上 下
94 / 107
第三章 飯屋

お義母様

しおりを挟む
 セリカの体調は最悪だった。 

午前中が特に気持ちが悪くて起き上がれない。

こうやって自分の意志に反して、眩暈がしたり吐き気がしたりという日々を過ごしていると、身体が何者かに乗っ取られて変化し続けているということを感じる。


セリカ以外の人たちは順調な妊娠だと喜んでくれているのだから、苦情の持っていきようがない。

ダニエルは風邪が治ってセリカの側に来られるようになると、甲斐甲斐かいがいしくあれやこれやと世話をしてくれるようになった。

…この人誰?と思うよね。

― あの素っ気なかった独身主義者がここまで変わるとはねぇ。

この間は「妊娠中の注意点」という本を読みこんでたよ。


そんな日々を過ごしていたセリカに、思いもかけないお客様があった。
ダレニアン伯爵夫人が、遠くからわざわざ訪ねて来てくださったのだ。

「おめでとう、セリカ。でもつわりが酷いんですってね。ダニエルが心配してマリアンヌに念話してきたと聞いたわ。」

お義母様が、ニコニコしながらそんなことを言った。

ダニエル…マリアンヌさんのところにまで、念話してたの?!

― この間、何も食べられなかった時じゃない?
  あの時はだいぶ心配してたから。


「胃がなかなか食べ物を受けつけなくて…。」

「飲み物は、少量でもいいからとりなさいね。クリストフがつわりの間だけということで、ガスキンを貸してくれたわよ。何か欲しいものがあったら、作らせますよ。」

「ガスキン?! 料理長の?」

「ええ。私と一緒に来たのよ。今、厨房にいるわ。」

父さんの料理と同じ味が出せるガスキンが来てるなんて…。


「わぁ、何を作ってもらおうかな。…ハンバーグ。ハンバーグが食べたいです。」

「こってりしたものが食べたいのねぇ。でもつわりの時なんてそんなものかもね。私はクリストフがお腹にいる時に、白身魚のフリッターが無性に食べたかったのよ。」


 そうしてガスキンに作ってもらったハンバーグを、セリカは半分も食べることができた。

最近の中ではよく食べられたほうだ。

ダニエルが喜んで、困ったことを言い出した。

「ダレニアン伯爵夫人、ガスキンをうちにもらえませんか?」

「ダメよ、ダニエル。私も以前勧誘したことがあるの。ガスキンはフェルトン子爵領に両親がいるのよ。故郷で暮らしたいと断られたわ。」

「それなら両親ごと移って来てもらえばいいだろう。」


そんなダニエルに、お義母様は苦言を呈した。

「ダニエル、バカなことを言わないの。あなたはセリカが心配のあまりそんなことを言ってるんでしょうけど、ガスキンにも同じように両親や故郷の繋がりがあるのよ。領主たるもの、自分の都合だけで人を動かしてはいけません。お腹の子の父親になるのだったら、もっとドンと構えて些末さまつな心配ばかりをしないようになさい。」

「…はい。浅慮せんりょなことを申しました。申し訳ございません。」

ダニエルが叱られるなんて、珍しい。

それでも、叱られてちょっと嬉しそうにも見える。

― 母親からの愛あるお叱りというのをダニエルはあまり経験してなかったんじゃない?

そうね。
私もお義母様と話せて、ちょっと気が楽になったかも。



◇◇◇



 このつわりの時期にガスキンが来てくれたことが、後に素晴らしい恵みをセリカにもたらしてくれた。

ラザフォード侯爵家の料理人が全員、父さんの味がする料理を作れるようになったのだ。

特に、若い赤毛のエディは、舌が敏感だったことと先入観や経験がなかったことが、却って良かったようでガスキンと全く同じ味が出せるようになっていた。


8月36日頃には、セリカのお腹も少し前に出てくるようになり、それと同時に今度は食欲が増すようになってきた。

「やっとレストランの仕事を再開できそうな気分。今日は久しぶりに試食会をしようかしら。シータ、カツ丼や焼き鳥を作ってみるから、オディエ国の料理と比べてみてくれる?」

「はい。楽しみですね。」

シータは最近、綺麗になった。
どうもタンジェントが病気になって以来、2人の関係が変わってきたようで、恋する乙女の表情をしている。
最初に会った頃の鋭い目つきをした青年のような容貌が、やわらかで大らかな女性に見えるようになってきた。

この調子だと、いつか良い報告が聞けそうね。


 試食会で作ったかつ丼と焼き鳥は、料理人たちの胃袋を喜ばせた。

「こりゃあ、うまい! かつ丼は腹が減ってる時にガッツリかき込めるな。賄い飯にしましょうよ、料理長!」

そう言って、若いニックはスプーンでかつ丼をガツガツ食べている。
瘦せてひょろりとしているのに、結構よく食べる。

「鶏串の甘辛い醤油ダレも塩味も、どちらも美味しいですね。酒が飲みたくなる味だ。」

「この遠赤外線って言いましたか? アダムが作った串焼き用のコンロと炭がいいんだな。パリッと焼けて焦げ目が香ばしい。」

ディクソン料理長とルーカス副料理長は、昼間からお酒が飲みたそうな顔をしている。

シータからもタンジェントに食べさせたいという、お墨付きの褒め言葉をもらった。


ふむふむ、これは2つとも店のメニューに採用ね。

お酒か…。
オディエ国のお酒も仕入れてみようかな。


セリカの体調も良くなってきたので、建物の改修が終わる11月の半ば頃には店を開店できるかもしれない。

楽しみだなぁ。

セリカはこれからの段取りを頭の中に浮かべながら、皆が美味しそうに食べる様子を見ていた。
しおりを挟む
感想 46

あなたにおすすめの小説

モブな私は猫と暮らす~婚約破棄されたモブなので猫と静かに暮らしていくはずが大変なことになりそうです~

とわ
ファンタジー
婚約破棄をされた瞬間、同じように婚約破棄されていた貴族令嬢ミーガンに転生した私。 転生早々、元婚約者に悪態をついて追放されて森に追いやられることになる。 そこで出会った黒猫と、森の中で平和に暮らしましたとさ、めでたしめでたしかと思いきや。おとなしい悪役令嬢や元気のいいヒロインがあらわれて、この世界が以前読んでいた小説の中だとわかる。しかも自分の立ち位置は悪役令嬢と暗躍する悪い魔女らしいことも。 そのうえ、登場するはずの3人の王子は現れないしで、知っているストーリーとはことごとく違っていく。 てっきり、モブの令嬢なんだろうとのんきに構えていたのに。猫と平和な生活を送るべくなんとかしなきゃと作戦を考えるけど、なかなか思ったようにはいかなくて…… この作品は「小説家になろう」さんでも掲載しています。

幸せな人生を目指して

える
ファンタジー
不慮の事故にあいその生涯を終え異世界に転生したエルシア。 十八歳という若さで死んでしまった前世を持つ彼女は今度こそ幸せな人生を送ろうと努力する。 精霊や魔法ありの異世界ファンタジー。

へぇ。美的感覚が違うんですか。なら私は結婚しなくてすみそうですね。え?求婚ですか?ご遠慮します

如月花恋
ファンタジー
この世界では女性はつり目などのキツい印象の方がいいらしい 全くもって分からない 転生した私にはその美的感覚が分からないよ

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです

ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。 女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。 前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る! そんな変わった公爵令嬢の物語。 アルファポリスOnly 2019/4/21 完結しました。 沢山のお気に入り、本当に感謝します。 7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。 2021年9月。 ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。 10月、再び完結に戻します。 御声援御愛読ありがとうございました。

転生先ではゆっくりと生きたい

ひつじ
ファンタジー
勉強を頑張っても、仕事を頑張っても誰からも愛されなかったし必要とされなかった藤田明彦。 事故で死んだ明彦が出会ったのは…… 転生先では愛されたいし必要とされたい。明彦改めソラはこの広い空を見ながらゆっくりと生きることを決めた 小説家になろうでも連載中です。 なろうの方が話数が多いです。 https://ncode.syosetu.com/n8964gh/

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

追放された引きこもり聖女は女神様の加護で快適な旅を満喫中

四馬㋟
ファンタジー
幸福をもたらす聖女として民に崇められ、何不自由のない暮らしを送るアネーシャ。19歳になった年、本物の聖女が現れたという理由で神殿を追い出されてしまう。しかし月の女神の姿を見、声を聞くことができるアネーシャは、正真正銘本物の聖女で――孤児院育ちゆえに頼るあてもなく、途方に暮れるアネーシャに、女神は告げる。『大丈夫大丈夫、あたしがついてるから』「……軽っ」かくして、女二人のぶらり旅……もとい巡礼の旅が始まる。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

処理中です...