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始まりの大地編

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エルマーが始まりの大地へと随行していったのを見送ってから、数時間が経った。サジは、未だ充てがわれた部屋の寝具の中、巣篭もりのように包まりながら、ぐしぐしと泣いているナナシの尻をべちべちと叩いていた。

「おいおい。いい加減にしろ馬鹿者。泣いて帰宅が早まるならいくらでも泣けと言いたいが、現状は何も変わらん。お前、面倒くさいぞ。」
「ひぅ、うー‥」
「城は第ニ騎士団で警備されている。まったく、動きにくくて仕方がない。知っているかナナシ、この部屋の前にも警備が立っている。客人にする扱いではないな。」
「うう、っ…」

もぞもぞと布団から出ると、腹に抱えていたエルマーのインべントリからズルズルと襤褸布を取り出した。エルマーが最初にナナシを包んでくれたそれは、もうクタクタに毛羽立っていた。
はぐ、とその端を銜える。寂しかったり、不安になったりするとよくやる行動だ。サジはその汚い布を平気で銜えるナナシを前に、辟易とした顔をする。

「きったないぞそれ!!おい、銜えるなばかもの!清潔魔法かけてやるから!」
「かけたよう、ほっといてえ」
「何、お前いつの間にか使えるようになっていたのか。生意気な。」

下が緩いので覚えたとは言いづらい。ナナシはサジの言葉に答えないぞといった具合に布に包まる。
くんくんとエルマーの匂いがついたその布をくちゃくちゃにしながら、もぞもぞと部屋の隅の狭い場所へと収まった。

「まったく。胎内回帰でもしているつもりか。それよりここから出ることを考えろ。そうでもしないとアロンダートを助けに行けぬ。」
「あう、」

そうだ、ナナシたちが残されたからにはやることがあった。布から顔を出すと、少しだけ考えた。この部屋から出るなら秘密の通路がいいだろう。それでも、一度外に出ることになるので手間はかかる。ならば手っ取り早く最短なのは、やっぱり正面からだろう。しかし、扉の前にいる警備が邪魔だった。

「ギンイロ」
「アイヨ。」

名前を呼ぶ。ギンイロは誂てもらったベッドから顔を出すと、困り顔のナナシをみてピクンと耳を動かした。

「ドシタ、コマッテル」
「おそとでたいの、でも、だめなんだって…」
「オソト。チョットマッテテー」

とととと、とすました猫のように歩きながら、スウッと透明になる。そのまま壁をすり抜けたかと思えば、警備されている扉を再び抜けて戻ってきた。

「フタリ、ワカイオトコ。」
「なに、若い男だと。」

反応したのはサジだ。いそいそと立ち上がると、そっと扉に耳を当てる。どうやら暇を持て余しているらしい、上司の愚痴を漏らしながら立っているようだった。
騎士の割に不真面目な様子にいけると思ったのだろう、サジはニヤリと笑みを浮かべると、指を弾いてマイコニドを呼び出した。

「マイコ!」

ぶるんぶるんと傘を震わせ現れた馴染みの魔物は、ぴょんと飛び跳ねた。マイコもナナシが好きなようで、その声に反応をすると、短い手足をぴょこんと動かして飛びついてきたナナシを受け止めた。

「ギンイロ、このドアの隙間、下のところ広げられるか。」
「イッパイ?」
「爪の幅くらいで良い。」
「アイヨ」

サジの言葉に、ぐぱっと自分の手を開く。ドアの隙間を見つめ、己の手からにゅっと細い爪を出す。
どうやら己の爪の長さを参考にしたらしい。まあるい瞳が艶を帯びると、その瞳孔を細めるようにして出力を調整した光線を出す。
その細い光線は、随分と器用にチリチリとドアの隙間を広げていった。扉の下を削るようにして、ドアの幅に合わせた通気口のような隙間が出来上がる。一見すると分からない些細な変化だ。
サジはマイコを呼ぶと、この隙間から眠くなる胞子を出すようにと指示をする。
マイコニドはぶるんぶるんと傘を震わせて了承すると、その細い手のような部分を隙間に挟み込み、ゆっくりと隙間をなぞった。
青い色の小さなキノコが、マイコニドの手を追いかけるかのように、ポコポコとその溝に沿って生えた。騎士の履いている靴の踵の半分程の長さの小さなキノコが、ぷるりと震える。すると、ふわりと清涼感のあるいい香りを纏った胞子が、青みを帯びた胞子と共に噴出した。

サジは風魔法で外側へと運んでやると、目を輝かせるナナシを一瞥して宣う。

「ナナシ、鼻を塞げ。お前まで眠る気か。」
「あい、」

そうだったと思い出したかのように、ナナシは慌てて己の鼻を摘むと、暫く息を殺していた。
扉の外では、重い何かが倒れるような音がする。マイコニドがゆっくりとサジへと振り向くと、その裂けた口をぐにゃりと歪めてニヤリと笑った。

「フワー!」

ギンイロが、扉からぬるんと顔だけを出す。どうやら息を止めていたらしい、ヘッヘッヘ、と笑いにも似た呼吸でひと心地つく。外から見れば、きっと首が無い猫にも見えるだろう。

「ネテル。アケルカラマテテ」

そのギザ齒を見せるようにニパッと笑った。
そのまま扉からにゅぽんと顔を引き抜くようにして再び戻ると、ギンイロは器用にその体を伸ばしてドアノブを回す。
体を巻き付けたまま、どうやら光線で鍵穴を焼くらしい。やがてカチャン、と音を立て、扉が開くと、一仕事終えたと言わんばかりに誇らしげなギンイロが、嬉しそうに尻尾を振りなから戻ってきた。

「ギンイロ!マイコ!ありぁと!」
「ふふん、サジのことも褒めてもいいのだぞ。」
「サジいつもつおい、すき!」
「お、おう。ふふん!気分が良い!今は頼れる大人はサジだけだからなあ、まあ後ろについてくるといい。邪魔だけはしてくれるなよ。」


すくっと立ち上がったサジは、真っ直ぐな言葉で褒められたのが照れたらしい。ナナシからの尊敬の眼差しを受け、ふんぞり返るようにえばる。
そのままご機嫌に扉を開くと、シュルリと蔦を絡ませて錫杖型の杖を出現させた。本当は杖など使わなくていいのだが、サジは見た目から入るタイプである。

ナナシもいそいそとボロ布をローブの上から首に巻くと、マイコニドと手を繋いで外へ出た。やはりアロンダートの部屋の警備は薄い。気配を探ってみても、この離れには数人程度しかいないようだった。
しかし、サジはぴくりと反応した。

「……ほう、魔女だ。魔女がいる。」
「サジとジルバのともだち?」
「いや、他の魔女とは仲は悪い。蓋は緩んでいるからなあ。まったく、信仰心の無いバカだけで構成された宗教は嫌だ。無くなればいいのだそんなもの。」
「ジルバもおなじこといってたよう。」
「あいつは今、魔女の鍋蓋となっている。あいつが統制してはいるが、まあ謀反は起こる。所詮出る杭は打たれるということだ。」

魔女らしくニヤリと笑った。他人を馬鹿にするような笑みだ。この笑い方をするサジを見ると、出会った頃を思い出す。
サジは魔力を纏う。その身の内から、ざわりと空気を震わすようにして現れた光る揺らぎは、サジの溢れる力そのものだ。
ふわりと枯葉色の髪が浮く。ラブラドライトの瞳が輝くと、そっと白魚のような細い手の平を上に向けた。

「行っておいで。」

パチンと指を弾く。光が緑の色味を帯び、エメラルドの輝きを纏った大きめの蜂のような物が数匹、回廊の奥へと滑るように進んでいった。

「きれい…」
「あれは風属性で作った偵察用の蜂だ。エルマーから貰ったブレスレットのおかげで、魔力を練るのが安定してなあ。」

袖を捲くると、腕にしていたブレスレットが澄んだ音を立てた。出会った頃に、エルマーから貰った風属性強化の呪いが施されたそれは、ナナシも覚えている。
サジはブレスレットに触れると、満足げに頷いた。出来が良かったらしい、そのまま偵察は作り出した蜂に任せ、二人は中庭を抜けた。ここから更に迷路のような庭園を抜け、裏に回って暫く行くと霊廟につくのだが、やはり以前のように簡単に入れそうな気配はない。

四阿を抜け、生け垣で作られた迷路のような所に差し掛かった時だった。

「おっと、」

見えないなにかに進行を阻まれる。薄い被膜のようなものがそこにはあり、サジが飛び退ると、それはふわんと七色に撓んだ。
水面のように揺らいでいたそれは、何事もなかったかのように再び日常の景色を取り戻す。
まるで弾力性のある膜のような物が、入口を塞いでいた。
サジは再び片手で魔力を練ると、その膜に向かって攻撃するように、先程と同じ蜂を放った。

「…破れぬ。なんだこれは。」

ぼわんと波紋を広げるように撓むだけだ。鋭い蜂の針でも膜は破れず、光の粒となって消えていく蜂を見ながら、面倒くさそうに顔を歪める。

「ギンイロ、」
「アイヨ。」

応えるようにぴょんと跳ねたギンイロが、目から光線を出す。鉄をも溶かす熱を纏う光線だ。破れない筈が無いのだが、驚くことに光線を包むようにみょんと伸びると、放った光線を跳ね返した。

「げっ、」
「ひゃあ、っ」

慌てたサジが、ナナシに覆い被さるようにして地面に伏せる。頭上すれすれを通っていった光線は、先程降りてきた階段を見事粉々に破壊した。

「アラ」
「うわああ!!やらかした!!誰が責任取るんだ馬鹿者!!」
「はわ…ど、どうしよう…」

パラパラと破片が飛んでくる。まさか跳ね返されるとは思わなかったサジとナナシの顔色とは裏腹に、ギンイロは不満そうだ。
まさか自分の攻撃が通ら無かったというのが悔しいらしく、再び光線を浴びせようとして、慌ててマイコに止められていた。

「ったくなんだこれ、ぽよんぽよんである。」
「ううう、える、おこるかなあ…」

不服そうなギンイロを抱きながら、ナナシがしょんもりする。余程大きな衝撃だったのか、周辺はにわかに騒がしくなってきた。これは非常によろしくない。
サジは仕方なく遠回りするつもりでその入口を諦めると、ナナシの手を掴んで道なりに迂回しようとした、その時だった。

「諦めるのはやすぎでは?」

頭上から降ってきた面倒くさそうな声に、たたらを踏む。ナナシはぽかんとしたまま上を見上げると、傘をさした全身真っ黒の少年が、ふわふわと上から舞い降りてきた。
少年はさしていた傘をくるりと回転させると、二人の前に立ちはだかった。

「ときには諦めが肝心という言葉はあるけどさあ、それでももう少しくらい悪あがきしない?ニ回しか攻撃しないなんて、作りでがないじゃない。」
「なんだおまえ。」
「種子の魔女。うわあ、初めてみた。規律を守らないでよく生きている。その図太さは大人っぽい。」

少年は、まるで珍獣を見るような眼をサジに向ける。楽しそうに笑う姿は、ナナシと同じくらいの歳に見えた。 
城が騒がしいことに気がついているのだろう、その少年は傘を開いたままポイと投げると、それは半透明の黒い膜に変化して、迷路を覆いつくした。

「これでこの場所は認識されない。ねえサジのおじさん。使役されるって、どういう気持ち?」
「誰がオジサンだクソガキ。目上の者への言葉遣いを教えてやろうか。」

びきりとこめかみに血管を浮かせて、サジがキレた。ナナシはいつものサジとは様子が違うことに気がつくと、不安げにその顔を見上げる。 
オジサンと言われるということは、目の前の少年はサジの歳を知っているのだろうか。ナナシはキョトンと首を傾げていると、その少年の目がナナシを捉えた。

「あっは、でた。忌み子だ。」
「ナナシは忌み子ではない。」
「忌み子でしょ。魔物と同じ黒い髪、ジルバとお揃い。」
「貴様、名を名乗れ。失礼がすぎるぞ。」

きらりと赤目が輝く。少年は何が楽しいのかくすくす笑うと、その灰色の髪を広げるようにくるりと回転し、ぺたりと土に手のひらをつけた。

「僕はゾーイ。次の規律。いつまでも席を汚しているジルバを殺して、次の魔女の鍋蓋になる。まずは裏切り者のサジからいこうか。」

手のひらをずず、と浮かせると、その土の中から黒く硬質な棺が現れた。少年の背丈よりも大きなそれに寄りかかるようにして抱きつく。
サジはその術に見覚えがあった。

「聞いたことがある。魔女協会の中で、死霊しか使わぬ変わり者がいると。」
「そっちしか才能がなかったからねえ。それに死霊じゃなくて、オリジナルアンデットってかんじ?」

その扉をコツコツと叩く。ぎい、と蝶番の軋む音を立てながら扉が開いた。
赤い天鵞絨の内装に包み込まれていたのは、拷問具のような鉄製の仮面を被せられた喪服の女だ。胸の前で指を絡め、まるで祈るような形を取っている。

「彼女はメーディア。生まれるはずだった僕の妹。」
「妹…?お前と随分歳が離れているようにみえるなあ。」
「ああ、だって体は母さんだから。」

ニコリと微笑む。あり得ないことを口にする少年に、ナナシの小さな喉はこくりと上下した。

「母さんも死んで、お腹にいた妹も死んだ。とっても悲しかったよ、でも、こうして今は一緒にいる。」
「狂ってるな。母を母体にして他人の魂を植え付けたのか。」
「究極の愛でしょう?僕の肉親だから、魔力の相性がとてもいいんだ。」

そっと鉄の仮面に触れる。ビクリと体を硬直させたかと思うと、数秒痙攣したのち、ぎこちない動きでメーディアが青白い足を収めた赤いヒールで一歩踏み出した。

死霊術師として名が通っていた魔女、ゾーイは名前持ちになれなかった魔女だ。
術のセンスも申し分ない、魔力も豊富だ。しかし倫理に反した行いをした為に、その名を与えられなかった少年。

「どの神も僕に名を与えない。こんなにも良い子なのにねえ。」
「人の魂を弄って、貴様が神にでもなったつもりか。自惚れるなクソガキ。」

メーディアの体が傾きながらゆらりと動いた。その包帯を纏った腕が、ゆっくりと二人を指差した瞬間、突然現れた棺に飲み込まれるようにしてナナシが閉じ込められた。

「あ、」
「ナナシ!!くそが、っ」

じゃらりと鎖が棺を覆う。サジが気を取られた瞬間、土から出てきた鎖に手足を絡められ、サジもまた突如として現れた棺に閉じ込められた。
ゾーイの術がどんなものか、手を出しあぐねていた瞬間をとられたのだ。
硬質な棺が不自然に屹立する仄暗い空間で、ゾーイは無邪気な笑顔で言った。

「いい悪夢を。」


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