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参
(下)
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全く、本当に情けない奴。弓月は声を押し殺し、目を外さないまま結界を織り上げる。
とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
ちいっと通してくだしゃんせ 御用の無いもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります
行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらもとおりゃんせ とおりゃんせ
圧迫感と、閉塞感。これで退路は断たれたはずだ。念のため糸籠を作ろうかと息を吸ったとき、
「お前、氷室弓月という名前ね」
女の首が、ぐるりと向いた。長い黒髪が乱れてもつれる。白い顔に黒い筋を張り付かせたまま、女は瞳を見開いた。
「歳の若い妖狩だと聞いたわ。若い、若い妖狩ね。氷室弓月ね――」
気づかれた。弓月は返事の代わりに飛び出した。速度を上げて間合いを詰める。女は避ける気配を見せない。それどころか、美しい面に歪んだ笑みを刷いて両手を開いた。
「妖狩、不老不死、不老不死よ、不老不死の血よ! 私のよ、私のよ、私のおぉ!!」
叫びと共に、頬を何かがよぎった。少しの間を置いて熱が生まれる。身をひねり第二撃を避け、再び女と対峙した。
「女の、血の、味……女はまずい、お前、男に、男に擬態するなんて、性格が悪いわよ、この、小娘ぇ」
ぎちぎちと牙を鳴らしながら、女はしゃがれ声で呻いた。
一方の弓月は微妙な表情にならざるを得ない。名前はまだいい。どうせ比呂也が叫んでいたのを聞いたに違いな
い。しかし、『若い妖狩が氷室弓月』という情報はどこで仕入れたのか。
「おいてめぇ、どこから俺の名を聞いた」
女は不気味に微笑んだ。ぎちりと牙が鳴り響く。
「そんなこと、どうでも、いいじゃない。不老不死の身体が、私はほしいのよ」
答えるつもりがないならば、力ずくで聞くしかない。弓月は刀を握り締め、その切っ先を女へ向ける。白い炎が噴き上がり、夜の闇を照らし出す。
「不老不死? ハ、無理だ、無理。そんなしわ枯れのババァじゃ、いまさら不老不死になってもしわ枯れのババァだぜ、絡新婦」
若い男を琵琶の音で誘惑し、聞き入った男を食らう妖怪。随分昔に数が減り、今ではおとなしく暮らしていると思ったが、どうもそうではないらしい。これもやはり、妖魔の流入が原因なのか。
女の牙が、さらに嫌な音を立てる。全身を怒りに震わせ、瞳を一杯に見開いて弓月をにらむ。
「今、今なんていった? ババァ? この私が? 私の完璧なまでの美貌が? しわ枯れ? 男の精をすすって、美しく美しく美しくなったこの私が?」
女が身をよじり哄笑する。その口からほとばしった声は、既に人間の言葉を形勢していなかった。裂けた顎からは巨大な牙が現れ、わき腹からはグロテスクな蜘蛛の足が生まれ始めている。
「外見だけな。大事なのは中身だろ。肝心の中身がそれじゃあ、たとえ不老になったってそのままだな」
女は人間の皮を破り捨て、ついに巨大な蜘蛛へと変化した。糸が吐き出される。首に巻きついて締め上げられるが、弓月は全く動じない。軽く目を細め、刀の柄をきつく握った。
刃の紅が煌めいたのは、一呼吸の間の後だ。噴き上がるのは純白の焔、舐めるように糸を伝い、蜘蛛の足へと燃え移る。耳障りな悲鳴をあげて、蜘蛛が大地を転がり回る。しかしそれでもなお性懲りも無く、糸を吐きかけて詰め寄ってきた。
身体の自由が利かずとも、弓月の頭に敗北の文字は無い。意識をめぐらせ、言葉をつなぐ。
三つとや 皆様子供衆は楽遊び 楽遊び
穴一こまどり羽根をつく 羽根をつく
牙が首にかかるその直前、刀は焔を巻き上げて蜘蛛の糸を焼き払う。大地へ置いた切っ先を、大きく背後へ向けて振るう。焔は龍のごとくうねり、咆哮をあげて繭を包んだ。崩れる繭の中からは、暴れていた幼馴染が投げ出される。ぜいぜいとせわしなく息をして、力なく親指を立ててみせた。
弓月はもだえる蜘蛛へと詰め寄る。蜘蛛は最後とばかりに糸を放つが、先ほどと同様焼き払った。同時に牙が首筋を狙うが、動きの鈍った一撃など通用しない。
一歩退いてそれを避ける。さらに蜘蛛が弓月を追う。糸を放ち、飛び掛り、避けられて焼き払われてもなお追いすがってくる。その執念はすさまじい。それほどまでに不老不死になりたいか。ならば、自分では永遠に不可能だ。
刀を噛ませ、押し返す。無様に転がる蜘蛛の前へ、弓月は刀を突き立てた。
「おい、絡新婦。誰に聞いたか知らねぇが、一ついいこと教えてやるよ。俺も血ぃは確かに濃い。日本の中じゃ一番濃いから、俺ぁ本家って言われてる」
蜘蛛の動きが一瞬止まった。剛毛に覆われた足が何度も地面を掻き、土を削りえぐっていく。滴る体液が嫌な臭いを発し、撒き散らされて草地を汚す。まるで、聞かんとしているようだ。それでも弓月は続けていく。
「だがな、混じりっけない純血っつーのは、本家本元のことを言う。本家本元は中国にある、ま、つまり中国人だ。日本に来た俺の先祖は、人間と結婚して子どもを残した。俺ぁ人間の血が混じってるから、不老不死になんて絶対ならねぇんだよ」
その瞬間、蜘蛛が耐え難い音で叫びをあげた。刀を跳ね除け、狂ったように暴れまわる。再び絡みつく糸を唄で焼き切り、弓月は蜘蛛をねめつけた。
「それより答えろ。俺の名前、どこから聞いたんだ。誰からの入れ知恵だ。誰にたきつけられた。誰がてめぇらを操ってる」
白い炎は燃え上がり、周辺を銀へと染め替える。蜘蛛は怖気づいたようにもんどりうち、しわがれた女の声で小さく叫んだ。
「だまされたわ、だまされた、あの鬼にだまされた!」
鬼。弓月は双眸を眇めて蜘蛛を見た。蜘蛛はなおも毒づいて、牙をがちがちと開閉させる。
「だまされたのよ、私は、だまされたの! 何が不老不死よ、こんなことなら、あの人間を食っていたほうがよかったわ! それなら、妖狩なんかに……不老不死じゃない妖狩なんかに殺されずに――」
大した情報は引き出せなかったか。まあ、それも仕方がない。弓月は刀を拾い上げ、
「――妖狩は、人に仇なした妖を全て斬るぜ? 逃げられるはずなんかねぇんだよ」
一刀の下に切り伏せた。紅の刃がひらめいた、銀の炎が弾け飛ぶ。蜘蛛は断末魔も残さずに、炎に包まれ灰となった。
風に溶ける残滓を眺め、弓月は一つ腕を振るう。焔は銀粉をちらつかせながら、蜘蛛の身体を塵へと変える。遠くでそれを見つめていた比呂也が、ふらつく足でやってきた。
「怪我、ねぇか」
問いかけに返事はない。いぶかしんで首をかしげた弓月に向けて、比呂也が言葉を投げかける。
「なあ、弓月……どうしてだ?」
「あ?」
投げかけられた問いが分からず、弓月は思わず聞き返した。
「稲荷伏の狐にはさ、悪さをする理由聞いたじゃねーか。あの蜘蛛だって、だまされてたって言ってただろ。なのに何で……」
比呂也は言いよどみ、蜘蛛の妖怪の消えた場所へと目を移す。どうして、ね。なるほど、普通ならばそう聞くか。弓月は喉の奥で笑うと、小さく肩をすくめて比呂也を見た。
「あいつは妖怪だ。しかも、人を殺して食っていた。だから狩った。それだけだ」
「でも……事情ってもんが……」
「狐は人間を昏倒はさせたが、誰一人殺してはいねぇ。それに、ランクこそ低いが土地神としての機能を果たせる。利用価値が十分にある。だから助けた。今回の蜘蛛は、生かしておいても人を食うだろう。だから斬った。今までだってそうだっただろ?」
「で、……でも、でもよぉ、だって……」
「比呂也」
鋭く制し、弓月はことさらゆっくり言葉をつないだ。こいつは本当に変わらない。人をまるきり疑わないところも、その優しいところも、何もかもが変わらない。
「妖の事情になんざ興味はねぇ。妖狩ってのはそういうもんなんだよ。同情するな。共感するな。人間に危害を加えるか否か、人間の利益になるか否か。それだけを判断すればいい。俺は妖狩だ。人間を守るために自らを盾と為し、脅威を排除する存在だ。狩る対象に同情し、狩る対象に共感すれば、己の使命を全うできない」
たとえそれがどれだけ気に入らなくても。たとえそれがどれだけ、理不尽で不公平だったとしても。たとえそれでどれだけ自分が苦しんでも――己の使命を、全うしなければならない。契約には逆らえない。妖狩は人の盾、人間の道具だから。
胸中でそうつけ加え、弓月は言葉を打ち切った。やはり不満なのだろう。比呂也は黙したまま答えない。
「妖狩の使命は、自らを道具とし、人間を守ること。太古より血に受け継がれ、魂に刻まれた契約は強固だ。抗うことなんてできない。引きちぎろうと足掻いたって、どうせ最後に自滅するだけだ」
自分で言っていて嫌になる。何が使命だ。何が契約だ。そんなもので自分の人生を決められるはずがない。決められてたまるものか。心がある。意思がある。自我がある。どこも人間と変わりない。なのにどうして人間と同じように生きてはいけない。理不尽にもほどがある。
それでも、選ばなければならないのだ。自滅を選ぶか喰われて死ぬか、生きて殺し続けるか。最初から決められた三者択一、そのどれでもない自分の望みなど、叶えることなどできないのだ。
はるか遠い昔から、自分たちに義務付けられてきた決まりごと。それこそが、人間と盾を分けるもの。決して踏み越えられない、絶対的なもの。
「……くっだらねぇ」
刀を振るえば焔があがる。すべてを浄化する、月光にも似た白い焔。紅の刀身を包み込む白を瞳に映し、弓月は小さく吐き捨てた。幼馴染は、最後まで何も言わなかった。
蜘蛛の巣に燃え移る炎を、月光がなお明るく照らし出す。深い闇夜に閉ざされた、初夏の森の奥でのことである。
とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
ちいっと通してくだしゃんせ 御用の無いもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります
行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらもとおりゃんせ とおりゃんせ
圧迫感と、閉塞感。これで退路は断たれたはずだ。念のため糸籠を作ろうかと息を吸ったとき、
「お前、氷室弓月という名前ね」
女の首が、ぐるりと向いた。長い黒髪が乱れてもつれる。白い顔に黒い筋を張り付かせたまま、女は瞳を見開いた。
「歳の若い妖狩だと聞いたわ。若い、若い妖狩ね。氷室弓月ね――」
気づかれた。弓月は返事の代わりに飛び出した。速度を上げて間合いを詰める。女は避ける気配を見せない。それどころか、美しい面に歪んだ笑みを刷いて両手を開いた。
「妖狩、不老不死、不老不死よ、不老不死の血よ! 私のよ、私のよ、私のおぉ!!」
叫びと共に、頬を何かがよぎった。少しの間を置いて熱が生まれる。身をひねり第二撃を避け、再び女と対峙した。
「女の、血の、味……女はまずい、お前、男に、男に擬態するなんて、性格が悪いわよ、この、小娘ぇ」
ぎちぎちと牙を鳴らしながら、女はしゃがれ声で呻いた。
一方の弓月は微妙な表情にならざるを得ない。名前はまだいい。どうせ比呂也が叫んでいたのを聞いたに違いな
い。しかし、『若い妖狩が氷室弓月』という情報はどこで仕入れたのか。
「おいてめぇ、どこから俺の名を聞いた」
女は不気味に微笑んだ。ぎちりと牙が鳴り響く。
「そんなこと、どうでも、いいじゃない。不老不死の身体が、私はほしいのよ」
答えるつもりがないならば、力ずくで聞くしかない。弓月は刀を握り締め、その切っ先を女へ向ける。白い炎が噴き上がり、夜の闇を照らし出す。
「不老不死? ハ、無理だ、無理。そんなしわ枯れのババァじゃ、いまさら不老不死になってもしわ枯れのババァだぜ、絡新婦」
若い男を琵琶の音で誘惑し、聞き入った男を食らう妖怪。随分昔に数が減り、今ではおとなしく暮らしていると思ったが、どうもそうではないらしい。これもやはり、妖魔の流入が原因なのか。
女の牙が、さらに嫌な音を立てる。全身を怒りに震わせ、瞳を一杯に見開いて弓月をにらむ。
「今、今なんていった? ババァ? この私が? 私の完璧なまでの美貌が? しわ枯れ? 男の精をすすって、美しく美しく美しくなったこの私が?」
女が身をよじり哄笑する。その口からほとばしった声は、既に人間の言葉を形勢していなかった。裂けた顎からは巨大な牙が現れ、わき腹からはグロテスクな蜘蛛の足が生まれ始めている。
「外見だけな。大事なのは中身だろ。肝心の中身がそれじゃあ、たとえ不老になったってそのままだな」
女は人間の皮を破り捨て、ついに巨大な蜘蛛へと変化した。糸が吐き出される。首に巻きついて締め上げられるが、弓月は全く動じない。軽く目を細め、刀の柄をきつく握った。
刃の紅が煌めいたのは、一呼吸の間の後だ。噴き上がるのは純白の焔、舐めるように糸を伝い、蜘蛛の足へと燃え移る。耳障りな悲鳴をあげて、蜘蛛が大地を転がり回る。しかしそれでもなお性懲りも無く、糸を吐きかけて詰め寄ってきた。
身体の自由が利かずとも、弓月の頭に敗北の文字は無い。意識をめぐらせ、言葉をつなぐ。
三つとや 皆様子供衆は楽遊び 楽遊び
穴一こまどり羽根をつく 羽根をつく
牙が首にかかるその直前、刀は焔を巻き上げて蜘蛛の糸を焼き払う。大地へ置いた切っ先を、大きく背後へ向けて振るう。焔は龍のごとくうねり、咆哮をあげて繭を包んだ。崩れる繭の中からは、暴れていた幼馴染が投げ出される。ぜいぜいとせわしなく息をして、力なく親指を立ててみせた。
弓月はもだえる蜘蛛へと詰め寄る。蜘蛛は最後とばかりに糸を放つが、先ほどと同様焼き払った。同時に牙が首筋を狙うが、動きの鈍った一撃など通用しない。
一歩退いてそれを避ける。さらに蜘蛛が弓月を追う。糸を放ち、飛び掛り、避けられて焼き払われてもなお追いすがってくる。その執念はすさまじい。それほどまでに不老不死になりたいか。ならば、自分では永遠に不可能だ。
刀を噛ませ、押し返す。無様に転がる蜘蛛の前へ、弓月は刀を突き立てた。
「おい、絡新婦。誰に聞いたか知らねぇが、一ついいこと教えてやるよ。俺も血ぃは確かに濃い。日本の中じゃ一番濃いから、俺ぁ本家って言われてる」
蜘蛛の動きが一瞬止まった。剛毛に覆われた足が何度も地面を掻き、土を削りえぐっていく。滴る体液が嫌な臭いを発し、撒き散らされて草地を汚す。まるで、聞かんとしているようだ。それでも弓月は続けていく。
「だがな、混じりっけない純血っつーのは、本家本元のことを言う。本家本元は中国にある、ま、つまり中国人だ。日本に来た俺の先祖は、人間と結婚して子どもを残した。俺ぁ人間の血が混じってるから、不老不死になんて絶対ならねぇんだよ」
その瞬間、蜘蛛が耐え難い音で叫びをあげた。刀を跳ね除け、狂ったように暴れまわる。再び絡みつく糸を唄で焼き切り、弓月は蜘蛛をねめつけた。
「それより答えろ。俺の名前、どこから聞いたんだ。誰からの入れ知恵だ。誰にたきつけられた。誰がてめぇらを操ってる」
白い炎は燃え上がり、周辺を銀へと染め替える。蜘蛛は怖気づいたようにもんどりうち、しわがれた女の声で小さく叫んだ。
「だまされたわ、だまされた、あの鬼にだまされた!」
鬼。弓月は双眸を眇めて蜘蛛を見た。蜘蛛はなおも毒づいて、牙をがちがちと開閉させる。
「だまされたのよ、私は、だまされたの! 何が不老不死よ、こんなことなら、あの人間を食っていたほうがよかったわ! それなら、妖狩なんかに……不老不死じゃない妖狩なんかに殺されずに――」
大した情報は引き出せなかったか。まあ、それも仕方がない。弓月は刀を拾い上げ、
「――妖狩は、人に仇なした妖を全て斬るぜ? 逃げられるはずなんかねぇんだよ」
一刀の下に切り伏せた。紅の刃がひらめいた、銀の炎が弾け飛ぶ。蜘蛛は断末魔も残さずに、炎に包まれ灰となった。
風に溶ける残滓を眺め、弓月は一つ腕を振るう。焔は銀粉をちらつかせながら、蜘蛛の身体を塵へと変える。遠くでそれを見つめていた比呂也が、ふらつく足でやってきた。
「怪我、ねぇか」
問いかけに返事はない。いぶかしんで首をかしげた弓月に向けて、比呂也が言葉を投げかける。
「なあ、弓月……どうしてだ?」
「あ?」
投げかけられた問いが分からず、弓月は思わず聞き返した。
「稲荷伏の狐にはさ、悪さをする理由聞いたじゃねーか。あの蜘蛛だって、だまされてたって言ってただろ。なのに何で……」
比呂也は言いよどみ、蜘蛛の妖怪の消えた場所へと目を移す。どうして、ね。なるほど、普通ならばそう聞くか。弓月は喉の奥で笑うと、小さく肩をすくめて比呂也を見た。
「あいつは妖怪だ。しかも、人を殺して食っていた。だから狩った。それだけだ」
「でも……事情ってもんが……」
「狐は人間を昏倒はさせたが、誰一人殺してはいねぇ。それに、ランクこそ低いが土地神としての機能を果たせる。利用価値が十分にある。だから助けた。今回の蜘蛛は、生かしておいても人を食うだろう。だから斬った。今までだってそうだっただろ?」
「で、……でも、でもよぉ、だって……」
「比呂也」
鋭く制し、弓月はことさらゆっくり言葉をつないだ。こいつは本当に変わらない。人をまるきり疑わないところも、その優しいところも、何もかもが変わらない。
「妖の事情になんざ興味はねぇ。妖狩ってのはそういうもんなんだよ。同情するな。共感するな。人間に危害を加えるか否か、人間の利益になるか否か。それだけを判断すればいい。俺は妖狩だ。人間を守るために自らを盾と為し、脅威を排除する存在だ。狩る対象に同情し、狩る対象に共感すれば、己の使命を全うできない」
たとえそれがどれだけ気に入らなくても。たとえそれがどれだけ、理不尽で不公平だったとしても。たとえそれでどれだけ自分が苦しんでも――己の使命を、全うしなければならない。契約には逆らえない。妖狩は人の盾、人間の道具だから。
胸中でそうつけ加え、弓月は言葉を打ち切った。やはり不満なのだろう。比呂也は黙したまま答えない。
「妖狩の使命は、自らを道具とし、人間を守ること。太古より血に受け継がれ、魂に刻まれた契約は強固だ。抗うことなんてできない。引きちぎろうと足掻いたって、どうせ最後に自滅するだけだ」
自分で言っていて嫌になる。何が使命だ。何が契約だ。そんなもので自分の人生を決められるはずがない。決められてたまるものか。心がある。意思がある。自我がある。どこも人間と変わりない。なのにどうして人間と同じように生きてはいけない。理不尽にもほどがある。
それでも、選ばなければならないのだ。自滅を選ぶか喰われて死ぬか、生きて殺し続けるか。最初から決められた三者択一、そのどれでもない自分の望みなど、叶えることなどできないのだ。
はるか遠い昔から、自分たちに義務付けられてきた決まりごと。それこそが、人間と盾を分けるもの。決して踏み越えられない、絶対的なもの。
「……くっだらねぇ」
刀を振るえば焔があがる。すべてを浄化する、月光にも似た白い焔。紅の刀身を包み込む白を瞳に映し、弓月は小さく吐き捨てた。幼馴染は、最後まで何も言わなかった。
蜘蛛の巣に燃え移る炎を、月光がなお明るく照らし出す。深い闇夜に閉ざされた、初夏の森の奥でのことである。
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