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カルテNo.1 約四百歳、女性、エルフ、金髪。全身擦過傷、栄養失調

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 その日は、どこにでもある診療所の、なんの変哲のない一日。それがただ終わろうとしていただけだったのに。
 たった一人の来訪者により、日常は非日常へと姿を変える。

 記憶の奥底にしまい込もうとしていた世界が、今、再び開かれようとしていた。

 ◆

 突然の来訪者。それはエルフの如く耳の尖った金髪の女だった。

 どうしても、目の前にある耳から目が離せない二人。思わず固まってしまったが、すぐさまそんな場合ではないと思い出し動き出す。
 ぐったりとした女性を抱きかかえた悠馬は診察室へと急ぐと、中にあるベッドへやさしく寝かせた。そして、全身をざっと観察する。

 ボロボロの外套に覆われた小さな身体。軽いとは思ったが、改めてみると確かに細い。だが、出るとこは出ている。バランスのとれたプロポーションに見惚れていたことに気づいた悠馬は慌てて目を反らすと、そこには目を疑うようなものが見える。

「これって……」
「縄のあと……でしょうか?」

 手首、足首にくっきりと残るそのあとは、太い縄が巻かれていたようにみえる。事件性がある、という可能性を示唆していた。
 虐待か、監禁か。
 いずれにしても、気分が悪いことであるのは間違いない。
 
 悠馬が目配せすると、リファエルが身体を覆っていた分厚い布を剥いだ。
 布の中に隠されていたのは、薄緑色のざっくりとしたワンピースだ。そのいたる所にはすこしばかり血が滲んでいる。
 悠馬の表情に腹の奥底から湧き出る怒りが現れる。
 人を縛り上げて、暴行を加えたのだろう。推測の先にある見知らぬ誰かに対して、悠馬は心の中で唾をはきかけていた。

「ユーマ様。血圧は七十二の四十六。脈は百二十。三十八度五分と熱も高いです」
「ん? ああ。そうだな……見たところ、脱水と栄養失調、もしかしたら低血糖もあるのかね。というわけで、リファエル、点滴いっとくか。外液と……あとアリナミンとビタミン剤を入れてな。血糖値も測ってクーリングもやろう」
「そうですね。ルートは……どうします?」

 そう言いながらリファエルは悠馬へと問いかけた。その表情にはどこかためらいがある。

「ああ。リファエルは点滴の準備があるし俺が入れたほうが早いよな……針、くれるか?」
「……はい」

 そして、針を受け取った悠馬は、すぐさまエルフの腕に駆血帯を巻き血管を探す。左手で血管の弾力を確かめながら、針を刺す部分をアルコール綿で消毒していく。点滴をするために、幾度としたことのある動作だ。
 悠馬は当然のことながら医学部を卒業し国家試験も取得している。なぜ点滴という処置が必要なのか、そんなことは当然わかっている。だが納得がいかない。心の中で、人を傷つけてはならない、と必死で叫ぶ自分がいるのだ。
 その叫びに理論で蓋をして、今こうして点滴を入れるために針を刺そうとしている。
 なんとも、嫌な気分だった。

「人を治すのに人を傷つけるって、こっちの世界はほんとわけがわからねぇ」

 そう呟きながら、悠馬は一呼吸置き、そしてぐっと歯を食いしばり点滴の針を柔らかい肌に突き刺した。

「毎度毎度、嫌な気分だな」

 そう言いながら針を固定すると、準備を終えたリファエルが点滴を速やかにつないだ。

「とりあえずモニターを付けておいてもらえるか? 脈拍が上がらなければ様子を見ていていいから」
「はい。それにしても、この方って……」
「ああ。もしかしなくてもエルフじゃねぇか? 魔力だって感じる」
「そうですよね」

 ひとまず、処置を終えた悠馬はようやく自らの疑問と相対する。それは目の前の女性の存在そのものに対する疑問だ。

 耳が尖っており、そして長い。さらには魔力まで感じるとなれば、これは目の前の女がエルフ以外の何物でもないということの証明だ。そして当然のことながら、この世界にそんなものなどいない。創作上の存在であるエルフは、絵や文章や、はたまた某オタクの祭典で繰り広げられるコスプレくらいでしか存在を垣間見ることはない。
 だが、目の前にあるのは現実だ。
 現実に、非現実が存在していた。そんな非現実から目をそらすかのように、悠馬は彼女の病状と自分たちへとその目線を変えた。

「まあ、点滴いれてすこし症状が落ち着いたら目が覚めるだろう。その時に色々話は聞くとして……、とりあえず、うちらの腹ごしらえといこうか?」
「ただ、病院は離れられませんもんね。私、何か買ってきますか」
「ああ。ありがとう。それと、今日は行けそうにないから、あっちには連絡しておく」
「お願いします」

 そんなやり取りをしながら、悠馬は目の前に横たわるエルフに目を向けた。それは、今ある日常に紛れ込んだかつて日常だったもの。どこか懐かしさを感じながら、悠馬は目の前の女の顔にかかっている髪の毛をそっとどける。

「お前もか?」

 その呟きは、小さく、とても小さく診察室の床へと消えて行った。
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