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分かりやすくて大変よろしい。

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 天狗の求愛程わかり易いものはない。そういう話を聞いたことがあった。それは、本能のままに雌を囲い、他を目に入れぬように、依存をさせるような愛し方だという。
 だけど、睡蓮はあまり信じていなかった。だって、あの琥珀だ。処世術とはいえ、数多の雌を誑し込み、懐に入れ、独自の情報網を張り巡らせ、そうして里の空だけでなく、市井の隅々まで目を配る。両親が育んできた関係を崩さぬように、心配りも怠らない。そんな忙しい琥珀が、一介の妖かしである睡蓮なんかに、盲目的な愛を囁く訳などない。抱かれただけで、満足であった。なのに、なのにだ。

「はぇ……」

 一瞬、冥土かと思った。
 昨夜の余韻を残したままの、気怠い朝であるはずだった。睡蓮は、全身に巡る鈍痛に小さく呻きながら、唯一動かせる首だけで横を向き、ゆっくりと微睡みから浮かび上がるように目を開けた。
 その、濃厚な花の香に釣られたと言ってもいい。そうして、白く長い睫毛を震わしてゆっくりと瞼を開けたとき、冥土の光景かと言わんばかりの大量の花が、睡蓮の目の前にわさりと積み上がっていたのだ。

「おはな…わあ…」

 しゅごい。語彙を無くした、そんな月並みな言葉しか出てこない。眼の前には、赤青紫、桃色に橙、しかしそれよりも圧倒的に多い白い花弁を持つ花が、皆こちらを眺めるかのように美しい花弁を向けて積み上げられている。
 蜜蜂が飛んでくれば、それはもう喜んで蜜をかき集めるに違いない。蝶だって、きっと選り取り見取りだと迷うまでには、もっさりと存在を主張する。

「なんでぇ…?」

 きょとんとした。琥珀に聞こうかな、と思ったが、その体温が近くにないことに気がつくと、少しだけ落ち込んだ。なんとかガタつく足を動かして、体温を確かめる。布団の中は一人分の温もりのまま、もうこの部屋の主がいなくなってから、随分と経っているようであった。
 もしかして、閨で不味いことをしただろうか。心が満たされたのは睡蓮だけで、琥珀はこの体に満足をしなかったのかもしれない。くすんと鼻を鳴らし、睡蓮の心が悲鳴を上げる。じんわりと滲んだ涙を誤魔化すように枕に頬を押し付けようとして、ガタン!と乱暴な音がした。睡蓮はびくん!と身体を跳ねさせると、恐る恐る音がした方向へ顔を向ける。

「っ、?」

 バサバサッという立派な羽の音がして、やべっ、という琥珀の慌てる声と共に、襖を隔てた通路にはゴトゴトと重いものを落とすような音が聞こえる。
 その割に、そっと襖を開けて覗き込むような気配がするので、睡蓮は慌てて寝たふりをした。

「寝てるよな…?」

 慎重な琥珀の声に、睡蓮はどきどきしながら目を瞑る。その気配がそっと花束を避けるようにして座ると、枕元にごとごとと何かを置く。すん、と香るそれはどうやら人参のようで、睡蓮の頭の中は益々疑問符を散りばめる。

「…白が足りねえな、あとは、ええと…おはぎ?」

 おはぎ?なんでおはぎ?琥珀の意味深な行動に、睡蓮はもう訳がわからなさすぎて、つい眉を寄せてしまった。どうやらそれに気がついたらしい。まるでそのシワを伸ばすように、無骨な指が眉間を擦る。揉みほぐすように馴染ませると、よし。といって、また立ち上がる。
 今ので起こしたとは思わぬらしい。睡蓮は必死で寝たふりをしたまま、やがて畳の擦れる音がして琥珀が部屋を出ていった。

「おはぎ?」

 ぱちりと目を開けると、顔を向ける。花に続いて大量の人参は、積み上げられた山から溢れるようにぽてんと睡蓮の枕の上に落ちてくる。

「にんじんも…」

 おはぎも、人参も、睡蓮の好物だ。ふんふん、とその匂いを確かめると、色味も含まって随分と甘そうなものであった。美味しそう、食べてもいいのだろうか。数度瞬きをして、少しだけそわつく。しかし、その長いお耳でバタつく足音を確認すると、睡蓮は慌てて枕にもふんと顔を埋めた。

「ひゃぅっ」
「あ!?」

 その微かな振動が、人参の山に伝わったらしい。雪崩が起きるかのようにどさりと睡蓮の頭上に降ってくると同時に、随分と治安の悪い声を出して驚いた琥珀が、慌てたようにかけてきた。

「なん、おきてっ、」
「い、いまおきた…」
「あ、あぁ…」

 本当はもっと前に起きていたのだが、咄嗟に口をついてそんな言葉が出た。琥珀はなんだか微妙な顔をして、そうか。というと、枕元に散らばった人参を除けてやる。動かぬ睡蓮を前に、武士のように正座をし、神妙な顔をすると、口を開いた。

「…おはぎは、小太郎の店が開いてから買いに行ってくる。」
「あ、…うん…あの、」
「とりあえず、人参はうちの畑で取れたやつと、あとは貯蔵庫からかっぱらってきた。」
「かっぱらってきた」
「安心しろ、八百屋が暖簾出したら買いに行ってくらあ。」

 うん。と、自己完結するかのように琥珀が頷くと、ばさりと布団を捲る。そのまま素肌の睡蓮に、おのれの脱ぎ散らかした寝間着を巻きつけると、ヒョイッと抱き上げる。

「昨日は無理させちまってすまねえな。どこもかしこも痛ぇだろう、よく頑張ってくれた。」
「へぁ…」
「ああ、お前のその妙竹林な声も可愛いなあ、まったく朝から俺を惑わせるだなんて悪い兎だ。」

 などと、己の膝に横抱きにして、まるで宝物かのように抱きすくめながら、そんな甘い睦言を囁く。睡蓮はぱかりと口を開けて、呆気にとられてしまった。一体何だ、何が起きたのだ。顔を赤くしながら、恐る恐る琥珀を見上げた。己をこうして扱っている妖かしは、本当に琥珀なのだろうかと思ったからである。

「あにみてんだ。喰っちまうぞ。」
「こ、こはく…?」
「おう、頭までゆるふわになっちまったのか。」

 よかった、琥珀だ。
 しかし、ほっとしたのも束の間で、琥珀は睡蓮のちいさな頤を掬い上げると、そっとその瞼に唇を落とす。

「風呂に行こうか、お前が動けねえように抱き潰したんだ。世話は俺に任してくれや。」
「えぇ、で、できるよう!」
「俺がやりてぇの。お前は俺のしてえことを否定すんのか。」

 きゅむ、と唇を噤む。琥珀が、背後を輝かせてそんなことを言う。何だかとてつもなく甘やかされているような気がして、睡蓮は心臓がどきどきして、まだ唇の感触が残るそこに、そっと触れてしまう。

「し、しなぃ…」
「いいこ。」

 最初から分かりきっている答えを、琥珀は意地悪にも聞いてくる。それがずるくて格好良くて、甘えるがままに身を寄せる。目端に山のように積まれたそれらを見ると、睡蓮は思い出したかのように顔を上げた。

「あの、あれなに…」
「ありゃ、お前のだ。」
「僕の…?」

 寝床の周りに積み上げられた花や人参。それを見て睡蓮のだと満面の笑みで言うのだ。本当に貰ってもいいのだろうか。戸惑っているのがわかったのか、琥珀がその頬に手を添えて顔を引き寄せると、その赤眼に映る己を覗き込むかのように見下ろした。

「習性。」
「?」

 言葉の繋がりがわからなくて、コテリと首を傾げる。琥珀はくすりと笑ってそれ以上は答えなかったが、今思えば、もっとそこを突っ込んで聞いておくべきであったのだ。睡蓮は、天狗の習性がどれほどまでに重いのか、まったく理解もしていなかった。





「多分こうすりゃ自然と乾燥して出来上がるよ。」
「ふわあ…天嘉殿はものしりですねえ。」

 あんなに沢山花を貰ったのが初めてで、嬉しい反面、全ていけるにも花瓶が足りぬと途方に暮れた睡蓮が、天嘉に相談するのは必然だったのかもしれない。

「にしても、琥珀がなあ。」
「なにやら、習性だそうですよ。天嘉殿もご存知ですか?」

 手際よく麻紐で一束ずつ根本をくくっていくと、それらを一繋ぎにしていく。作業をする天嘉の真横で、睡蓮はあらかたまとめ終わった花束を見てため息を一つ。琥珀から贈られた花の量は店も開けるほどであったのだ。

「にしても、ねえ。」

 ちろりと可愛らしい、暫定嫁である睡蓮を見る。
 事は遡り、昼もまもなくと行った頃合いに、天嘉は風呂で丸洗いされただけではなさそうな睡蓮を琥珀から受け取って、仕事行ってる間は預けとく。などと言われた。
 故にこうして睡蓮と楽しく過ごしているのだが、まさか琥珀がこうも豹変するとは思わなかったなあなどと、思考を飛ばす。

「習性、ああ…まあ言われて見ればってのはあるかな。」
「お花もいっぱい貰いましたか?」

 琥珀によって編まれた花冠を頭に乗せたまま、睡蓮が宣う。若干期待しているような顔つきである。

「あー、でも俺は既成事実のが先立ったからなあ…」

 雌同士、同じ天狗に愛されるものとしての話題が尽きない。ほこほこした睡蓮に、このお花を保存したいと相談をされた際の、背後にいた琥珀の顔ったら大変満足そうな顔で微笑んでいた。
 気に入りの雌から、贈り物を大切にしたいからなどと言われたら、それはもう満たされるだろう。なので、未だかつてない程ご機嫌に出勤あそばされた若大将は、それはもう親から見てもわかりやすく浮かれていた。

「いやあ、俺は大歓迎だけど、まじでやべえから。天狗。」
「僕も大概盲目的なとこありますよう。」
「あ、そこは自覚してんのな。うん、まあ、似た者同士なのかなあ。」

 むん、と思い返す。自分のときは既に種をつけた後だったので、恐らく比較にはならぬだろう。だけど、あの蘇芳の血を引き、そしてまだ若い。蘇芳のように老成してはいるが、若者の浮足立つような行動は、ときに思いを寄せるものをぶんぶんと振り回す。
 睡蓮は余程嬉しかったのか、時折頭の上の花冠をいじっているが、天嘉はなんとなく睡蓮がえらい目に合うのではないかと気がきではなかったという。


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