時空モノガタリ

風宮 秤

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40話~59話

42:「片想い」 ストーカー彼女

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 彼女の朝は早い。だから、僕の朝はもっと早い。

 午前六時三十九分
 高層マンション上層階の廊下に到着。望遠レンズの付いた一眼レフを構えると、マンションから北西方向距離百五十メーター先にあるアパートのカーテンの閉まった窓を狙う。

 午前六時四十分
 イヤホーンに鳴り響く目覚まし時計の音。ベッドの軋む音。一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。カーテンが勢いよく開く音と同時、シャッターの連写音。
 口元に笑みが浮かぶ。
 家の中から狙う事ができない絵を撮るために、この階でカメラを構えている。低層階から狙うと家の奥まで撮る事ができるが、その階の住人の朝は早いのだった。

 午前六時四十一分
 望遠レンズを外すとカバンにしまう。エレベーターを呼びこの階の住人の様に振る舞いながら待つ。
 エレベーターを待つ間も乗ってからもイヤホーンからの音に全神経を集中させている。自宅で録画をしていると言っても、ライブはとても重要だ。その瞬間を共有できるのは、世界に一人しかいないからだ。
 一昔前の四百メガヘルツ帯の盗聴器とは訳が違う。MACアドレスを持ったライブカメラを使えば、高音質高画質に地球の裏側からでも見惚れる事ができる。しかし、大きな問題があった。ネットと電源の確保だ。幸いその問題は天が味方をした。その大手の賃貸アパートに界壁はなかった。天井裏に潜り込めば隣の住人の部屋の好きな場所にライブカメラを自分の部屋からネットと電源を引っ張って設置できたからだった。

 エントランスを抜け、周りに人がいない事を確認すると、スマホを取り出し映像を確認しながら自宅に急ぐ。ここからは時間通りではないからだ。
 朝食とお弁当の用意で時間がズレる、ネクタイを選ぶ時もズレる、積もりに積もって二分十五秒ズレる時もある。そんな姿を独り占めできる至福のひと時でもあるが、玄関先で鉢合わせを演出する為には、〇・一秒のズレが命取りになる。

 午前七時八分
 今日は普段より一分二十秒早い。それならば、プランCを実行するチャンス。この日の為に用意したゴミ袋を掴むと、二秒早く家を出る。
 彼が開く玄関の扉に弾き飛ばされる。
「いたい・・・」
 口を縛っていないゴミ袋から飛び散ったケチャップで白いスカートが台無しに・・・
「あ・・・・、ごめんなさい」
 透かさず、乱れたスカートを直す振りをして手に仕込んだケチャップを塗る。
 彼の意識が時計行っているのを引き戻す。
「キャー・・・、どうしよう」
 前かがみになって、ハンカチでスカートの汚れを一生懸命に拭く。
 彼の視線が釘付けになっている・・・・。
「代えのスカートはクリーニングに出しちゃった。どうしよう。どうしよう・・・」
 彼の顔に困惑が広がっている。
「大事な顧客にプレゼンしなくちゃいけないのに・・・」
 もう一押しする。
「洗いますから脱いでください。いや、えーと・・・・、あとで弁償に伺います。ごめんなさい」
 何度も謝りながら、彼は会社に向かった。
 彼の背中を見送りながら、絡め捕ったと満面の笑みを浮かべている。


 彼女は何事にもとことん打ち込むタイプだった。その驚異の能力を人々に知らしめたのは、日本史の授業の時だった。脇役級の戦国武将の事を調べ上げてきた。図書館で調べ、参考文献の著者に訊きに行き。地元の資料館にも出向いていた。
 そんな彼女はよくB型に間違われるけどO型。両親の血液型はO型とO型のB型が入り込む隙はない正真正銘のO型だった。星座も猪突猛進のおうし座に間違われているけど実は探究心旺盛なふたご座。太陽だけでなく月も守護星の水星もふたご座にある純度の高いふたご座と言える。

 彼女の技は日々進歩していた。携帯電話しか持っていなかったが、ライブカメラの話を聞いてからは、パソコンを買い、プロバイダーに契約をし、ライブカメラを買い、スマホを買いとアイテムを増やしながらスキルを身につけていった。パスワードの管理も完璧だった。類推されない文字列を考え、忘れないように一覧表にまとめ冷凍庫の中に貼っておく。
 記録もメモ帳からボイスレコーダーへと替え、目標から目を離さないで後をつける事ができる様になっていた。


 あれから、彼との距離が縮まっているのが誰の目にも明らかだった。つまり、彼女は上手くやり過ぎたのだ。


 彼の職場に一通の封筒を送った。
 暫くすると、あの窓からカーテンがなくなっていた。


 彼女は、僕だけのものだ。

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