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第一章
2 絵本の王子様
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突然の大声に驚いたミアは、弾かれたように背後を振り返った。
耳に付けた雫型のイヤリングがしゃらりと音を立てて、激しく揺れる。
大声を上げた人物は満月を背にずんずんと大股で近付いて来るが、一体どうすればいいのか分からない。ミアはただ地面に座り込んで震え上がるだけだ。
薄暗いせいで顔の表情が見えないが、その大きくがっしりとした体格と声から、恐らく若い男だろうという事だけは察せられた。
「ご、ごめんなさいっ! 道に迷ってしまって…!」
とっさに、立ち入り禁止区域に入ってしまったのだと思った。
王城内は広い。
舞踏会が行われている大広間は開放されているが、王族の住まう私的なエリアや、貴重な文化財を収蔵している宝物庫など、近付くことすら許されていない場所も多い。恐らくそれを見咎めた警備兵だろうと考えたのだ。
なんとか許してもらおうと、ミアは必死に言葉を探す。
迷っただけだと説明して信じてもらえるだろうか。デビュタントのためにやって来た不慣れな者なのだと。
オロオロして気ばかりが焦るが、黙っているだけでは余計に不信感を抱かせてしまうに違いない。
だから言い訳を、何か喋らなくては。
再び弁解を重ねようと、ミアは勇気を振り絞って顔を上げた。
そして口を開きかけた次の瞬間、彼女は惚けたように動けなくなってしまった。
「…………う、そ……」
ぽかんと口を開けたまま、呼吸すら忘れて目の前の人に見入る。世界が動きを止めてしまったようだ。
まさか、まさかそんなはずはない。
これが現実だとは信じられなくて、ミアは大きな菫色の瞳を何度も瞬かせる。
なぜなら彼は、ミアが子供の頃大切にしていた絵本に出てくる王子様そっくりだったのだ。
「おい……どうした?」
彼の声は変わらず険しいが、ミアは微動だに出来ない。
スラリとした長身に長い手足、そして広い肩幅と均整のとれた肉体。
月明かりに照らされた金の髪がさらりと流れ、その一本一本までよく見えた。訝しげに眇められた瞳は、初夏の晴れ渡る空を切り取ったようなスカイブルーだ。
警戒心を露わにしてもなお甘い顔立ちは、ミアの心を掴んで放さない。
本当に絵本から出てきたのだと言われても信じてしまっただろう。
これは夢なの? と、思わず心の中で呟いた。
とはいえ、彼が本物の王子様のはずはない。
王城で開催される舞踏会には王族が揃って出席するのが慣例で、先程大広間で一段高い所から見ていた国王夫妻の後ろには、王族がたくさん並んでいたのだ。現国王夫妻は三男二女に恵まれた子沢山だから、見目麗しい王子、王女達が煌びやかな装いで勢揃いしている様は圧巻だった。
それに対して目の前にいる彼は、ありふれた白いシャツに王宮の警備兵が履いているような黒いズボンを身に付けているだけ。いたって平凡な装いだ。
だがそんな彼に目を奪われたミアには、たった一つの勲章すらつけていない彼が、どんなに着飾った貴族よりも気高く美しく見えて仕方ない。
「どうした? ……まさか本当に……。いや、何でもない。何故こんな所で道に迷うんだ」
「……えっ、えっと」
咎めるような強い口調で責められ、ただでさえ惚けていたミアはさらにうまく話せなくなる。
なにしろミアにとって、若い男性と一対一で会話するのは兄を除いて初めての経験だ。それだけでも緊張するのに、それがこんなに麗しい王子様のような相手だなんて!
だがこのままでは不審者として連行されかねず、舌を噛みそうになりながら一生懸命にこれまでの経緯を説明した。
デビュタントとして舞踏会にやって来たこと。父と別れた途端ダンスの誘いが殺到して疲れ切ったこと。もみくちゃにされそうになって、それを振り切って逃げて来たこと。
「逃げたのはいいんだけど、道に迷って帰れなくなってしまったの……」
ミアがしょんぼりとして告げると、表情を緩めた彼が小さく吹き出した。
怪しい者ではないと分かってもらえたのだろうか。
そっと表情を窺えば、少し穏やかな表情になった彼はさっきよりもずっと素敵で。
ミアはこっそり赤くなり、彼にバレませんようにと天に祈った。
耳に付けた雫型のイヤリングがしゃらりと音を立てて、激しく揺れる。
大声を上げた人物は満月を背にずんずんと大股で近付いて来るが、一体どうすればいいのか分からない。ミアはただ地面に座り込んで震え上がるだけだ。
薄暗いせいで顔の表情が見えないが、その大きくがっしりとした体格と声から、恐らく若い男だろうという事だけは察せられた。
「ご、ごめんなさいっ! 道に迷ってしまって…!」
とっさに、立ち入り禁止区域に入ってしまったのだと思った。
王城内は広い。
舞踏会が行われている大広間は開放されているが、王族の住まう私的なエリアや、貴重な文化財を収蔵している宝物庫など、近付くことすら許されていない場所も多い。恐らくそれを見咎めた警備兵だろうと考えたのだ。
なんとか許してもらおうと、ミアは必死に言葉を探す。
迷っただけだと説明して信じてもらえるだろうか。デビュタントのためにやって来た不慣れな者なのだと。
オロオロして気ばかりが焦るが、黙っているだけでは余計に不信感を抱かせてしまうに違いない。
だから言い訳を、何か喋らなくては。
再び弁解を重ねようと、ミアは勇気を振り絞って顔を上げた。
そして口を開きかけた次の瞬間、彼女は惚けたように動けなくなってしまった。
「…………う、そ……」
ぽかんと口を開けたまま、呼吸すら忘れて目の前の人に見入る。世界が動きを止めてしまったようだ。
まさか、まさかそんなはずはない。
これが現実だとは信じられなくて、ミアは大きな菫色の瞳を何度も瞬かせる。
なぜなら彼は、ミアが子供の頃大切にしていた絵本に出てくる王子様そっくりだったのだ。
「おい……どうした?」
彼の声は変わらず険しいが、ミアは微動だに出来ない。
スラリとした長身に長い手足、そして広い肩幅と均整のとれた肉体。
月明かりに照らされた金の髪がさらりと流れ、その一本一本までよく見えた。訝しげに眇められた瞳は、初夏の晴れ渡る空を切り取ったようなスカイブルーだ。
警戒心を露わにしてもなお甘い顔立ちは、ミアの心を掴んで放さない。
本当に絵本から出てきたのだと言われても信じてしまっただろう。
これは夢なの? と、思わず心の中で呟いた。
とはいえ、彼が本物の王子様のはずはない。
王城で開催される舞踏会には王族が揃って出席するのが慣例で、先程大広間で一段高い所から見ていた国王夫妻の後ろには、王族がたくさん並んでいたのだ。現国王夫妻は三男二女に恵まれた子沢山だから、見目麗しい王子、王女達が煌びやかな装いで勢揃いしている様は圧巻だった。
それに対して目の前にいる彼は、ありふれた白いシャツに王宮の警備兵が履いているような黒いズボンを身に付けているだけ。いたって平凡な装いだ。
だがそんな彼に目を奪われたミアには、たった一つの勲章すらつけていない彼が、どんなに着飾った貴族よりも気高く美しく見えて仕方ない。
「どうした? ……まさか本当に……。いや、何でもない。何故こんな所で道に迷うんだ」
「……えっ、えっと」
咎めるような強い口調で責められ、ただでさえ惚けていたミアはさらにうまく話せなくなる。
なにしろミアにとって、若い男性と一対一で会話するのは兄を除いて初めての経験だ。それだけでも緊張するのに、それがこんなに麗しい王子様のような相手だなんて!
だがこのままでは不審者として連行されかねず、舌を噛みそうになりながら一生懸命にこれまでの経緯を説明した。
デビュタントとして舞踏会にやって来たこと。父と別れた途端ダンスの誘いが殺到して疲れ切ったこと。もみくちゃにされそうになって、それを振り切って逃げて来たこと。
「逃げたのはいいんだけど、道に迷って帰れなくなってしまったの……」
ミアがしょんぼりとして告げると、表情を緩めた彼が小さく吹き出した。
怪しい者ではないと分かってもらえたのだろうか。
そっと表情を窺えば、少し穏やかな表情になった彼はさっきよりもずっと素敵で。
ミアはこっそり赤くなり、彼にバレませんようにと天に祈った。
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