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40話~59話
51:「おくりもの」 天使のささやき
しおりを挟む観客席の照明が落とされると、それを合図に彼は舞台中央のピアノに向かった。彼の足音はマイクが拾わなくてもホール内に響きわたり、観客席に緊張が走った。
五千人の視線は彼に集中している。その熱量は常人であれば一瞬で蒸発してしまいそうなものである。しかし、彼が対峙しているのは目の前のピアノ。観客の存在など見えていなかった。
ピアノの前の椅子に浅く腰掛けると、八十八鍵の上に撫でるように手を置いた。
永遠に続く無音の世界は、突然の雷鳴で始まる春の嵐のような一音でホール全体を響かせた。
猛々しい演奏スタイルはリストの再臨と言われるほどであったが、ピアニストとしての彼は決して恵まれた環境ではなかった。その演奏スタイルは人に評価される事はなく小さなコンクールでも佳撰に残る事はなかった。しかし、彼に訪れた小さな幸運が広い世界への扉を開かせたのであった。どの審査員からも受け入れられなかった演奏スタイルが唯一無二として聴衆に受け入れられたのであった。
彼は、巨匠として称えられるようになった今も若獅子のような演奏スタイルで聴衆を惹きつけて止まないのであった。
そして、演奏が佳境を迎えた時、一陣の風がホールを吹き抜けた。
観客の誰もが凡庸な演奏に夢から覚めてしまった。なによりも誰よりも彼自身が夢から覚めてしまった。
彼がピアノと向き合う事は二度となかった。
~ ・ ~
青年は子供のころから家族や友人から凄いと言われていた。周りからはピアニストになる事を望まれ、本人もピアニストになる事が夢になった。毎日の練習を欠かさず難しい曲も弾けるようになっていった。町の発表会では天才と称えられ色々なコンクールにも出場する様になった。だから、技量だけでは越えられない壁がある事を彼は知った。
それでも、練習に練習を重ね感性を磨くためには恋愛もした。周りの期待とは裏腹に越えられない壁を前に彼には絶望が広がっていった。
そして、青年は最後の決断をしたコンクールに挑んだ。
青年の番号が呼ばれた。
既に夢も失った青年は一つの区切りとして、舞台中央のピアノへと向かった。練習の日々を思い返すように一歩一歩をゆっくりと進んでいった。
ピアノの前の椅子に浅く腰掛けると、八十八の鍵盤に向かった。
ピアノの響きとともに審査員の誰もが目を疑った。ピアノの周りの空間が光っているように見えたからだ。
ピアノの響きとともに審査員の誰もが耳を疑った。課題曲では技量先行の機械的な演奏だったものが、一音一音が審査員の心を揺さぶっていたからだった。
青年が最後としていたこの日、ピアニストとしての始まりの日となった。
~ ・ ~
少年がプロになって初めてのタイトル戦だった。連勝をしなければ辿り着けない王座はまさしく雲上の玉座だった。そして、今日の対戦相手は老練の棋士だった。
少年は非公式戦で彼に勝てた事がなかった。技量で言えば少年は互角以上であったが、その技量を超えた部分で老練の棋士は少年を圧倒していた。
そして、対局の会場では二人とも穏やかに向き合っていた。別室でモニターを食い入るように見入る関係者たち・・・、
若き挑戦者が一手目を指した。
鋭い音が会場に広がる。
二人の棋士の知る事も出来な場所で、天使が言った。
「あの老練の棋士の才能は刈り入れ時ですよ」
死神の耳元で囁いた。
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