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稀人と神嫁

僕の嫁~絶滅ラブコメ発動せず!フラグも立たない僕に天使は舞い降りるか!?~

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【プロロ-グ】

生まれて初めて嫁と視線が合った。

その時僕の中で何かが音を立て崩れた。

それまで僕は自分の事を無機質なカルシウムの殻で出来た卵のような存在だと思っていた。

つるんとした何のメリハリもない面白味のない人間・・それが僕だ。

少なくとも両親にとって僕は卵以上の存在ではあったかもしれない。大人しくて手のかからない人形みたいな子供だった事には変わりはないが。

周囲の人々にして見ても、ほめどころに困るような。愛敬も面白味もない少年。そんな事は幼い頃でも大人たちの自分への反応を見れば薄々とは覚してはいた。

さすがに高校生にもなると両親が反抗期の兆候もない我が子の素行を少しは訝るようにはなったのだが。

ある日突然殻に皹が入る。

消音機が装備された彼女の瞳から放たれた銃弾が僕の体の中心を撃ち抜いたのだ。

どうやら僕は生涯を通じて卵人間ではなかったようだ。本当は剥き出しの裸の心を持った、餓えた声で泣き叫ぶ実に醜い生き物であった。

僕は色んな意味で醜悪極まりない。そして彼女は他に例えようもなく美しい。

それだけが僕の知ったリアルだ。

彼女に出逢った瞬間。月並み過ぎる言葉で言えば恋に落ちた。

殻はその時剥がれ落ちた。

「恋というのは罪である」

そう誰かが言った。誰かが今もリツイし続けている。それは、いかにもありふれた巷に溢れる言葉の端切れに過ぎない。

尻の穴に残ったトイレ紙くらいの価値しかない。

しかし彼女の切れ長の美しい瞳と白磁のような白い指先、星の瞬きさえも赦さない漆黒の髪を目の当たりにした時僕は目眩の中で罪を知った。

罪を求める指先は震えながら互いに触れ合う事だけを求めた。

それは、ひんやりと冷たく僕の指先に触れた途端に胸の奥底を容赦も慈悲もないほどに熱く焦がした。僕はその時から途方も無い馬鹿者になってしまった。

「彼女を自分のものにしたい」

そんな欲求は掻き毟るような激しい渇きに似ていた。湧き出した渇望と劣情の黒い奔流が僕を呑み込む。

そのまま光の届かない暗い淵の底へと沈めた。

それが、いかに人の道に外れ、僕の両親や兄を哀しませる行為だと知りながら。

僕が彼女の手に指先を絡ませ、そこから彼女を連れだした、あの日。

彼女も確かにそれを望んでいたと今も信じている。僕等が出会ったのは、死より強い絆で結ばれた運命だったのだ。





【第一章 稀人と神嫁】

まずは【嫁】について話そう。僕が住む世界について語る事は嫁について語るのと同義であると僕は考える。



朝部屋のベッドで目覚めた時僕は1人を痛感する。また長い1日が始まる。

嫁のいない僕の日常が。

夢の最中、微睡みの途中、確かに僕の隣には嫁がいた。朝霞のような儚い微笑みの記憶が頭の中に残ってはいるが。

僕に嫁がいたという事実はこれまでの現実の中で一度もない。にも関わらず確かに嫁は夢の中で一度だけ僕に微笑んでいてくれた気がするんだ。

嫁。

浅ましい無い物ねだり。嫁欲しさのあまりに、さもしい、とことん惨めなこの気持ちがそうさせるのだ。

首を振り頭に吹き溜まる妄を追い払う。拳で上掛けを1つ叩きベッドから抜け出す。

朝食も食べず高校の制服に袖を通す。

朝食などあるはずがない。制服のワイシャツにアイロンがけなど望むべくもない。

だって僕には嫁がいないのだから。

「マック寄ってく時間あるかな」

洗面所の鏡で髪を整えながら1人呟く。

夫唱婦随が当たり前のこの世界に於いてマックであろうがコンビニであろうが僕を出迎えてくれるのは朝の太陽より眩しい夫婦ツインの笑顔。

高校に行っても夫婦揃いの夫婦茶碗ならぬ夫婦机がずらりと並ぶ。

嫁がいない僕の席。隣の椅子にある日テディベアが置かれていて軽く泣きそうになった。

「こういうイジメみたいな事はよくないと思います」

HRの議題に取り上げられ結構な議論になった時はマジで死のうと思った。

【嫁がない人間は首がないのと同じ】

そんな世界に暮らす僕は人間界に紛れ込んだ文字通り首なしか…ゾンビか吸血鬼のような存在に等しい。

いや、映画のゾンビも吸血鬼もつがいの夫婦なんだけど。

世間の奇異な物を見る目にも、腫れ物に触るような扱いにも慣れた。でも孤独には慣れない。

それでも僕は身支度を整え学校に行く準備をする。

「いつの日にか僕にも嫁が来るさ。頑張れ!ファイトだ!!!」

そう自分を鼓舞してマンションのドアを開けた。

「いよお!【ど・く・し・ん】朝から冴えねえ面だな!?」 

玄関のドアを開けた瞬間にいきなり狙撃弾を眉間に喰らう。

【独身】

そのアダ名を聞いた途端に膝から力が抜け崩れ落ちそうになる。

前を向いて強く生きて行こうと立てた朝の誓いが無残にも崩れ去る。

マンション隣の部屋から顔を覗かせた男は僕と同じ高校に通うクラスメートの滝田だ。

「その呼び方やめてくれ…一向に慣れないし受け入れ難いし。その…ひどく哀しい気持ちになる」

青息吐息で僕は滝田を見上げる。

「あ…地雷踏んだ?わりぃ」

茶髪の頭をかき上げながら滝田は悪びれる様子が全くない。

「遼君ってば!置いてかないでよう」

ドアから制服姿で飛び出して来た内股でニ-ソの可憐な乙女。同じクラスの三咲ちゃんだ。

「三咲おせえよ」

「だって、お化粧まだなんだもん…遼君…ん…」

三咲ちゃんは滝田の前で踵を浮かせた姿勢のまま目を閉じて唇をつきだした。

「行って来ますのキスゥ」

これが噂の朝のキスのおねだりか。

いや…あんたも行って来ますだろ…学校。ていうか俺は空気?

お出掛け前のキスにしてはとても濃濃な…2人のキスを目の前で見せつけられ。

滝田に口紅がついた顔で「今日は学校来るんだろ?先行って待ってるからな!」

明るく親指を立て爽やかに去られた。

僕は軽く手を上げて卑屈な笑みを浮かべたままだった。

「朝からけしからん事を」

なんて言うのは無粋と言うもの。だって二人は夫婦なんだから。

二人が去るまで顔を上げずにいたのは三咲ちゃんの顔をなるべく見ないようにしたからだ。

見たら忽ち好きになってしまいそうな僕も十代なわけで。

人様の嫁を好きになるなんて万死に値する。独身よりも不名誉で恥ずかしい行為だと知っていたから。

もっとも三咲ちゃんは最初から僕の事なんか眼中になくて、最初から夫である遼の顔をうっとりした目で見ていた。

特に滝田の妻である三咲ちゃんに思いを寄せているとか、そうではないんだ。

この街には美しい女性や可愛い女の子が沢山いて…多分僕の知る限り1人残らず誰かの嫁だという事実。

「今日も学校に行くのを止めよう」

僕は立ち上がると拳を握りしめた。

「この世界の何処かに俺に相応しい嫁が!出逢いが俺を待ってるはずだ!!」

僕だって嫁がいれば…学校に行く時にお出掛け前のキス。目の前に三咲ちゃんの閉じた睫毛と少しだけ開いた柔らかそうな唇が浮かぶ。

思わずエア嫁を抱きしめた僕は唇が、ちゅ-のかたちになる。

「あれ…おかしいな…なんか涙が止まらないや」

それは、あまりの惨状に耐え兼ねた僕の自我が幽体離脱した挙げ句俯瞰で今の自分の有り様を見たからに違いない。

きっとそうだ。その涙だ。

思わず嗚咽が漏れそうになる。手首を噛みながら僕は滝田の部屋のドアを見た。

この扉一枚隔たてた場所では朝と言わず夜と言わず、あんな事やそんな事が毎日毎日毎日毎日毎日。

「愛の巣め!」

気がつくと力まかせにドアを蹴っていた。自分の意思とは裏腹にドアを蹴る足が速度が勢いがそして鼻息が止まらない。

「くそ!くそ!くそ!嫁・が・い・る・の・が、そんなにそんなにそんなに偉いのかよお!ふが!死ね!!!」

沸き上がる黒い情念。そして哄笑が止まらない。今の自分がとてつもなくみっともなく哀れで愛おしい。

「先程から1人で何をしておるのだ?相生裕太氏」

背後から肩を指で突かれる。

うじって…日常秋葉原でもなければ絶対そうは呼ばない呼び方をされて僕は振り返る。


清楚な白を基調にした唐衣の上衣に同じく白地に赤・黄・緑・黒・紫の尊色五色に染め分けた巻きスカート。

薄く長い領布を靡かせた黒髪には飾り花が一輪。一目で高貴な身分と分かる端正な顔立ちの少女がそこにいた。

「大家さん!?」

「名前でよいぞ」

「神主様!」

「肩書きで呼ばれるのは好きではないのだ…祭主だがね」

「女性を名前で呼ぶ事に不慣れで」

「哀れな」

円乗羽女。

嫁にしたいなあ。

認識よりも早くシナプスだかニューロンだかよく分からない場所をリピド-が追い越して行く。

でも、それは叶わぬ夢。磯の鮑の片想い。僕が知る限り僕が住むこの世界で最も美しく聡明で気高く…僕が知る限り、僕と同じ唯一の独身、しかも女性。

神嫁。大家さんより神主様よりも彼女にはその呼び名こそが相応しい。

かつて戦争と敗戦と動乱の時代を経て政教分離を憲法に謳う時代は古の昔。

古神道の古き神々と日々邁進する現代文明が寄り添い合う時代。その狭間に僕らは生きている。

わが国第一の宗廟、高砂神社は全国に50万の大小様々な分社を持つ。街の南西にある向去山を背後に頂く高砂神社。

苔むした石段と神明鳥居の笠木を千本潜り抜けた先に漸く見える茅葺き屋根と神明倉造りの大社。

高さ八丈の偉容を誇る高砂神社が円乗羽女さんの生家だ。

神にその身を捧げた神の嫁、それが彼女。高嶺の花の度合いが摩天楼どころか成層圏を軽く超えている。

マゼラン星雲の女神様だ。同じ独身でも円乗さんは偶像なき時代のアイドル…その落差にさすがに溜め息も出ない。

「どうした?相生氏。朝からそんなしけた面では来る嫁も逃げてしまうぞ」

現代社会に於いて彼女の存在と比較対象されるのは神世の時代の女王卑弥呼ではなく、かつてこの世界に存在したというバチカンのロ-マ法王だ。いや、寧ろ両方と言っても過言ではない。

バチカンもロ-マ法王も詳しく知らない…でも、あまねく世界の信仰の中心の頂きに立ち世界中の人々から崇拝や称賛や羨望の眼差しを集める人は皆、こんな風に口さがないのだろうか。

「円乗…羽女様は」

「円乗でも羽女でも構わぬ。同じ高校に通うクラスメートではないか」

そうなのである。円乗羽女は僕と同じ高校に通う同級生でクラスメート。実は席も隣同士。同じ独身同士。

しかし彼女は神事や政に日々追われているようで、めったに学校に顔を出さない。

学校に行かないのは同じでも、リア充ばっかで身の置き処がない自分とは随分違う。

「ところで円乗…円乗さんは何時からここに?全然気がつかなかったよ」

気を取り直し僕は明るく聞いてみた。円乗さんは人差し指を唇にあて少し思案するような仕草をして言った。

「日頃足音を立てぬような所作を求められる故気づかなかったのであろうな」

「なるほど…僕には想像もつかない環境です」

「何時からと言われば、相生氏が滝田夫妻を見送るまでずっと相生氏の背中に潜んでおったぞ。華奢に見えるがどうしてなかなか広い背中で感心した」

指先で珍しそうに背中をなぞる。それは、いい。とても、いい。しかし。

「さっきから、ずっとそこに?」

「うむ」

「一部始終ずっと?」

「うむうむ」

彼女はこくこく頷いた。

「我ら若者には、若さ故に抑えきれぬ衝動もあると聞くが、他人の部屋の扉を無暗に蹴るのは如何なものかと…」

「すみません大家さん」

俺は頭を抱えた。代々高砂神社の祭主を務める円乗家は円乗グループとして神社分社50万の他に系列企業20万社を抱える一大コンツエルンでもある。

彼女はその企業のトップでもある。この街に暮らす人々の全てが高砂神社の氏子であり、僕のような税金も納めないような学生でも円乗グループの経営するマンションに格安で住む事が出来、家賃は御布施として上納される。

おかげで市民として様々な行政の恩恵を受ける事が出来るのだ。

つまり僕は円乗さんの店子で氏子と言う訳だ。

カ-スト制度なら尖端の尖端と最下層。しかし円乗さんはそんな僕を見下すどころかクラスメートとして平等に優しくしてくれる。

「ドア、すみませんでした」

「別に凹んでないし大丈夫だよ!相生君」

「え」

「あ…いや、君が敬語で話すから。クラスメートっぽく言ってみたのだが、ダメか?」

そんな風にじとりと曇りない目で覗き込まれると気恥ずかしさとは別に胸の中が温かくなる。久しく忘れていたような気持ちだ。

「何故僕の後ろに隠れたの?」

もしかして人見知りとか。僕は円乗さんの事を知っているようで全然知らない。この街に住む誰もがそうだ。

「私は何処にでもいるが何処にもいない」

相変わらず謎だが、なんとなく分かる気がした。

「間もなく高砂祭の季節だから、何かと忙しく、街で人に会うと色々面倒なのだ」

彼女が学校に登校するだけで教員も生徒も授業そっちのけで熱狂と歓喜の渦が巻き起こる。多忙を極める彼女と触れ合えるのは年に一度の高砂祭の日に限定されていた。

もっとも氏子であり市民でもある僕だが高砂祭りに参加した事はない。

高砂神社は我が国最高社格にして霊験あらたかな縁結びの神社と言われている。

しかし実際は結ばれていない縁の結びを祈願する神社ではなく結ばれた縁に感謝と絆の未来永劫を祈願する神社なのだ。

だから僕には縁が無い。というか、そのような場所に於いて唯一独身の僕は神の摂理にそぐわぬ【穢れ】に似た存在。

今まで生きて来た短い人生を振り返るにつけ神社や祭事から足が遠退くのは自然の成り行きだった。

「昨年も一昨年も相生君お祭り来なかったね」

なんか、たどたどしいクラスメ-ト口調が新鮮だ。

「部屋からも祭り囃子は聞こえるし花火だって見れるんだぜ」

あんなにも内外から沢山の人が街中を埋めつくす祭りの中で円乗さんは僕が1人で祭りに参加しない事を気にかけている。

本当に優しい女の子だ。僕は正直神様が羨ましい。

「僕が行ったら皆興ざめ…」

言いかけた僕のネガティブな言葉を彼女の人差し指が止める。

「お祭りは楽しむものだよ相生君。みんな楽しんでいいんだよ」

「円乗さん」

「相生君がもし今年も1人で部屋に居るなら…私は…」

私は?私は…なんて言うつもりなんだ!?円乗さん。そっから先はたとえ勘違い野郎として恥をかいても、ここは一番僕が言うべきじゃないかのか?

玉砕覚悟で、それが勇者、それが男子ってもんだ。

「あの、良かったら僕とお祭りに」

僕は思いきって彼女にそう切り出してみた。

「私は相生君を賽の河原に連れて行かないといけないんだ」

何を言ってるんだかよく分からない。

「あの、円乗さん?」

「いかん、つい職務を忘れて私とした事が…非情であれ円乗羽女!」

彼女は俯いて高速で首を横に振る。思い詰めた表情だった。

「円乗さ」

顔を上げた円乗羽女は出会った時と同じ神の代行者の佇まいを取り戻していた。

「相生氏」

せっかく親密度が上がったと思ったのに。

「実は、昨夜私の元に神託があった」

「神託…ですか」

僕はごくりと唾を飲み込んだ。高砂神社の円乗羽女の神託。それは彼女の意思に関わらず政治や民の生活の根幹に関わる天からの言葉。

「相生裕太氏に天の御神からの御言葉を伝える」

「はい」

「来たる7の月27日…今より1月後の高砂祭りの日までに君の連れ合い、つまり嫁が現れない場合」

「場合、どうなるんですか?」

「君は全身の体毛を剃毛された後、衣服や戸籍はおろか住居と市民の権利全てを剥奪され、無名の者として賽の河原に流刑となる」

なんという死刑宣告。…いやいっそ一思いに殺してくれよ。賽の河原って何県にあるのだろう。

円乗さんに質問してみた。

「何処にでもあるし何処にもない」

そんな幽玄な場所には絶対行きたくねえ。

大家であり神の御使いで同級生でもある円乗羽女。そんな彼女が僕に告げた。

祭りの日までに嫁を見つけなければ人間としての尊厳と権利を剥奪された後に人外の地に流刑の憂き目に合うらしい。

「確かに嫁無き者は賽の河原に送られるという伝承は昔からあった、しかし」

「しかし何ですか?」

「君の年で嫁がいないなどという前例が過去100年の歴史を紐解いても存在しないのだ」

歴史的記念碑モニュメントぼっちな訳か。

「まあ、どんな時代にも生物的異形は存在しますからね」

諦念から自棄になった僕はニヒルな笑いを口元に浮かべた。

「アルビノとかレオポンとかハイブリッドイグアナとか雌雄同体とか所詮俺は…」

「しっかりし給え相生君!」

力任せに背中を叩かれる。

「嫁がいない位で落ち込むんじゃない!」

今度はCEOか…別に分裂病とかではなさそうだ。TPOに合わせて彼女も色々大変なのだ。

17才の女子高生1人がとても背負いきれない重荷を幾つも彼女は背負って生きているのだ。

そう考えると嫁がいないくらいで、しょぼくれてる場合じゃないなと。僕は自分で自分の顔を叩きたい気持ちになった。

「ありがとう円乗さん。僕祭りの日までに絶対【嫁】探してみせるよ」

「そうか!そうだな…きっと見つかるさ」

彼女は少し俯いて答える。やがて懍とした曇りない瞳が僕を真っ直ぐ見つめる。

「君は何一つ悪くない。他の男性と同じ、いやそれ以上に…正しい心を持っていると私は思う。幸せになっていいんだぞ。私は応援する…今日はそれを伝えたくてな」

彼女は僕に最悪の知らせと最高の気持ちの高揚を届けてくれた。

こんな僕のために、ありがとう円乗さん。神社にお詣りした事もない僕は心の中で円乗さんに手を合わせた。

人目につかないように非常階段から帰るという円乗さんを残して僕は彼女に別れを告げた。

「応援してる!円乗君!」

「ありがとう円乗さん」

「応援してるぞ!ワッショイ!」

円乗さんはお祭りモ-ド全開だ。この世に女神様がもしいるならば。僕の背中には女神様のエ-ルが、こんなに心強い事はない。

「ワッショイ!ワッショイ!」

あの円乗さん…そんな大きな声出したら近所迷惑…。

案の定マンションの扉が一斉に開いた。

「きゃあ円乗様!!」

「貴方!ハネノメ様が降臨されたわ!!」

「写真撮らさせて下さい」

「握手して下さい」

忽ち彼女の周りに人の輪が出来てもみくちゃにされる。

1つ分かった事がある。僕の住む世界の女神様、円乗羽女はとても不器用な女の子で…神社の御神木並みのテンネン記念物だ。

僕は男気を見せて彼女を人垣の中から連れ出そうと一歩前に出ようとした。

彼女と目が合った。

「ややこしい事になるから」

「だめ」

遠くから彼女が優しい眼差しが揺れ、唇が囁いた。

僕は頷いて彼女に背を向けてエレベータに向かって歩き始めた。今日から嫁クエストの始まりだ。

エレベータの扉が開くと中から祓い棒を手にした夥しい数の巫女さんたちが飛び出して来て彼女に群がるマンションの住民を裁き始めた。

尋常じゃない身のこなしに背筋が寒くなる。

巫女たちをたしなめる彼女の声を最後にエレベータの扉が閉まる。

外にでると初夏の日差しと公民館から聞こえる揃わない笛や太鼓の祭囃子を練習する音が聞こえて来る。なかなか揃わない音色や拍子が夏の訪れを教えてくれる。

数えたら僕にも17回目の夏が来ていた。また1人ぼっちの夏だと思っていた。

けど今年の夏は初めから違っていたんだ。

第二章【夏の思い出】に続く
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