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苦手なあの人とのコミュニケーション (女性/仕事/不安/人間関係)
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「よろしくお願いします」
最後に絵文字を入れようか10秒迷って、結局愛想のない句点で済ませてエンターキーを押す。
沙耶香がメッセンジャーで送ったメッセージに遅れること2分、相手が自席に戻ってきた。斜め後ろの席から、たった2文字の「はい」という返信が届く。
どう取り繕っても、その2文字からは返信不要の思いがにじみ出ている。
沙耶香以外に向けてのメッセージては、彼はもっと明るく面白い。
沙耶香の会社では、業務用のやり取りはメッセンジャーで行われることが常だった。データのやり取りや品番をミスなく伝えるために、口頭よりも確実で効率的だからだ。
だからと言って、社員同士の会話がないような静かな職場ではない。無駄話もするし、笑い声が響くこともある。
沙耶香も、メッセンジャー一辺倒というわけではない。親しかったり席が近かったりする相手、口頭の方が早いときは直接声を描ける。
だが、まだあまり職場に馴染んでおらず、生来の人見知りもある沙耶香にとっては、メッセンジャーはあまりに便利すぎた。
特に、あまり顔を合わせたくない相手が社内にいる場合は。
数週間前に社内で席替えがあり、沙耶香は苦手とする相手と背中合わせに座ることになった。真後ろでなく斜め後ろなので、ちょっと身体を捻ると視界に入ってしまう。
それがストレスになってもいるが、ありがたいこともあった。離席のタイミングがわかることだ。
席にいないなら、メッセンジャーで伝えることも不自然ではない。
用があるふりをして振り返り、「なんだ、いないのか」という表情を作ってから、自分のパソコンに向かう。
そんな小芝居を、沙耶香は席替え以来ずっと続けていた。
自分が苦手意識をもったのが始まりなのか、相手の自分に対する態度が冷たかったからか。
会話を交わすことに気が重いと感じるようになった原因が何なのか、一体いつからなのか、沙耶香はもう思い出せない。
ただなんとなく物言いがきつくて苦手だと思い、接触を避けるようになった。
相手もそうなのか、今ではお互いに苦手としあっているという共通認識が持たれている。
それでも、今日は声を掛けないわけにはいかない。
急な体調不良で1週間近く欠勤することになった沙耶香の仕事を負担してくれたのは、他の誰でもない苦手意識を持った相手だった。
お礼にと選んだ焼き菓子ギフトは、実際の重量以上の重さを感じさせるほどに沙耶香の心を占めている。
いつ渡そう。
どうやって声を掛けよう。
悩んでいる内に始業時間となってしまい、朝以上のプレッシャーが沙耶香を襲う。
昼休みになった。
ランチに出掛ける者、お弁当を広げる者。
仕事中とは違う喧騒がオフィスを満たす。
その騒がしさに紛れるように、沙耶香は相手の背中に声掛けようと意を決して立ち上がる。
だが、名前を呼ぶことがどうにも躊躇われた。
結果として、ただ黙って背中に触れるという中途半端な行動を取ってしまう。
振り向いた相手と目が合ったら腹は括れた。
波風立てずに生きていくことを信条としていた沙耶香にとって、愛想良く話し掛けることは得意なこと。苦手意識を飲み込んで笑顔を浮かべる。
「この間はありがとうございました!助かりました。……これ、お礼です。良かったら」
勢い付けるために最初の一言を大きめに発すると、あとは素直な言葉が口から流れてきた。
そして、意外なことに会話が続いた。
もう大丈夫なのか。
負担になるなら仕事を変わるが。
自分でも意外なことに、そんな相手の問い掛けに、何の苦もなく返答できる自分がいた。
「これ、ありがとう。いただきます」
相手の言葉で会話を締め、自席に戻った沙耶香は潤んだ眼を誤魔化すように急いでランチに出掛けた。
嬉しかった。
目を合わせれば、普通に会話になる。
表情に彩られて、どういう気持ちで発した言葉かが素直に伝わる。
苦手意識があったから、メッセンジャーだといつも穿って見てしまう。
絵文字の有無や言葉遣い、文章の長さなど、全てに意味があるような気がしていた。
少しずつ顔を合わせて話せるようになればいいなと、沙耶香は思う。
そうやってコミュニケーションを図って、先入観なしでもう一度人間関係を構築したい。
コミュニケーションの本当の意味を知った気がした。
最後に絵文字を入れようか10秒迷って、結局愛想のない句点で済ませてエンターキーを押す。
沙耶香がメッセンジャーで送ったメッセージに遅れること2分、相手が自席に戻ってきた。斜め後ろの席から、たった2文字の「はい」という返信が届く。
どう取り繕っても、その2文字からは返信不要の思いがにじみ出ている。
沙耶香以外に向けてのメッセージては、彼はもっと明るく面白い。
沙耶香の会社では、業務用のやり取りはメッセンジャーで行われることが常だった。データのやり取りや品番をミスなく伝えるために、口頭よりも確実で効率的だからだ。
だからと言って、社員同士の会話がないような静かな職場ではない。無駄話もするし、笑い声が響くこともある。
沙耶香も、メッセンジャー一辺倒というわけではない。親しかったり席が近かったりする相手、口頭の方が早いときは直接声を描ける。
だが、まだあまり職場に馴染んでおらず、生来の人見知りもある沙耶香にとっては、メッセンジャーはあまりに便利すぎた。
特に、あまり顔を合わせたくない相手が社内にいる場合は。
数週間前に社内で席替えがあり、沙耶香は苦手とする相手と背中合わせに座ることになった。真後ろでなく斜め後ろなので、ちょっと身体を捻ると視界に入ってしまう。
それがストレスになってもいるが、ありがたいこともあった。離席のタイミングがわかることだ。
席にいないなら、メッセンジャーで伝えることも不自然ではない。
用があるふりをして振り返り、「なんだ、いないのか」という表情を作ってから、自分のパソコンに向かう。
そんな小芝居を、沙耶香は席替え以来ずっと続けていた。
自分が苦手意識をもったのが始まりなのか、相手の自分に対する態度が冷たかったからか。
会話を交わすことに気が重いと感じるようになった原因が何なのか、一体いつからなのか、沙耶香はもう思い出せない。
ただなんとなく物言いがきつくて苦手だと思い、接触を避けるようになった。
相手もそうなのか、今ではお互いに苦手としあっているという共通認識が持たれている。
それでも、今日は声を掛けないわけにはいかない。
急な体調不良で1週間近く欠勤することになった沙耶香の仕事を負担してくれたのは、他の誰でもない苦手意識を持った相手だった。
お礼にと選んだ焼き菓子ギフトは、実際の重量以上の重さを感じさせるほどに沙耶香の心を占めている。
いつ渡そう。
どうやって声を掛けよう。
悩んでいる内に始業時間となってしまい、朝以上のプレッシャーが沙耶香を襲う。
昼休みになった。
ランチに出掛ける者、お弁当を広げる者。
仕事中とは違う喧騒がオフィスを満たす。
その騒がしさに紛れるように、沙耶香は相手の背中に声掛けようと意を決して立ち上がる。
だが、名前を呼ぶことがどうにも躊躇われた。
結果として、ただ黙って背中に触れるという中途半端な行動を取ってしまう。
振り向いた相手と目が合ったら腹は括れた。
波風立てずに生きていくことを信条としていた沙耶香にとって、愛想良く話し掛けることは得意なこと。苦手意識を飲み込んで笑顔を浮かべる。
「この間はありがとうございました!助かりました。……これ、お礼です。良かったら」
勢い付けるために最初の一言を大きめに発すると、あとは素直な言葉が口から流れてきた。
そして、意外なことに会話が続いた。
もう大丈夫なのか。
負担になるなら仕事を変わるが。
自分でも意外なことに、そんな相手の問い掛けに、何の苦もなく返答できる自分がいた。
「これ、ありがとう。いただきます」
相手の言葉で会話を締め、自席に戻った沙耶香は潤んだ眼を誤魔化すように急いでランチに出掛けた。
嬉しかった。
目を合わせれば、普通に会話になる。
表情に彩られて、どういう気持ちで発した言葉かが素直に伝わる。
苦手意識があったから、メッセンジャーだといつも穿って見てしまう。
絵文字の有無や言葉遣い、文章の長さなど、全てに意味があるような気がしていた。
少しずつ顔を合わせて話せるようになればいいなと、沙耶香は思う。
そうやってコミュニケーションを図って、先入観なしでもう一度人間関係を構築したい。
コミュニケーションの本当の意味を知った気がした。
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