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前髪の理由
しおりを挟む『俺は本当は明るい金髪の女が好きなんだ。なのにお前の髪はカラスみたいに真っ黒で。見るたびに憂鬱になる』
『……お前、病気なんじゃないのか? その変な色の瞳、気持ち悪い』
『おい、ヒールのある靴を履くんじゃない。俺の背が低く見えるだろう。背ばっかり伸ばさないで、胸にも肉をつけるように努力しろよ』
婚約以来、会うたびに。
マグルはシスカを不細工だ、調子に乗るなと罵った。
悪意のある言葉を投げつけられて、シスカの自尊心は削られていく。
正式な婚約発表が今日になったのだって、シスカが成人――18歳になるのを待ったのもあるが、マグルが早い発表を嫌がり引き伸ばしたからだ。
そして遂に当日になり、追い詰められてこんな暴挙に出たのだろう。
だが、シスカはマグルの言うような醜く暗い少女ではない。
艶やかに背中までサラサラと流れる黒髪。新雪のような白い肌。燃える夕日が沈む直前の、赤と濃紺が混ざった不思議な色の瞳。瑞々しい紅い唇。
伯爵家の娘なのにお転婆で、クルクルと変わる表情は周囲の人間を魅了した。
なのにマグルは気に入らないと言う理由で、シスカに悪意を吹き込み続けたのだ。
そのせいで、シスカは滅多に人前で笑えなくなってしまった。
前髪をぶ厚く伸ばし瞳を隠して。身長の低いマグルに文句を言われないように背中を丸めて。男に逆らう女は愚かだと嘲うマグルに従って、言葉を飲み込み続けてきた。
ギュッと握った手のひらに自分の爪が食い込み痺れていく。
(お父様、お母様、ごめなさい。私が不甲斐ないせいで、こんなことになってしまった)
尚もシスカを罵ろうとマグルが唾を飛ばしながら口を開いた瞬間――
シスカの後方から飛んできた何かがマグルにぶつかり、その肥えた身体を吹き飛ばした。
ドゴン! という派手な衝撃音。
豚の様な醜い悲鳴を上げながら無様に倒れたマグル。金切り声で叫ぶ金髪の女。ざわめく招待客たち。脚が折れて転がった椅子。
一瞬にして。シスカに向けられていた同情と好奇の視線はマグルに移り、会場の空気が変わった。
(え、今、あの椅子が飛んできたの……?)
目の前の光景を処理できずに呆然とするシスカの意識を、涼やかな声が引き戻す。
「――失礼。手が滑りました」
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