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外伝1【翡翠に懐古す】
其の一
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※※※ 軽めですが死体の描写があります ※※※
轟々と、どこかで風が鳴いている。遠く近く、潮騒にも似たその音を聴きながら、俺は目の前にぶちまけられた惨憺たる有様へと意識を戻した。
第一階層、東の端にある無法地帯。そこが今回、葦原国軍の入相大尉の中隊に所属する俺たちの任務先だった。
整備された上層階とは異なり、この辺りはほとんど整備されていない。埃と汚水、古くなった機械油、そして血と死の据えたにおいに満たされた、錆ついた広大な空間がここにある。いびつに建て増しされた建物の大半は廃墟で、青やら赤やらの錆に覆われていた。その隙間を縫うように、息を殺してこちらをうかがう人間の視線が肌を刺す。かろうじて生きている人工の光が差し込み、重たく軋む空気をうすぼんやりと照らしていた。
ぽかりと開けた空間の中、鉄くずや建物の残骸に紛れ――中身も何もかもをぶちまけられた人間“だったもの”が、血の海の中に捨てられている。目的地へ向かう途中にぶち当たったこの光景は、まさに地獄でしかなかった。
「救護班、分析を」
硬質な声が投げられて、腕に白い布を巻いた連中が血の海へと足を踏み入れる。救護隊から派遣され、中隊に救護班として所属しているやつらだ。むろん俺もその一員である。
手近な人間“だったもの”に近寄り、膝を折って死体を観察する。救護班のやるべきことは、何も怪我人病人の処置だけじゃない。死体の状態を確認することも重要な仕事である。
死体の状態を分析することで、死んだときの状況はもちろん、その傷や身体の状態の特徴から“敵”の正体、使用してくる武器などもある程度把握することができるのだ。
ざっと見た限りでも三十人分。血に浸かってわかりにくくなっているが、おそらく違法の武器や薬の取引場だったのだろう。全員圧倒的な力に引きちぎられ、外から引き裂かれている。内臓の一部が食い散らかされている。生きたまま引きずり出されたり、食いちぎられたりしているようだ。腕も足も、身体は原型をとどめていないやつが多かった。
さすがにもう吐いたりするやつはいなかったが、それでも濃厚な血の臭いに気分が悪くなる。ベテランですら一瞬顔をそむけるような有様である。俺も腕で鼻と口を覆い、どうにか吐き気を堪えた。
暗がりから、にじみ出るように影がひとつ。思わず弾かれたように顔を上げた俺になど目もくれず、夜から紡いだ髪を結い上げた男は、俺の隣で足を止めた。感情の読めない紅い目が、じっと足元に広がる赫に注がれている。
「おい、世見坂」
「【獣】だな」
俺の呼びかけを無視し、そいつは血の海と人間の残骸を凝視してつぶやく。一瞬だけ、その瞳孔が縦に裂けたような気がして、俺は汚れていない手で目をこすった。
「鋭利な爪と牙、強い力でつかまれて腕を、足を引き抜かれている。四つ足の輩が数体……それからヒトに似た部分を持ったやつもいるだろうな」
咎める俺も気に留めず、やつは淡々と言葉を落としている。目だけが異様な光をたたえていた。まるで飢えて渇いたケダモノのような男の様子に、俺は舌打ちをひとつ落としてから返事をする。
「……ああ、そのとおりだよちくしょうめ。ったく、こういうことになると途端に饒舌になりやがるな、相変わらず」
答えはない。隣にいるそいつは黙ったまま、手遊びのように鯉口を切り、元に戻し、を繰り返していた。
軍服に身を包んだ身体はしなやかで、肉食獣を思わせる線をしている。背は俺よりも頭半分くらい小さい。もっとも、俺は外国の血が入ってるから、葦原国の人間の割にかなりでかいほうなのだが……まあそんなことはどうでもいい。
こいつは世見坂終宵。地上生まれの地上育ち。地上の【獣】の掃討戦に出向いていた入相深時大尉に剣の腕を認められ、そのまま連れてこられた異色の経歴の持ち主だった。なんでもそのとき、ぼろぼろの刀を持ってひたすらに【獣】を殺していたのだという。
俺たち士族のボンボンどもが、親の金で学校に通い、そこから入隊するのとはわけが違う。その動きは、この軍隊にいる誰とも違う――正真正銘、地獄の底で磨き抜かれ、研ぎ澄まされたこいつは、入相大尉の考えているだろう“武器”そのものであった。
「地上育ちの経験談、ってか。とんでもねえな」
俺の言葉にも、世見坂は答えない。ただ軽く面をあげ、これから行く先を紅い瞳で眺めている。俺の声も届いていないだろう。こういうときのこいつは、いつものぼんやりしたお人好しではない。気配を、空気を、ありとあらゆる感覚を用いて【獣】を探そうとしているのだ――殺すために。
俺はもう一度舌打ちし、血を乱暴にふき取ってから頭をかいた。救護班の上司が報告に向かうのを視界の隅におさめ、そのままぐるりと周囲を見回す。どこかで汚水が管から溢れ、流れ落ちる音が聞こえた。
ここは地上に近いほど、治安が悪くなっていく。地上を覆う汚泥から生まれる【獣】らは、まず率先して地上にいる連中を襲う。だが、時折どんな手法でか【塔】の内部へと入り込むことがある。俺たち軍人の仕事は、そいつらの排除も含まれている。
敵は何も【獣】だけじゃない。管理が行き届いていないこともあり、このあたり一帯の治安は最低レベルでしかない。下層の連中は生きるの必死だ。迷い込んだ人間、こと、物見遊山に来る上層の連中は格好の獲物でしかない。
拉致誘拐して解体し、身に着けているものや身体のパーツを売りさばいたり、見目がよければ生きたまま売買もするらしい。さすがに軍人には手を出さないだろうが……まあ、要するにそういうことだ。連中は、金を稼ぐためならどんな手段を厭わない。
中央を離れた外壁沿い、すなわち外に近い場所はより危険が多い。地上を覆う汚泥より生まれる異形のモノども、通称【獣】らが侵入してくる一番最初の場所だからだ。逆に言えば余計な人間が集まらないため、犯罪組織がここで闇市を開催したりすることもある。
それらを摘発するのは警察の仕事だが、ここの階層の警察はずいぶんとやる気がない。当然と言えば当然だろう。ここの連中は、武力を持たない警察など怖くないのである。どころか、警察の詰め所を襲撃してバラして売りさばいたりしてるんだから、不遜というか怖いもの知らずというか。とんでもない連中である。
だからこそ、時には武力による鎮圧が必要になってくる。俺たち軍人の出番、というわけだ。今回の任務も、武力による【獣】の撃退、および、混乱に乗じて襲ってくるものの制圧だった。
「前進する。敵は近いぞ」
号令がかかり、我に返る。俺たちは即座に血の海から引き上げ、先を急いだ。弔うこともしてやれない。心の中で冥福を祈りながら、俺は足を動かした。
そこかしこにいびつに取り付けられ、あるいは無造作に積み上げられた機械はめちゃくちゃに破壊されたまま、すっかり埃をかぶっている。明滅する灯りの下を通り抜け、俺たちは足早に進んでいく。
誰も何も言わない。否、ひとりだけぶつくさと俺の後ろで文句を垂れているやつがいる。
「……どうしてぼくがこんなことをしなければならないんだ……ぼくは実戦よりも頭脳派だと言っているのに……」
気取った髪型を神経質に撫でつけて、そいつは、天明浄楽はぼそぼそと文句を連ねている。ああくそ、またこいつかよ。おおむね自分みたいな高貴な血筋の人間が、とかなんだとか思ってるんだろう。血統至上主義はこの国の上層部でも多く見られる考え方だが、こいつも例外じゃない。ついでに言えば、過ぎた男尊女卑と下層住民への見下しもある。
「こんな低俗で、底辺の人間未満どもしか住んでいない場所に……どうしてぼくのような高貴な地位のものが、こんな……」
軍靴が汚水を跳ね上げる。いくつもの足が水を蹴り、洋袴を汚していく。厭う暇はない。俺も水たまりに足を突っ込み、蹴り上げて進む。
「ああ、くそ、くそくそ、汚れた! 汚い! こんなこと、もっと下層のやつにやらせればいいのに! ぼくはこんなことをするような矮小な人間じゃないんだ!」
――ああくそ、うるせえな。胸中で毒づきながら、俺は小さく舌打ちした。
毎回こうして駆り出されるたびに、天明は素晴らしい自分の置かれた立場を嘆き、あるいは怒り、誰かへの恨み言を言っている。いつもこうだ。尊大で嫉妬深く、他者への過小評価と自分への過大評価が過剰。自尊心と虚栄心ばかりが肥大した最低の輩である。
聞いていていい気分にはなれないし、いつにも増して鼻につく。俺が舌打ちするのが聞こえたのか、次の瞬間には「おい!」と金切声が聞こえた。
「貴様、今ぼくに対して舌打ちしたな!? おい!!」
肩がつかまれる。ちくしょうめ、ずいぶん絡みやがる。俺は乱暴に腕を振り払い、肩越しに振り向いて睨みつけた。
「さっきからぐだぐだぐだぐだうるせえんだよ、ええ? 天明よぉ。ンな文句ばっか言ってんならさっさと戻れってんだ。どうせ怖いからなんだろ? 腰抜けが」
「なんだと! 貴様、誰に向かってそんな口をきいているんだ!! 第八階層の医者風情が、第九階層のぼくに逆らおうというのか!!」
ああほら、出た。こいつお決まりの台詞だ。第九階層は古い血筋の華族なんかが多い。天明家も有数の華族の家なのだが、俺からすりゃちゃんちゃらおかしい話である。自分の身分が高かろうが低かろうが、今ここでこうしている以上なんの関係もない。お家柄で上下関係を決めるなんて、馬鹿馬鹿しいじゃあないか。
鼻を鳴らすと同時、突然背後から突き飛ばされてつんのめる。世見坂が「天明、やめぬか」とたしなめる声がするが、意味はなかったようだ。
ぱしん、と音がする。世見坂が叩かれたらしい。頭にかっと血がのぼった。逆らわないやつに手をあげるのも、その腐った根性が透けて見えて腹立たしい。そういうところが気に入らねえって言ってるのに、この阿呆は何一つわかっちゃいないのだ。
向こうがその気なら、こっちだって考えがある。俺も天明の胸倉をつかみ上げ、一発蹴りでも入れてやろうかと考えた、その瞬間。
「天明浄楽少尉、不夜城燈衛生少尉」
硬くて通る低い声が、不意に前方から飛んできた。
数歩先を進んでいた人影が、立ち止まってこちらを見ている。短くそろえた黒い髪、ここにわだかまる闇のような切れ長の目は、向けられているだけで圧がある。胸元には勲章、飾緒につけられた翡翠が鈍く光っている。
この中隊の隊長でもある入相深時大尉だった。本来ならこんな危険な場所の、ましてや隊の先頭にいるような立場の人じゃない。家柄や血統、身分を一切考慮せず、有能なものを抜擢して軍隊に入れるなんて破天荒なこともしているからこそ、こうして先陣を切っているのかもしれない。それとも、自分が指揮をしないと気が済まないのか。あるいはその両方なのか。表情の変わらない整った面差しからは、何の感情も読み取れない。
「私は無駄が嫌いだ。この意味がわかるな」
「……申し訳ありません、大尉」
淡々と言葉を差し向けられ、俺はしぶしぶ天明の胸倉から手を離した。天明はぶすくれた顔で黙り込み、謝りすらしない。本当にこいつはどうしようもない。殴ってやろうかと思ったが、大尉に再度睨まれて諦めざるを得なかった。
入相大尉はそのまま歩みを再開し、他の連中もそれに続いていく。俺もそれに従った。入相大尉のことは好きとは言い難いが、少なくとも天明よりは好感が持てる。
「……ふたりとも、喧嘩はよくないと言っているのに」
世見坂が眉を寄せ、小声で俺にささやきかける。もうすっかり、いつもの世見坂だ。白い頬がうっすらと紅くなっているのが、髪の隙間から見える。
「あいつが手を出してきたのが悪い」
俺は鼻を鳴らしてぼそりと返す。天明はさらに機嫌が悪くなり、いらいらと手袋の上から爪を噛んでいるようだった。ざまあみろ。
「……あまり喧嘩はしないでくれ。理不尽な暴力は好きではない」
よく言うぜ。戦闘なんて理不尽な暴力しかないようなところで、一番楽し気にしているのはこいつだというのに。とんでもなく強いのに、何もやり返そうとしないこいつに苛立ちを覚え、俺は舌打ちだけを返して大股に歩んだ。
轟々と、どこかで風が鳴いている。遠く近く、潮騒にも似たその音を聴きながら、俺は目の前にぶちまけられた惨憺たる有様へと意識を戻した。
第一階層、東の端にある無法地帯。そこが今回、葦原国軍の入相大尉の中隊に所属する俺たちの任務先だった。
整備された上層階とは異なり、この辺りはほとんど整備されていない。埃と汚水、古くなった機械油、そして血と死の据えたにおいに満たされた、錆ついた広大な空間がここにある。いびつに建て増しされた建物の大半は廃墟で、青やら赤やらの錆に覆われていた。その隙間を縫うように、息を殺してこちらをうかがう人間の視線が肌を刺す。かろうじて生きている人工の光が差し込み、重たく軋む空気をうすぼんやりと照らしていた。
ぽかりと開けた空間の中、鉄くずや建物の残骸に紛れ――中身も何もかもをぶちまけられた人間“だったもの”が、血の海の中に捨てられている。目的地へ向かう途中にぶち当たったこの光景は、まさに地獄でしかなかった。
「救護班、分析を」
硬質な声が投げられて、腕に白い布を巻いた連中が血の海へと足を踏み入れる。救護隊から派遣され、中隊に救護班として所属しているやつらだ。むろん俺もその一員である。
手近な人間“だったもの”に近寄り、膝を折って死体を観察する。救護班のやるべきことは、何も怪我人病人の処置だけじゃない。死体の状態を確認することも重要な仕事である。
死体の状態を分析することで、死んだときの状況はもちろん、その傷や身体の状態の特徴から“敵”の正体、使用してくる武器などもある程度把握することができるのだ。
ざっと見た限りでも三十人分。血に浸かってわかりにくくなっているが、おそらく違法の武器や薬の取引場だったのだろう。全員圧倒的な力に引きちぎられ、外から引き裂かれている。内臓の一部が食い散らかされている。生きたまま引きずり出されたり、食いちぎられたりしているようだ。腕も足も、身体は原型をとどめていないやつが多かった。
さすがにもう吐いたりするやつはいなかったが、それでも濃厚な血の臭いに気分が悪くなる。ベテランですら一瞬顔をそむけるような有様である。俺も腕で鼻と口を覆い、どうにか吐き気を堪えた。
暗がりから、にじみ出るように影がひとつ。思わず弾かれたように顔を上げた俺になど目もくれず、夜から紡いだ髪を結い上げた男は、俺の隣で足を止めた。感情の読めない紅い目が、じっと足元に広がる赫に注がれている。
「おい、世見坂」
「【獣】だな」
俺の呼びかけを無視し、そいつは血の海と人間の残骸を凝視してつぶやく。一瞬だけ、その瞳孔が縦に裂けたような気がして、俺は汚れていない手で目をこすった。
「鋭利な爪と牙、強い力でつかまれて腕を、足を引き抜かれている。四つ足の輩が数体……それからヒトに似た部分を持ったやつもいるだろうな」
咎める俺も気に留めず、やつは淡々と言葉を落としている。目だけが異様な光をたたえていた。まるで飢えて渇いたケダモノのような男の様子に、俺は舌打ちをひとつ落としてから返事をする。
「……ああ、そのとおりだよちくしょうめ。ったく、こういうことになると途端に饒舌になりやがるな、相変わらず」
答えはない。隣にいるそいつは黙ったまま、手遊びのように鯉口を切り、元に戻し、を繰り返していた。
軍服に身を包んだ身体はしなやかで、肉食獣を思わせる線をしている。背は俺よりも頭半分くらい小さい。もっとも、俺は外国の血が入ってるから、葦原国の人間の割にかなりでかいほうなのだが……まあそんなことはどうでもいい。
こいつは世見坂終宵。地上生まれの地上育ち。地上の【獣】の掃討戦に出向いていた入相深時大尉に剣の腕を認められ、そのまま連れてこられた異色の経歴の持ち主だった。なんでもそのとき、ぼろぼろの刀を持ってひたすらに【獣】を殺していたのだという。
俺たち士族のボンボンどもが、親の金で学校に通い、そこから入隊するのとはわけが違う。その動きは、この軍隊にいる誰とも違う――正真正銘、地獄の底で磨き抜かれ、研ぎ澄まされたこいつは、入相大尉の考えているだろう“武器”そのものであった。
「地上育ちの経験談、ってか。とんでもねえな」
俺の言葉にも、世見坂は答えない。ただ軽く面をあげ、これから行く先を紅い瞳で眺めている。俺の声も届いていないだろう。こういうときのこいつは、いつものぼんやりしたお人好しではない。気配を、空気を、ありとあらゆる感覚を用いて【獣】を探そうとしているのだ――殺すために。
俺はもう一度舌打ちし、血を乱暴にふき取ってから頭をかいた。救護班の上司が報告に向かうのを視界の隅におさめ、そのままぐるりと周囲を見回す。どこかで汚水が管から溢れ、流れ落ちる音が聞こえた。
ここは地上に近いほど、治安が悪くなっていく。地上を覆う汚泥から生まれる【獣】らは、まず率先して地上にいる連中を襲う。だが、時折どんな手法でか【塔】の内部へと入り込むことがある。俺たち軍人の仕事は、そいつらの排除も含まれている。
敵は何も【獣】だけじゃない。管理が行き届いていないこともあり、このあたり一帯の治安は最低レベルでしかない。下層の連中は生きるの必死だ。迷い込んだ人間、こと、物見遊山に来る上層の連中は格好の獲物でしかない。
拉致誘拐して解体し、身に着けているものや身体のパーツを売りさばいたり、見目がよければ生きたまま売買もするらしい。さすがに軍人には手を出さないだろうが……まあ、要するにそういうことだ。連中は、金を稼ぐためならどんな手段を厭わない。
中央を離れた外壁沿い、すなわち外に近い場所はより危険が多い。地上を覆う汚泥より生まれる異形のモノども、通称【獣】らが侵入してくる一番最初の場所だからだ。逆に言えば余計な人間が集まらないため、犯罪組織がここで闇市を開催したりすることもある。
それらを摘発するのは警察の仕事だが、ここの階層の警察はずいぶんとやる気がない。当然と言えば当然だろう。ここの連中は、武力を持たない警察など怖くないのである。どころか、警察の詰め所を襲撃してバラして売りさばいたりしてるんだから、不遜というか怖いもの知らずというか。とんでもない連中である。
だからこそ、時には武力による鎮圧が必要になってくる。俺たち軍人の出番、というわけだ。今回の任務も、武力による【獣】の撃退、および、混乱に乗じて襲ってくるものの制圧だった。
「前進する。敵は近いぞ」
号令がかかり、我に返る。俺たちは即座に血の海から引き上げ、先を急いだ。弔うこともしてやれない。心の中で冥福を祈りながら、俺は足を動かした。
そこかしこにいびつに取り付けられ、あるいは無造作に積み上げられた機械はめちゃくちゃに破壊されたまま、すっかり埃をかぶっている。明滅する灯りの下を通り抜け、俺たちは足早に進んでいく。
誰も何も言わない。否、ひとりだけぶつくさと俺の後ろで文句を垂れているやつがいる。
「……どうしてぼくがこんなことをしなければならないんだ……ぼくは実戦よりも頭脳派だと言っているのに……」
気取った髪型を神経質に撫でつけて、そいつは、天明浄楽はぼそぼそと文句を連ねている。ああくそ、またこいつかよ。おおむね自分みたいな高貴な血筋の人間が、とかなんだとか思ってるんだろう。血統至上主義はこの国の上層部でも多く見られる考え方だが、こいつも例外じゃない。ついでに言えば、過ぎた男尊女卑と下層住民への見下しもある。
「こんな低俗で、底辺の人間未満どもしか住んでいない場所に……どうしてぼくのような高貴な地位のものが、こんな……」
軍靴が汚水を跳ね上げる。いくつもの足が水を蹴り、洋袴を汚していく。厭う暇はない。俺も水たまりに足を突っ込み、蹴り上げて進む。
「ああ、くそ、くそくそ、汚れた! 汚い! こんなこと、もっと下層のやつにやらせればいいのに! ぼくはこんなことをするような矮小な人間じゃないんだ!」
――ああくそ、うるせえな。胸中で毒づきながら、俺は小さく舌打ちした。
毎回こうして駆り出されるたびに、天明は素晴らしい自分の置かれた立場を嘆き、あるいは怒り、誰かへの恨み言を言っている。いつもこうだ。尊大で嫉妬深く、他者への過小評価と自分への過大評価が過剰。自尊心と虚栄心ばかりが肥大した最低の輩である。
聞いていていい気分にはなれないし、いつにも増して鼻につく。俺が舌打ちするのが聞こえたのか、次の瞬間には「おい!」と金切声が聞こえた。
「貴様、今ぼくに対して舌打ちしたな!? おい!!」
肩がつかまれる。ちくしょうめ、ずいぶん絡みやがる。俺は乱暴に腕を振り払い、肩越しに振り向いて睨みつけた。
「さっきからぐだぐだぐだぐだうるせえんだよ、ええ? 天明よぉ。ンな文句ばっか言ってんならさっさと戻れってんだ。どうせ怖いからなんだろ? 腰抜けが」
「なんだと! 貴様、誰に向かってそんな口をきいているんだ!! 第八階層の医者風情が、第九階層のぼくに逆らおうというのか!!」
ああほら、出た。こいつお決まりの台詞だ。第九階層は古い血筋の華族なんかが多い。天明家も有数の華族の家なのだが、俺からすりゃちゃんちゃらおかしい話である。自分の身分が高かろうが低かろうが、今ここでこうしている以上なんの関係もない。お家柄で上下関係を決めるなんて、馬鹿馬鹿しいじゃあないか。
鼻を鳴らすと同時、突然背後から突き飛ばされてつんのめる。世見坂が「天明、やめぬか」とたしなめる声がするが、意味はなかったようだ。
ぱしん、と音がする。世見坂が叩かれたらしい。頭にかっと血がのぼった。逆らわないやつに手をあげるのも、その腐った根性が透けて見えて腹立たしい。そういうところが気に入らねえって言ってるのに、この阿呆は何一つわかっちゃいないのだ。
向こうがその気なら、こっちだって考えがある。俺も天明の胸倉をつかみ上げ、一発蹴りでも入れてやろうかと考えた、その瞬間。
「天明浄楽少尉、不夜城燈衛生少尉」
硬くて通る低い声が、不意に前方から飛んできた。
数歩先を進んでいた人影が、立ち止まってこちらを見ている。短くそろえた黒い髪、ここにわだかまる闇のような切れ長の目は、向けられているだけで圧がある。胸元には勲章、飾緒につけられた翡翠が鈍く光っている。
この中隊の隊長でもある入相深時大尉だった。本来ならこんな危険な場所の、ましてや隊の先頭にいるような立場の人じゃない。家柄や血統、身分を一切考慮せず、有能なものを抜擢して軍隊に入れるなんて破天荒なこともしているからこそ、こうして先陣を切っているのかもしれない。それとも、自分が指揮をしないと気が済まないのか。あるいはその両方なのか。表情の変わらない整った面差しからは、何の感情も読み取れない。
「私は無駄が嫌いだ。この意味がわかるな」
「……申し訳ありません、大尉」
淡々と言葉を差し向けられ、俺はしぶしぶ天明の胸倉から手を離した。天明はぶすくれた顔で黙り込み、謝りすらしない。本当にこいつはどうしようもない。殴ってやろうかと思ったが、大尉に再度睨まれて諦めざるを得なかった。
入相大尉はそのまま歩みを再開し、他の連中もそれに続いていく。俺もそれに従った。入相大尉のことは好きとは言い難いが、少なくとも天明よりは好感が持てる。
「……ふたりとも、喧嘩はよくないと言っているのに」
世見坂が眉を寄せ、小声で俺にささやきかける。もうすっかり、いつもの世見坂だ。白い頬がうっすらと紅くなっているのが、髪の隙間から見える。
「あいつが手を出してきたのが悪い」
俺は鼻を鳴らしてぼそりと返す。天明はさらに機嫌が悪くなり、いらいらと手袋の上から爪を噛んでいるようだった。ざまあみろ。
「……あまり喧嘩はしないでくれ。理不尽な暴力は好きではない」
よく言うぜ。戦闘なんて理不尽な暴力しかないようなところで、一番楽し気にしているのはこいつだというのに。とんでもなく強いのに、何もやり返そうとしないこいつに苛立ちを覚え、俺は舌打ちだけを返して大股に歩んだ。
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