1 / 15
始まりの庭
しおりを挟む
窓の外からカエルの合唱が聞こえてきている。
こうやって聞いていると、一種類の泣き声じゃないんだな。
田んぼに囲まれたこの平屋の古い家を買ってから、初めての梅雨を迎えている。
大学入学時に家を離れ、そのまま大学のある県内の図書館に就職した時が、咲子にとっては最初の大きな転機だった。
今回、30歳を迎える年に家を買うことにしたのは、自分の人生での二度目の曲がり角になりそうだ。
結婚を諦めたということだものね。
小さい頃から漠然と、大人になったら好きな人に出会って結婚し、子どもを二人ぐらい産んでお母さんになるんだと咲子は思っていた。
ところが二十九歳のこの歳になってもそんな未来はやってこなかった。
結婚というものは、相手があって成立するものだということを咲子は実感していた。
図書館の同僚は男女とも既婚者の人が多く、職場での出会いは全くない。
図書館を訪れる人は会社を退職したおじいさん予備軍の人や家族連れの人が多い。滅多に来ない若い男の人は何かを調べる目的をもって来ているので、咲子のことはヤ〇ー知恵袋かグー〇ルの検索機器の一種と思っている節がある。
つまりお客さんとの出会いも全くない。
仲良くしている二十七歳の信江が唯一の独身仲間なのだが、彼女には遠距離恋愛の彼氏がいる。
どこで知り合うんだろう?
そんなことを友達に聞いたことがないのも咲子の、のんびりとしたところなのだ。
転勤族の父親は母親を伴って、今は遠い九州の地にいる。
妹の俊美は名古屋の大学を出て、車の制動制御を研究している人と咲子よりも先に結婚してしまった。四月に男の子が生まれて、今は子育てに忙しくしているようだ。
父親が転勤族だったために、咲子には故郷と呼べる場所がない。
それで大学を岡山に決めた時に、ここを故郷にしようと咲子は思った。
こういう職場環境であり、家庭環境であるため、職場恋愛も家族が紹介してくれるようなお見合いも諦めた。
このままの生活ではこれからも好きな人ができそうにないので、この家と結婚したつもりでここに一生落ち着こうと思っている。
普段、贅沢をしない咲子は貯金をたっぷり貯めていた。
それを頭金にして、銀行に十五年ローンを組んでもらった。
父親に保証人になってもらって咲子はこの春、一家の主になったのだ。
◇◇◇
咲子の家は、村の集落からポツンと離れて建っている。
近くに小山があるが、ご近所さんは田んぼのカエル君たちであり、たまに庭にやって来る蝶々さんたちだ。
生まれてからずっとアパート生活だった咲子にとって、この新しい環境は新鮮な驚きに満ちていた。
とにかく他人がたてる物音がしない。
隣の家の水道の音や子ども達の走る音に慣れていた咲子は、この家に移り住んで異世界にやって来たように感じた。
今日は何をしようかなぁ。
外から久しぶりに人がたてる物音がする。
カタキチカタキチ
二、三日前から田んぼに水がはってあったので、たぶん田植えをしている音なのだろう。
のんびりしたその音を聞きながら、咲子は縁側でぼんやりと考え込んでいた。
月曜日と火曜日が休みの咲子は、この連休のうちにやっておきたいことを頭に浮かべた。
★ 郵便箱を作りたいのよね。
そのために図書館から「わたしのインテリア改造計画 川岸 歩 著 誠文堂新光社出版」という本を借りてきている。
★ 梅酒を作っておきたいな。
少し前に本屋で買った「きょうの料理 六月号 NHK出版」に梅酒の作り方が載っていた。
スーパーにも梅の大袋が出ていたと思う。
よしっ!
ホームセンターとスーパーに出かけよう!
咲子は必要なものをメモ帳に書き出して、出かける準備をすると、軽四自動車の鍵を手に持って玄関から飛び出した。
◇◇◇
軽快なポップスの曲に合わせて鼻歌を歌いながら、咲子はホームセンターの駐車場へ車を止めた。
村には洒落た店はないが、農家の人が多いので大きなホームセンターがある。
確かこっちにDIYの道具があったよね。
ずらりと並んだ釘や蝶番を眺めて、本に書いてあったサイズのものを選んでいった。取っ手は本のものとは違う黒色の枠のものを買うことにした。
そして木に塗るペンキも自分の好きなペーパーミントグリーン色の水性塗料と、オイルステインに決めた。
おー、どんな感じなるか楽しみだな。
初めての木工に、気持ちが浮き立ってくる。
金槌、くぎ抜き、キリ、ドライバーも揃えて、最後に木を寸法に合わせて切ってもらった。
車に買ったものを置きに行く途中で、野菜の苗が目に入った。
これから植えても育つのかな?
売ってるぐらいだから大丈夫よね。
咲子はキュウリと茄子、そしてトマトの苗と花と野菜の土、それにスコップも買い足すことにした。
スーパーに着く頃にはすっかりお腹が空いていて、目に入るものがすべて美味しそうに見える。
まずは季節のコーナーに並べてあった梅、氷砂糖、リカー、瓶をカゴに入れてから、昼ご飯を物色することにした。
暑いから素麺にしようかなぁ~と立ち止まった麺売り場で、映像のコマーシャルが流れていて、ゴマの麺つゆを使ったサラダうどんを作っていた。
わわっ、これ美味しそう…。
フムフムと頭の中に材料を思い浮かべる。
トマトとキュウリが冷蔵庫にあったから使えるな。乾麺とゴマの麺つゆと、鶏むね肉の総菜用のパックを買ったら簡単にできそう。
そしてこの上にのっける温泉卵…これは外せないよね。残ったものはカレーライスに入れたり朝ご飯に食べればいいかなと思って、思い切って三個入りの温泉卵も買うことにした。
家に帰って、買って来たものを次々に車から降ろしていると、庭の入り口から声をかけて来る人がいた。
「あの~、お忙しい所すみません。」
「はい。」
いったい誰がやって来たんでしょう。
こうやって聞いていると、一種類の泣き声じゃないんだな。
田んぼに囲まれたこの平屋の古い家を買ってから、初めての梅雨を迎えている。
大学入学時に家を離れ、そのまま大学のある県内の図書館に就職した時が、咲子にとっては最初の大きな転機だった。
今回、30歳を迎える年に家を買うことにしたのは、自分の人生での二度目の曲がり角になりそうだ。
結婚を諦めたということだものね。
小さい頃から漠然と、大人になったら好きな人に出会って結婚し、子どもを二人ぐらい産んでお母さんになるんだと咲子は思っていた。
ところが二十九歳のこの歳になってもそんな未来はやってこなかった。
結婚というものは、相手があって成立するものだということを咲子は実感していた。
図書館の同僚は男女とも既婚者の人が多く、職場での出会いは全くない。
図書館を訪れる人は会社を退職したおじいさん予備軍の人や家族連れの人が多い。滅多に来ない若い男の人は何かを調べる目的をもって来ているので、咲子のことはヤ〇ー知恵袋かグー〇ルの検索機器の一種と思っている節がある。
つまりお客さんとの出会いも全くない。
仲良くしている二十七歳の信江が唯一の独身仲間なのだが、彼女には遠距離恋愛の彼氏がいる。
どこで知り合うんだろう?
そんなことを友達に聞いたことがないのも咲子の、のんびりとしたところなのだ。
転勤族の父親は母親を伴って、今は遠い九州の地にいる。
妹の俊美は名古屋の大学を出て、車の制動制御を研究している人と咲子よりも先に結婚してしまった。四月に男の子が生まれて、今は子育てに忙しくしているようだ。
父親が転勤族だったために、咲子には故郷と呼べる場所がない。
それで大学を岡山に決めた時に、ここを故郷にしようと咲子は思った。
こういう職場環境であり、家庭環境であるため、職場恋愛も家族が紹介してくれるようなお見合いも諦めた。
このままの生活ではこれからも好きな人ができそうにないので、この家と結婚したつもりでここに一生落ち着こうと思っている。
普段、贅沢をしない咲子は貯金をたっぷり貯めていた。
それを頭金にして、銀行に十五年ローンを組んでもらった。
父親に保証人になってもらって咲子はこの春、一家の主になったのだ。
◇◇◇
咲子の家は、村の集落からポツンと離れて建っている。
近くに小山があるが、ご近所さんは田んぼのカエル君たちであり、たまに庭にやって来る蝶々さんたちだ。
生まれてからずっとアパート生活だった咲子にとって、この新しい環境は新鮮な驚きに満ちていた。
とにかく他人がたてる物音がしない。
隣の家の水道の音や子ども達の走る音に慣れていた咲子は、この家に移り住んで異世界にやって来たように感じた。
今日は何をしようかなぁ。
外から久しぶりに人がたてる物音がする。
カタキチカタキチ
二、三日前から田んぼに水がはってあったので、たぶん田植えをしている音なのだろう。
のんびりしたその音を聞きながら、咲子は縁側でぼんやりと考え込んでいた。
月曜日と火曜日が休みの咲子は、この連休のうちにやっておきたいことを頭に浮かべた。
★ 郵便箱を作りたいのよね。
そのために図書館から「わたしのインテリア改造計画 川岸 歩 著 誠文堂新光社出版」という本を借りてきている。
★ 梅酒を作っておきたいな。
少し前に本屋で買った「きょうの料理 六月号 NHK出版」に梅酒の作り方が載っていた。
スーパーにも梅の大袋が出ていたと思う。
よしっ!
ホームセンターとスーパーに出かけよう!
咲子は必要なものをメモ帳に書き出して、出かける準備をすると、軽四自動車の鍵を手に持って玄関から飛び出した。
◇◇◇
軽快なポップスの曲に合わせて鼻歌を歌いながら、咲子はホームセンターの駐車場へ車を止めた。
村には洒落た店はないが、農家の人が多いので大きなホームセンターがある。
確かこっちにDIYの道具があったよね。
ずらりと並んだ釘や蝶番を眺めて、本に書いてあったサイズのものを選んでいった。取っ手は本のものとは違う黒色の枠のものを買うことにした。
そして木に塗るペンキも自分の好きなペーパーミントグリーン色の水性塗料と、オイルステインに決めた。
おー、どんな感じなるか楽しみだな。
初めての木工に、気持ちが浮き立ってくる。
金槌、くぎ抜き、キリ、ドライバーも揃えて、最後に木を寸法に合わせて切ってもらった。
車に買ったものを置きに行く途中で、野菜の苗が目に入った。
これから植えても育つのかな?
売ってるぐらいだから大丈夫よね。
咲子はキュウリと茄子、そしてトマトの苗と花と野菜の土、それにスコップも買い足すことにした。
スーパーに着く頃にはすっかりお腹が空いていて、目に入るものがすべて美味しそうに見える。
まずは季節のコーナーに並べてあった梅、氷砂糖、リカー、瓶をカゴに入れてから、昼ご飯を物色することにした。
暑いから素麺にしようかなぁ~と立ち止まった麺売り場で、映像のコマーシャルが流れていて、ゴマの麺つゆを使ったサラダうどんを作っていた。
わわっ、これ美味しそう…。
フムフムと頭の中に材料を思い浮かべる。
トマトとキュウリが冷蔵庫にあったから使えるな。乾麺とゴマの麺つゆと、鶏むね肉の総菜用のパックを買ったら簡単にできそう。
そしてこの上にのっける温泉卵…これは外せないよね。残ったものはカレーライスに入れたり朝ご飯に食べればいいかなと思って、思い切って三個入りの温泉卵も買うことにした。
家に帰って、買って来たものを次々に車から降ろしていると、庭の入り口から声をかけて来る人がいた。
「あの~、お忙しい所すみません。」
「はい。」
いったい誰がやって来たんでしょう。
0
お気に入りに追加
101
あなたにおすすめの小説
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
妻と夫と元妻と
キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では?
わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。
数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。
しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。
そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。
まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。
なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。
そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて………
相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。
不治の誤字脱字病患者の作品です。
作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。
性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。
小説家になろうさんでも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる