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ロゼルス家
30 新たな決意
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ロゼルス家の問題はこの男が作り出している。僕はそう思っている。それは義父の父、つまりは爺様である。面と向かったらお爺様と呼んでいたが、実際はクソジジイと呼んで差し支えないと思っている。彼がラガン家との婚約をまとめた張本人だった。
どうやらラガン家では婚約は乗り気でなかったようだ。ロゼルス家は大した家柄ではない。かろうじて伯爵ではあるが、たいした財産もない。一方ラガン家は過去に王族を迎え入れたという由緒正しい家。婚約がまとまることが奇跡と言える。しかしその奇跡を成立させてしまったのは、奴が厚顔無恥で強引に話を進めてしまったからだった。
爺様はアリーが本当は病弱ではなくただサボっているということやアニーが虐げられているという事実を知っていた。全て分かった上でのことらしい。曰く、ラガン家が求めているのはアリーなのだからアリーに逆らうわけにいかない。アニーはアリーのスペアだったが、ラガン家がアニーを認めない以上アニーは不要なのだ。だからアリーにとってアニーはストレス解消の道具なのだ。爺様はとにかくアリーをラガン家に嫁がせることしか考えていないのだ。
すでに爺様はボケているのではないか。僕は密かに危惧していた。そうでなければあまりに理不尽で理解ができない。この家の惨状を爺様が正しく理解できているとは思えなかった。
にもかかわらず爺様はすでに引退したはずなのに未だに口を出し、義父母は反論もせずにただ言う事を聞いている。当初は爺様に気を遣っているのかと思ったが、義父母は何も考えていないことがわかった。長年おそらく義父は爺様に逆らうことなく言われたことをそのまま実行してきただけなのだろう。自分で考えることもなく、いうことだけ聞いて生きている。義父に従い義母もそうだった。義父母は腑抜けの操り人形なのだ。
「アリーがラガン家に嫁ぎ、お前がアニーと結婚してこの家を盛り立てるのだ。そのためにわざわざお前を養子にしたのだからな」
初めて会った時に僕は爺様にそう言われた。横にいた義父母はただうなづいただけである。どうして僕が養子に選ばれたか。田舎の貧乏男爵であれば逆らうことはできない。いうことだけ聞く人間を探した結果、僕が適任となったのだ。何度も僕は、田舎の貧乏男爵と言われた。この言葉は爺様からアリーに伝えられたのだろう。アリーも僕をそう呼んだ。よく見れば二人はよく似ていた。醜悪なところがそっくりだった。
「アリーでは子を成すことしかできんだろう。男をたぶらかす能力だけは一人前だろうからな」
下品な笑いを浮かべる爺様を僕は正視できなかった。爺様はその後もアリーを嫁がせれば我が家も派閥の上位に上がるとか、アニーの分もアリーに回してとにかくアリーを着飾らせろなど散々喚き散らしていた。本当に貴族かと疑うくらい品がなかった。
そんな毎日が繰り返され、僕は段々この生活に慣れていた。アニーを虐める醜いアリーも、そんなアリーを娶ろうという奇特なブライアンも、アリーに虐げられ表情を失っていくアニーも。何を見てもそんなものなのだと何も感じなくなっていた。
ただ、僕はいつも笑顔を浮かべていた。どうしてかわからない。口角を緩く上げ、笑顔を見せるようになっていた。楽しくもなく、嬉しくもなく、感情は何もないはずなのに僕は笑顔を作っていた。
ある時、アリーはまたいつもの癇癪を起こした。アリーはいつも何かのきっかけで癇癪を起こす。太陽が眩しい、雨が降って薄暗い、着たい服ではない、リボンが気に入らない、食べたいものじゃない。毎日アリーが何を気に入り、何を気に入らないか誰にもわからない。賭けのような気持ちで使用人たちは接していた。
その日も何が気に入らないかわからないがアリーは癇癪を起こし、そばにいたアニーを叩いた。何度も何度も。これが伯爵家へ嫁ごうとしている貴族の令嬢なのか。まるで場末の荒くれ者のようにアリーはアニーを叩き、倒れたアニーを蹴りそして踏みつけた。
誰もがその光景に胸を痛めたはずだ。しかし誰も動けない。動けば他の人間にも被害が増える。かわいそうだが、アニー一人が耐えてくれればこの場は収まるのだ。そこに現れたのは爺様だった。
「何をしている!」
僕は内心安心した。さすがにこんな情景を見れば、アリーを諭すだろう。しかし。
「アニーはどうしてアリーを気遣うことができないんだ!」
そう言って爺様もアニーを蹴飛ばした。
「そんなお前だから、ラガン家もお前を認めないんだ」
そして今度は爺様がアニーを何度も蹴飛ばし踏みつけた。その様子をアリーは嬉しそうに笑っている。
「本当。お前はいらない子ね」
「あぁ、いらない子だ」
「私の代わりができるつもりでいるなんて、図々しいにもほどがあるわ」
アリーは勝ち誇ったように周囲を見渡した。
「本当ですわ」
「まったく、アリー様の足元にも及びませんわね」
「薄汚いネズミのようですわ」
アリーのメイドたちが追従する。そうして気が済んだのか、倒れたアニーを残し爺様とアリーは部屋を出て行った。アニーは使用人たちの手で運び出され、僕は何もできないままその場に残された。
「こんな家とは思わなかった」
そこにいたのはレイモンドだった。彼の声は震えていた。僕は黙って彼を見た。端正な顔は歪んで青白かった。目は恐怖のためか充血して涙が滲んでいる。彼の家は商家だったが天災で家業が傾き、やむなくロゼルス家に御者見習いとして雇われることになった。僕と同じく希望を持ってこの家に来たのに、実際は地獄に来たのだ。
「あんなことを・・・」
彼はうずくまって動かなかった。やがて聞こえてきたのは嗚咽だった。それはそうだろう。綺麗な貴族令嬢は悪魔よりも恐ろしい女だったのだ。そしてその悪魔を皆が礼賛しているのだ。
「君が傷ついているのはわかっている。でもこの家を出ることはできないだろう」
そうだ、ここを出ても彼は行くところがない。彼の実家の借金を支払ったのはロゼルス家だ。最初は我が家を神のように思っただろう。まさかこんな家とは気づかずに。
彼は黙って僕を見上げた。充血した目で僕をまっすぐ見つめている。その目を見て僕は決意を固めた。僕の決意をレイモンドも受け入れてくれたのだった。
どうやらラガン家では婚約は乗り気でなかったようだ。ロゼルス家は大した家柄ではない。かろうじて伯爵ではあるが、たいした財産もない。一方ラガン家は過去に王族を迎え入れたという由緒正しい家。婚約がまとまることが奇跡と言える。しかしその奇跡を成立させてしまったのは、奴が厚顔無恥で強引に話を進めてしまったからだった。
爺様はアリーが本当は病弱ではなくただサボっているということやアニーが虐げられているという事実を知っていた。全て分かった上でのことらしい。曰く、ラガン家が求めているのはアリーなのだからアリーに逆らうわけにいかない。アニーはアリーのスペアだったが、ラガン家がアニーを認めない以上アニーは不要なのだ。だからアリーにとってアニーはストレス解消の道具なのだ。爺様はとにかくアリーをラガン家に嫁がせることしか考えていないのだ。
すでに爺様はボケているのではないか。僕は密かに危惧していた。そうでなければあまりに理不尽で理解ができない。この家の惨状を爺様が正しく理解できているとは思えなかった。
にもかかわらず爺様はすでに引退したはずなのに未だに口を出し、義父母は反論もせずにただ言う事を聞いている。当初は爺様に気を遣っているのかと思ったが、義父母は何も考えていないことがわかった。長年おそらく義父は爺様に逆らうことなく言われたことをそのまま実行してきただけなのだろう。自分で考えることもなく、いうことだけ聞いて生きている。義父に従い義母もそうだった。義父母は腑抜けの操り人形なのだ。
「アリーがラガン家に嫁ぎ、お前がアニーと結婚してこの家を盛り立てるのだ。そのためにわざわざお前を養子にしたのだからな」
初めて会った時に僕は爺様にそう言われた。横にいた義父母はただうなづいただけである。どうして僕が養子に選ばれたか。田舎の貧乏男爵であれば逆らうことはできない。いうことだけ聞く人間を探した結果、僕が適任となったのだ。何度も僕は、田舎の貧乏男爵と言われた。この言葉は爺様からアリーに伝えられたのだろう。アリーも僕をそう呼んだ。よく見れば二人はよく似ていた。醜悪なところがそっくりだった。
「アリーでは子を成すことしかできんだろう。男をたぶらかす能力だけは一人前だろうからな」
下品な笑いを浮かべる爺様を僕は正視できなかった。爺様はその後もアリーを嫁がせれば我が家も派閥の上位に上がるとか、アニーの分もアリーに回してとにかくアリーを着飾らせろなど散々喚き散らしていた。本当に貴族かと疑うくらい品がなかった。
そんな毎日が繰り返され、僕は段々この生活に慣れていた。アニーを虐める醜いアリーも、そんなアリーを娶ろうという奇特なブライアンも、アリーに虐げられ表情を失っていくアニーも。何を見てもそんなものなのだと何も感じなくなっていた。
ただ、僕はいつも笑顔を浮かべていた。どうしてかわからない。口角を緩く上げ、笑顔を見せるようになっていた。楽しくもなく、嬉しくもなく、感情は何もないはずなのに僕は笑顔を作っていた。
ある時、アリーはまたいつもの癇癪を起こした。アリーはいつも何かのきっかけで癇癪を起こす。太陽が眩しい、雨が降って薄暗い、着たい服ではない、リボンが気に入らない、食べたいものじゃない。毎日アリーが何を気に入り、何を気に入らないか誰にもわからない。賭けのような気持ちで使用人たちは接していた。
その日も何が気に入らないかわからないがアリーは癇癪を起こし、そばにいたアニーを叩いた。何度も何度も。これが伯爵家へ嫁ごうとしている貴族の令嬢なのか。まるで場末の荒くれ者のようにアリーはアニーを叩き、倒れたアニーを蹴りそして踏みつけた。
誰もがその光景に胸を痛めたはずだ。しかし誰も動けない。動けば他の人間にも被害が増える。かわいそうだが、アニー一人が耐えてくれればこの場は収まるのだ。そこに現れたのは爺様だった。
「何をしている!」
僕は内心安心した。さすがにこんな情景を見れば、アリーを諭すだろう。しかし。
「アニーはどうしてアリーを気遣うことができないんだ!」
そう言って爺様もアニーを蹴飛ばした。
「そんなお前だから、ラガン家もお前を認めないんだ」
そして今度は爺様がアニーを何度も蹴飛ばし踏みつけた。その様子をアリーは嬉しそうに笑っている。
「本当。お前はいらない子ね」
「あぁ、いらない子だ」
「私の代わりができるつもりでいるなんて、図々しいにもほどがあるわ」
アリーは勝ち誇ったように周囲を見渡した。
「本当ですわ」
「まったく、アリー様の足元にも及びませんわね」
「薄汚いネズミのようですわ」
アリーのメイドたちが追従する。そうして気が済んだのか、倒れたアニーを残し爺様とアリーは部屋を出て行った。アニーは使用人たちの手で運び出され、僕は何もできないままその場に残された。
「こんな家とは思わなかった」
そこにいたのはレイモンドだった。彼の声は震えていた。僕は黙って彼を見た。端正な顔は歪んで青白かった。目は恐怖のためか充血して涙が滲んでいる。彼の家は商家だったが天災で家業が傾き、やむなくロゼルス家に御者見習いとして雇われることになった。僕と同じく希望を持ってこの家に来たのに、実際は地獄に来たのだ。
「あんなことを・・・」
彼はうずくまって動かなかった。やがて聞こえてきたのは嗚咽だった。それはそうだろう。綺麗な貴族令嬢は悪魔よりも恐ろしい女だったのだ。そしてその悪魔を皆が礼賛しているのだ。
「君が傷ついているのはわかっている。でもこの家を出ることはできないだろう」
そうだ、ここを出ても彼は行くところがない。彼の実家の借金を支払ったのはロゼルス家だ。最初は我が家を神のように思っただろう。まさかこんな家とは気づかずに。
彼は黙って僕を見上げた。充血した目で僕をまっすぐ見つめている。その目を見て僕は決意を固めた。僕の決意をレイモンドも受け入れてくれたのだった。
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