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009 社交界はある意味戦場なのだなあ知らんけど
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コルヴィナス公爵家の豪奢な邸に無事到着し、執事や他の使用人たちに出迎えられたメルティーナは、さっそくコルヴィナス公爵の執務室へ案内された。
「賢者様がお帰りになられました、閣下」
「ああ、通してくれ」
公爵閣下の通るバリトンボイスが何だか懐かしく感じる。ここのところ疲れていたせいでしっかり彼の声と認識できたのは久々かもしれない。
そんな公爵の応えの後執事にドアを開けてもらい中に入らせてもらった。
「ただいま戻りました。公爵様」
「おお賢者様、昨日より顔色がすっかり良くなられましたな。こう言ってはなんですが、昨日の夜までの貴方は肌がまるで土気色でしたから」
「うっ……ご、ご心配おかけしました」
「ははは。レディーに言う言葉ではありませんでしたね。今はばら色の頬が眩しいくらいですぞ。キリアンに良くしてもらえたのですね」
ニコニコ顔でいきなりキリアンの名を出されて一瞬むせてしまいそうになったが何とか飲み込んだメルティーナ。
――落ち着こう。公爵様に他意は一切ないんだもの。
「すみません、そのことなんですけど」
ご想像にお任せします、と言いたいところだが、疲れすぎて途中で寝落ちしてしまい、魔力の完全回復はできなかったことを、公爵になんとか詫びねばならなかった。
あまり赤裸々に離さず、それでも寝落ちして閨どころではなかったことを告げ、メルティーナは公爵に頭を下げた。
「あの、せっかく妓楼の代金を公爵様に払って頂いたというのに、結局は単なる風呂代と宿泊代になってしまったので……本当に申し訳なくて」
「ああ、キリアンから連絡が来ておりますよ。マグノリアの症状を改善するために魔力を使って頂いたので、これは必要経費ですから、妓楼の揚代など心配なさらず、お心安らかにお過ごしください」
「ありがとうございます……公女様も昨日の時点でかなり回復されたようですし、万が一これ以上悪化するようなことが無ければ、もうあんな死にそうな魔力枯渇など起こらないと思いますので」
昨日の診察のときにしっかりマグノリア公女に呪い返しと結界の魔法を施したので、もう術者であるメルティーナが生きている限り公女の呪いに対する防御は完璧のはずだ。
ただ、呪いの現況である何者かの生霊の件に関してはこれからも注意しなければならない。
生霊は生きている人間の思いによって生まれる物であり、その生霊の本体である人間が、食事をしたり睡眠を摂ったりして回復すると生霊もまた回復していくので、生霊だけを祓っても意味がない。
同じことの繰り返しにならないように、その原因となっている人間本人に気持ちを改めてもらわないといけないのだ。
それは対人間の話し合いの問題で、そちらはメルティーナが関わることではないので、コルヴィナス公爵に頑張ってもらわないといけない。
「では本日もマグノリアが就寝したあと、妓楼アスフォデルにお送りいたします。……ああそれと賢者様? 今度こそ護衛騎士はつけさせていただきますからね。いくら賢者様が騎士嫌いと仰っても、あんなことがあったのですから」
「は、はあ、すみません」
コルヴィナス騎士団の護衛騎士さえいれば、キリアンに誤解されることもなければ、追い出されて道に迷い、お尋ね者に手籠めにされかけることもなかった。
さすがにそこは反省しているメルティーナである。
――でも騎士って身体が大きくて圧迫感があって苦手なのよね。
コルヴィナス公爵騎士団の騎士は、コルフォニカ王国では王国騎士団と並ぶ実力だと音にも聞く。
厳しい訓練の末に生まれた騎士なので、厳格で威圧感がありそうで何だか怖いのだ。
メルティーナだってどんな男性に対しても臆さない気の強さはあるけれど、子供にしか見えない外見と小柄で痩せっぽちな体型のもやしっ子。
あの筋肉の塊が物理に物を言わせようものなら、どう考えても勝てるわけがない。いわば生物の生存本能的な苦手意識がある。
「あの……つけていただける護衛騎士様ですが、その、あまり大柄なお方ですと、その、怖いです」
「ああ、なるほど。では女性騎士をお付けしましょう。マグノリアの専属護衛をさせているのも女性騎士ですよ。いやあ、娘も大きな男の騎士は怖いと申しますのでね。『お父様以外の男の方は嫌~』なんて、小さいころに言われましてねえ」
娘の話になると目を細めてニッコニコしながら語るナイスミドルの笑顔が眩しい。
ルシード・コルヴィナス公爵、御年四十五歳のこの御仁は、かつて社交界をブイブイ言わせた美男で、隣国の何番目かの姫君だった今は亡き奥方をその美貌で射止めたという逸話がある。
そんな若かりし頃ブイブイ言わせた美男子も所帯を持って落ち着くと、仕事では厳しくとも家族、とりわけ一人娘に対してはかなりの溺愛状態な父親。デレッデレだ。
娘のマグノリア公女も、幼いころに母親を亡くした影響で、若干寂しがり屋のため、唯一の肉親である父親が大好き。そんな素敵な親子なのだ。
身分が高い貴族のお方は、人によっては家族の絆が平民より薄いと聞くが、この親子はどうやらそれには当てはまらないらしい。
生まれがどこかもわからない、両親の存在すら知らないメルティーナにとって、家族と呼べるのは拾って育ててくれた師、前・森の賢者だ。そんな彼女も引退して好きな男を追ってオルガナ大森林を出て行ってしまったけれど。
だから、コルヴィナス公爵家のお互いを思う親子を見ていると、何だか心が温かくなるのだ。
羨ましいという感情はずいぶん昔に消え去り、今は微笑ましくてなんだか楽しい。
その温かい人柄と親子の絆を感じたので、メルティーナは困っていたこの親子を助けてあげたいと思い、はるばるオルガナ大森林から出てきた。
こんな素敵な親子に対して、一体どこの誰が呪いのようなものを、しかも解呪に時間がかかる複雑なものをかけたりしたんだろうと、メルティーナは他人事ながらも少し腹が立つ。貴族社会というのは複雑な感情が入り乱れていそうで寒気がする。
――多分社交界の中って悪意のどす黒いオーラが立ち込めているんでしょうね。行ったことなんてないけど、もし私がそんなところにいたら、五秒で気分が悪くなりそう。そんな場所で毅然としていられる公爵様や公女様は、ある意味戦場で戦う騎士のようなものなのかも。
そんな親子がメルティーナを頼ってくれて、滞在に何くれとなく世話もしてくれるこの親子をメルティーナは守りたいと思ってしまった。
――よし。今日も公女様の経過を診て、お元気になっていただかないとね。
「では、女性騎士らの中から二、三人ほど選んで賢者様の送り迎えなどをさせていただきます」
「ありがとうございます。それでは、公女様のご様子を見てまいります。公女様にお目にかかる許可を頂けますか?」
「ええ、娘をよろしくお願いいたします」
「わかりました。それでは失礼いたします」
執務室に公爵の侍従らしき男性が書類の束を抱えて部屋に入ってきたため、これ以上雑談などで公爵の時間を削らせてはいけないと、メルティーナは部屋を辞そうとした。しかし、メルティーナの背に、思い出したように公爵が声をかける。
「ああ、そうだ。賢者様、あとでちょっとしたお話がありまして」
「……はい? 今聞きますよ?」
「いえ、マグノリアを診ていただいたあとでよろしいので、時間を作っていただけますか?」
「……はあ。えっと、何のお話かをお聞きしても?」
「……マグノリアの、その」
「公女様がどうかしましたか? 何か、公爵様から見て気になったことでも……」
「いえ、マグノリアに関係することで、としか今は。まあ、話を聞いていただければわかります」
「……わ、わかりました。とりあえず一旦公女様のご様子を診てまいりますね。終わったらまた戻ります」
「お願いします」
――なんだろう。公女様の呪いの件について、犯人捜しみたいなことは公爵様が調べると仰っていたけれど、何かわかったのかしら? ただ魔法治療するだけの私に話さないといけないような深刻なことなの?
深刻そうな顔をした公爵に、何だか胸騒ぎを覚えながらも、とりあえず今はマグノリア公女の診察が先だと踵を返した。
色々思うところはあるけれど、今は仕事に専念するとして、部屋の外で待機していた使用人たちに案内してもらい、マグノリア公女の部屋に向かう。
「まあ賢者様。ご機嫌よう」
まだベッドの上だが、上半身起き上がって過ごせるほどになったらしいマグノリア公女がメルティーナを迎えてくれた。まだ安静が望ましいが、さすがに退屈だったようで何やら分厚い本を読んでいたらしい。
「公女様、おはようございます。良かった、顔色良さそうですね」
「ええ、おかげ様で。でもそのお言葉、そっくりお返しいたしますわ賢者様?」
「あはは、お恥ずかしい。公爵様にも言われました」
「……魔力、戻りそうですか? 何だかよくわかりませんが、大変そうな儀式で回復なさるとお父様から聞きましたので」
「ひぃっく……」
公女の言葉に、思わず変な感じで息を飲んでしまった。
さすがに男娼とくんずほぐれつして回復するなどと、この純粋無垢な少女に説明できるわけがないし、父親であるコルヴィナス公爵だってそんな下品なことは娘の耳になど入れたくないだろう。
しかし、儀式とは。確かにあの行為はある意味儀式なのかもしれないが。
「は、はい。もう少しかかりそうですけどね」
「……すみません。わたくしのために」
しゅんとしてしまう公女に、メルティーナはぶんぶんと顔を横に振って否定する。落ち込んだ顔も庇護欲を掻き立てられる美貌だが、そんなメルティーナの心配より心安らかにして健康を取り戻してほしい。
マグノリア公女は十三歳の少女なのだが、三年後には成人の義を迎えて社交界デビューすることになっている。そのための幼いころからの英才教育の賜物で、非常に気品があって落ち着いていて美しい。
オレンジブロンドの髪を肩口あたりで切り揃え、白い肌に春の新緑のような大きな瞳のマグノリア公女。患っていた数日前はかなりやつれてしまっていたが、この二、三日で食欲も出てきたようで少しかつての美貌を取り戻してきていた。
メルティーナも十代前半くらいで成長が止まった姿だが、公女はメルティーナよりも年上に見えてしまう。
ちゃんと公女にもメルティーナの外見年齢と実際の年齢を伝えてあるので、メルティーナが年上だと敬意を払ってくれている。でもそれがなんだか申し訳ないくらいだ。
マグノリア公女の主治医が部屋に入ってきて、先ほど診察を終えたカルテをメルティーナにも見せてくれた。
医学的検知から言っても、今の公女の症状におかしなことは見当たらず、ちゃんと回復に向かっているらしい。
一応メルティーナも病原を察知する魔法で診てみたが、気になった症状はない。しっかり解呪と呪い返しと結界を施したので、悪化している様子はない。結界の綻びも今のところないようで安心した。
「それはそうと、あれから悪夢を見たりおかしなものを見たりとか、そういうのはございませんでしたか?」
毎日聞くものなので定例になっているが、こういう質問も魔法治療だけでなく普通の医療でもちゃんと記録しておかないといけないものだ。
事前に公爵に公女のことで話があると言われて、余計に気になってしまった。公女が医学的になんともなくとも、魔法や呪いに関することで何か変化があったかもしれないので、一応聞いておく。
「そういえば、最後に熱を出して以来、ぱったりと見なくなりましたわね。ふふ、もしかしたら、熱に浮かされて夢か幻でも見たのかもしれませんわ」
――いえ。夢でも幻でもなく、確かに変なものが取り憑いていたんですよ~。
生霊という生きた人間の悪意が具現化したものが取り巻いていたと言っては怖がらせるので、彼女に一応「そうかもしれません」と同意しておいた。
マグノリア公女の経過は順調のようで、主治医のカルテでも問題なさそうなので、また何か体調に疑問があれば呼んでほしいと告げ、メルティーナは公女の部屋を辞すことにした。
「賢者様がお帰りになられました、閣下」
「ああ、通してくれ」
公爵閣下の通るバリトンボイスが何だか懐かしく感じる。ここのところ疲れていたせいでしっかり彼の声と認識できたのは久々かもしれない。
そんな公爵の応えの後執事にドアを開けてもらい中に入らせてもらった。
「ただいま戻りました。公爵様」
「おお賢者様、昨日より顔色がすっかり良くなられましたな。こう言ってはなんですが、昨日の夜までの貴方は肌がまるで土気色でしたから」
「うっ……ご、ご心配おかけしました」
「ははは。レディーに言う言葉ではありませんでしたね。今はばら色の頬が眩しいくらいですぞ。キリアンに良くしてもらえたのですね」
ニコニコ顔でいきなりキリアンの名を出されて一瞬むせてしまいそうになったが何とか飲み込んだメルティーナ。
――落ち着こう。公爵様に他意は一切ないんだもの。
「すみません、そのことなんですけど」
ご想像にお任せします、と言いたいところだが、疲れすぎて途中で寝落ちしてしまい、魔力の完全回復はできなかったことを、公爵になんとか詫びねばならなかった。
あまり赤裸々に離さず、それでも寝落ちして閨どころではなかったことを告げ、メルティーナは公爵に頭を下げた。
「あの、せっかく妓楼の代金を公爵様に払って頂いたというのに、結局は単なる風呂代と宿泊代になってしまったので……本当に申し訳なくて」
「ああ、キリアンから連絡が来ておりますよ。マグノリアの症状を改善するために魔力を使って頂いたので、これは必要経費ですから、妓楼の揚代など心配なさらず、お心安らかにお過ごしください」
「ありがとうございます……公女様も昨日の時点でかなり回復されたようですし、万が一これ以上悪化するようなことが無ければ、もうあんな死にそうな魔力枯渇など起こらないと思いますので」
昨日の診察のときにしっかりマグノリア公女に呪い返しと結界の魔法を施したので、もう術者であるメルティーナが生きている限り公女の呪いに対する防御は完璧のはずだ。
ただ、呪いの現況である何者かの生霊の件に関してはこれからも注意しなければならない。
生霊は生きている人間の思いによって生まれる物であり、その生霊の本体である人間が、食事をしたり睡眠を摂ったりして回復すると生霊もまた回復していくので、生霊だけを祓っても意味がない。
同じことの繰り返しにならないように、その原因となっている人間本人に気持ちを改めてもらわないといけないのだ。
それは対人間の話し合いの問題で、そちらはメルティーナが関わることではないので、コルヴィナス公爵に頑張ってもらわないといけない。
「では本日もマグノリアが就寝したあと、妓楼アスフォデルにお送りいたします。……ああそれと賢者様? 今度こそ護衛騎士はつけさせていただきますからね。いくら賢者様が騎士嫌いと仰っても、あんなことがあったのですから」
「は、はあ、すみません」
コルヴィナス騎士団の護衛騎士さえいれば、キリアンに誤解されることもなければ、追い出されて道に迷い、お尋ね者に手籠めにされかけることもなかった。
さすがにそこは反省しているメルティーナである。
――でも騎士って身体が大きくて圧迫感があって苦手なのよね。
コルヴィナス公爵騎士団の騎士は、コルフォニカ王国では王国騎士団と並ぶ実力だと音にも聞く。
厳しい訓練の末に生まれた騎士なので、厳格で威圧感がありそうで何だか怖いのだ。
メルティーナだってどんな男性に対しても臆さない気の強さはあるけれど、子供にしか見えない外見と小柄で痩せっぽちな体型のもやしっ子。
あの筋肉の塊が物理に物を言わせようものなら、どう考えても勝てるわけがない。いわば生物の生存本能的な苦手意識がある。
「あの……つけていただける護衛騎士様ですが、その、あまり大柄なお方ですと、その、怖いです」
「ああ、なるほど。では女性騎士をお付けしましょう。マグノリアの専属護衛をさせているのも女性騎士ですよ。いやあ、娘も大きな男の騎士は怖いと申しますのでね。『お父様以外の男の方は嫌~』なんて、小さいころに言われましてねえ」
娘の話になると目を細めてニッコニコしながら語るナイスミドルの笑顔が眩しい。
ルシード・コルヴィナス公爵、御年四十五歳のこの御仁は、かつて社交界をブイブイ言わせた美男で、隣国の何番目かの姫君だった今は亡き奥方をその美貌で射止めたという逸話がある。
そんな若かりし頃ブイブイ言わせた美男子も所帯を持って落ち着くと、仕事では厳しくとも家族、とりわけ一人娘に対してはかなりの溺愛状態な父親。デレッデレだ。
娘のマグノリア公女も、幼いころに母親を亡くした影響で、若干寂しがり屋のため、唯一の肉親である父親が大好き。そんな素敵な親子なのだ。
身分が高い貴族のお方は、人によっては家族の絆が平民より薄いと聞くが、この親子はどうやらそれには当てはまらないらしい。
生まれがどこかもわからない、両親の存在すら知らないメルティーナにとって、家族と呼べるのは拾って育ててくれた師、前・森の賢者だ。そんな彼女も引退して好きな男を追ってオルガナ大森林を出て行ってしまったけれど。
だから、コルヴィナス公爵家のお互いを思う親子を見ていると、何だか心が温かくなるのだ。
羨ましいという感情はずいぶん昔に消え去り、今は微笑ましくてなんだか楽しい。
その温かい人柄と親子の絆を感じたので、メルティーナは困っていたこの親子を助けてあげたいと思い、はるばるオルガナ大森林から出てきた。
こんな素敵な親子に対して、一体どこの誰が呪いのようなものを、しかも解呪に時間がかかる複雑なものをかけたりしたんだろうと、メルティーナは他人事ながらも少し腹が立つ。貴族社会というのは複雑な感情が入り乱れていそうで寒気がする。
――多分社交界の中って悪意のどす黒いオーラが立ち込めているんでしょうね。行ったことなんてないけど、もし私がそんなところにいたら、五秒で気分が悪くなりそう。そんな場所で毅然としていられる公爵様や公女様は、ある意味戦場で戦う騎士のようなものなのかも。
そんな親子がメルティーナを頼ってくれて、滞在に何くれとなく世話もしてくれるこの親子をメルティーナは守りたいと思ってしまった。
――よし。今日も公女様の経過を診て、お元気になっていただかないとね。
「では、女性騎士らの中から二、三人ほど選んで賢者様の送り迎えなどをさせていただきます」
「ありがとうございます。それでは、公女様のご様子を見てまいります。公女様にお目にかかる許可を頂けますか?」
「ええ、娘をよろしくお願いいたします」
「わかりました。それでは失礼いたします」
執務室に公爵の侍従らしき男性が書類の束を抱えて部屋に入ってきたため、これ以上雑談などで公爵の時間を削らせてはいけないと、メルティーナは部屋を辞そうとした。しかし、メルティーナの背に、思い出したように公爵が声をかける。
「ああ、そうだ。賢者様、あとでちょっとしたお話がありまして」
「……はい? 今聞きますよ?」
「いえ、マグノリアを診ていただいたあとでよろしいので、時間を作っていただけますか?」
「……はあ。えっと、何のお話かをお聞きしても?」
「……マグノリアの、その」
「公女様がどうかしましたか? 何か、公爵様から見て気になったことでも……」
「いえ、マグノリアに関係することで、としか今は。まあ、話を聞いていただければわかります」
「……わ、わかりました。とりあえず一旦公女様のご様子を診てまいりますね。終わったらまた戻ります」
「お願いします」
――なんだろう。公女様の呪いの件について、犯人捜しみたいなことは公爵様が調べると仰っていたけれど、何かわかったのかしら? ただ魔法治療するだけの私に話さないといけないような深刻なことなの?
深刻そうな顔をした公爵に、何だか胸騒ぎを覚えながらも、とりあえず今はマグノリア公女の診察が先だと踵を返した。
色々思うところはあるけれど、今は仕事に専念するとして、部屋の外で待機していた使用人たちに案内してもらい、マグノリア公女の部屋に向かう。
「まあ賢者様。ご機嫌よう」
まだベッドの上だが、上半身起き上がって過ごせるほどになったらしいマグノリア公女がメルティーナを迎えてくれた。まだ安静が望ましいが、さすがに退屈だったようで何やら分厚い本を読んでいたらしい。
「公女様、おはようございます。良かった、顔色良さそうですね」
「ええ、おかげ様で。でもそのお言葉、そっくりお返しいたしますわ賢者様?」
「あはは、お恥ずかしい。公爵様にも言われました」
「……魔力、戻りそうですか? 何だかよくわかりませんが、大変そうな儀式で回復なさるとお父様から聞きましたので」
「ひぃっく……」
公女の言葉に、思わず変な感じで息を飲んでしまった。
さすがに男娼とくんずほぐれつして回復するなどと、この純粋無垢な少女に説明できるわけがないし、父親であるコルヴィナス公爵だってそんな下品なことは娘の耳になど入れたくないだろう。
しかし、儀式とは。確かにあの行為はある意味儀式なのかもしれないが。
「は、はい。もう少しかかりそうですけどね」
「……すみません。わたくしのために」
しゅんとしてしまう公女に、メルティーナはぶんぶんと顔を横に振って否定する。落ち込んだ顔も庇護欲を掻き立てられる美貌だが、そんなメルティーナの心配より心安らかにして健康を取り戻してほしい。
マグノリア公女は十三歳の少女なのだが、三年後には成人の義を迎えて社交界デビューすることになっている。そのための幼いころからの英才教育の賜物で、非常に気品があって落ち着いていて美しい。
オレンジブロンドの髪を肩口あたりで切り揃え、白い肌に春の新緑のような大きな瞳のマグノリア公女。患っていた数日前はかなりやつれてしまっていたが、この二、三日で食欲も出てきたようで少しかつての美貌を取り戻してきていた。
メルティーナも十代前半くらいで成長が止まった姿だが、公女はメルティーナよりも年上に見えてしまう。
ちゃんと公女にもメルティーナの外見年齢と実際の年齢を伝えてあるので、メルティーナが年上だと敬意を払ってくれている。でもそれがなんだか申し訳ないくらいだ。
マグノリア公女の主治医が部屋に入ってきて、先ほど診察を終えたカルテをメルティーナにも見せてくれた。
医学的検知から言っても、今の公女の症状におかしなことは見当たらず、ちゃんと回復に向かっているらしい。
一応メルティーナも病原を察知する魔法で診てみたが、気になった症状はない。しっかり解呪と呪い返しと結界を施したので、悪化している様子はない。結界の綻びも今のところないようで安心した。
「それはそうと、あれから悪夢を見たりおかしなものを見たりとか、そういうのはございませんでしたか?」
毎日聞くものなので定例になっているが、こういう質問も魔法治療だけでなく普通の医療でもちゃんと記録しておかないといけないものだ。
事前に公爵に公女のことで話があると言われて、余計に気になってしまった。公女が医学的になんともなくとも、魔法や呪いに関することで何か変化があったかもしれないので、一応聞いておく。
「そういえば、最後に熱を出して以来、ぱったりと見なくなりましたわね。ふふ、もしかしたら、熱に浮かされて夢か幻でも見たのかもしれませんわ」
――いえ。夢でも幻でもなく、確かに変なものが取り憑いていたんですよ~。
生霊という生きた人間の悪意が具現化したものが取り巻いていたと言っては怖がらせるので、彼女に一応「そうかもしれません」と同意しておいた。
マグノリア公女の経過は順調のようで、主治医のカルテでも問題なさそうなので、また何か体調に疑問があれば呼んでほしいと告げ、メルティーナは公女の部屋を辞すことにした。
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