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カルテNo.1 約四百歳、女性、エルフ、金髪。全身擦過傷、栄養失調

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「悠馬!」
「ああ、奈緒……」

 奈緒が診療所に入ると、狭い一室に置かれたベッドにミロルが横になっていた。体には心電図と酸素飽和度のモニターが張られており、顔には酸素マスクが付けられている。点滴の針を刺した腕は真っ青――内出血を起こしているのだろう。痛々しい有様だ。

「何があったの?」

 その問いに、悠馬は答えない。

「ねぇ! 悠馬!」

 怒気が混じる奈緒の声を聞いても悠馬は動けなかった。問いの答えなど持ってはいないのだから。

「わからないんです」
「わからない?」
「ええ……。今、ミロルさんの血圧は低下していて脈拍も早い。息苦しさを感じていて、酸素を必要としている状態です。今は点滴を急速に投与して血圧を保っているのですがその理由がわからないんです。ですから、どうにか現状を維持するしか方法が――」

 そう。原因がわからない。
 研修医として大学に勤めた二年間。それは、確かに悠馬に経験値を与えた。だが、すべての疾患に関わったわけではない、自分が裁量権をもって指示をだしていたわけでもない。教科書の知識へ、うっすら経験を重ねた程度。それくらいしか、悠馬には頼れるものがなかった。
 そして、その頼れるものでは、現状が説明できなかったのだ。
 無力だった。

「そんな……じゃ、じゃあ、救急車とか呼べばいいじゃん! いつも、体調悪くした人はそうしてるでしょ!? ねぇ、悠馬!」
「そんなことできるわけねぇだろうが!」

 ドンっ! と机を叩き悠馬が怒声を上げた。その声は部屋に響き渡る。
 キン、キンと残る余韻の中、奈緒は身体を小さく縮こませ、リファエルは悲痛な顔をさらに歪めた。

「戸籍もなければ保険証もない。身分を確かめられるものもなくて、この耳で! どうやって病院に連れて行けって言うんだよ!」
「でも! でも、じゃないとミロルさんが――」
「わかってる!」

 いらついているのか、悠馬は頭をかきむしりながら唇を噛んだ。

 ミロルが倒れたのは一時間ほど前。
 初めて皆と食卓をかわしてから、ミロルの体調は少しずつ悪くなっていた。最初は体の倦怠感が現れるなど小さな症状であったが、徐々に体を起こしているのもつらくなり、今日、いきなり意識を失い倒れたのだ。

 当然、初期症状から悠馬は診察を行っていた。
 最初は疲労だと思った。だが、それだけでは説明できないことが多すぎる。脱水や栄養失調もあったが、今は改善されているだろう。
 おそらく循環器系の疾患だとあたりはつけているが、不整脈はない。心不全兆候であるには間違いないのだが、それがどういった原因で起こっているのか、悠馬にはわからない。

「バイタルから予想できる疾患は疑ったさ! でも、正直なにがなんだかわからない。採血データを出そうにも外注だから時間がかかる……今は俺の治癒魔法で症状を緩和してやることくらいしか……」
「そんな」

 真っ青な顔をした奈緒がおもわずミロルの手を取った。すると、その手はぐっと握り返してくる。
 その反応に目を見開かせた奈緒は、思わず顔を近づけた。その目はうるんでおり、心配がそのまま表情にうつりかわったかのような、そんな顔をしていた。 
 ミロルはぎこちなく笑みを浮かべる。

「なんじゃ、奈緒。辛気臭い顔をして」
「ミロルさん!」
「そんな顔をするでない。我は奈緒の笑顔が好きじゃぞ?」
「ミロルさん! 無理しないでいいから、話さなくていいから」
「どうやら、我は結局死ぬ運命だったようじゃ。遅かれ早かれ、来るべき時が来たのじゃよ」
「そんなの! そんなの、悠馬が助けてくれるよ! だって、悠馬は医者で治癒魔法師なんだから! わけわかんない力が使える超人なんだから!」
「急にユーマが怪物みたいになってしまったの」

 はは、と力ない笑い声が部屋に響く。奈緒も悠馬もリファエルも顔を伏せる。ミロルの言葉にどう返事をすればわからなかったのだ。

 どうしてこんなにも無力なのだろうか。
 医者だとか、治癒魔法師だとか、そんなものは関係ない。目の前の人を救えなければそれが何の役に立つのか。
 悠馬は無意識のうちに歯噛みし、手を握りしめる。

「ねぇ、ミロルさん」
「なんじゃ?」
「元気になったら何が食べたい? 私、なんでも好きなの作ってあげるから。ね?」

 奈緒は力強くミロルの手を握りながら瞳に涙をためる。

「泣き虫じゃな、奈緒は。それならの……最初に来たときに食べた甘い卵焼きが食べたいの。あれはうまい」

 その言葉を聞いた瞬間、奈緒の瞳に溜まった涙は一気にあふれ出る。

「うん、わかった! たくさん焼くから……だから元気だして?」
「わかっとる。大丈夫じゃよ」
「うん」
「必ずじゃぞ」
「うん……」

 必死でミロルに話しかける奈緒の肩をリファエルはそっと抱きかかえた。そして、ベッドから離れるように促す。
 しゃべりすぎて、すこしだけ酸素飽和度が下がっていたからだ。
 それを奈緒もわかっていたのだろう。それほど抵抗せずにリファエルに従う。そしてぽつりとつぶやいた。

「せっかく仲良くなれてきたのに。こんなに苦しそうで、真っ青で……首に血管まで浮き出て……」

 そして両手で顔を覆う。その手のひらの中はどうなっているか想像にがたくない。
 が、今の奈緒の言葉を聞いた悠馬は突如として目を見開いて立ちすくんだ。

 ――今なんていった?

 そんなつぶやきが悠馬の中に落ちる。
 それと同時に、悠馬の足元から頭部にかけて、熱の波が駆け抜けていった。全身を走る血管が、途端に開き熱を帯びる。
 今まで暗雲が立ち込めていた思考は途端にはれ、あっというまに精密機器のごとく理路整然と並びだした。

 悠馬の、脳が、肉体が、細胞が、思考が、すべてのスイッチが切り替わったかのような錯覚に陥った。
 目の前の壁に、道が開けた。
 
「血圧の低下、脈拍の増大……そして、頸静脈の怒張……呼吸性変動」

 そして、リファエルへと視線を向けると、その視線を受けたリファエルも目に力が戻る。

 それは互いの意見の一致。一つの気づき。
 今まで当然鑑別に上がっていたはずのそれが、突如として目の前に浮かんできたのだ。
 
 ――なぜ気づかなかったのか。
 それは、その疾患の危険性が低いと思っていたから。
 ――あれだけ検査もしたじゃないか。
 経験不足からの見落としもあったのかもしれない。
 ――それなら今すべきことは。
 もう迷わない。答えがわかれば、解法は手の中に。
 
「ユーマ様」

 悠馬とリファエルは互いに目配せをして、そして大きくうなづいた。

「心タンポナーデだ」

 二人の声が木霊した。
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