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カルテNo.3 二十七歳、男性。人間、黒髪。主訴、誰も何もわかっちゃいない
⑦
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自分は、自分の誓いに沿って生きてきた。誰も傷つけることなく誰かを救いたい。その誓いを胸に生きてきた。そして、それを誇りにもしてきたのだ。
患者さん達の笑顔を、優しい声を、暖かな日々を。
幸せともいえるそんなちっぽけなものを、守りたいと思ってきたのだ。
それさえ守れれば、自分は胸を張って生きていける。
『奈緒を守れなかったのに胸を張れると?』
――違う!
あれは仕方なかったのだ。魔王という現世界では考えられない脅威にさらされた結果だ。勇者と天使の力をもってしてもあらがえることのなかった天災のようなものだ。
たかが一医者である自分に何ができるというのか。現代人には、決して越えられない壁があるのだ。
『そう思わないと、誓いを守れないもんな』
――違う!
自分は誓いを必死に守っている。それを守らせないのはリファエルやサラだろう。誰も傷つけたくない。そう思うことのどこが悪いのか。悪いのは――そう、悪いのは奈緒をさらったあの魔王だ。
『お前は何もできないんだじゃない……なんもやっていないだけだ』
――違う!
自分はたくさんの人を助けてきた。リファエルだって、あのままじゃ死んでいたかもしれない。けれど、自分の命の危険をおかしてまで助けたじゃないか。ミロルの命も、サラの命も、俺は助けたじゃないか。悠馬とユーマの力を合わせて助けただろう? それの何が悪いんだ。
『なぁ、ユーマ。そうやって逃げ続けて失うのは、もう俺で最後にしようぜ?』
脳裏に響くヴォルフの声。その声にはっとして顔を上げた。
目の前には権蔵が立っており、暖かい目で悠馬を見ている。気配を感じて後ろを振り返ると、そこにはリファエルとミロルも立っていた。
なぜ、皆は自分をそんな目で見ているのかわからなかった。何もできない自分を、そんな暖かい目で。
「お前がやりたいことは……ただ、知識と経験を使って怪我や病気を治すことだけなのか? それが目的なのか? 違うだろ。お前は小さいころ言っていた」
――父さんみたいに、たくさんの人を救える人になりたい。
「俺には力が足りない。奈緒を助けられない。先ほど感じた力の暴流に、太刀打ちできるイメージすらわかない。だが、お前には、まだ他にできることがあるんだろう?」
権蔵のその言葉を聞いた瞬間、悠馬の感情をせき止める堰が壊れた。
その両眼からあふれ出る涙。歯をかみしめながら、嗚咽を飲み込みながら、棒立ちするしかできなかった。
「俺は……逃げてたのかな」
しん、と張りつめていた道場に広がる悠馬の声。
「誰かを救う覚悟を……持てなかっただけなのかな」
そのつぶやきは、その場にいた誰かに言ったものではない。それは、さっきまで自分に語りかけてくれていた男、信念を持っていた男、自分に想いを託した男。ヴォルフだ。
本当に自分は口先だけだったのだ。
ヴォルフを殺した。それは、多くの人々の希望をぶち壊したことと同義だ。そうまでして通した自分の意地は、誰も救うことはできなかった。多くの悪をぶち壊して善を救う。それをやろうとしていたヴォルフの信念と戦ったはずの悠馬の信念は、すべて救うということだったはずなのに。
本来ならば、ヴォルフを殺した後も膝を折らず、立ち向かわなければならなかったのだ。すべてを救うために、すべてと立ち向かわなければならなかったのだ。そうしなければ、ヴォルフは何のために逝ったかわからない。何のために―。
誓いとは逃げる口実。振りかざしていたのは、自分の歩いてきた道を見ないための虚像。そんなものにすがりついて、今、悠馬は奈緒の命を失おうとしている。
自分がやりたかったことはなんなのか。
確かに、治癒魔法で誰かの傷を治せばその人は救われる。医学を用いて病人を助ければ、その人は救われる。なら
――魔王に攫われた幼馴染は、どうすれば救われるのか。
人を救う。その目的さえ違えなければ、手段はどうでもいいではないか。なら、自分は剣を振るってもいいのかもしれない、いや、振るうべきなのだ。
この決断を、ヴォルフの命を奪ったその瞬間にしなかった自分の罪を償うには、遅くとも、今更でも、折った膝に力をこめ、親友の命を礎にして――立ち上がることでしか果たせない。
そう思った瞬間、悠馬が抱いていた恐怖心や縛られていた倫理観はすこしだけ薄くなった。奈緒を助けるということに、悠馬の意識は向いていた。
「ヴォルフ……ごめんな……」
空に向けて悠馬は想いを投げる。その想いが届いたかどうかは、悠馬の命が尽きたその時にしかわからない。
けれど、今はそれでいい。それでいいのだと、ヴォルフが笑った気がした。
「おやじさん……ありがとうございます。俺――行きますね」
「ああ。頼んだぞ」
権蔵は、その言葉を聞くと、剣先を降ろした。木刀を壁にかけると、ゆっくりと道場から出て行った。悠馬はそれをじっと見送った。
権蔵がいなくなると、悠馬は振り返り、リファエルとミロルと向き合った。
「リファエル、ごめんな」
「いえ……ユーマ様が立ち上がってくれて、私は今とても幸せです」
リファエルは笑う。その目じりに少しだけ涙をためながら。
「ミロルも、腹へったろ? はやく飯食いたいよな」
「うん……なおのこと、ゆーまが助けてくれるのか?」
幼い言葉は、直接悠馬の心に響いた。だが、今度は目をそらさない。向き合って言葉を返す。
「ああ。奈緒を助けてくる。おやじさんと待ってられるか?」
「何をいっておるのじゃ? 我も連れていかないと、あとが怖いぞ?」
突然、変容した口調に、リファエルと悠馬が目を見開くと、そこには先ほどまでとは打って変わり、妖艶さを醸し出す幼女がそこにいた。
「何を驚いておる。魔力核の力を借りれば、昔の意識を取り戻すことくらいできるんじゃよ。とんでもなく疲れるし、長い時間は戻っていられないのじゃがな」
そういって微笑む。
久しぶりの大人ミロルと相対した悠馬は、思わず微笑み、そして頷いた。
これで全員か。
「ああ――いいだろう。皆で、迎えに行くか」
そんな軽いのりで、悠馬は挑む。
勇者と天使でもかなわなかった――魔王という脅威に。
患者さん達の笑顔を、優しい声を、暖かな日々を。
幸せともいえるそんなちっぽけなものを、守りたいと思ってきたのだ。
それさえ守れれば、自分は胸を張って生きていける。
『奈緒を守れなかったのに胸を張れると?』
――違う!
あれは仕方なかったのだ。魔王という現世界では考えられない脅威にさらされた結果だ。勇者と天使の力をもってしてもあらがえることのなかった天災のようなものだ。
たかが一医者である自分に何ができるというのか。現代人には、決して越えられない壁があるのだ。
『そう思わないと、誓いを守れないもんな』
――違う!
自分は誓いを必死に守っている。それを守らせないのはリファエルやサラだろう。誰も傷つけたくない。そう思うことのどこが悪いのか。悪いのは――そう、悪いのは奈緒をさらったあの魔王だ。
『お前は何もできないんだじゃない……なんもやっていないだけだ』
――違う!
自分はたくさんの人を助けてきた。リファエルだって、あのままじゃ死んでいたかもしれない。けれど、自分の命の危険をおかしてまで助けたじゃないか。ミロルの命も、サラの命も、俺は助けたじゃないか。悠馬とユーマの力を合わせて助けただろう? それの何が悪いんだ。
『なぁ、ユーマ。そうやって逃げ続けて失うのは、もう俺で最後にしようぜ?』
脳裏に響くヴォルフの声。その声にはっとして顔を上げた。
目の前には権蔵が立っており、暖かい目で悠馬を見ている。気配を感じて後ろを振り返ると、そこにはリファエルとミロルも立っていた。
なぜ、皆は自分をそんな目で見ているのかわからなかった。何もできない自分を、そんな暖かい目で。
「お前がやりたいことは……ただ、知識と経験を使って怪我や病気を治すことだけなのか? それが目的なのか? 違うだろ。お前は小さいころ言っていた」
――父さんみたいに、たくさんの人を救える人になりたい。
「俺には力が足りない。奈緒を助けられない。先ほど感じた力の暴流に、太刀打ちできるイメージすらわかない。だが、お前には、まだ他にできることがあるんだろう?」
権蔵のその言葉を聞いた瞬間、悠馬の感情をせき止める堰が壊れた。
その両眼からあふれ出る涙。歯をかみしめながら、嗚咽を飲み込みながら、棒立ちするしかできなかった。
「俺は……逃げてたのかな」
しん、と張りつめていた道場に広がる悠馬の声。
「誰かを救う覚悟を……持てなかっただけなのかな」
そのつぶやきは、その場にいた誰かに言ったものではない。それは、さっきまで自分に語りかけてくれていた男、信念を持っていた男、自分に想いを託した男。ヴォルフだ。
本当に自分は口先だけだったのだ。
ヴォルフを殺した。それは、多くの人々の希望をぶち壊したことと同義だ。そうまでして通した自分の意地は、誰も救うことはできなかった。多くの悪をぶち壊して善を救う。それをやろうとしていたヴォルフの信念と戦ったはずの悠馬の信念は、すべて救うということだったはずなのに。
本来ならば、ヴォルフを殺した後も膝を折らず、立ち向かわなければならなかったのだ。すべてを救うために、すべてと立ち向かわなければならなかったのだ。そうしなければ、ヴォルフは何のために逝ったかわからない。何のために―。
誓いとは逃げる口実。振りかざしていたのは、自分の歩いてきた道を見ないための虚像。そんなものにすがりついて、今、悠馬は奈緒の命を失おうとしている。
自分がやりたかったことはなんなのか。
確かに、治癒魔法で誰かの傷を治せばその人は救われる。医学を用いて病人を助ければ、その人は救われる。なら
――魔王に攫われた幼馴染は、どうすれば救われるのか。
人を救う。その目的さえ違えなければ、手段はどうでもいいではないか。なら、自分は剣を振るってもいいのかもしれない、いや、振るうべきなのだ。
この決断を、ヴォルフの命を奪ったその瞬間にしなかった自分の罪を償うには、遅くとも、今更でも、折った膝に力をこめ、親友の命を礎にして――立ち上がることでしか果たせない。
そう思った瞬間、悠馬が抱いていた恐怖心や縛られていた倫理観はすこしだけ薄くなった。奈緒を助けるということに、悠馬の意識は向いていた。
「ヴォルフ……ごめんな……」
空に向けて悠馬は想いを投げる。その想いが届いたかどうかは、悠馬の命が尽きたその時にしかわからない。
けれど、今はそれでいい。それでいいのだと、ヴォルフが笑った気がした。
「おやじさん……ありがとうございます。俺――行きますね」
「ああ。頼んだぞ」
権蔵は、その言葉を聞くと、剣先を降ろした。木刀を壁にかけると、ゆっくりと道場から出て行った。悠馬はそれをじっと見送った。
権蔵がいなくなると、悠馬は振り返り、リファエルとミロルと向き合った。
「リファエル、ごめんな」
「いえ……ユーマ様が立ち上がってくれて、私は今とても幸せです」
リファエルは笑う。その目じりに少しだけ涙をためながら。
「ミロルも、腹へったろ? はやく飯食いたいよな」
「うん……なおのこと、ゆーまが助けてくれるのか?」
幼い言葉は、直接悠馬の心に響いた。だが、今度は目をそらさない。向き合って言葉を返す。
「ああ。奈緒を助けてくる。おやじさんと待ってられるか?」
「何をいっておるのじゃ? 我も連れていかないと、あとが怖いぞ?」
突然、変容した口調に、リファエルと悠馬が目を見開くと、そこには先ほどまでとは打って変わり、妖艶さを醸し出す幼女がそこにいた。
「何を驚いておる。魔力核の力を借りれば、昔の意識を取り戻すことくらいできるんじゃよ。とんでもなく疲れるし、長い時間は戻っていられないのじゃがな」
そういって微笑む。
久しぶりの大人ミロルと相対した悠馬は、思わず微笑み、そして頷いた。
これで全員か。
「ああ――いいだろう。皆で、迎えに行くか」
そんな軽いのりで、悠馬は挑む。
勇者と天使でもかなわなかった――魔王という脅威に。
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