心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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タセル国にて

20 新たな目標

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「教授、この子がドナよ。適任だと思うの」

 レティシア様が私のことを紹介してくださる。適任とは何のことか。よくわからないまま、私は笑顔で挨拶をした。

「初めまして、お嬢さん。とても可愛らしい子で驚きましたよ」

 ドリアリー教授は50歳くらいだろうか。白髪の髪をオールバックにしている。スラリと長身でやや痩せている感じはするけど、いかにも研究者という雰囲気の人だ。穏やかな微笑みで私に右手を差し出してきたので、思わず私もその手を握っていた。

「ところで、良い香りですね、夫人」

 おそらく教授は部屋に入った時から気づいていたのだろう。レティシア様はにっこり笑って答えた。

「えぇ、ドナが入れてくれたのよミントティ。教授の本で知ったんですって」

 思わず私は俯いた。

「へぇ、そうですか」

 教授が私の方をチラリと見た。

「本で読んでくれたの。嬉しいなぁ」

 飄々とした感じで教授は話している。私を単純な読者と思っているのだろう。そういえば私はあの本を勝手に翻訳したが、教授はそのことを知っていたのだろうか。きっとラガン家が報告したと思うが、何もしていない可能性もある。

 本はどんな事情でラガン家の元に届いたのだろうか。私はいないから本を手にする人はいないかもしれない。だから結果的に本は翻訳されないだろう。もしかしたら別の誰かが翻訳するかもしれないが、それが誰でいつになるかはわからない。

「ドナは努力家なのよ。本を読むのが大好きらしくて、家にある本を読みあさっているんですって」

 私のことを話題に出さないでほしい。私はますます恥ずかしくなって、顔を上げることができなくなった。

「へぇ、本好きなのはいいですねぇ」
「そうなのよ、だからね、ぴったりだと思うのよ」
「なるほど」

 何の話をしているのかわからない。でもやはり私のことであろう。会話が途切れ2人の声がしなくなったので、私は顔を恐る恐る上げた。レティシア様と教授が真面目な顔で私を見ている。一瞬ギョッとした。真面目な顔のまま、レティシア様が言った。

「ドナ、実はね。教授の本を訳してみたらどうかと思うの」
「え?」

 レティシア様の提案に私は心臓を鷲掴みにされた気分になった。翻訳?あの時のことを思い出す。何もわからず辞書を読み、何とか理解しようと努力した。拙い文章を何度も推敲してどうにか仕上げていった。そうして何とか形にしたものは、姉の手柄になった。思い出すと息ができないくらいに苦しい。目の前が暗くなりそうなのを必死に抑える。

「ど・・・、どういう・・・?」
「教授のあの本は本当に素晴らしい本でね、夫が生きているうちに知っていたらとても役に立ったと思うのよ」

 確かに薬になる植物のことなどが多く記されているので、翻訳は賞賛された。でもなぜ私が翻訳するのだろう。他にも適任者がいるはずだ。

「本当は教授は私にとお願いしてきたの。でも今の私には無理だと思うわ。でもドナならできると思うのよ」

 どうして私?まさかレティシア様は知っているのではないだろうか。本当は私がもう少し未来のこことは違う世界で翻訳をするということを。でもそんなわけがない。そんなことを知るはずがないし、信じるわけがない。一度死んだはずなのに生き返っているなんて有り得る話ではないのだ。あれはただの悪夢なのだ。

「少し2人で話してもいいでしょうか」

 私が何も答えず呆然としているので、教授が提案してきた。できれば教授から断ってほしい。こんな子どもにできるわけがないと言ってくれればそれでいいのだ。でもレティシア様の提案を断ることもできないだろう。私から辞退すればそれで済む。できませんと言えばそれで終わるだろう。

 レティシア様が部屋を出ていき、教授と2人きりになった。

「あの葉っぱをお茶に入れるなんて、何故知ってたのですか?」

 2人きりになった途端、教授が聞いてきた。

「教授の御本に・・・」

 あの本は絵がたくさん書かれていた。絵の横には説明文があった。絵を見たらよく見かける葉や花だったから、何が書かれているのか知れた時は嬉しかった。ミントについても食べたりお茶に入れたりして香りを楽しめると書かれていた。

「書いていないのですよ」

 教授の言葉に私は驚いた。確かにミントについて書かれていた。ラガン家の庭にもミントはあったから、こっそり摘んだ。姉に見つからないように食べたりもした。確かに記憶があるのだ。

「今出ている本には書かれていません。ミントはこれから出す本に書く予定です」

 まさか。教授は本を2冊書いていたのか。私が知っている本は後から出る本だったのか。私はどう説明しようか考えた。本当のことは言えないから、書いてあったと勘違いしたと言うしかないだろう。信じてもらえるかわからないが、私は意を決して言い出そうとした。

「お茶に入れるというのはいいですね」

 私が声を出す前に教授が満面の笑みで嬉しそうに言った。

「それに私の本に書かれていたと言って、私を立ててくれたのでしょう?」

 私は面食らってしまい、教授をマジマジと見た。教授は私の視線に気づかず、納得したようにうなづいている。

「ミントはどこでもよく見かけるので知識のある人は多いのですよ。ただ個人やその地域だけで利用しているので、こうして本になって初めて知るという人も多くいたわけです」

    教授はニコニコと笑っている。相変わらす飄々とした話し方で、緊張がとけていた。だから

「ドナ、ぜひ私の助手になってくれませんか」

    と、言われてごく自然に頷いていたのだった。
    
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