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20話~39話
39:「短編文学賞」 晩夏のホーム
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乗り継ぎ駅のホームに辿り着くと、人もまばらになっていた。夜の九時を過ぎビジネスマンも塾帰りの中学生も疲れた顔でホームに佇んでいた。時折、暑さの残る乾いた風が人の間を縫いながら吹いていた。
ふと見ると、どこか懐かしい長椅子が置いてあった。電車通学の中学時代に、こんな感じの椅子に座っては本を読んでいた。今では、酔っ払い対策で一人掛けの椅子ばかりになったと思っていた。
長椅子に座り込むと、長かった一日の疲れがどっと出てきた。
今日は役職定年だった。
これから、何をモチベーションに働けば良いのか。決済権を失う。役職手当がカットされる。何よりもやり方に納得がいかなくても指示に従わなくてはいけない。
あと一歩だったのに、役員になれば役職定年など関係なくなっていたはずなのに。役職定年の日がいつ来るのか、何十年も前から分かっていたのにこの様ではマネジメント失格と言われても仕方がない。
それにしても、なんで奴が昇格できるのか分からない。クライアントの要望を曲解する。仕事は抱え込んで、最後に投げ出す。失敗は部下に押し付ける。言う事には従うが出来たためしがない。
引継ぎの時でもそうだった。
『僕より優秀だから、君に教えられるものはないよ』
無能に教えられるほど私は優秀ではないと謙遜してみせたが、
『そんな事はないですよ。優秀な部下に支えられているのでチーム一丸となって取り組みますよ』
と、最初から自分で覚える気はなかった。それなのにいつも余裕があったな。
取締役の太鼓持ちをしていると言う噂もあったが・・・・、取締役に報告する前に内容を把握している事が少なからずあったのは、取締役のアンテナの高さではなく密偵を使っていたからなのか? 先に手を打つべきだったが、今では立場が逆転してしまっている。
そんな奴の部下になる・・・・、直属ではないのが救いと言えば救いではあるが。
思い返してみれば、先輩が役職定年を迎えた時には、
『君もいずれは役職定年を迎える時がくる。その時には上司としてではなく、『師』として見られるように頑張ればいい。そうすれば、肩書を越えてついてきてくれるものだよ』
と、言っていたのに、両親の介護が必要になったとか言ってすぐに退職してしまった。両親の葬儀の手伝いをさせられた記憶があったが、今はどこで何をしているのやら分からない。
取締役からは、
『まとまった有給休暇をとって第二のスタートの前にリフレッシュでもして来い』
と言われたが、いない間にどうなっているか分かったもんじゃない。それに、役職定年を乗り越えた取締役のアドバイスなど、出世コースから落としてやったと言わんばかりの勝利宣言に聞こえてしまう。
家庭の方も問題だった。子供が来年からは大学だ。模試ではそれなりの大学には行けるらしいが国立大でなければ学費もバカにならない。このタイミングで役職手当がなくなるのは痛いな。
毎晩、割引シールの付いた惣菜ばかりだから大学入学資金ぐらいは溜まっていると思うが、女房の手料理なんて新婚の時だけだった。結婚前は外食ばかりだったから気が付かなかったが、死ぬほど不味かった。味付けは滅茶苦茶、半生と焦げているのが混ざって盛り付けられているのを見た時には人生終わったと思った。幸い、
『仕事も大変だろうから、惣菜で良いよ』
と、言ったら思った以上に素直に聞いてくれた。女房も自分の料理を食べた訳だから素直になるのは道理なのだろう。と当時は思った。
あの頃は、角の立たない良い言い方だと思ったが、妊娠してから本性が現れた事に気付いた。妊娠を告げられる前に、退職していた。当時は働きながら子育てなんて事は夢の世界だったから、退職は仕方がないとしても事前に相談がなかった事は納得がいかなかった。
妊娠中はお腹が大きくて大変。乳飲み子に昼も夜もないと大変。ハイハイをする様になると何を口に入れるか分からないから大変。立つようになると何をいじるか分からないから大変。あっと言う間に数年が経っていた。
その後も、専業主婦は仕事だからと言って、毎晩食卓に並ぶのはお皿に盛り直した惣菜ばかり。ワイシャツはクリーニング屋。部屋の隅には綿埃。
何か言えば、幼稚園の送り向かいで時間がない。ママ友との神経戦に毎日ぐったり。リフレッシュにはカラオケが大事・・・・。専業主婦だか専業ニートだか・・・・
その点、仕事は面白かったよ。残業続きで家には寝に帰るだけ、土日は自己啓発をしないとクライアントの要求に応えられない。胃に穴が開く様な日々も続いたけどね。
難易度が高いプロジェクトでも、チームでやればなんとかなった。それでも難しい場合、出来る事出来ない事を正直に説明すれば、クライアントも次善の策を受け入れてくれた。
肉体的にも精神的にもきつかったけど、仕事の結果は昇格や昇給で認められたと思っていた。同期に比べればトップだったし。
今にして思えば、子供だった。仕事に突っ走っている時には気が付かなかったけど、後輩を持ち、部下を持ち、チーム全体を、組織全体を見るようになった時に気が付いたよ。自分の知らないところで太鼓持ちの方が昇格している事を。
仕事は誰でもある程度のレベルで熟す事が出来る。会社にとってそれで十分だった。それ以上の仕事をしてもクライアントが多く支払う訳ではない。逆にそこそこの物を作りバージョンアップで追加料金を取るチャンスを失っていると考えるのが役員にいた。
評価は成果以上に個人的感情で決まるものだった。太鼓持ちは仕事ができないが評価者である上司を捨て身で支える。仕事が出来る部下は、会社を支えても上司は支えなかった。
気が付いた時にはパワーバランスがはっきりしていた。
その結果が役職定年だった。
思い返しただけで、上体を支えられない程に疲れが出て来た。長椅子に横たわりたい衝動を抑えるので精いっぱいだった。
中学生の談笑する声が聞こえてきた。学校指定のカバンとバドミントンのラケットを持ちながら目の前を通り過ぎて行く。
長椅子の端で本を読んでいた中学生が、読む手を止めると彼女たちを見た。直ぐに本に目を落とすと、その横顔はガッカリしている。
談笑していた女子の制服に学生カバン。隣で本を読んでいる男子の制服に学生カバン。見覚えがある・・・、あの制服、あの学生カバン、中学の時のと一緒だ。
あの中学生たちは、塾の帰りか?
制服のまま? 学生カバンのまま? ラケットを持ったまま? こんな時間に、こんなに人が多い・・・・! まるで、夕方のような人の多さだ。
あの頃、あの少年の様に部活帰りにホームの長椅子に座ると、本を開きながら確認するんだ。部活が先に終わった事。部室から先に出た事。学校から先に出た事。そして、ホームに先に着いた事。
ホームの時計を確認する、午後六時三十一分。普段と同じ時間にホームに着いている。カバンから本を取り出すと、まるで読書好きの様に列車の待ち時間を過ごす。階段を降りる音が聞こえると、思い出したかのように階段の人影を確認し時計を見る。午後六時三十二分。何時もと同じなら、まだ来る時間ではなかった。
階段を降りる音が聞こえると、息抜きをするかのように階段の人影を確認し時計を見る。午後六時三十三分。何時もと同じなら、あと十分は来ない。
声が聞えたら、足音が聞えたら、もし別の階段を下りていたら、降車客の足音に掻き消されたら・・・・、本を読んでいる振りすらしなくなっていた。
彼女とはクラスが一緒だった。部活が一緒だった。彼女とだけ通じる呼び名があった。でも、いつからだろう?意識し出したのは。
学年が上がり、違うクラスになって部活だけが接点になって・・・・それから? 多分違う。同じクラスの一年間でゆっくり気持ちが温まっていった。友達と一緒の時には決して出さない憂いのある眼差し。気が付いてしまった、あの時からだ。
階段を下りてくる二人。丸襟シャツより色白の彼女が友達と話しながら、背中側のホームの電車に乗り込む。いつもと同じ午後六時四十三分。いつもと同じ事を確認すると安心した。先に帰ったはずの自分が同じ電車に乗り込めるはずもなく。次の電車に乗ると家に帰る。
何がある訳でも、何かある訳でもない毎日を送れる事が幸せだった。
大人になってからは、自分から取りに行くようにした。立ち止まらないで走り続けた。考えるより先に進む事を選んだ。分からない時は一歩前に出た。状況が変わればもう一歩前に進めるからだ。だから、同期より先に勝ち取った。
でも、違っていた。勝ち取ったのではなく上司から会社から与えられたものでしかなかった。だから、取り上げられた。真の所有者によって与え奪われるものだった。決して自分が勝ち取ったものではなかった。
考えてみれば、命は神から与えられ、神によって奪われるもの。
自分が欲しかったもの。人を押しのけてでも勝ち取りたかったものは、あれではない。
「馬鹿だな。こんなに遠回りしないと気がつけないなんて。やっぱり部長失格だ」
呟くと、頭を軽く叩いた。
隣の中学生も、人混みもなくなっていた。
長椅子に手をおくと、
「君のお陰で分かったよ。僕は中学生のあの時から変わる事ができた、変える事ができた。今度も変える事ができる。僕が勝ち取ったものは変化だからだ」
丁度、ホームに滑り込んできた列車に飛び乗った。
ふと見ると、どこか懐かしい長椅子が置いてあった。電車通学の中学時代に、こんな感じの椅子に座っては本を読んでいた。今では、酔っ払い対策で一人掛けの椅子ばかりになったと思っていた。
長椅子に座り込むと、長かった一日の疲れがどっと出てきた。
今日は役職定年だった。
これから、何をモチベーションに働けば良いのか。決済権を失う。役職手当がカットされる。何よりもやり方に納得がいかなくても指示に従わなくてはいけない。
あと一歩だったのに、役員になれば役職定年など関係なくなっていたはずなのに。役職定年の日がいつ来るのか、何十年も前から分かっていたのにこの様ではマネジメント失格と言われても仕方がない。
それにしても、なんで奴が昇格できるのか分からない。クライアントの要望を曲解する。仕事は抱え込んで、最後に投げ出す。失敗は部下に押し付ける。言う事には従うが出来たためしがない。
引継ぎの時でもそうだった。
『僕より優秀だから、君に教えられるものはないよ』
無能に教えられるほど私は優秀ではないと謙遜してみせたが、
『そんな事はないですよ。優秀な部下に支えられているのでチーム一丸となって取り組みますよ』
と、最初から自分で覚える気はなかった。それなのにいつも余裕があったな。
取締役の太鼓持ちをしていると言う噂もあったが・・・・、取締役に報告する前に内容を把握している事が少なからずあったのは、取締役のアンテナの高さではなく密偵を使っていたからなのか? 先に手を打つべきだったが、今では立場が逆転してしまっている。
そんな奴の部下になる・・・・、直属ではないのが救いと言えば救いではあるが。
思い返してみれば、先輩が役職定年を迎えた時には、
『君もいずれは役職定年を迎える時がくる。その時には上司としてではなく、『師』として見られるように頑張ればいい。そうすれば、肩書を越えてついてきてくれるものだよ』
と、言っていたのに、両親の介護が必要になったとか言ってすぐに退職してしまった。両親の葬儀の手伝いをさせられた記憶があったが、今はどこで何をしているのやら分からない。
取締役からは、
『まとまった有給休暇をとって第二のスタートの前にリフレッシュでもして来い』
と言われたが、いない間にどうなっているか分かったもんじゃない。それに、役職定年を乗り越えた取締役のアドバイスなど、出世コースから落としてやったと言わんばかりの勝利宣言に聞こえてしまう。
家庭の方も問題だった。子供が来年からは大学だ。模試ではそれなりの大学には行けるらしいが国立大でなければ学費もバカにならない。このタイミングで役職手当がなくなるのは痛いな。
毎晩、割引シールの付いた惣菜ばかりだから大学入学資金ぐらいは溜まっていると思うが、女房の手料理なんて新婚の時だけだった。結婚前は外食ばかりだったから気が付かなかったが、死ぬほど不味かった。味付けは滅茶苦茶、半生と焦げているのが混ざって盛り付けられているのを見た時には人生終わったと思った。幸い、
『仕事も大変だろうから、惣菜で良いよ』
と、言ったら思った以上に素直に聞いてくれた。女房も自分の料理を食べた訳だから素直になるのは道理なのだろう。と当時は思った。
あの頃は、角の立たない良い言い方だと思ったが、妊娠してから本性が現れた事に気付いた。妊娠を告げられる前に、退職していた。当時は働きながら子育てなんて事は夢の世界だったから、退職は仕方がないとしても事前に相談がなかった事は納得がいかなかった。
妊娠中はお腹が大きくて大変。乳飲み子に昼も夜もないと大変。ハイハイをする様になると何を口に入れるか分からないから大変。立つようになると何をいじるか分からないから大変。あっと言う間に数年が経っていた。
その後も、専業主婦は仕事だからと言って、毎晩食卓に並ぶのはお皿に盛り直した惣菜ばかり。ワイシャツはクリーニング屋。部屋の隅には綿埃。
何か言えば、幼稚園の送り向かいで時間がない。ママ友との神経戦に毎日ぐったり。リフレッシュにはカラオケが大事・・・・。専業主婦だか専業ニートだか・・・・
その点、仕事は面白かったよ。残業続きで家には寝に帰るだけ、土日は自己啓発をしないとクライアントの要求に応えられない。胃に穴が開く様な日々も続いたけどね。
難易度が高いプロジェクトでも、チームでやればなんとかなった。それでも難しい場合、出来る事出来ない事を正直に説明すれば、クライアントも次善の策を受け入れてくれた。
肉体的にも精神的にもきつかったけど、仕事の結果は昇格や昇給で認められたと思っていた。同期に比べればトップだったし。
今にして思えば、子供だった。仕事に突っ走っている時には気が付かなかったけど、後輩を持ち、部下を持ち、チーム全体を、組織全体を見るようになった時に気が付いたよ。自分の知らないところで太鼓持ちの方が昇格している事を。
仕事は誰でもある程度のレベルで熟す事が出来る。会社にとってそれで十分だった。それ以上の仕事をしてもクライアントが多く支払う訳ではない。逆にそこそこの物を作りバージョンアップで追加料金を取るチャンスを失っていると考えるのが役員にいた。
評価は成果以上に個人的感情で決まるものだった。太鼓持ちは仕事ができないが評価者である上司を捨て身で支える。仕事が出来る部下は、会社を支えても上司は支えなかった。
気が付いた時にはパワーバランスがはっきりしていた。
その結果が役職定年だった。
思い返しただけで、上体を支えられない程に疲れが出て来た。長椅子に横たわりたい衝動を抑えるので精いっぱいだった。
中学生の談笑する声が聞こえてきた。学校指定のカバンとバドミントンのラケットを持ちながら目の前を通り過ぎて行く。
長椅子の端で本を読んでいた中学生が、読む手を止めると彼女たちを見た。直ぐに本に目を落とすと、その横顔はガッカリしている。
談笑していた女子の制服に学生カバン。隣で本を読んでいる男子の制服に学生カバン。見覚えがある・・・、あの制服、あの学生カバン、中学の時のと一緒だ。
あの中学生たちは、塾の帰りか?
制服のまま? 学生カバンのまま? ラケットを持ったまま? こんな時間に、こんなに人が多い・・・・! まるで、夕方のような人の多さだ。
あの頃、あの少年の様に部活帰りにホームの長椅子に座ると、本を開きながら確認するんだ。部活が先に終わった事。部室から先に出た事。学校から先に出た事。そして、ホームに先に着いた事。
ホームの時計を確認する、午後六時三十一分。普段と同じ時間にホームに着いている。カバンから本を取り出すと、まるで読書好きの様に列車の待ち時間を過ごす。階段を降りる音が聞こえると、思い出したかのように階段の人影を確認し時計を見る。午後六時三十二分。何時もと同じなら、まだ来る時間ではなかった。
階段を降りる音が聞こえると、息抜きをするかのように階段の人影を確認し時計を見る。午後六時三十三分。何時もと同じなら、あと十分は来ない。
声が聞えたら、足音が聞えたら、もし別の階段を下りていたら、降車客の足音に掻き消されたら・・・・、本を読んでいる振りすらしなくなっていた。
彼女とはクラスが一緒だった。部活が一緒だった。彼女とだけ通じる呼び名があった。でも、いつからだろう?意識し出したのは。
学年が上がり、違うクラスになって部活だけが接点になって・・・・それから? 多分違う。同じクラスの一年間でゆっくり気持ちが温まっていった。友達と一緒の時には決して出さない憂いのある眼差し。気が付いてしまった、あの時からだ。
階段を下りてくる二人。丸襟シャツより色白の彼女が友達と話しながら、背中側のホームの電車に乗り込む。いつもと同じ午後六時四十三分。いつもと同じ事を確認すると安心した。先に帰ったはずの自分が同じ電車に乗り込めるはずもなく。次の電車に乗ると家に帰る。
何がある訳でも、何かある訳でもない毎日を送れる事が幸せだった。
大人になってからは、自分から取りに行くようにした。立ち止まらないで走り続けた。考えるより先に進む事を選んだ。分からない時は一歩前に出た。状況が変わればもう一歩前に進めるからだ。だから、同期より先に勝ち取った。
でも、違っていた。勝ち取ったのではなく上司から会社から与えられたものでしかなかった。だから、取り上げられた。真の所有者によって与え奪われるものだった。決して自分が勝ち取ったものではなかった。
考えてみれば、命は神から与えられ、神によって奪われるもの。
自分が欲しかったもの。人を押しのけてでも勝ち取りたかったものは、あれではない。
「馬鹿だな。こんなに遠回りしないと気がつけないなんて。やっぱり部長失格だ」
呟くと、頭を軽く叩いた。
隣の中学生も、人混みもなくなっていた。
長椅子に手をおくと、
「君のお陰で分かったよ。僕は中学生のあの時から変わる事ができた、変える事ができた。今度も変える事ができる。僕が勝ち取ったものは変化だからだ」
丁度、ホームに滑り込んできた列車に飛び乗った。
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