイの言葉に虚を突かれたみたいな顔をしている。
重い? エミリオの愛情が重い?
彼女とエミリオは相思相愛なのではなかったのだろうか。
彼女もまた、エミリオを愛し、自分の元に留め置きたいのではなかったのか。
そんなことを思うクアスをよそに、スイの口からはエミリオに対するちょっとした不平不満のようなものがぽんぽんと出てきた。
やれいきなり無職だの金遣いが荒いだの、魔力も見境なく使うから見てて胃が痛いだの、その言葉に攻撃魔法でも宿っているのか、エミリオはスイの言葉の攻撃にもんどりうって撃沈している。
わからない。想い合う二人だというのに、こういうのは稀人クオリティなのだろうか。少なくともクアスが元付き合ってきたキャサリン嬢には、クアスは何も言われたことはない。
「でもね、エミさんが魔力全回復して王都へ帰った日にね、あたし思わず泣いちゃったんだよね」
スイは言う。クアスには申し訳ないが、エミリオをもう離すことはできないと。
その言葉だけでいうなら、やはり神の子という権力を持ってしてエミリオを手に入れたかったように聞こえるけれど、この二人に関してはそうじゃないことに、クアスはじわじわと気付かされていく。
スイの言う通り、騎士団を辞めてシャガに行けばしばらくは無職同然、冒険者登録をして細々とした生活を強いられるだろう。王都のほうからの仕事も外注として受けるとエミリオは言っていたけれど、それでも暫くはスイのほうが養ってやらなければいけないかもしれない。
お人よしが過ぎるエミリオは金にも魔力にも執着が無くて、彼の財政管理や魔力のケアもきっとスイが見て注意してやらないといけないのだろう。
でも、それでもエミリオがいいのだと言う。もう離してやれないのだと。何があっても彼を手放すことは考えられないとスイは宣言した。それにじんわりと感動しているエミリオの顔といったらない。
そこまでの愛情を、クアスは知らないし、子供のころから厳しい家族に男とは騎士とは家庭とはとがちがちに固められ、教えられてきたクアスには理解が追いつかない。
大体そこまでの愛情を、クアスは感じたこともなかった。元恋人のキャサリン嬢にもそんなことを言われたことはないし、彼女はあの任務失敗により投獄されたクアスの元からあっさりと去って行った。
長年付き合ってきたというのに、自分はキャサリン嬢とそんな関係を作ってこなかったせいだろう。
……いや、もちろん彼女は家のためを思って身を引いただけで、彼女とて辛かっただろう。
クアスもまた、彼女にすがるようなことをしなかった。
お互いに身を引いたのだ。
それに比べて、エミリオとスイのお互いのことを想う自由な愛情の眩しさ、意味がわからないと同時に、羨ましいような気もした。
気がつけば、捨て台詞のような言葉を残して、伝票を手にして席を立っていた。後ろからシュクラの甲高い罵り声が聞こえてきたが、特に何も思わず会計を済ませてそのままメノルカ神殿を出た。
眩しかった。ああいうのが人生を謳歌しているというのだろう。それに比べて、自分の視野の狭さと固い考え方の違いに打ちのめされた気がした。
成るも成らぬも成り行き任せ。そればかりではいけないかもしれないが、こだわりの心は捨ててしまったほうが、人生は生きやすいのかもしれない。
いつの日か。自分も誰かに対して離れたくないなどと思い涙する日がくるのだろうか。
……今はまだ、靄のかかった視界が開き始めたばかりだから、先のことなどわかるはずもなかった。
ひどく物寂しい気がして、人の温もりが恋しくなっていた。
第二師団に復帰する少し前に、今後の活動について土地神メノルカに祝福を賜りにメノルカ神殿に赴いたのだが、そのときにエミリオと偶然会ってデレデレした親友が見せてくれた掌サイズの肖像画(いわゆる現代でいうスナップ写真)で、スイ・マナカというエミリオの想い人の顔を見せてもらっていた。
この国では珍しい長い黒髪と黒い目を持つなかなかの美人だ。やや目尻が上がった猫のような大きな目が、勝気そうな雰囲気を醸し出している。
メノルカ神殿で今売り出し中の子供用玩具、ジェイディ人形とやらに似ていると言っていたが、成程、彼女をディフォルメしてキャラクター化すればあの人形のポスターによく似ている気がする。
見た目通りの強気で我儘な令嬢であれば、神の娘として権力を持ってエミリオに騎士団を辞めてシャガに引っ越してきて欲しいとでも言ったのだろうか。
エミリオは自分がそうしたいのだと言っていたが、男が今の名誉ある職を辞してまで傍に居たいと思うなど、クアスには考えられない事だった。
「クアス! こっちだ」
ロビー内でこちらに向かって手を振る、魔術師の正装をしたエミリオと合流したクアス。二人の元に、聖人たちに周りを囲まれながらやってくる男女がいた。件のスイ嬢と、彼女を貴公子ばりにエスコートしている絶世の美青年は、西部辺境シャガ地方の土地神シュクラだ。
エミリオに紹介され、騎士の礼で自己紹介をしたクアスに対して、シュクラは朗らかな顔をして、
「うむ。良きに計らえ。苦しゅうない」
と至極ご満悦な感じであった。
「カイラード卿といったか。こちらは吾輩の娘、スイじゃ」
「よ、よろしくお願いします、スイです」
エミリオに肖像画を見せてもらっていたので顔は見知っていたけれど、正装している彼女は肖像画よりも凛としていて美しかった。
「確かにエミリオ、お前の言った通りの美人だな」
「そうだろ? もうすごく可愛い人で……」
「エミさん、ちょ、やめてよ……」
デレだすエミリオの情けない顔といったらない。それに応じて恥ずかしそうに、それでいて満更でもない感じで頬を染めるスイ。
彼女が魔力枯渇で瀕死だったエミリオを救い出してくれたと思うと、クアスは彼女に感謝してもしきれないくらいなのだが、それを逆手にエミリオをシャガに縛り付けようとしているように思えてクアスは胸に抱えていたモヤっとしたものをうっかり吐き出してしまったのだ。
「……エミリオ、確かに王都一の魔術師エミリオ・ドラゴネッティが、王都騎士団の魔法師団第三師団長という名誉ある地位を投げ出してまでその元に行くと言い張るほどの惚気っぷりだな」
その言葉にエミリオは「えっ、そ、そうかな……ははは」などと照れ笑いをしているだけだったが、クアスが無意識に込めた言葉の棘に、スイは気付いたらしく、一瞬にして表情が固まる。
その様子に、本当にこの女性がエミリオを欲して騎士団を退団させ、手元に縛り付けようとしているのだろうかとまじまじと上から下まで眺めやってしまった。普段の騎士道精神はどこへやら、決してレディにしていい態度ではなかったのに、クアスはその時は完全に無意識だった。
だが騎士としての危険察知能力は衰えていなかったらしく、そのすぐ傍からクアスに向けて放たれる殺気にも似たものを感じてそちらを見ると、黄金の瞳を三白眼に見開いて瞬きもせずにこちらを睨みつけるシュクラの恐ろしい顔があった。
「……我が娘に、何かもの言いたげであるな? カイラード卿?」
思えばこのときの邂逅が、のちのクアスに影響を与えた瞬間だったのかもしれなかった。
シュクラが怒るのも無理はない。クアスはスイに対してエミリオを騎士団退団に追い込んだ、悪女とまではいかないまでもしょうもない女という勝手な思い込みで見てしまっていたから。
スイはシュクラ神の愛し子だ。何を置いても彼女を守ろうとするシュクラが、クアスのスイに対する嫌味を許すはずなどなかった。
腹を割って話そうではないか、と喫茶コーナーで四人掛けのテーブルを囲んだときの居心地の悪さといったらない。
「我が娘に対して何が不満じゃ。申せ、クアス・カイラード」
「……不満はございません」
「じゃあ先ほどの無礼な物言いは一体何じゃ。腹割って話そうではないか。そなたの言い分をちゃんと聞いてやろうぞ」
「シュクラ様、クアスに悪気はありません。どうぞお怒りを鎮めていただけませんでしょうか?」
「エ、エミリオ……!」
「怒ってなどおらぬ。吾輩は全然全くこれっぽっちも怒ってなどおらぬわ」
いや、怒っているというよりも、シュクラはへそを曲げているみたいだ。口を尖らせてぶすくれているので、その美貌が台無しだ。
しかし、先程のクアスの言葉。無意識で言った言葉とはいえ、心の奥底で思っていなければ出なかった言葉だ。クアスは未だモヤっとしたものを抱えたまま、それでもレディに対しての態度ではなかったと改めてスイとシュクラに謝罪する。
「スイ殿、申し訳ありません。気を悪くなさらないでください」
「え、ああ、別にあたし全然気にしてませんよ。むしろさっきのアレのどこが悪口だったのかもさっぱりなんですけども。エミさんが聞きしに勝る惚気っぷりだったから呆れたって言いたかったんでしょ?」
「は……? え、ええと、まあそう、ですね……」
「ちょ、スイ、俺別に惚気てなんて」
「エミさん、あたしら単にバカップル過ぎて引かれただけだから」
しかし、先程は確かにクアスの言葉にビシリと固まっていたはずで、クアスの言わんとしたことを理解しているはずなのに、スイは全く怒った様子もなかった。その代わりシュクラの怒りがなかなかおさまらなかったみたいだが。
どうしたものか。このままこの謝罪で全て会話を終わらせたほうがいいかもしれない。エミリオの幸せを考えたら、自分が介入する事では決してないし、クアスの持つ考えをエミリオに押し付けるなどして、その後自分のモヤッとしたものが晴れるかといったら定かでないのが本音。
しかし、悶々としたところで何も弁明しなければシュクラの怒りは解けないだろう。クアスは思い切って腹の内を話してしまうことにした。
「先のシャガ地方の魔物討伐で、我が騎士団から討伐隊を派遣し、私はその隊長の任についておりました。こちらのエミリオはその討伐隊の魔術師長を担っていたのは、シュクラ様もご存じの事と伺います」
「であるな。そなたらが我が神殿に祝福を受けに来たのも覚えておるぞ。まあ『あのときは大勢』いたのでぇ? 顔などはもう忘れておったがのぉ~?」
シュクラの嫌味が止まらない。痛いところを突かれて言葉に詰まるも、全て話してしまわなければとクアスは気を取り直して話を続けた。悪く言われても仕方のないことは、クアスが一番よくわかっている。だから、ただ淡々と、何も偽ることなく事実を淡々と話した。
「エミリオは当時既に魔力が尽きかけていました。それでもなけなしの魔力を使って我らを脱出させてくれました。そのような状況で彼が生き残れるはずがないと思い、私は絶望していました。それでも、エミリオはこうして五体満足で戻ってきてくれました。しかし……」
「クアス……」
「その代償が、騎士団を自ら退団することだったなんて……それが私には納得がいかないのです。愛する人がシャガにいるから丁度良かったなどと言って……。彼は今回のことでは英雄です。それが栄誉ある騎士団を自ら去るなどと。……スイ殿、貴方は男が自分のために騎士団を辞めるということについて、どう思っていらっしゃるのですか」
「えっと……」
「なるほど、そなたの不満の種はそこか、カイラード卿」
不満、そうだ。不満があったのだろう。
クアスはあの任務までは道を誤ることなくまっすぐに騎士の道を歩んできたつもりだった。騎士である自分と騎士団という地位にゆるぎない誇りを持っていたのだ。
友人のエミリオもまた、己の魔力の多さに驕ることなく素直に魔術師としての道を歩んで、今の地位に上がったのだから、きっと彼もクアスと同じ気持ちだと思っていた。
しかし、エミリオは想い人と共にいるという、ただそれだけのために、今の地位を呆気なく捨てる決意をしていた。クアスが最も大切にしている騎士団の地位を、エミリオはそれほど重く考えていないという事実にショックを受けていた。
そして、彼の想い人であるスイに対してそんな怒りをぶつけてしまったのだ。
これは単なる八つ当たりだ。そう恥じるも、口から出た言葉は覆ることはない。
どう罵られても詰られても仕方がないと思いながら、クアスはスイの言葉を待っていた。彼女は紅茶を一口飲んでから一息ついて、それでエミリオを横目にやや苦笑気味に答えた。
「……うーん、正直なとこ、ちょっと重いかなって思いました」
スイの言葉にエミリオはぽかんと口を開けてしまっていた。シュクラもまたスイの言葉に虚を突かれたみたいな顔をしている。
重い? エミリオの愛情が重い?
彼女とエミリオは相思相愛なのではなかったのだろうか。
彼女もまた、エミリオを愛し、自分の元に留め置きたいのではなかったのか。
そんなことを思うクアスをよそに、スイの口からはエミリオに対するちょっとした不平不満のようなものがぽんぽんと出てきた。
やれいきなり無職だの金遣いが荒いだの、魔力も見境なく使うから見てて胃が痛いだの、その言葉に攻撃魔法でも宿っているのか、エミリオはスイの言葉の攻撃にもんどりうって撃沈している。
わからない。想い合う二人だというのに、こういうのは稀人クオリティなのだろうか。少なくともクアスが元付き合ってきたキャサリン嬢には、クアスは何も言われたことはない。
「でもね、エミさんが魔力全回復して王都へ帰った日にね、あたし思わず泣いちゃったんだよね」
スイは言う。クアスには申し訳ないが、エミリオをもう離すことはできないと。
その言葉だけでいうなら、やはり神の子という権力を持ってしてエミリオを手に入れたかったように聞こえるけれど、この二人に関してはそうじゃないことに、クアスはじわじわと気付かされていく。
スイの言う通り、騎士団を辞めてシャガに行けばしばらくは無職同然、冒険者登録をして細々とした生活を強いられるだろう。王都のほうからの仕事も外注として受けるとエミリオは言っていたけれど、それでも暫くはスイのほうが養ってやらなければいけないかもしれない。
お人よしが過ぎるエミリオは金にも魔力にも執着が無くて、彼の財政管理や魔力のケアもきっとスイが見て注意してやらないといけないのだろう。
でも、それでもエミリオがいいのだと言う。もう離してやれないのだと。何があっても彼を手放すことは考えられないとスイは宣言した。それにじんわりと感動しているエミリオの顔といったらない。
そこまでの愛情を、クアスは知らないし、子供のころから厳しい家族に男とは騎士とは家庭とはとがちがちに固められ、教えられてきたクアスには理解が追いつかない。
大体そこまでの愛情を、クアスは感じたこともなかった。元恋人のキャサリン嬢にもそんなことを言われたことはないし、彼女はあの任務失敗により投獄されたクアスの元からあっさりと去って行った。
長年付き合ってきたというのに、自分はキャサリン嬢とそんな関係を作ってこなかったせいだろう。
……いや、もちろん彼女は家のためを思って身を引いただけで、彼女とて辛かっただろう。
クアスもまた、彼女にすがるようなことをしなかった。
お互いに身を引いたのだ。
それに比べて、エミリオとスイのお互いのことを想う自由な愛情の眩しさ、意味がわからないと同時に、羨ましいような気もした。
気がつけば、捨て台詞のような言葉を残して、伝票を手にして席を立っていた。後ろからシュクラの甲高い罵り声が聞こえてきたが、特に何も思わず会計を済ませてそのままメノルカ神殿を出た。
眩しかった。ああいうのが人生を謳歌しているというのだろう。それに比べて、自分の視野の狭さと固い考え方の違いに打ちのめされた気がした。
成るも成らぬも成り行き任せ。そればかりではいけないかもしれないが、こだわりの心は捨ててしまったほうが、人生は生きやすいのかもしれない。
いつの日か。自分も誰かに対して離れたくないなどと思い涙する日がくるのだろうか。
……今はまだ、靄のかかった視界が開き始めたばかりだから、先のことなどわかるはずもなかった。
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