と或る王の物語

雪野 千夏

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第一部 国売りのセド

1-12 それぞれの理由1

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「マルドミ、な」

 こつり。
 王は人差し指で肘掛を叩いた。それきり口を閉じ、ミヨナの髪に指を絡ませる。
 マルドミ。
 ギミナジウスとは国一つ挟んだ大国で、皇帝の名の下に他国を侵略し領土拡大を続けている。つい先月もひとつ、国が落とされたばかりだ。ラオスキー侯爵の治めるヘンダーレ領に難民が押し寄せるのも元はといえば、マルドミ帝国の侵略から逃れてきた民だ。そして姓にマルドミがつくのは皇帝の血縁者だけだ。

「マルドミ帝国の第五皇子がなんのご用ですか。まさかセドをしにいらしたわけではありますまい?」
 話す様子のない王に代わり、ヤホネス宰相が問いかけた。

「旅の記念です、ヤホネス殿。なにぶん我が国は貴国と違って土地が痩せていますから。他国の農業を参考にできればと周っておりました。お疑いでしたら随行に農学博士もいますからご確認ください。セドに関しては土産話になると思って参加したのですが、外交問題になるようでしたら辞退――」

 青年――タラシネ皇子――ですら自分に向けられた槍の穂先に困惑したように肩を下げた。

「それならば――」
「構わぬ」

 王は言った。
 ヤホネス宰相がラオスキー侯爵が、ニリュシードが、ブロードが、ユビナウスが驚愕の表情で王を見た。国を売りに出すのが前代未聞なら他国の皇子がそんなセドに参加するなど論外だった。もしも他国の皇子に競り落とされれば、最悪、ギミナジウスという国がなくなる。さすがにどんな人間でもそんなことは分かる。
 だが、肝心要の王はいつもと変わらない。平然と膝の上のミヨナに手を伸ばしていた。

「王!」

 宰相は叫んだ。大きく見開いた目は必死に王へ止めてくれと訴えかける。
 王は剣の鞘で玉座の足を叩いた。剣に目を落とし、ミヨナの首を人差し指ですっと、横に撫でた。

「面白い。そうだろう、なあヤホネス?」

 ヤホネス宰相も何を示唆されたのか分からぬほど馬鹿ではなかった。言葉を飲み込み、ゆっくりと元の位置に下がった。
 ユビナウスは早鐘を打つ自分の心臓に、総史庁に務めて、初めて死ぬかもしれないと思った。それでも第三席としての意地、声を絞り出した。

「最後の……方」
 ハルは左右を見ると、ずんずんと進み、他の参加者と同列に並んだ。
「ハル・ヨッカーです。おねげーしま!」
 礼儀も何もあったものではない、元気な声が響き渡る。
「ほう」
 王は目を眇める。

 「ブラッデンサ商会会頭、ブロード・タヒュウズと申します。ハル・ヨッカーが異国からやってまいりまして一年ほどのため、後見となっております。礼儀のなっていない点はどうぞお許しください」

 危険なにおいをはらんだ王の声に、ブロードは素早く膝をついた。

 王はハルを見た。ハルもまた王を見た。
「そう、か」
 王がハルから目をそらした。そのときだった。

「私、オーサン、セドします。クニュー買います」
 ハルが声を張り上げた。
「国だ、国。申し訳ありません。こいつ、外国から来たばかりで言葉がまだなんです」

 ブロードはハルの頭を持って強引に頭を下げ、自分も一緒に頭を下げた。頭を下げさせられたままハルは首を傾げた。

「クニュー?」

 張り詰めた謁見の間にその声は大きく響いた。
 ただでさえ、どこの誰が出したかわからないリドゥナ。いくら偶然このセドに参加することになったのだとしても、犯人捜しに加え、王の機嫌を損ねかねない言動をこれ以上させておくわけにはいかない。
 ユビナウスはこの場違いな人間に『白』判定を下すとすぐさま割って入った。

「お静かに、リドゥナを確認いたします」

 すでにリドゥナの確認は広場の受付で終わっている。だが、ハル・ヨッカーにこれ以上口を開かせてはならない。その意図はハル・ヨッカーの人となりを多少なりとも目にしていた他の参加者にも正しく伝わった。面倒ごとをこれ以上増やしたくないユビナウスと、円滑にセドを進めたい参加者たちの利害は一致した。
 ラオスキー侯爵がユビナウスにリドゥナを差し出せば、ニリュシードとタラシネ皇子も続いた。そうすれば、言っていることが分からないハルも、右へ倣え、リドゥナを出した。

「また、やるです?」

 余計な一言に、数人の胃がきりきりと鳴る。
 王は額に汗をにじませるユビナウスにほんの僅か口角を上げた。 
 国の重鎮である大貴族、国一番の大商人、他国の皇子。そして、国一番のセド業者、ではなく、外国人の新参者のセド業者によって後世に残る国売りのセドは幕を開けた。
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