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第8話 ピットフォール
しおりを挟む「な、ちょっと、急に何言い出すのよ?」
栄一郎のあまりにも唐突なデリカシーのない質問に沙耶香は困惑する。
「大事なことなんだ」
「ないわよ!なによ、この痛いのが、妊娠だっていいたいの?」
「いや、そうじゃない」
栄一郎は沙耶香から山本へ視線を移す。
山本は、栄一郎の意図をおおよそ察している表情だった。
「山本先生、腹部CTを撮らせてください」
栄一郎の提案に山本はやっぱりかという表情をしている。
栄一郎が妊娠の可能性を聞いたのは、CTを撮るためであった。
妊娠中の女性にCT撮影を行うことは、胎児の放射線被爆の問題から、原則は禁忌である。
故に、妊娠可能年齢の女性にCT撮影を行う際、必ず妊娠の可能性を確認せねばならないのだ。
「根拠は?」
山本は頭をくしゃくしゃと掻きながら、問うた。
「えーと……」
栄一郎は言い淀む。
山本の問いは指導医として至極当然のものであった。
放射線被爆というリスクを患者に追わせてまでCT検査を行うにはそれなりの医学的根拠が必要だ。
しかし、この状況に限っては医学的な根拠等無いに等しい。
まさか、沙耶香に死神が憑いているのでと言うわけにもいかない。
「鑑別診断は?」
答えに窮している栄一郎に山本はさらに畳みかける。
「当然わかっているとは思うが、緊急にCTを撮影するということは、そうまでして診断と治療を急がなければならない疾患を想定しているということだ。間先生、ご教授願おう。一条さんにいったいどんな緊急疾患の疑いがあるのか」
こう来られると想定はしていたが、栄一郎は明確な解答を用意できていなかった。
だがしかし、とにかく答えるしかない。
「えと、胃潰瘍とか、AGML(急性胃粘膜病変)とか.........」
「それならば、CTではなく、GF(上部消化管内視鏡検査)を行うべきだ。CTではそれらの疾患の診断はつかない」
「もしかしたら、胃潰瘍の穿孔かもしれません」
「腹壁は柔らかく、反跳痛もない。これで潰瘍穿孔だったら、俺は消化器外科医をやめてもいい」
栄一郎は反論をいったんそこで止め。改めて考えを整理する。
山本先生の言うことはもっとも過ぎる。
当たり前だ。
この状況で、普通はCTを撮る道理はない。
考えろ。
何かないか?
ただ単に無理を通してCTを撮ろうということではダメだ。
仮にCTが撮れても、その中に一条が死ぬ原因が見つからない可能性もある。
考えろ。
一条が死に至る病態の可能性を。
何か、俺と山本先生が見落としていることはないか?
何か、何かピットフォールが.........
ピットフォール?
上腹部痛..........
胃腸炎.........
ピットフォール..........
ピットフォールとは落とし穴という意味である。
臨床現場では、見落としやすい疾患や病態を、しばしばピットフォールと呼称する。
栄一郎は絞り出すようにして思いついたその病名を口にした。
「山本先生、虫垂炎の可能性はないですか?」
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