上 下
4 / 5

二度目の再会は突然に

しおりを挟む
 質の悪い夢かと思う出来事から一夜明けて。
 “俺の書いた冒険譚の登場人物”であるレオは、やっぱり夢ではなかったようだ。

「本当にそんな状態で仕事に行くのか!?」
「……頭に響くから大声出すな……」
「でも……!」

 昨日はレオによってベッドに寝かされたらしく、しばらくぶりによく寝た朝。
「夢であれ」と願う気持ちと反してしっかり実体を伴って俺の家に居座っていたレオは、そわそわと俺の周りをうろつく。

「昨日も思ったけど、明るいところで見るとさらにクマがひどいんだ」
「まだいい方だろ」
「これでか!? ……なあ、やっぱり今日は休んだ方がいい」
「休んだって、お前の物語は書かないから」
「それでいい、というかそれ以前の問題だ! 今は絶対寝た方がいい!」

 レオのきりっとした眉は下がりっぱなしだが、俺は構っている暇などない。
 今日から新しいプロジェクトが始まるらしく、今日は資料と会議室の準備のために早めに会社に行かなくてはならないのだ。
 ただでさえ、昨日風呂に入らず寝てしまったから。
 シャワーを浴びるというタスクも追加されて時間がとにかくない。

「いいから、おとなしくしていてくれ」
「そんな……」
「お前に対応しているこの体力すら勿体ない」
「…………」

 そう言うとレオは不満そうにしつつも口を閉じる。
 静かになったレオに、俺は家の中のことを最低限伝える。

「これが冷蔵庫。食料品を入れておく箱だ。腹が減ったら適当にこの中から出して食べてほしい」
「そのまま食べられそうなものはないな……?」
「んー……確かに。レオって料理できる……?」
「出来る」
「じゃあこのコンロ……火が出るところを使って料理してくれてもいいんだけど……でも、火事にしてほしくないからな……」
「大丈夫だ、火の扱いはキャンプで慣れてる」
「……分かった。ここを捻ると火が出る。でも、ほんと周りに気を付けてくれよ」
「了解」
「それから、ここが水道で……」

 こうして一通り軽いレクチャーをしてシャワーを浴びるともう遅刻ギリギリの時間だ。

「いいか? 家から出るなよ。火の扱いも、包丁の扱いも、全部気をつけろよ」
「分かってる」

 適当にジャケットを羽織り慌てて玄関に向かう俺。
 後ろを追いかけてくるレオの眉はまだ下がったままだ。
 俺が出社することが不満で仕方ないらしい。

「じゃあ、頼んだから」

 悪いと思いつつ視線を切って玄関を飛び出そうとすると、レオに腕を掴まれる。

「っおい、なんだよ」
「ごめん、あと一つだけ! 聞きたいことがある!」
「なんだよ」
「きみの名前! 俺、きみの名前を知らない!」

 レオは困ったように俺を見つめる。……確かに、教えていなかった。

「…………夏木。夏木って呼んでくれ」
「分かった。ナツキ」

 レオは少し表情をゆるめて俺から手を離した。

「ナツキ、いってらっしゃい。気を付けて」
「……いってきます」

 実家を出て以来していなかった挨拶に、ほんの少しくすぐったくなる。
 勇者に騒々しく見送られ、会社へと足早に向かう朝の道。
 昨日に引き続き、俺にとって”非日常”な出来事は俺をいつもと違う気持ちにさせた。

 ――――だから、俺はすっかり忘れていたのだ。
 昨日、なぜ自分が全力疾走をすることになったのか。もとは何から逃げたくて走っていたのか――

「○×社から参りました、マーケティング担当の南雲と申します。よろしくお願いいたします」

 まるで初夏の青空のような爽やかな笑顔で挨拶をする優男。
 新しいプロジェクトの決起会議に数人を連れ立って現れたその男を見て、俺は硬直してしまった。

 そうだ……昨日のイレギュラーはすべて、会社の前で、あいつを見かけたことから始まったのだ。

(南雲……)

 レオと同じく、俺の黒歴史の一部。
 しかも、レオと違って、物語上の人物なんかじゃない。現実に存在する、俺の”元”友達。

 俺の記憶の中では高校生で止まっていたあいつも、今では立派な社会人のようだ。
 昨日の2秒程度の再会では気づかなかったが、俺の知らない7年分しっかり大人っぽくなっている。

 ただ、若手社員らしく溌剌とした雰囲気は、同じ年次であろう俺やうちの同期たちの、既にややくたびれている様子とは一線を画している。彼の自信にあふれた佇まいは、うちのどこかくたびれた会議室ではちょっと眩しすぎた。
 もともと人の目を惹く容姿だった彼は、7年でその端正さにさらに磨きをかけていた。

「今回展示会をお願いいたします漫画雑誌のメインターゲット層は10代です。しかし、元読者だったかつての10代の皆様にも『懐かしい』と回帰してもらえるような、そんな展示会にしたいです。ぜひお力添えいただけますと幸いです」

 愛想よく、はきはきと利発そうな南雲の声が、会議室によく通る。

(……南雲、出版社勤務だったのか……)

 今度のプロジェクトは、大手出版社である○×社の漫画雑誌の大型展示会だ。俺の勤めるイベント会社は○×社から仕事を受けて、この展示会を企画することになったのだ。

 南雲に対する、弊社のプロジェクトリーダーである先輩社員の挨拶は、南雲の声よりは幾分トーンを落とし気だるげだ。しかし、先輩含め、俺以外のメンバーはそのくたびれたオーラとは反対に、このプロジェクトを楽しみにしていた。
 多忙すぎて、イベント会社という字面のイメージとは反対にパッとしないし、いわゆるブラックともいえるであろううちの会社だが、根本はこういったイベントが好きだというタイプの人間が多い。
 しかも、今回は有名漫画雑誌の大型展示会だ。みんなじわっとやる気が高い。
 必要とあらば(いや、いつも通りなら確実に必要になるのだが……)”やりがい搾取”されるのもやぶさかではない様子だ。
 就活で失敗しまくった結果、バイトの延長で社員にしてもらえたここしか行き場所がなかった……イベントごとが特に好きなわけではない、俺のようなメンバーはレアだった。

 そんな、うちの会社の担当メンバーの分かりにくい士気の高さを、それでも南雲は感じ取れたらしい。
 肩の力を抜いた南雲がぐるりと会議室を見まわそうとするので、俺はとっさに視線を資料に落として顔を伏せる。

 正直逃げ出したい。
 繰り返すが、南雲は俺の黒歴史の一部なのだ。
 黒歴史が黒歴史たる理由のその大部分を占めると言っても過言ではない。
 ……周りの社員と違ってこのプロジェクトにももともと乗り気ではなかったし。

(今から担当外させてもらえるかな……)

 考えるだけなら自由だが、実際に行動するには難しいことを夢想する。もう、プロジェクトは走り出していて、こうして取引先まで招いた会議を行っているのだ。もう逃れられない。
 でも、現実逃避していないとやっていられなかった。

「では、弊社のプロジェクトメンバーから一言ずつ自己紹介を……」

 先輩の、死刑宣告のようなその言葉に視線を上げる。と。

「……っ」

 思いのほかまっすぐ、南雲の視線が俺に向いていた。

(ああ……見つかっちゃった……)

 そりゃそうだ。こんな少人数で、見つからない方が難しい。
 今すぐ偽名を名乗りたい。知らん顔して他人のふりをしたい。でも。

「……予算管理担当の夏木です……」
「!!」

 会社という公的な場で、しかも昨日顔を見て逃げ出すという……ある種「本人です」と自己紹介するようなムーブをかましてしまったからには、もう取り繕いようがない。
 どうするわけにもいかず本名を名乗ると、途端に南雲の視線の圧がより強まる。

 喜びとも怒りとも取れない。ただ俺をまっすぐ射抜く視線の光の強さだけが、俺を縫い留める。
 その視線の、どうにも逃れられなさが、どこか昨日のレオを彷彿させる。
 脳裏によぎったそのイメージに俺が思わず顔をしかめると、何を思ったか南雲ははっとして視線を外した。

(とにかく、必要以上にかかわらないようにしよう……)

 ひしひしと感じる嫌な予感からも目をそらしつつ。
 俺はできるだけ心を無にしてその場になんとか立ち続けていたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

賢者となって逆行したら「稀代のたらし」だと言われるようになりました。

かるぼん
BL
******************** ヴィンセント・ウィンバークの最悪の人生はやはり最悪の形で終わりを迎えた。 監禁され、牢獄の中で誰にも看取られず、ひとり悲しくこの生を終える。 もう一度、やり直せたなら… そう思いながら遠のく意識に身をゆだね…… 気が付くと「最悪」の始まりだった子ども時代に逆行していた。 逆行したヴィンセントは今回こそ、後悔のない人生を送ることを固く決意し二度目となる新たな人生を歩み始めた。 自分の最悪だった人生を回収していく過程で、逆行前には得られなかった多くの大事な人と出会う。 孤独だったヴィンセントにとって、とても貴重でありがたい存在。 しかし彼らは口をそろえてこう言うのだ 「君は稀代のたらしだね。」 ほのかにBLが漂う、逆行やり直し系ファンタジー! よろしくお願い致します!! ********************

【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました

及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。 ※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19

高嶺の花宮君

しづ未
BL
幼馴染のイケメンが昔から自分に構ってくる話。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

俺が勝手に好きな幼なじみに好きって十回言うゲームやらされて抱えてたクソでか感情が暴発した挙げ句、十一回目の好きが不発したクソな件。

かたらぎヨシノリ
BL
幼なじみにクソでか感情を抱く三人のアオハル劇場。 ──────────────── ──────────────── 幼なじみ、美形×平凡、年上×年下、兄の親友×弟←兄、近親相姦、創作BL、オリジナルBL、複数攻3P、三角関係、愛撫 ※以上の要素と軽度の性描写があります。 受 門脇かのん。もうすぐ16歳。高校生。黒髪平凡顔。ちびなのが気になる。短気で口悪い。最近情緒が乱高下気味ですぐ泣く。兄の親友の三好礼二に激重感情拗らせ10年。 攻 三好礼二。17歳。高校生。かのん弄りたのしい俺様王様三好様。顔がいい。目が死んでる。幼なじみ、しのぶの親友。 門脇しのぶ。17歳。高校生。かのん兄。チャラいイケメン。ブラコン。三好の親友。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

魔力なしの嫌われ者の俺が、なぜか冷徹王子に溺愛される

ぶんぐ
BL
社畜リーマンは、階段から落ちたと思ったら…なんと異世界に転移していた!みんな魔法が使える世界で、俺だけ全く魔法が使えず、おまけにみんなには避けられてしまう。それでも頑張るぞ!って思ってたら、なぜか冷徹王子から口説かれてるんだけど?── 嫌われ→愛され 不憫受け 美形×平凡 要素があります。 ※総愛され気味の描写が出てきますが、CPは1つだけです。

処理中です...