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番外編「ぬしと私は卵の仲よ私ゃ白身できみを抱く」

2 第二の父となっていたかもしれない人

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 衝撃的な言葉を告げた準男爵のほうが委縮してカタカタと震えていた。言われている本人のクアスはショックはショックであったけれども、どこか納得している自分が居て、この場で一番冷静であった。

 クアスの婚約者キャサリン・ボナール準男爵令嬢は、飲食店の娘とあって快活で人当たりの良いはつらつとした美人だ。
 クアスより五歳年下の彼女は、淑やかさはあれど活発さが勝り、真面目で堅物なクアスを、その生来の明るさで引っ張ってくれるような女性だ。そんなお互いに惹かれた二人は自然と交際を始め、数年前、まだ存命だったカイラード騎士爵家の当主であり年の離れたクアスの兄、そしてキャサリンの父ボナール準男爵の同意により婚約を成立させた。

 しかし、ここにきて婚約解消との申し出に、クアスは何も言えなかった。当たり前だろう、今のクアスに何故、どうしてと食い下がる権利などどこにも存在しない。

 愛娘を、罪人に嫁がせようとする親などいるはずがない。

「キャシーは、娘はカイラード卿を本当に慕っておりました。なので、婚約解消は絶対に嫌だと泣き腫らしておりましたが……申し訳ない。娘のことは、どうか忘れていただけないでしょうか……」

 ボナール準男爵は王都ブラウワーで三ツ星レストランを経営している。
 そしてその娘キャサリン嬢は、ボナール準男爵が愛妻との間に息子を三人設けたのちに、どうしても女の子が欲しくて、年齢を理由に渋る妻に頼み込み、年老いてから生まれたという、目に入れても痛くないほど可愛がっていた末娘。
 そんな愛娘の夫となる男性は、立派な経歴を持つ男性でなければと思っていた。もちろん娘の夫の肩書が店の評判にも影響することも考えてのことだが、その思いの八割は娘の幸せだったのだ。
 それで騎士学校に通う将来有望だったクアスとの交際を許し、準男爵のその期待に応えて王都騎士団第二師団長に任命されたクアスを、この者ならと、そのままキャサリンとの婚約を認めてくれた。

 しかし、今回の任務失敗において名声に瑕がついたクアスには、申し訳ないが可愛い娘を嫁がせることはできないだろう。
 自らの間違ったプライドのために準備を怠り仲間を危険にさらし、さらに無駄死にに追いやった男、そんな危なっかしい男に娘が嫁いだら、きっと彼女もまた同じように危険な目に遭わせられるのではないか。

 また、名声に瑕がついた男と縁戚となったら、店の評判にも影響する。愛を貫く美談と語られれば良いのだけれど、そんなものは衆人のたった一握りの者たちだけだろうし、大半はその反対だろう。
 今までの三ツ星レストランという評判は地に落ち、準男爵の家族のみならず大勢の従業員とその家族を路頭に迷わせることとなる。そんなことは絶対にできなかった。

 娘の希望をとるか、店と大勢の従業員を守るか。二者択一を迫られた準男爵は、経営者として後者を選んだのである。

「……本当に、申し訳ない……」

 準男爵が悪いわけではないのに、彼は薄くなった頭を深々と下げて震えながらクアスに謝っていた。
 そんな準男爵の姿を見て、クアスは優しく「顔を上げてください」とガラス越しに言う。恐る恐るといった上目遣いでクアスを見る準男爵に、クアスは頷いた。

「婚約の解消を受け入れます。……今まで、本当にお世話になりました」
「カイラード卿……本当に申し訳ない。だが私にも立場があるんです……どうか、許してください」

 娘が本当に慕っていた男であり、ずっと面識があって娘ともども親子で仲良くしていたクアスだからこそ、このような決断をした準男爵は平謝りするしかないと思っているのだろうが、そもそも彼が謝ることは何もない。彼らはクアスのとばっちりを受けただけに過ぎないのだから。

「謝らないでください。許すも許さないも、元々準男爵に非はありません。分かっています。……ただ、一つだけお聞きしても?」
「何でしょう……」

 まだビクビクと伺うようにして聞く準男爵に、クアスは苦笑した。

「……私の今回のことで、キャシー……いえ、キャサリン嬢の今後が心配なのです。過去にこのような男と交際していたなどとして、嫁ぎ先が無くなったりはしないでしょうか」
「……」
「私を気にする必要はありません。心からキャサリン嬢の今後が心配なのです。私のせいで彼女が人生を棒に振ることになったら、私は死んでも死に切れません」
「死んでも死にきれない……? ど、どういうことです。カイラード卿はこうして生きているではありませんか」
「……」

 クアスは口が滑ったと思ったが、黙っているわけにもいかず、理由を話した。
 実を言うと、今回の任務失敗の責任問題について上層部からの指示があったこと。その内容は、名誉ある自決、とのことだった。まだ完全なる決定ではないけれど、ほぼ確定ということだ。
 クアスのそれまでの功績と名声を称えて、処刑ではなく自決ということになったのは、上層部としては最大限の譲歩だった。
 クアスの部下である第二師団の騎士たちが、それを撤回させようと署名を集めているらしいが、おそらくそれを覆すには時間が足りないだろう。

「私は二、三日後には、毒杯を賜ることとなりましょう。キャサリン嬢には、私のことは一日も早く忘れてほしいと伝えてください」
「……」

 クアスの言葉に驚き青褪めた表情で言葉を失った準男爵。しばし、押し黙ってから、大きくため息をついてぼそぼそと呟いた。

「……キャシーは、貴方が大けがを負いながらも生きて帰ってくれたことに涙を流して喜んでおりました。ですが……私が婚約解消を申し出ることを告げたとき、それは悲しみの涙に変わりました。それほど心から貴方を愛していたのです。気も狂わんばかりに泣き叫んで、ついに失神してしまった。目が覚めたときには吹っ切った顔をしていて……お父様の好きにしてくださいと。私は……私は愛する娘とその恋人にこんなむごいことを……本当に申し訳ない」
「いいえ、準男爵。何度も言いますが、貴方に非は一切ありません。貴方は正しく決断なさっただけです。どうか……キャサリン嬢だけでなく貴方も、ここから帰ったら一日も早く、私のことなど忘れてください」
「……っ、遺言のように言わんでください……!」

 俯いてテーブルに拳をガンと叩きつけて、準男爵は慟哭に肩を振るわせていた。

 ああ、私はこの方をも悲しませてしまったのだな。

 ボナール準男爵もまた、クアスのことを単なる娘の恋人としてではなく、未来の息子として見ていてくれた人であったというのに、自分はこの人にも迷惑をかけてしまっていたことに気づく。
 近親者は皆鬼籍に入って天涯孤独の身の上のクアスにとって、第二の父となっていたかもしれない人なのに。

「……ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」

 今のクアスはそれだけしか言えない。それ以上は言葉が続かず、準男爵のすすり泣くような嗚咽が面会室に響く中、刑務官が「時間だ」と言いにくるまで、クアスは何も答えてやることができなかった。



 それから間もなく、お節介な刑務官が「俺は居眠りのときに寝言を言うんだ」と、寝言と称してこっそりと外のことを教えてくれて、キャサリン・ボナール準男爵令嬢が別の男性と婚約したことを知った。

 クアスと彼女の婚約は「破棄」ではなく「解消」されたので、その事実は経歴からはすっぱり消え去り、彼女は何の問題もなく新しい婚約者を迎えた。

 相手となる男性は、キャサリン嬢の二人の兄の友人で、どこかの男爵家の跡取り息子らしい。クアスとの交際中のキャサリン嬢を、そのころから見初めていたけれども、既に恋人がいる女性には言い寄れないと諦めていた。
 けれども今回婚約解消となったキャサリン嬢の次の嫁ぎ先を急ぎ決めなければという話を、キャサリン嬢の兄から聞いたその男性が立候補してくれたのだそうだ。

 兄の友人で顔見知りではあるし、元々からキャサリン嬢のことを想ってくれていたことで、兄たちからの推薦もあり、すぐに新しい婚約者として決まったとのことだ。

「けど、アンタと長年付き合っていたんだから、早々には結婚ってわけにもいかんだろうなー。女はほら、数カ月は様子見しないとアレだろ?」

 刑務官が寝言と言いながら話しかけるように言う。
 言葉に、ちょっとした下ネタを入れてきたことに、普段のクアスなら、彼女を侮辱するなと怒るところだったが、さすがに今はそんな気分にはなれない。寝言と口喧嘩したら死ぬ、なんて迷信を信じているわけではないけれど。
 とりあえず何の感情もなくただ淡々とクアスは答えた。

「……それについては問題はないですよ。彼女は清い身ですから」

 クアスの言葉に椅子の背もたれに寄りかかり、机に足を組んで上げていた刑務官ががばっと起き上がってこちらを驚いたような顔で見た。寝ていたのではなかったのだろうか?

「えっ、えっ……? 長年付き合ってたのに?」
「……当たり前でしょう。結婚前にそのようなふしだらな事はできません」
「ふ、ふしだらって……いやいや、恋人だったんなら、それくらいは普通……え、キスとかハグは?」
「それくらいならありましたが、身体の関係はありません。結婚前はお互いに身綺麗でいようと誓っていましたから」
「そ、そうなのか。……え、お互い? ちょっと待って。お互いってことはさ、アンタまさか、童貞、ってことは」
「……はあ、それが何か? 結婚前に相手に操を立てるのは当たり前でしょう」

 クアス・カイラードという三十路近い堅物男の『男の事情』を図らずも知ってしまった刑務官の石化したような顔といったらなかったけれども、クアス自身は、これで本当に良かったと思っていた。

 自分は間もなく毒杯を賜る身。父親のいない子を彼女に残して、彼女をこれ以上不幸にするわけにはいかなかった。まして罪人が父親なんて、子供も不幸になるだけだ。
 確かにキャサリン嬢と結婚して、我が子を得る夢というのはあったけれども、それももう儚い夢。

 クアスとキャサリン嬢はともに清い身体でそれぞれの行く先に旅立つのだ。そのほうがきっと彼女は新しい嫁ぎ先で幸せになれるだろうし、クアスは罪を犯した身であるからせめて清い身体で冥府へ旅立ちたかった。

 もう思い残すことは何一つない。死んでいった仲間たち、そして仲間であり友人でもあったエミリオ・ドラゴネッティに、あの世でしっかりと謝らなければな。

 その時のクアス・カイラードの表情はどこか吹っ切れたようなものに見えていたかもしれない。
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