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  母の遺品の中に一際大きな宝石があった。公爵家の目録にはない品物だったので、母が実家から持参したものかもしれないと思ったがそれも妙だと思った。母の実家は今はない。母の兄が亡くなり借金だらけの家を継ぐ者もいなかったからである。

 こんなに立派な宝石ならば実家が借金を返すのに売ったはずである。出どころのわからない宝石は不気味であったが、彼はそれを見ているうちに妙な気持ちになった。自分は無敵でなんでもできる、不可能はない、この国だけではなく世界を牛耳ることができる。そんな気持ちになった。

 自分という存在をもっと有り難がるべきだ。自分は唯一無二、自分という存在があるからこそ他の人間が存在できる。何故だかそんな気持ちになった。実際、その宝石を手にすれば他人は面白いように自分の言いなりになった。たくさんの人間を支配し、自分の思うように動かす。それは非常に魅力的で刺激的な瞬間だった。

 このままでいけば国は自分のものになるだろう。彼は使用人を大量に集め、自分の思い通りに動く駒を準備した。そうしているうちに辺りが暗くなった。ゾワゾワする気持ち悪い感覚がした。何もない、何もないはずなのに急激な恐怖を感じた。

 バリバリ、というような音を聞いたかもしれない。気がつけば、見たことのないくらいたくさんの魔獣が辺り一面にいた。屋敷が壊されたが、それでも彼の命は無事だった。呆然としながら、娘のジュリアを抱きしめた。そうだ、この子は守らなくてはならない。自分がこの国を自由にするためには、ジュリアがまずは王子と結婚しなくてはならないのだから。

 母に言われてきた通り、彼も娘のジュリアに言い聞かせた。王子が結婚するのはお前だ。他の誰でもない、お前が王子と結婚するのだ。

 ジュリアは父の言うことを疑わず、王子も自分と結婚することを望んでいると思った。王子に近づく者は排除し、王子が気にいるだろうと可愛いドレスを着て可愛い自分を演出した。リボンやフリルは王子が気にいるはずだとジュリアは信じていたので、自分のドレスにも多用した。

 それなのに、現実は違った。彼は母の言うことを信じただけだったし、ジュリアもその教えを守っただけにすぎない。しかし、今自分は牢の中にいて、娘のジュリアも聖女だと言うのに自由のない生活を強いられている。

 何がいけなかったのか。彼にはわからない。聞こえてくるこの声は何なのか。自分の頭がおかしくなっただけなのか。

「願い事を叶えてやる。だからそのためには報酬を寄越せ」

 その声はそんなことを言う。報酬とは何だ?その声はこうも言う。

「借りを返せ」

 借りとは何だ?借りを作った覚えはない。それよりもこのひどい頭痛をどうにかしてほしい。そのためには悪魔に魂を売っても構わない。彼はそう思った。本当にひどい頭痛なのに牢の中にいるうちは大した薬ももらえない。医者が来ても、環境が変わったせいと言ってまともに取り合ってくれないのだ。

 そうして彼は横たわるしかできなくなった。その時。

「頭痛を治してやろう」

 そんな声を聞いた。どこか面白がるような揶揄われている声にも聞こえる。しかし頭痛が治るならと彼は思った。その瞬間。

 彼は自分が外にいることに気づいた。頭痛も無くなっている。あれほどひどい頭痛だったのに。彼は喜び、そして逃げようと思った。自分の周りにもたくさんの人間がいる。そしてみんな逃げようと思っている。彼にはそれがわかった。それでとにかく走り出した。久しぶりの外の空気。自由に動く足。今ならどこまでも走っていける。そう思っていた。

「魔物だ!」
「すぐ騎士団に連絡しろ!」
「戦闘準備!遅れをとるな!」

 何の話だ?魔物?その瞬間、攻撃をされた。あっという間に周りの人間たちが倒れていく。我々は人間だ。魔物ではない。攻撃される謂れもない。どういうことだ?

 あまりのことに彼には理解ができなかった。しかし攻撃の手は緩むことはない。自分の周りの人間たちが叫び声を上げて倒れていく。なんて残酷なことをするのだ。

 彼は恐怖を感じた。逃亡犯と思われている?だから攻撃された?彼はなんとか攻撃されないように立ち止まり、助けを求めた。もう逃げない、だから攻撃しないでくれ。彼はそう言ったはずだった。

 しかし。

「魔物め!」
「生かすな、全滅させろ!」
「どうして出てきやがった!」

 騎士団は鬼の形相で襲いかかってくる。その中には見知った顔の人物もいた。自分は元スティラート公爵で裁判を待つ身のはずだった。判決も出ていないのにこの仕打ちは非人道的である。魔物呼ばわりなど名誉毀損ではないか。

 騎士団の誰かが剣を振るい、思い切り切り裂かれた。

「ぐぎゃー」

 自分の悲鳴を聞きながら、彼はあまりの恐怖と痛みで倒れ込んだ。倒れたらもう手出しはされない。彼はそう思ったが、それでも何度も切られた。

「息の根を止めないと、魔物は厄介だからな」

 そんな声を聞いた。それと同時に聞こえてきた声もある。

「死の恐怖は、俺の大好物だからな。何度でも味あわせてもらうぞ。ククッ。まだまだ借りは返してもらうからな」

 そうか、自分は悪魔に魂を売ってしまったのだ。彼は気がついた。あれは悪魔の声だったのだ。あの宝石は悪魔の贈り物。手にした時点でもう手遅れだったのだ。どうしようもない絶望が彼を襲った。彼はどうすることもできず、ただ意識を手放すことに集中した。意識が無くなれば救われる。ただそう信じて。






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