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上等な毛皮より柔肌派

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「ダメだ、いくな。」
「こは、」
「ダメだっての。」
「で、でも、」
 
 琥珀が駄々をこねる、というか、わかりやすい我儘を言うようになったのはここ最近だ。
 越して来た初日に、二人だけの細やかな契りを結び、そして昂った琥珀に再び抱き潰されてからと言うもの、二人きりの空間、と言うのが余程よかったらしい。琥珀は睡蓮をことあるごとに褥に引き摺り込んでは、激しく求めた。
 そうして、睡蓮に己の匂いが十分に移ったことがわかると、今度は部屋から出さないように囲ってしまったのだ。
 だが、それはまだいい。この間までは布団から出してもらえなかったのだ。状況は良くなったが、このままでもダメだと言うのは睡蓮がよく存じている。だから、睡蓮は考えて考えて、お庭に人参の種子を植えたいから、いい加減外に出してほしいとおねだりをしたのが先程であった。
 
「なんでダメなのう…」
「あに言ってんだ。腹にややこできてっかもしんねえんだぞ。次の発情期が来るまでは、絶対に外に出さねえからな。」
「だって、僕お仕事あるもの!由春様のお世話!」
「だからそれもダメだ。」
「えええ…」
 
 と言う具合に、琥珀が睡蓮を己の縄張りから出すことを頑なに拒むのだ。次の発情期が来るまでは、とは言うが、来なかったら妊娠していることになるので、これも反故にされる可能性が大いにある口約束である。
 
「次の発情期はいつ。」
「に、二週間後…」
「二週間後か…。」
 
 発情期の周期を気にされるのは、なんとも気恥ずかしい。睡蓮はムン、と唇を尖らせると、ボスンと琥珀の胸板に頭を押し付けた。
 
「わかってくれよ、天狗はそう言うやつなんだ。孕ませた可能性がある以上、雌には無理をして欲しくねえの。」
「次の発情期が来ちゃったら、また腹に種をくれる?」
「いくらでも。」
 
 小柄な睡蓮の頭を胸に抱き込みながら、琥珀が約束する。この間抜けな睡蓮が、家の外で怪我でもしたら琥珀は発狂する自信があった。だから、極端にも睡蓮の衣服は琥珀が早々に隠してしまい、素肌に寝具を巻き付けているだけとなっている。家の外に出るのには着物が必要だから、出る必要がないように、影法師に言って実家に持ち帰ってもらったのだ。
 
「僕の着物…」
「いらねえ」
「ややこできてたらどうするんだよう…」
「だからあっためてるだろうが。」
 
 素肌の睡蓮を寝具に包んで、上等な羽を使って体を包み込んでいる。琥珀だっていつまでも悠長に巣篭もりなんかしていられないと言うのに、なんというか、やはり要所要所で馬鹿になってしまうのは、血筋だろうか。
 
「ここに青藍呼んでんから、来るまではここにいる。」
「こはのお仕事はあ!」
「番ったって言えば融通は聞く。俺が出かける前に、存分に甘えてくれていいからな。」
「うう…、嬉しいけど…ン、っ」
 
 頬を染めて困った顔をする睡蓮に、琥珀が口付けをする。日に数度、感触を確かめるかのように、なんのきっかけもなく口付けをされるので、睡蓮は毎回心臓がもたない。まだ孕んでいるかもわからぬと言うのに、琥珀は睡蓮の薄い腹を優しく撫でては、片時も離れたくないといわんばかりに抱きしめる。こんなに甘くなるだなんて知らなかった。睡蓮は、その腕と羽根の中に閉じ込められながら、孕んでいるといいなあと、そんなことを思う。
 
「…天狗の子を孕むってのは、それなりに苦労をかけるかも知れねえんだ。」
「うん?」
「いや、まあ聞き齧りなんだけどよ。」
 
 睡蓮の肩口に顎を乗せた琥珀が、ポツリと呟く。琥珀と睡蓮は体格も違う。体は少しずつ回数を重ねて馴染んでは来たものの、毎回睡蓮は気絶をしたように意識を手放してしまうのだ。体力のない睡蓮に、もしものことがあったらと思うだけで、琥珀は大きな不安に押し潰されそうになる。
 
「いいよ、僕は。」
「…何が」
「だって一人で育てるわけじゃないもの。」
 
 琥珀がいるから、怖くないもの。睡蓮がそう言ってへにゃんと笑う。琥珀の心配をよそに、妊娠してるといいなあなどと、本当にワクワクした顔で宣うのだ。こんなの、やはり囲うなと言う方が無理だろう。
 ぎゅむりと再び抱きしめると、睡蓮がいそいそと片腕を背に回す。体は軋んで節々が痛いし、腹の中は琥珀の種で重だるいけれど、それが嬉しい睡蓮はこうして琥珀を甘やかす。
 もしこれが天嘉と蘇芳なら、きっと蹴り出してでも仕事に行かせるだろう。お互いにそんなこと、頭ではわかっているはずなのに離れがたいのだ。

「ごめんくださぁい」

 二人が思う存分に体をピタリとくっつけて、ほう…とまったりとした心地になっていれば、そんな声が玄関からした。
 やはり時は平等なのである。琥珀は自分が青藍を呼んだくせに、来るのが早いと不服そうな顔である。
 渋々身を離したのは、睡蓮のお耳がひょこんと立ち上がって、待ってましたと顔を輝かせたからである。

「僕いってくる!」
「まてまてまてまて!」

 どうやら待ちきれなかったらしい。パタパタと駆け出した睡蓮が、オッポを振って部屋を飛び出す。琥珀の制止も虚しく、スパァン!と小気味よい音を立てながら障子を開いた睡蓮に、その足音を聞きつけて引き戸を開けた松風と青藍は、あんぐりと口を開けた。

「いらっしゃい!」
「あお、ぉおおおう!!」

 睡蓮は素肌だということを忘れていたようである。元気な声とともに、嬉しそうに飛び出してきた無垢な笑顔と、薄桃色の胸の突起、唐突な情報量の多さに奇妙な声を上げながら目線を下げようとした松風は、突如横から現れた雄々しい羽根によってなんとか卒倒しなくて済んだ。

「まてってば!!」
「琥珀、お前ね…。」
「ひゃあっ!」

 頭が痛そうに額を抑える青藍は、どうやらこの状況が琥珀によるものだと理解したらしい。睡蓮はようやっと己の姿に気がついたのか、ぴょっと跳ねると瞬く間に兎の体に变化した。

「ったく、言いたいことは山ほどあるけど…とりあえず上がらせてもらうよ。ほら、松風しゃんとしな!」
「ほぁ、ああう、おう!!」
「早くその鼻血拭えや!!」

 ぎゃん!と八つ当たりのように吠えた琥珀は、兎姿の睡蓮を摘み上げると腕に収める。不遜な態度の美丈夫が小動物を大切そうに抱える姿は実に面白い。青藍は松風の顔に手拭いを押し付けると、そのまま下駄を脱いでなかに入る。
 久しくそういった色事から遠のいていた松風はというと、ようやく二人の住む家だから、到底そういったことをするよなあと思い至ったらしい。どぎまぎとしながら青藍に続く様子に、だからこいつは童貞なのだと琥珀は呆れたように目を向ける。

 睡蓮を抱えた琥珀に続いて、客間に案内をされる。睡蓮は琥珀におろしてもらうと、棚から取ってもらった睡蓮の足でもある台車に身を乗せ、三人を客間にのこしてちょこちょこと炊事場に消えていく。白くてまあるい尻を見送ると、漸く松風は鼻血が止まったらしい。ふうと一息ついた。

「で、お前さん睡蓮の服はどこやったのさ。」
「実家。」
「なら俺達が腕白なお前の嫁の素肌を見ても怒られないな。うん、お門違いだなそれは。おわかり?」
「ぐぬ…」

 息子を庇い立てるように宣う青藍に、さすがの琥珀もぐうの音もでなかった。己の不始末でもあるのだが、まさか睡蓮が己の状況も忘れるほど二人を心待ちにしていたなどと、早く腹の答えが知りたいと言うことだろう、悔しくもあるが可愛くもある。青藍の正論は、予定されていた睡蓮へのお説教も無しになる効果をもっていた。
 炊事場の方から、かろかろと音がする。どうやら睡蓮が茶の準備を終えたらしい。台車に乗せたお盆を鼻先で押しながら姿を表すと、琥珀は立ち上がって盆と睡蓮を抱き上げた。

「クソ可愛いだろう。」
「本音でてるよ、本音!」

 その健気な姿に、真顔でそんなことを宣う琥珀が可笑しくて、松風はつい突っ込んでしまった。いや、たしかに可愛いのだが服を着せてやればこんな苦労はかけないだろうに。
 睡蓮はというと、もはや小脇に抱えられるのは慣れたらしい。上手にだらりと腕に吊るされたまま顔をあげると、桃色の口吻をもちもちとさせながら言う。

「あのね、お茶です!」
「見りゃわかるよ、ありがとね。」
「琥珀と番ってから、ちいとばかし頭が緩くなったんじゃねえの。」
「なんか酷いこと言われた!!」

 松風の言葉に、睡蓮は耳をびゃっと伸ばして憤慨する。おもてなしをしようとしたのだが、琥珀がうちから出してくれないおかげで茶菓子も買いに行けなかったのだ。気持ちだけを込めて入れた玉露ですと口を添えると、玉兎だけに?と笑われる。

「おいらって言うくせに僕のこといじるのやめてよう!」
「おいらっていって何が悪いのさ!睡蓮だっていじるじゃんか!」
「はいはいうるさいよ二人共。睡蓮、お前は腹の具合を見てほしいんだろう?」

 そうだった!と言わんばかりに、睡蓮の目が耀く。青藍は苦笑いをすると、琥珀から睡蓮を受け取って膝の上に仰向けに転がす。

「うーん、この上等な毛皮がまた堪んないねぇ。」
「わは、や、やめてよう!くすぐったい!」
「睡蓮見てっと兎は無口ってのは信じられねえよなあ。」

 無邪気に腹を擽られて笑う睡蓮に、松風が覗き込んでそんなことを言う。ひとしきり大笑いをしてくってりとした睡蓮を膝に載せたまま、青藍はニコリと笑う。

「マ、妊娠してんじゃないか?俺よりも琥珀のがそのうちわかると思うけど。」
「あ?そうなのか?」
「だってお前さんの妖力だぞ。睡蓮の腹に宿ったって気がつきゃ、その頃には睡蓮だって悪阻来てるだろうよ。」
「いまわかんないのう?」
「お楽しみだったのは悪いけどね、生憎こればっかは判断が難しいもの。」

 そっかぁ。睡蓮は少しだけ残念そうに自分の白い腹を見やると、ぽふんと右前足で腹に触れる。いるといいなあ、そんなことを思っていると、松風が睡蓮の頭の毛並みを撫でながら言った。

「孕むと変化が出来なくなるぜ。だから、お前が途端に変化出来なくなったら、つまりは妊娠してるってこった。」
「え!!なら兎のままでいる!!」
「あー、そっちのがわかりやすいかもなあ。」
「断固拒否!!」

 睡蓮の高揚に水を差すように、琥珀が宣う。その勢いに三人は思わず閉口したが、その必死な様子が余程面白かったらしい。ぷすっと吹き出した睡蓮をきっかけに、青藍も松風もけらけらと笑った。
 琥珀は人型での睦み合いを希望すると、言外に主張したようなものである。大きな声で言った琥珀はというと、むんずと口を真一文字に引き結び、羞恥と不服がいりまじった珍妙な顔をしていた。



    
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