新夢十夜

赤松帝

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第五夜

巻き戻しのボタン

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まだ少女だとばかり思っていた娘から、お父さん私赤ちゃんできちゃったの、と唐突に告げられたあの日のことを―。


厳格で保守的な父に育てられた私にとってはあまりに理解し難い事態であった。
まだまだ先の事だと想像すらしていなかった私は、ただ頭ごなしに娘を叱り飛ばす事しか出来なかった。
しかし、厄介な事にその娘もまた親の私同様に頑固な血を色濃く受け継いでいた。受験の苦労が実り、ようやく入ったばかりの大学を中退し、身籠らせた件の相手との結婚を強く望んで、頑として譲らなかった。
まだ成人すらしていない子供同士の結婚など到底許す訳にもいかず、私は私で怒りに任せて大反対した結果、娘は駆け落ち同然に家を飛び出していってしまったのだった。

歳を取ってから授かった子供だった事もあり、幼い頃からまさに眼に入れても痛くないほどに溺愛してきた一人娘を、軽々しく奪われた悲しみに心捉われて、私は毎日酒に溺れた。同じく悲観に暮れていた筈の妻の事も省みず、私は独り相手の男をひたすら恨んだ。
やがてその妻にも愛想を尽かされ、彼女は身重の娘の元へと家を出ていった。

自棄っぱちの暴飲暴食がたたり、やがて私は病室のベッドに縛り付けられる生活となった。

最初の内は見舞いに来てくれていた会社の同僚や部下達も、程無く誰も訪れなくなった。

今や私の傍らにあるのは、ナースコールとテレビリモコンだけである。

なんとなしに手に感触のあるナースコールのボタンを押してみた。

暫くして、看護婦の靴音が聴こえてきた。
カーテンが開くと、まだ幼い赤子を抱いた娘が妻と一緒に佇んでいた。

「お前たち…」
後の言葉が続かなかった。

ややこわばった笑顔を作り返して、愛娘が言った。



「お父さん…もう巻き戻しは出来ないのよ。」



ピーーーッ!心肺停止を報せるアラーム音が、病室内に虚しく響き渡った。




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