心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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タセル国にて

10 悪夢を忘れよう

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     エリオット様のお屋敷はとても大きかった。元の私の家もそれなりの大きさだったと思うが、それ以上に大きくまるでお城のようだった。色とりどりの花が咲いている庭園は本当に見事で、私は瞬きをすることも忘れてただ眺めていた。

「そのうち、ゆっくり散策すればいいわ」
「あぁ、朝は一緒に散歩をしよう」
「あら、2人だけなんてずるいわ。私も一緒に行くわ」

 エリオット様とクララ様はそんなことを言って笑い合っている。素敵なご夫婦だ。

「時間が足りなかったので急場しのぎだけど」

 そう言って通された部屋はとても可愛らしくセンスのいい家具で揃えられていた。

「私の好みで選んでしまったけど、気に入らなかったら買い替えるわね」

 申し訳なさそうにクララ様がおっしゃってくださるが、ここが自分の住む部屋と思うとどうしていいかわからなかった。こんなに素敵な部屋に住めるなんて思っていなかったのだ。

 天蓋付きのベッドは薄いピンク色のリネンで揃えられている。柔らかそうな布団は見るだけでも高級なのがわかる。何より驚いたのは、ドレッサーに大きな鏡がついていたことだった。姉も大きな鏡を欲しがったけど、両親から買い与えられたのはこれよりも小さな鏡だった。それでも姉は大喜びだったし、これより大きな鏡は王族しか持っていないと言っていた。だとしたら、こんなに大きな鏡はきっと高いに違いない。金額のことを考えるのは品がないと思うが、それでも頭から離れない。こんなに私にお金を使っていいのだろうか。後で返せと言われても困る。

「どう?」
 
 クララ様が不安げに私を見ている。

「す、素敵です。こ、こんな、す、素晴らしい部屋に住め・・・て・・・し、幸せ・・・です」

 言葉がうまく出てこなかった。今までの私の部屋は使用人と同じ家具しかなかった。姉の部屋は姉の趣味で高い家具が揃っていた。しかしその時の気分で欲しい家具が変わるため、姉の部屋の家具は統一感がなくチグハグな印象だった。

 姉ならこの部屋をきっと気にいるだろう。それどころかもっと色々なものをねだったかもしれない。姉はそういう人だった。今頃姉はどうしているだろう。ふとそんなことを思い出してしまい、憂鬱な気持ちになる。もう忘れてしまうのだ。私は何度も自分に言い聞かせてきた。姉のことも、過去のことは全て忘れるのだ。私はアニーではない。ドナなのだ。

 私はクララ様を見上げ、にっこりと笑った。頬が少し引き攣っている気もしたけど、とにかく笑う。寂しくても辛くても、笑っているうちにそれが本当になって嫌なことを忘れてしまうのだ。と、教会で出会った人に教えてもらったからだ。

「よかったわぁ。そうだ、洋服も用意しているのよ」

 私の言葉を待っていたクララ様の顔がパァっと明るくなった。ニコニコと笑いながら、クララ様は続き部屋に案内してくださる。

 途端に私の心に暗雲が立ち込めた。以前はこういった続き部屋が私の部屋だった。簡素な家具しかない狭くて暗い部屋。思い出すと苦しい。呼吸が激しくなる。

「好みはどういったものかしら? とりあえず色々揃えてみたのよ」

 しかし、通された続き部屋は明るく、そこには色とりどりのドレスが何十着も並んでいた。まるでお店のようだ。私は目を見張り、部屋の中を見渡した。

    こんなにたくさんのドレスを見たのは初めてだ。姉はドレスをたくさん持っていた。両親にねだれば何でも買ってもらえたからだ。そして私に自慢げに言った。あんたは買ってもらえないのよ、私だから買ってもらえるの。

    たくさんのドレスに囲まれ、姉は笑っていた。思い出したら震えてきそうだった。姉はたくさんのドレスを持っていたけど、それでもこんなには持っていなかった。

「サイズの確認もしたいので着て頂いてはいかがでしょうか」

 側にいたメイドの1人が恭しくクララ様に申し出た。

「そうよね!」

 クララ様の目がキラリと光った気がした。自分に起きていることが理解できないまま、私は着替えさせられていた。

「まぁぁ、奥様、いかがでございますか?」

 メイドが大袈裟な声を上げる。

「いいわぁ。やっぱり、ここのドレスはいいわね」

 鏡に映る自分を見て驚いた。姉が着ていたドレスよりも華やかなドレス。それを今私が身に纏っているのだ。まるで自分ではないような感覚。

 夢かもしれない。そうだ。本当は今が夢であの悪夢が現実なのかもしれない。それならば、ずっと夢のままでいい。あの悪夢に戻るなんて絶対に嫌だ。

 毎朝目がさめると、ここはどっちだろうと何度も思った。私は誰だろうとドキドキしながら誰かに呼んでもらえるのを待った。そして私がドナであるとわかると、安心した。私はドナだ。何度も何度も繰り返し口に出した。安心するために。もう悪夢ではないと納得するために。

「こちらのドレスはいかがでしょう?」
「うん、いいわね」
「お嬢様にはこういったアクセサリーがお似合いでは?」
「そうね、ルビーのネックレスは他になかったかしら」
「はい、こちらに」

 私の周りでクララ様とメイドたちがワイワイ騒ぎながら、ドレスやアクセサリーを選んでいる。私にかけてくれる言葉や私を見る眼差し、そして私に触れる手の温かさ。それは夢ではない。真実だ。私は静かにその感覚を味わった。

 そうだ、今が真実。姉と暮らしたあの悪夢のような日々は真実ではないのだ。

「ドナ・・・?大丈夫?」
「お疲れでございますわね」
「お茶の準備を致しますっ」

 メイドの1人がパタパタと部屋を出ていく。私は静かにクララ様を見た。心配そうなクララ様のお顔がすぐ目の前にあった。その目は私を見ている。

 今までこんなふうに見られたことはなかった。両親がこんなふうに見る対象は私ではなく、姉だった。でも今は違う。私は心配されている。今日初めて会った人に。

 不思議な気持ちだった。誰かに心配されて、それが嬉しいなんて。私は心配されたことはなかった。誰かが私を気にしてくれたことはなかった。

「ごめんなさい。疲れたわよね」
「だ、大丈夫です」
「今日ついたばかりだって忘れていたわ」

 クララ様が私を優しく抱きしめてくださった。柔らかく暖かな腕に私は包まれて、泣きそうになっていた。

「ここに来てくれてありがとう。私は本当にドナに会いたかったのよ」

 穏やかで優しい声だった。その声が私の心の奥深くまで沁みていくのを感じていた。
 
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