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和魂荒魂

僕の嫁~絶滅ラブコメ発動せず!フラグも立たない僕に天使は舞い降りるか!?~

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【第三話 和魂荒魂】


路の辺の壱師の花
いちしろく
人皆知りぬ
想夫恋



人も知らない地図にさえ記されてはいない島からすすり泣きのように歌は流れる。それを知るのは沖に出た漁師や霧深い海に迷った船乗りだけだ。

夢の中や御伽に出て来る恐ろしい島の話を人々は語り継ぐ。それでも夜が明けてしまう頃には誰もその島の話など覚えてなどいなかった。





街を歩いていて、はっとする事がある。嫁の手掛かりを探して歩いているはずなのに。気がつくと僕は人混みや店先のガラス窓に彼女の姿を探していた。

けして手が届かない追い求めてはいけない少女の姿だと知りながら。そんな時はいつも決まって深い溜め息が漏れた。

神の嫁に抱く罰当たりな恋心。

そんな僕だからか神の裁きの日はあっという間にやって来た。

今日は祭りの前日。うきうきするような浮き足だった気持ちなど微塵もない。

今までただ無為に街を彷徨い歩いていたわけではない。役所にも警察にも出向いた。

そもそも僕には過去に嫁がいた記憶がない。しかしそんな事が現実にはあり得ないこの世界なのだ。

過去の記憶が曖昧で、もしかしたらどこかで巻き込まれた事故か何かが原因でそれまでの記憶や嫁と離れてしまった可能性もある。精神科にも通った。

しかし、どの機関に問い合わせても「前例も記録もない」と困惑されるばかりだ。

円乗さんは「君がこの街で暮らせるように手を尽くす」と言ってくれた。

しかし彼女の意思以上に祭主の神託は絶対で、けして覆せないものだと僕は知っている。人々が安寧に幸福な毎日を過ごせるのはすべて彼女の神託のおかげだ。

この世界の現在と過去は神の御神託によって舵取りが成されて来たのだ。

それでも彼女が応援してくれたり気遣ってくれるのが嬉しくて。

本当は一月前までは自分の境遇を半ば諦めていた。

「彼女を失望させたくない」

そんな気持ちに突き動かされて僕は何とか今日を生きている。しかし、それでも考えずにはいられない。僕の暮らすこの世界について。

夕暮れ間近な河川敷を見下ろす土手を歩く。川風に吹かれながら、つい弱気な言葉が口をついて出てしまう。

「どうして僕だけ」

思わずその場に座り込み、泣きたくなる。家に戻り鍵を閉めたら今日は終わる。今日と同じ明日は僕には来ない。

「お前も一人なのか?少年」

背中越しに女の声がして振り向く。通夜の宵にはまだ早い。葬式帰りか、それとも一日早く僕を迎えにでも来たのだろうか。靡く白銀色の髪に喪服姿の女が一人そこに立っていた。

捨てられた小犬を見るような慈悲深い面差しが踞る僕を見下ろしていた。

片腕に抱えた桐の長箱の刻印は見覚えある神社のものだから嫌でも目に入る。

「どうやら神様はあんたを助けてくれなかったみたいだね」

「顔の傷..まだ治らないんですか」

顔に貼られたマスキングテ-プみたいな細長い絆創膏を見て、僕は間延びした答えを彼女に返した。

「ああ、これ?剥がすの忘れてただけ」

彼女は無造作に顔から絆創膏を剥がして棄てた。川風に吹かれ絆創膏は何処かに飛ばされた。

「カフカ島の散華」

散る華と書いて散華。それが彼女の名前だった。カフカ島は俗称で正式には寡婦帰島というらしい。しかしこの島は正式
な地図には載っていない。巷の噂話に出て来る鬼ヶ島のような存在だった。

「変わった名前ですね」

「華と散るために生きている訳ではない。散る花はあっても、共に散る事の出来ぬ花たちのために今は生きている。それが私の名に宿る宿命なのだ」

やはり円乗羽女に彼女は似ている。真っ直ぐで叢雲の一つの陰りない眼差しが、とてもよく似ていた。

たとえこの世界が僕の事を愛してくれなくても。円乗羽女の瞳に映る世界が僕はとても好きだ。

彼女がこよなくこの世界を愛しているのが僕にもわかるから。だから僕はこの世界に留まりたいと願う。

彼女にあって目の前の喪服の女にないものは多分それだ。悲しみと憎しみが宿る。彼女にあって円乗羽女にないもの。彼女は迷いなど露ほどなくその瞳に映るこの世界のすべてを憎んでいた。

「この娑婆に弾き出されて私も1人なのだよ少年」

「愛人、知人、友人…何れも好きなように私のことを呼んでくれて構わない」

よく見れば瓜二つという訳ではない。しかし陰陽五行の黒白対極のように一対。

「あんたみたいな目をした子を見ると私は切なくなっちまうのさ。あんたは私と同じでこの世界を憎んでいるね」

そう言って彼女はしゃがみこむと僕の前で両腕を広げて見せた。輝くような笑顔でこう言った。

「さあ、一緒においで少年..あんたの居場所は此処でも賽の河原でもない」

甘い毒は心を痺れさせる。彼女の言葉が染みるように響くのはそこに真実が含まれているからなのか。

「あんた妹より私に似て…!」

優し気に僕の顔に向かって差し伸べられた、たおやかな指先。しかし瞬時にその表情が一変し、その場から飛び退く。

目の前を矢のように通り過ぎた玉串が路上に突き刺さる。榊に巻かれた紙垂が風に揺れるのを僕は茫然と眺めていた。

「その人に触れないで!」

声の主は円乗羽女だった。

「大姉様」

彼女は喪服の女にそう言った。

「大姉様だと」

散華と名乗る女の方眉がつり上がる。

「この姉を死人扱いするか、大した妹だな羽女!」

「私には壱師という名の姉はおりますが散華という神に仇成す姉はおりません」

「その名前の女はとうの昔に死んだ。亡き人の魂と共に。今は散華が私の名だ」

「姉様の黒袖の花嫁衣装、とても憧れでした」

「今は主亡き片袖の身」

「その亡き夫の死を悼む気持ちが、姉様には無いのですか?」

「な…んだと」

「愛する人の死を悼む気持ちがあれば、現世に於いて盗賊などどいう、恥知らずな真似が出来ようはずがありません」

「私は奪われたものは取り返す…ただそれだけだ」

「神社の宝物殿から姉様が持ち去った宝具の数々。その剣や異教の禁書は今の姉様には無縁の物、速やかにお返し下さい。そして島にお帰り下さい。さすれば…」

「許して下さるとでも言うつもりか?お前が、神が、しかし私はお前達神社の所業をけして許しはしないがな!」

「明日は寡婦帰島での大切な鎮魂祭。姉様がこんな場所でこんな騒ぎを起こしている時ではありませんよ」

「本土の島では祭りに浮かれ大騒ぎ。我ら寡婦は大人しく喪に服し涙に暮れておれば良いと…大社主様よ、お前は私にそう言いたいのだな?」

「常に夫に寄り添い。夫を助け。家を守り。逝く人があれば見送る。それがこの国に女として生まれし者の努めと羽女は考えます」

「神の傀儡が。実にお人形らしい、美辞麗句を並べたつもりか?吐き気がする」

「私は人形ではありません。血の通った人間です。だから姉様の事が心配でなりません」

「私から夫を、いや多くの女達の夫の命を奪っておきながら、よくもぬけぬけとそんな台詞を!」

「時が来て人の魂が天に召されるのは天の摂理です」

「病や不慮の事故であれば永い時をかけて、その死を受け入れる事も出来よう。しかし…」

「宿命の輪の端切だけを見ていては人の魂は永遠に救われません。現世の別れは夢現。結び合った魂は輪廻の果てに必ず再び邂逅の時を迎えると私は信じています。人の魂は完全ではない。何れかが欠損した不完全な魂を抱いて人は産まれるのです。産声を上げて自分以外の誰かを呼び。人と出会い人の心に触れ抱かれやがては己の魂の欠落を埋める。完全な魂の皃を得た者が現世に留まる理由はありません。死は忌むべきものではないのですよ、姉様」

淀みなく流れる清流のような円乗さんの言葉を散華の舌打ちが打ち消した。

「血を分けた姉妹でも聞けぬ戯れ言の数々」

散華は風に乱れる髪を指で鋤きながら言った。

「では私達寡婦はなぜ逝けぬ」

「それは」

「時を経ても何故逝けぬ。私達に土還る日が訪れて、想い人の元へと魂は天を昇る日はあるか?さあ答えて見せよ、神の御使いたる円乗羽女!」

「それは..神職を生業とする円乗の家に生まれた姉様なら御存知のはず」

「己が口で答えよ」

「私達は夫と同じ天に還る事は叶いません…ですが、それが私達の宿命なのです」

「宿命!宿命!宿命!一体誰がそんな事を決めたのだ!?」

「神の御意志です」

「ならばこそ尚更滅ぼしてやろうと言うのだ、その姿さえ見せぬ腐れた神とやらをな!!!」

2人は無言のまま対峙した。思いのたけに激情をぶつける散華。

一方の円乗さんは日頃僕に見せてくれた人間味というか感情は全て冷利な祭主の仮面の下に封じ込めてしまったようだ。

散華の言葉にも眉一つ動かさない。話の流れから二人が血を分けた姉妹である事は僕にも解った。しかし会話の内容は正直まったく理解出来ない。

自分がこの場に居て良い人間なのかどうかも、正直言ってわからない。しかし、これが、ただの姉妹喧嘩じゃない事くらい僕にだってわかった。

散華はこの世界と神に根深い禍根を持つ。その禍根が神と神の象徴たる高砂神社と円乗羽女に向けられている。

だけど、そんな事より今の円乗さんは今まで見てた中で一番危険な気がした。

今までだって無理をして自分に与えられた役柄をこなそうと彼女は必死だった。そんな時でもふと垣間見える素顔の円乗さんが好きだった。

でも今の円乗さんは正直見ていられない。僕は何も考えず何の策も言葉も持たないまま二人の間に割って入った。

「姉妹喧嘩は止めて下さい」

我ながら蚊蜻蛉みたいな覚束無さと気の抜けた炭酸みたいに迫力のない声は本当に嫌になる。

「相生君」

「少年」

「貴女たちは姉妹で、僕には弟や妹や兄姉はいないし、二人の今の関係はわからない、けど..生まれた時からずっといがみ合って来た訳じゃないと思うんです!」

他人がけして踏み込む事が出来ない親密な関係。真の憎悪というものがあるとすれば、それはそこからしか生まれない。

「氏」

「ぼうやは何が言いたいのだ?」

姉妹二人に見つめられた僕は次の言葉を模索した。

「姉妹喧嘩はいけない」

それ以外の言葉を僕は用意してなかった。

「相生君?」

今この場で言うべき事じゃないのは分かる…けど。

「円乗さん!」

僕は円乗さんの両肩を自分の両手で掴む。いつかソフトクリームを初めて口に含んだ時みたいに円乗さんは目をまんまるにして僕を見ている。

「今しかないんだ!」

「相生君?」

「僕には今しかない」

そうとも、明日という日が終われば僕はもうこの世界にはいない。

「僕は初めて会った時から円乗さんの事が…」

「え」

映画やドラマの主人公みたいに相手の立場を思い、幸せだけを願って何も告げず静かに消えるのもありだ。

それが美しい終焉なのか。その時の僕は何処かで聞きかじったような絵空事を口にしたりは出来なかった。

「僕は円乗さんと、ずっと一緒にいたい。出来る事なら..明日の夏祭を君と一緒に過ごしたいと思ってるんだ」

僕のあまりに性急な言葉に円乗さんは戸惑いうつむいた。

「待って、相生君。状況…私と姉様の会話聞いてたら…姉様はお祭りはおろかこの世界を破滅させると」

「どか―んと派手にやらせてもらうつもりだ」

ならば僕と今すぐ逃げて欲しい。逃げるのがダメなら祭に行こう。

「そんなの、ちゃっちゃっと片付けてしまおう。僕も手伝うからさ!」

だから僕と祭に行こう。

「相生君、私は…」

「吊り橋効果というのは確かにあるそうだが」

間延びした声で散華が口を挟む。

「ま、ぎりぎりセ-フってとこか」

「ばちぱちばち」

人を小バカにしたような耳元での拍手が神経を逆撫でする。しかし散華の表情は何故か穏やかな微笑みを湛えていた。

「少年、私の事はこれから『お義姉さん』と呼んでいいぞ!」

白か黒しかない。あまりに極端な性格。この人が口を開き何か言葉を発する度に、物事は混迷を深め、取り返しのつかない遥か沖合いまで流されてしまう気がする。

「おお、どうやら妹の方も君の事を心憎からず思っているようだぞ~」

無遠慮に動く口を縫ってしまいたい。

「姉様!何を言って…私たちは別に、その…そんなんじゃ…」

「先程から私の挑発にも眉一つ動かさなかった氷女がこの狼狽てよう!はっはっはこれは愉快愉快!!」

この女..さっきから何を考えているのか何がしたいのか、さっぱり分からない。

「実はこの一月の間、二人の事はつぶさに観察させて貰った」

神社の娘が泥棒だけじゃなくてストーカーもするのか。

「今や怨讐の糸で結ばれた姉妹ではあっても妹の良縁は喜ばしいものだ」

「姉様」

「今日のところは退く」

散華は僕たちに背を向けた。

「相生君と言ったか?羽女相手に人並みの恋路は大変だぞ。何しろ、この娘の信仰ルナティックは神憑ってるからな。文字通りのカルトっ娘だ。君の恋敵は神様だと思え。天罰の針山を素足で歩く覚悟がないなら諦めるべきだ」

「姉様、神道に針の山なんてありませんよ!それに地獄だなんて失礼しちゃう!」

そんな話をする前に僕はまだ円乗さんの気持ちを聞いてはいないのだが。

「若いというのはいいものだな」

彼女が僕の肩に手を添える。

「たとえ神が許さずとも私がお前たち二人の仲を祝福しようではないか!」

「姉様!」

「言うな羽女」

散華は片手で妹を制した。

「聊か喋り過ぎたようだ。では行こうか?相生君」

「行くって何処にですか?」

僕は散華に訊ねた。嫌悪そのものに見えた姉妹に和睦の兆しが見え始めたことに少しだけ安堵していた。

「先に言っておいたはずだが…君は私が治めるカフカ島へと来るのだ。上客として存分にもてなそう」

「散華さん何言って…!」

肩にのせた指先に力がこもる。爪が肉に食い込む。痛みに抗おうと僕は思わず身を捩る。

路上に放り出される桐の空箱。彼女の左手には緑黴ふく銅の剣の束が握られていた。

「祝福はした..そうは言ったが羽女、私はお前も神も許すとは言った覚えはない!」

散華が不敵な笑みを浮かべると、すぐに円乗さんの顔も神職の長のそれに戻る。いや先ほどまでの怜悧さより幾分感情的で耳や頬も紅潮しているように思えた。

「高砂神社より草木一本持ち帰る事は禁じられております。その方に触れる事も私は許しません!」

「命だけは恵んでやろうと言うのだ…無論慈悲からではないがな」

「羽女、お前は知らねばならない。永遠に続く、片羽根を剥がされる魂の痛みを…天上の高みから神になったと錯覚して我らを見下ろす愚かで哀れな我が妹よ。明日になれば、お前は羽を刮ぎ毟り取られた姿で私の前にひれ伏すのだ」

(この人は!本当は姉さんを改心させようとしていた円乗さんの心も知らず嘲るだけでなく深い傷を残そうとしている)

僕は彼女の手を振り払い。円乗さん元に駆け寄ろうとした。

すぐさま目の前を剣が阻む。

「このような錆びた剣で人は切れぬと思うかい?」

「まあ神の剣で撲殺というのも悪くはない余興だ」

空恐ろしい台詞を飄々と口にする。しかし虚勢やこけおどしに聞こえない。彼女なら躊躇なく、やってのける。

たとえ血を分けた姉妹でも彼女は円乗さんの敵。僕はそう認識した。少しでも気を許しかけた自分が馬鹿だった。

「肩に添えた女の手を、そうも無下に振り払うとは…いかに私とて傷つく」

目の前で剣が一祓いされる。

「殺す由縁には充分だ」

彼女から向けられた眼差しはそう語っているようで背筋が寒くなる。

「貴女だって!さっきから聞いていれば円乗さんを傷つけ貶めるような台詞ばかり言ってるじゃないか!?」

「傷つけられたら傷つけ返す。実に人間らしい所業ではないか?愛おしくはないか?少年」

剣を手にしていない指先が僕の頬を撫でる。

「そうとも、少なくとも、そこにいる神様の木偶人形よりはな」

「円乗さん、この人は本当に君の姉さんなの?失礼だけど、本当に君と血はつながってるのかな?僕は..こんなに人を殴ってやりたいと女の人に思ったのは生まれて初めてだ!」

「ほう、これはまた随分と嫌われたものだ。思惑通りであろうが?羽女」

「黙れ!円乗さんに、あんたみたいな汚い思惑なんてあってたまるかよ!!」

「だそうだ。恋の病に憑かれた男というのは、かくも哀れ、かくも滑稽にして盲目、お前の気持ちわからぬではないぞ羽女!馬鹿で可愛い男を謀るのは楽しいからな」

その場で愉しげに高笑いしているのは散華一人だけだった。

「姉様それ以上、私はともかく、相生君を侮辱するような真似をすると、実の姉と言えども羽女は..羽女は姉様を..」

「どうしたいのか言って見せろ」

彼女たちの言葉を遮ったのは周囲を取り囲んだネギたちの得物。払い棒ではなく薙刀だった。

「宮様遅くなりました」

「薫か!下がって良い」

薫と呼ばれたネギの一人から円乗さんは薙刀を受けとると言った。

「しかし宮様」

「姉様との決着は、今この場で私がつける」

上段の構えから八相。五行から脇構えに至る流れはまるで優雅な舞を見ているようで瞬きする間も惜しまれる程美しい。

さらに腰を落とし右足を引き体を右斜めに向け刀を右脇に取り、剣先は後ろに下げる。相手から見て、こちらの打突と刀身の長さを正確に確認出来ない。

陽の構え。薙刀というより剣の居合い抜きの型に近い。

後に円乗さんが僕に教えてくれた。

「あれは相打ち狙いの型でもある」 

長尺に圧倒的な差がある薙刀と刀剣の戦いに於いても彼女は散華との相討ちを覚悟していた。散華の武芸者としての腕前はそれほどに比類なきものだった。

何より円乗さんの表情がそのことを物語っていた。彼女は今生と死の陛に草履の爪先だけで立っている。

静寂と刹那。予測出来るのは二人のうちどちらかが一人が確実に絶命する瞬間。世界はその時を境に変容するだろう。

「祝と禰宜よ」

突然散華に位階で呼ばれ巫女達は動揺する。

「貴様等の仕事は祭祀に社務…それから芋掘りか?」

「む、無論、我らの役目は祭主様の警護…」

あの時と同じだ。

あの時と同様に散華の姿は既にそこに無かった。

巫女達が薙刀を翳し彼女がいた輪の中心に向けて突き立てた。

「危ない!!お前達下がれ!!」

剣を逆手に構えた散華が笑みを浮かべながら、ゆらりと立ち上がった。放り出され音を立て散乱する薙刀。踝の辺りを抑え蹲り倒れ伏す巫女達。苦悶の声が其処俐から聞こえた。

「切れるものだな」

ぞろりと刃先を彼女の舌が這う。

刀身を傷めないために剣先だけで腱を切断したのか…なんて奴だ。

「私にこの距離で柄物を仕掛けるとは呆れた平和呆け…衛士ならば対峙したら躊躇わずに貫け!」

道に転がる巫女達を見下ろすと彼女は言った。

「私は優しい。両足の腱のみで有難いと思え」

やおら寝転ぶ巫女のこめかみを踏みつける。

「貴様もだ、羽女」

薙刀を構えた姿勢で踏み込めずにいる円乗さんを睨み付け言った。

「打ち込む隙はあった。しかし打ち込めなかった。ここにいる部下や少年を気遣ってか?だが、その躊躇い一つで貴様は私に永遠に届かない。勝敗は既に決した」

「まだ勝負はついていません」

「頭が悪い女だ」

散華は僕に剣を差しだすと言った。

「悪いが持っていてくれるかな、少年」

無造作に手渡された剣は驚く程重量があった。

右手の人差し指を一つ立て散華は言った。

「剣など要らぬ。羽女、お前などこの指先一つで充分だ」

「お前は永遠に私に届かない」

散華は薄ら笑いを顔に浮かべ天を仰ぎその狭間に神の使いとして立つ祭主である妹に言った。

「それこそがお前の崇める神の決めた天の摂理だからさ」

【第三章 重力の使命に続く】
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