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010 公爵閣下の無茶ぶり
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マグノリア公女の診察のあとコルヴィナス公爵に呼ばれているのを思い出し、また案内の使用人に連れられて執務室へ向かった。
「公爵様、主治医の先生の見解でも問題なさそうでしたし、私から魔術で検索してみましたが、公女様のお身体は順調に回復に向かっているようでした」
コルヴィナス公爵の執務室にて、先ほどのマグノリア公女の診察内容を公爵に報告する。
「そうでしたか。ありがとうございます。何事もなければこのまま回復しそうですかな」
「何事もなければ……そうですね。でも、先日のとおり原因が何者かの生霊が絡む呪いであったことから、現況である犯人を突き止めてやめさせないと、また同じことの繰り返しですけどね。その点に関して、何か動きはあったんでしょうか?」
「ええ、そのことなんですが……とりあえずそちらにかけてください」
公爵が応接セットのソファーにメルティーナを促したので、何やら深刻で長い話になりそうな気がした。
豪奢な執務机から立ち上がり、メルティーナとテーブルを挟んで向かいのソファーに移動した公爵。彼は二人の間のテーブルの上に何やら美しい封筒を差し出した。
親愛なるマグノリア・コルヴィナス様――。公女宛の手紙だ。公女宛の手紙は一度公爵に検分されてから公女に渡されることになっている。
上質紙に金箔で縁取られた美しい装飾の封筒に、蝋封が押されていて、しかもその蠟封の意匠は普通の家紋にはない獅子が描かれていた。
「これは……王家からの?」
「はい。ロータス王太子殿下からの手紙です。マグノリアのことは伏せていたのですが、どこからか体調不良ということを耳にされた王太子殿下が、見舞いに来たいと今朝先ぶれの手紙を送ってきたのです」
――あ、そういえばそうだった。公女様は王太子殿下の婚約者なんだっけ。とにかく公女にかかっていた厄介な呪いをどうにかすることで頭がいっぱいだったし、すっかり忘れていたわ……。
王都から遥か遠くのオルガナ大森林なんぞに住んでいるせいで世情に疎すぎる自分をメルティーナは恥じた。疲れている場合ではないと、メルティーナは表情を崩さぬまま手の甲をつねりあげて自分に克を入れた。
コルフォニカ王国第一王子にして王太子であるロータス・ヴァンツェルド・コルフォニカ殿下は今現在二十三歳。
ロータス王太子は十代後半で戦争での功績をあげた偉丈夫で美男子、普段オルガナ大森林に住むメルティーナは聞きかじりだが、一年ほど前、戦地から凱旋してきた際の王都のパレードでは国民から大きな声援が送られていたほど人気があると聞いた。
彼はマグノリア公女より十歳年上だが大変仲が良く、「マギー」「お兄様」と呼び合い幼い頃から交流を続けてきた間柄だそうだ。成るべくして成った婚約と言えるだろう。
王家と公爵家という政略結婚とはいえ、「マギーなら」「お兄様なら」全く知らない間柄でもないしまあいいか、的な感じでそこそこ順調に婚約を進めてきたのだそうだ。
やってみなければわかりゃしないくじ引きみたいな貴族の政略結婚事情で、二人の場合は運が良いとも言える。
さて、そんな民の支持を一身に受ける話題の王太子殿下、その婚約者マグノリア公女が倒れたとあって、自分の婚約者を見舞いたいという王太子の先ぶれの手紙が、一体何の問題があるのだろう?
「……拝見しても?」
「どうぞ」
「では失礼して」
メルティーナは一度ハンカチで手汗を拭ってから、おずおずとその尊き手紙を開いた。
内容的には季節の挨拶から始まり、つい先日ようやくマグノリア公女が倒れて養生している話を聞いて驚いていること、少しでいいから見舞いに訪れて君の顔が見たいといった、当たり障りのない至って普通の恋人が愛する人を心配するような文章が書かれていた。
内容的には問題はなさそうだ。だが……。
――何……これ? 手紙からどす黒い煙みたいなオーラが噴出しているのが見えるわ……。
そう、王太子からの手紙から、いわゆる負の感情から湧き出る黒い煙のようなものが噴出して見えたのだ。もちろんこれは魔女であるメルティーナくらいにしか見えないものだ。一般的には魔法を扱える人間や感受性の鋭い人間が、ぱっと見で「なんだかこれ嫌だな」と感じる程度のものでほぼ気にならないだろう。
しかしメルティーナはその黒い煙に見覚えがあった。
「公爵様、これ……マグノリア公女様にかけられた呪いの端くれによく似ています」
「賢者様もそう思われますか?」
「ということは、公爵様も何か感じるのですか?」
「いえ、私は魔術や呪いには疎い。でも我が側近の執務官で、そういうのを少し感じる者がおりまして、気を付けるようにと報告を受けましたもので」
「そうですか……」
大きな危険はないだろうが、これをそのままマグノリア公女に持っていくわけにもいかなくて、メルティーナは指先に魔力を集中させてからその手紙をデコピンの要領でピンッと弾いた。
途端に黒い煙は掻き消えた。手紙にまとわりつく程度のものならこれで解呪できる。
「……一応、簡単な解呪をしておきました。それにしても、王太子殿下からの手紙がどうしてこんな……王太子殿下と公女様は仲睦まじいと聞きましたのに」
「それなんです賢者様。マグノリアのかけられた呪いの生霊とやらの正体を色々調べてみましたところ、色々出てきました」
「色々……そうでしょうね」
コルヴィナス公爵家はコルフォニカ王国の三大公爵家の一つだが、勢力が均衡を保っていた三大公爵家の中、王太子と公女が婚約したことで、今現在コルヴィナス公爵家の勢力が一歩前に出ている状態だ。人に妬み嫉み恨みを買うのは日常なのかもしれない。
だからといって呪いまでかけるほど他の公爵家が切迫しているわけでもない。
しかも今呪いの端くれが出てきたのは王太子からの手紙であってその二公爵家からの手紙ではないのだ。
「先日、賢者様は心血を注ぎマグノリアの呪いを解いてくださり、その際呪い返しを行ったと言いましたよね」
「ええ。呪いをかけた本人に呪いを返す方法です。それを追跡して、その日に体調に変化があった者を調べるとその正体がわかると思って」
「私もそれを聞いて調べたのです。そうするとたどり着いたのが……王太子殿下がなんと」
「え……」
――まさか。王太子殿下が生霊の呪いをかけた本人なの? 相思相愛の公女様に呪いをかけるなんてそんな……。一体なぜ?
「……王太子殿下はここ一年体調を崩されていた身体が突然回復されたそうです」
「えっ」
メルティーナは身を乗り出して聞いていたが、公爵の言葉にがくっとずっこけそうになった。
――呪い返しを受けて体調を崩すならまだしも、崩していた体調が回復した? 四十数年そういったものに携わってきたけど、そんな症例初めてだわ……。
王太子はたまたまかもしれない。呪い返しは呪いを受けていた者の症状とそっくりそのままの症状が相手に返るはずなのだ。それが逆に回復したということは、偶然か、もしくは……。
「王太子殿下は体調を崩されていたんですね」
「ええ、戦場を経験してきた丈夫なお方ですから、倒れるほどではなかったらしいので公表はしてなかったそうですが」
聞けば体調不良とは言っても、少しの偏頭痛や途中覚醒などの睡眠障害がひと月に一度あるかないか、くらいだからと、王太子自身が伏せておけと皆に言っていたらしい。
メルティーナはあごに手をあててうーんうーんと考え込む。頭の中で、師匠である前・森の賢者に叩き込まれた過去の症例や魔法や呪いの知識を掘り起こしていった。
「うーん……もしかしたら、もしかしたらなんですけども」
「はい、何かわかりましたか賢者様?」
「あくまでも仮定の話ですけども、もしかしたら、王太子殿下も公女様と同じ呪いがかけられていたのかもしれません。丈夫な男性ですから公女さまのような重症にはならなかっただけで」
「なんと……」
「私が今回呪い返しで公女様から呪いを引っ剥したので連動して王太子殿下のほうも剥がれたか、術者に呪いが返ってダメージを受けたので、一時的にでも呪いがストップしたのかもしれません」
「なん……ですと……? それはつまり、王家に対する恨み……?」
王家や高位貴族ともなると色んな妬み嫉み恨みを向けられるのはもうしょうがないのだろう。上に立つ人間というものはそういう矢頭に立たされやすい。
景気が悪い、物価が高くなった、税金が苦しい、治安がもう少し良ければ……。そんな日頃の小さなボヤキがたまりにたまって、ある日思念となってそれが独り歩きした場合、呪いとなる最悪のケースがある。
そういえば、歴史上突然死した王侯貴族も、もしかしたら……その可能性だって誰も否定できないわけだ。
だとすると、今回の呪いはそんな王家への恨みを婚約者だからとマグノリア公女はとばっちりを受けただけなのかもしれない。
そうなると、本当に解呪しなければいけないのは王家の人々なのでは……。
――待って待って。今の王家の血筋の存命している人間が一体何人いると思ってるのよ。そんな人たち全員の解呪なんて、魔力がいくらあっても足りないじゃない。私はもうこれ以上は無理だわ。公女様だけで手いっぱいだもの。
規格外と言われてマージマスターのギフトを得た森の賢者メルティーナといえど、解呪にあれほど手こずり、魔力もまだ半分も回復していない状態で、もう二、三人いってみようか♪みたいなノリで依頼されたら困る。
魔法、とりわけ解呪の魔法は、言ってみれば鋭い剣山から刃を素手で一本一本抜いていくようなものだ。いつ呪いの刃がこちらに向かってくるかわからない状態で命を削りながら無効化していく大変難しい作業。
マグノリア公女だけで魔力枯渇まで陥ったのだから、それはほかの魔術師にやってもらいたい。
「……公爵様、あの……」
「う~む。殿下にお聞きするか。賢者様、もし、王太子殿下も……」
「……! あ、あの、私はもう無理です、公女様だけで手いっぱいですから! 魔力もまだ回復してませんし、王太子殿下には王家お抱えの魔術師様たちがいらっしゃるんですよね?」
それ以上は言わせないぞとばかりに先手を打つメルティーナ。その言葉に目を泳がせた公爵に、やはりメルティーナに「ついでに」程度の軽い気持ちで王太子の解呪も依頼しようとしていたのがバレバレだった。
――ちょっとぉ……。公爵様王家に対していい顔しようとしすぎでしょ。この方、お人よしと野心家が入り乱れてるわね……。いい人だと思ったのに!
「大体私は王太子殿下にお目にかかれる身分ではないし許可されてもおりません」
「いえ、大丈夫です。落ち着いてください。ちらっと見るだけでいいんです。賢者様が直接お会いする必要はありません」
「……どういうことです?」
「明日この手紙の通りにマグノリアの見舞いに来ていただけるよう王太子殿下に返事をいたします。その際、賢者様には陰からその様子を見ていただけないかと。何、ほんのちらっとでいいのです。直接診察するのは王家の侍医や魔術師団でしょうから」
確かに、メルティーナはこれまでマグノリア公女にかかったのが呪いであって、それが生霊が絡んだ呪いだということをすぐに言い当てたし、先ほど王太子からの手紙からの怪しい煙がマグノリア公女にかかった呪いと同じだとも言った。メルティーナにはしっかり呪いが目に見える形で目の前に現れるのだ。公女だって最初に会ったときはどす黒い呪いの煙で顔が見えないほどだった。
遠くからちらっと見るだけでそれが見えるようなら、確かに王太子も呪いがかかっていると断言できそうだが……。
「……ちらっと、見るだけでいいんですね? それ以上は私は踏み込みたくないです」
「もちろんです。王太子殿下のほうは我々で対処いたしますので、見たものの情報とアドバイスだけいただけたら」
「それでしたら……まあ」
なんとも言いくるめられた感は否めないのだが、それがマグノリア公女の呪いの元を断つことに繋がり、メルティーナも心安らかにオルガナ大森林に帰れるならと、彼女は多少気が向かなかったが公爵の頼みに頷いた。
「公爵様、主治医の先生の見解でも問題なさそうでしたし、私から魔術で検索してみましたが、公女様のお身体は順調に回復に向かっているようでした」
コルヴィナス公爵の執務室にて、先ほどのマグノリア公女の診察内容を公爵に報告する。
「そうでしたか。ありがとうございます。何事もなければこのまま回復しそうですかな」
「何事もなければ……そうですね。でも、先日のとおり原因が何者かの生霊が絡む呪いであったことから、現況である犯人を突き止めてやめさせないと、また同じことの繰り返しですけどね。その点に関して、何か動きはあったんでしょうか?」
「ええ、そのことなんですが……とりあえずそちらにかけてください」
公爵が応接セットのソファーにメルティーナを促したので、何やら深刻で長い話になりそうな気がした。
豪奢な執務机から立ち上がり、メルティーナとテーブルを挟んで向かいのソファーに移動した公爵。彼は二人の間のテーブルの上に何やら美しい封筒を差し出した。
親愛なるマグノリア・コルヴィナス様――。公女宛の手紙だ。公女宛の手紙は一度公爵に検分されてから公女に渡されることになっている。
上質紙に金箔で縁取られた美しい装飾の封筒に、蝋封が押されていて、しかもその蠟封の意匠は普通の家紋にはない獅子が描かれていた。
「これは……王家からの?」
「はい。ロータス王太子殿下からの手紙です。マグノリアのことは伏せていたのですが、どこからか体調不良ということを耳にされた王太子殿下が、見舞いに来たいと今朝先ぶれの手紙を送ってきたのです」
――あ、そういえばそうだった。公女様は王太子殿下の婚約者なんだっけ。とにかく公女にかかっていた厄介な呪いをどうにかすることで頭がいっぱいだったし、すっかり忘れていたわ……。
王都から遥か遠くのオルガナ大森林なんぞに住んでいるせいで世情に疎すぎる自分をメルティーナは恥じた。疲れている場合ではないと、メルティーナは表情を崩さぬまま手の甲をつねりあげて自分に克を入れた。
コルフォニカ王国第一王子にして王太子であるロータス・ヴァンツェルド・コルフォニカ殿下は今現在二十三歳。
ロータス王太子は十代後半で戦争での功績をあげた偉丈夫で美男子、普段オルガナ大森林に住むメルティーナは聞きかじりだが、一年ほど前、戦地から凱旋してきた際の王都のパレードでは国民から大きな声援が送られていたほど人気があると聞いた。
彼はマグノリア公女より十歳年上だが大変仲が良く、「マギー」「お兄様」と呼び合い幼い頃から交流を続けてきた間柄だそうだ。成るべくして成った婚約と言えるだろう。
王家と公爵家という政略結婚とはいえ、「マギーなら」「お兄様なら」全く知らない間柄でもないしまあいいか、的な感じでそこそこ順調に婚約を進めてきたのだそうだ。
やってみなければわかりゃしないくじ引きみたいな貴族の政略結婚事情で、二人の場合は運が良いとも言える。
さて、そんな民の支持を一身に受ける話題の王太子殿下、その婚約者マグノリア公女が倒れたとあって、自分の婚約者を見舞いたいという王太子の先ぶれの手紙が、一体何の問題があるのだろう?
「……拝見しても?」
「どうぞ」
「では失礼して」
メルティーナは一度ハンカチで手汗を拭ってから、おずおずとその尊き手紙を開いた。
内容的には季節の挨拶から始まり、つい先日ようやくマグノリア公女が倒れて養生している話を聞いて驚いていること、少しでいいから見舞いに訪れて君の顔が見たいといった、当たり障りのない至って普通の恋人が愛する人を心配するような文章が書かれていた。
内容的には問題はなさそうだ。だが……。
――何……これ? 手紙からどす黒い煙みたいなオーラが噴出しているのが見えるわ……。
そう、王太子からの手紙から、いわゆる負の感情から湧き出る黒い煙のようなものが噴出して見えたのだ。もちろんこれは魔女であるメルティーナくらいにしか見えないものだ。一般的には魔法を扱える人間や感受性の鋭い人間が、ぱっと見で「なんだかこれ嫌だな」と感じる程度のものでほぼ気にならないだろう。
しかしメルティーナはその黒い煙に見覚えがあった。
「公爵様、これ……マグノリア公女様にかけられた呪いの端くれによく似ています」
「賢者様もそう思われますか?」
「ということは、公爵様も何か感じるのですか?」
「いえ、私は魔術や呪いには疎い。でも我が側近の執務官で、そういうのを少し感じる者がおりまして、気を付けるようにと報告を受けましたもので」
「そうですか……」
大きな危険はないだろうが、これをそのままマグノリア公女に持っていくわけにもいかなくて、メルティーナは指先に魔力を集中させてからその手紙をデコピンの要領でピンッと弾いた。
途端に黒い煙は掻き消えた。手紙にまとわりつく程度のものならこれで解呪できる。
「……一応、簡単な解呪をしておきました。それにしても、王太子殿下からの手紙がどうしてこんな……王太子殿下と公女様は仲睦まじいと聞きましたのに」
「それなんです賢者様。マグノリアのかけられた呪いの生霊とやらの正体を色々調べてみましたところ、色々出てきました」
「色々……そうでしょうね」
コルヴィナス公爵家はコルフォニカ王国の三大公爵家の一つだが、勢力が均衡を保っていた三大公爵家の中、王太子と公女が婚約したことで、今現在コルヴィナス公爵家の勢力が一歩前に出ている状態だ。人に妬み嫉み恨みを買うのは日常なのかもしれない。
だからといって呪いまでかけるほど他の公爵家が切迫しているわけでもない。
しかも今呪いの端くれが出てきたのは王太子からの手紙であってその二公爵家からの手紙ではないのだ。
「先日、賢者様は心血を注ぎマグノリアの呪いを解いてくださり、その際呪い返しを行ったと言いましたよね」
「ええ。呪いをかけた本人に呪いを返す方法です。それを追跡して、その日に体調に変化があった者を調べるとその正体がわかると思って」
「私もそれを聞いて調べたのです。そうするとたどり着いたのが……王太子殿下がなんと」
「え……」
――まさか。王太子殿下が生霊の呪いをかけた本人なの? 相思相愛の公女様に呪いをかけるなんてそんな……。一体なぜ?
「……王太子殿下はここ一年体調を崩されていた身体が突然回復されたそうです」
「えっ」
メルティーナは身を乗り出して聞いていたが、公爵の言葉にがくっとずっこけそうになった。
――呪い返しを受けて体調を崩すならまだしも、崩していた体調が回復した? 四十数年そういったものに携わってきたけど、そんな症例初めてだわ……。
王太子はたまたまかもしれない。呪い返しは呪いを受けていた者の症状とそっくりそのままの症状が相手に返るはずなのだ。それが逆に回復したということは、偶然か、もしくは……。
「王太子殿下は体調を崩されていたんですね」
「ええ、戦場を経験してきた丈夫なお方ですから、倒れるほどではなかったらしいので公表はしてなかったそうですが」
聞けば体調不良とは言っても、少しの偏頭痛や途中覚醒などの睡眠障害がひと月に一度あるかないか、くらいだからと、王太子自身が伏せておけと皆に言っていたらしい。
メルティーナはあごに手をあててうーんうーんと考え込む。頭の中で、師匠である前・森の賢者に叩き込まれた過去の症例や魔法や呪いの知識を掘り起こしていった。
「うーん……もしかしたら、もしかしたらなんですけども」
「はい、何かわかりましたか賢者様?」
「あくまでも仮定の話ですけども、もしかしたら、王太子殿下も公女様と同じ呪いがかけられていたのかもしれません。丈夫な男性ですから公女さまのような重症にはならなかっただけで」
「なんと……」
「私が今回呪い返しで公女様から呪いを引っ剥したので連動して王太子殿下のほうも剥がれたか、術者に呪いが返ってダメージを受けたので、一時的にでも呪いがストップしたのかもしれません」
「なん……ですと……? それはつまり、王家に対する恨み……?」
王家や高位貴族ともなると色んな妬み嫉み恨みを向けられるのはもうしょうがないのだろう。上に立つ人間というものはそういう矢頭に立たされやすい。
景気が悪い、物価が高くなった、税金が苦しい、治安がもう少し良ければ……。そんな日頃の小さなボヤキがたまりにたまって、ある日思念となってそれが独り歩きした場合、呪いとなる最悪のケースがある。
そういえば、歴史上突然死した王侯貴族も、もしかしたら……その可能性だって誰も否定できないわけだ。
だとすると、今回の呪いはそんな王家への恨みを婚約者だからとマグノリア公女はとばっちりを受けただけなのかもしれない。
そうなると、本当に解呪しなければいけないのは王家の人々なのでは……。
――待って待って。今の王家の血筋の存命している人間が一体何人いると思ってるのよ。そんな人たち全員の解呪なんて、魔力がいくらあっても足りないじゃない。私はもうこれ以上は無理だわ。公女様だけで手いっぱいだもの。
規格外と言われてマージマスターのギフトを得た森の賢者メルティーナといえど、解呪にあれほど手こずり、魔力もまだ半分も回復していない状態で、もう二、三人いってみようか♪みたいなノリで依頼されたら困る。
魔法、とりわけ解呪の魔法は、言ってみれば鋭い剣山から刃を素手で一本一本抜いていくようなものだ。いつ呪いの刃がこちらに向かってくるかわからない状態で命を削りながら無効化していく大変難しい作業。
マグノリア公女だけで魔力枯渇まで陥ったのだから、それはほかの魔術師にやってもらいたい。
「……公爵様、あの……」
「う~む。殿下にお聞きするか。賢者様、もし、王太子殿下も……」
「……! あ、あの、私はもう無理です、公女様だけで手いっぱいですから! 魔力もまだ回復してませんし、王太子殿下には王家お抱えの魔術師様たちがいらっしゃるんですよね?」
それ以上は言わせないぞとばかりに先手を打つメルティーナ。その言葉に目を泳がせた公爵に、やはりメルティーナに「ついでに」程度の軽い気持ちで王太子の解呪も依頼しようとしていたのがバレバレだった。
――ちょっとぉ……。公爵様王家に対していい顔しようとしすぎでしょ。この方、お人よしと野心家が入り乱れてるわね……。いい人だと思ったのに!
「大体私は王太子殿下にお目にかかれる身分ではないし許可されてもおりません」
「いえ、大丈夫です。落ち着いてください。ちらっと見るだけでいいんです。賢者様が直接お会いする必要はありません」
「……どういうことです?」
「明日この手紙の通りにマグノリアの見舞いに来ていただけるよう王太子殿下に返事をいたします。その際、賢者様には陰からその様子を見ていただけないかと。何、ほんのちらっとでいいのです。直接診察するのは王家の侍医や魔術師団でしょうから」
確かに、メルティーナはこれまでマグノリア公女にかかったのが呪いであって、それが生霊が絡んだ呪いだということをすぐに言い当てたし、先ほど王太子からの手紙からの怪しい煙がマグノリア公女にかかった呪いと同じだとも言った。メルティーナにはしっかり呪いが目に見える形で目の前に現れるのだ。公女だって最初に会ったときはどす黒い呪いの煙で顔が見えないほどだった。
遠くからちらっと見るだけでそれが見えるようなら、確かに王太子も呪いがかかっていると断言できそうだが……。
「……ちらっと、見るだけでいいんですね? それ以上は私は踏み込みたくないです」
「もちろんです。王太子殿下のほうは我々で対処いたしますので、見たものの情報とアドバイスだけいただけたら」
「それでしたら……まあ」
なんとも言いくるめられた感は否めないのだが、それがマグノリア公女の呪いの元を断つことに繋がり、メルティーナも心安らかにオルガナ大森林に帰れるならと、彼女は多少気が向かなかったが公爵の頼みに頷いた。
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