憧れの世界でもう一度

五味

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16章 隣国への道行き

忙しさの中でも

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先代アルゼオ公爵。マリーア公爵に案内されて、その人物が連れられてくるところを見れば、成程。確かにあまりに苛酷な旅程が予定される隣国への道行き、それは断るだろうと納得できるものだ。マリーア公爵にしても初老と呼んで差し支えないものだが、杖を片手に歩く先代公爵は一回り以上は上だと、そう見える。
晩年、その記憶もあるトモエとオユキにしてみれば、こちらの移動手段では疲れるどころで済む物では無いと、実に想像しやすいものだ。

「何とも、お姿を遠目に見た時にも思いましたが。」
「ええ、まったくです。」

ただ、オユキとしては過去間違いなく己が向けたであろう視線を、こうして向けられるという事には流石に座りの悪さを覚えるものだ。

「見た目通りではない、それはビクトル殿もお判りいただけた物であろう。」
「そればかりは、確かに。」

先代とは言え公爵。オユキとしても、これまで公として立った場で何度か顔を見たこともある。その時には今のように老紳士と評するような、そのような相手ではなかった。ここまでの事をして、マリーア公爵のとりなしもあってようやく少しは認められたという事であるらしい。であるなら、いよいよこれからとなる。
招き、場を用意した人物としてマリーア公爵の紹介を受けて、揃って席に。他の顔ぶれは、いよいよこちらも明日に迫った王に向けての事が有り、まずは顔合わせと決起会を兼ねてと今朝がた送り出しておいた。リヒャルトも、なんだかんだと裏方仕事ではきっちりと巻き込まれているようで、そちらはそちらで資料の最終確認もあるからと。

「よもや、今になって直接大仕事を頼まれるなどとは。」
「この度は、私どもの願いに応じて、こうして足を運んでくださったことにまずは感謝を。」

マリーア公爵にしても、信頼を得るまでにはそれなりにかかったものだ。今となっては、半ば諦観というのも大きいというのがこれまでの事を良く表してもいる。

「さて、概要だけは聞き及んでおりますとも。」
「ええ、それでは改めて。」

そして、オユキから何を頼みたいのか、それを。

「ふむ。聞けば、成程と。確かに頷かねばならないものでしょうな。」

表向きの理由は、整っているのだ。
華と恋の神が認めた相手。厳しいどころでは無い、オユキとトモエに向いた嫌疑どころでは無いものを向けられた相手。その二人に今は僅かな休みを。加えて、現在国内に巻き起こる混乱の嵐もあり、それを納める為にはというものも。

「しかし、それ以外が随分と大きいようにも。」
「ええ。そればかりは。当然ですが未だに家も持たぬ身です。何より、異邦から流れ着いたばかり。」

では、そのような者が何処に心を置くかと言われれば。

「ええ、随分と仲睦まじいご様子で。」
「お恥ずかしい限りです。」

先代公爵夫人にそう評されて、トモエから。

「死後もこうして、我が事ながらよくもと、そう思う日もありますが。」
「ただ、後悔はありませんとも。」

どうにも、気恥ずかしさはあるが年ごろが、トモエとオユキの自覚としてこれまであった中で最も近いということもある。見た目で言えば、それこそ始まりの町の狩猟者ギルドの長、ブルーノなどもいた。だが、あちらはいよいよ年齢不詳だ。ミリアムよりはまだ分かりやすいと、そう思えるが。

「お分かりいただけているように、私どもの我儘です。おおよそ、何処まで行っても。」

自発的に何かを行う。それは全て、己の意思に端を発する。それは我の思う儘に振舞う事でしかない。懸待を基礎とする流派、その教えを受けるときに何度となく語られた言葉。ただ、それを体現した果てにあるのは、実のところ何処まで行っても己を通す、その在り方なのだとも。ふと、そんな事を思い出してオユキがトモエを見れば、直ぐに頷きが返ってくる。

「ほう。それを、押し通すおつもりだと。」
「ええ。これまでも、これからも。」

そこに折り合いであったりは考えるが、オユキはそれを当然とする。
以前、己を評してそう呼んだ時にそのように見えぬなどと言われはしたものだが、それは結果までを見た時でしかない。だからこそ、ミズキリがオユキに対して評価する際に出る言葉がある。

「勿論、お願いをさせて頂くわけですから。」
「先ごろ、王城でお披露目がありましたな。新しい魔術による、見た目は変わらぬというのに、随分と広々とした馬車であり、広がったそこは振動も抑えられるとか。」
「ええ。ご懸念の一つ、それについては、そちらで。」

オユキとしても、実証試験は十分すぎるほどに行った。移動する馬車の中でも、ゆっくりと休めるほどの物ではある。流石に全力で急いでいる最中に、のんびりとお茶を等とはいかないが、書き物できる、その程度ではあるのだ。飲み物にしても、こちらの価値観が許すならオユキが内部の改装であったり、簡単な道具、過去にあったものをいくらか用意を頼んでいることもある。これまで存在しなかったのは、単にその程度の工夫でどうなる物でも無かったからでしかない。優雅な馬車での移動ともなれば、いよいよ振動もない為、以前の王妃の時のように常の道具で問題が無い事も一因であろう。

「それと、今後についてはお任せさせて頂ければとも。」

この案にしても、随分と議論が紛糾する気配があったらしいのだが、所有権というのがあまりに明確に存在している。先ごろ神殿に門を納めたときに、きっちりと一つ別けられた物を手に入れたこともあり、であればそう言う事なのであろうと周囲も納得せざるを得なかった。そして、そう言った一連の流れが先の嫌疑に繋がったともいえる。

「マリーア公爵から、話に聞いていましたが、まさか。」
「どうぞ、お確かめを。」

流石に、公爵家の本邸を任されている使用人の名前までは、オユキも把握していない。マリーア公爵その人よりも少し年嵩、そのように見える相手が実に洗練された振る舞いで相変わらず材質のよくわからない板に模様が刻まれた物を、先代公爵に。

「書面としては、私共の登録が済んでから改めて。」
「これが、どれほどのものか、分からぬわけもないでしょう。」

当然、この世界における新しい魔術。特に物流に対して大きく寄与するものがどれだけの価値を生み出すか、それが解らぬはずもない。

「はい。ですが、不足でしょうとも。」

そう、こんなものでは決してたりはしないのだ。

「少し、こちらの歴史、それを伺いました。」

国交が生まれて数百年、そうオユキは考えていたがもっと短いと、そう言われたのだ。であるなら、その短い期間。それは人の生涯と、こちらを生きる人の平均的な寿命から見たときに比べて、どの程度であったのか。
王太子妃を隣国から迎えた、そのあまりに輝かしい功績をもたらしたのは、間違いなくこの先代アルゼオ公爵が己を費やした結果だ。今の神国の生活を支える多くの魔道具、研究が進めばいくらでも新しくなるそれを、どうにか持ち込んできたのも。実際には、それこそ彼を支える多くの者達が居てこそだが、それでも先頭に立ち、それを為し続けてきたのはこの人物だ。

「私の運んだこれからは、先代アルゼオ公爵、それをいよいよ過去にするでしょう。」

そして、その全ての努力が過去になる。そのような者がこれから現れるのだ。短い期間に。

「それに、如何な神の奇跡とて、確かに歩いた人の跡を塗りつぶすかの如き所業に、足りる訳がありませんとも。」
「多くの民が喜ぶことでしょう。」

先代アルゼオ公爵から返ってくる言葉は、オユキの想像を肯定するものだ。

「彼の国と、手を携えて。私の生涯はまさにそれです。」

机にオユキからの贈り物を置き、ただそこに刻まれた文字をなぞる。

「民の為に、わが国では足りぬものを。大本は間違う事などありませんとも。ですが、まぁどういえばいいのでしょうな。」
「本当に。あの娘が嫁いだ時、それと、何処か同じような。」

本懐は、確かに果たせている。だからそれを喜ぶ心はある。めでたい事だと、そこに嘘はない。しかし、寂しさを持つのはこれもまた、人の心だ。

「そうですね。多くの者達と、頭を寄せ合い、苦心して作ったもの。それが人の手に渡り、またそちらに合わせて形が変わっていく。そして、いつの日にか、また新しい品になる。」

それは、面白い出来事ではあった。しかし、当時は出来なかったことが、どうしても難しいと諦めた事がすでに当たり前と導入されていたり、苦心の末に思いついた物であったはずが、不要となっていたり。

「寂しさは、どうしても拭えませんとも。」
「そうでしたな。見目の通り、そうでは無いと聞いていたのですが。」
「ええ。本当に。孫娘よりも。」
「何となれば、私たちも玄孫まで送り出していますから。その度に、どう言えばいいのでしょうね。」

一つ一つを切り分けて説明すれば、成分の分析は確かに出来るのだ。だが、それがすべて同時にあるからこその、そのような感情でもある。
結局のところ、この先代アルゼオ公爵に拒否権というのは存在しないのだ。それをするには、色々とお互いに立場があり難しい。既に決まっている事がそこにある。実利として、アルゼオ公爵領を考える者として、突き返すことは許されない。そして、神々の元々の予定でもあるため、そこに対して異議の申し立ても出来る物では無い。
だからこそ、トモエはこうして機会の用意をと望んだのだ。

「遅ればせながら、王太子妃様の件ですが。心からの感謝を。」
「下心もあっての事ですから。」

だから、どうしてもそこには多少の軋轢が生まれる。それを埋めるためには、時間を使うしかないのだ。互いに役割だけを理解して、そう振舞う事も出来る。ただ、それに疲労をため込むのがオユキであるから。

「その折にも、何度かマリーア公に時間を頼んだのですが。」
「今にしても、不足が多く。恥じ入るばかりです。」
「こちらに来て、間もないころ、いえ今も一年にも満たないと伺っていますが。」

これまでの、何処か仕事という前提があっての物ともまた違う。探り合いが前提となっている物とも、また違う。実にゆっくりとしたお茶会らしいお茶会を始まりに、これから出発まで顔を合わせ、また言葉を重ねていくことだろう。

「オユキ、其の方にも趣味などあったのか。」
「何分、忙しなさを友としていましたから。」
「確かに長い旅ですからな。揺れが少ないのであれば、書物は良い共にもなるとは思いますが。」
「恐らく、相応に荷物を言われるでしょうね。」

如何に籠が広がろうとも、その全てが居住空間とはいかないのだ。
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