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宵丸と鴨丸

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「ついてねえなぁ。」
「なんだ、何の話だ。」
「俺が今日踏んだり蹴ったりだったってえ話。」

 なんだかドタバタの一日であった。天嘉が風呂にはいっている間、蘇芳が突撃をしないように見張っていろと仰せつかった琥珀は、縁側でのんきに秋刀魚を焼いている蘇芳の横でご相伴しょうばんに預かっていた。

「ああ、嫁取り云々うんぬんの話か。」
「なあ、俺にも番できるのかな?母さんはまだ早いっていうけどよ。」
「まあそう急くな。何れどうにかなるさ。あんまり急くと、見極めることも叶わぬだろうよ。」
「年の功ってやつ?」
「経験談だな。」

 ふぅん。気のない返事をして、ゴロンと横になる。蘇芳は立派に育った愛息子が、子として親に甘え、頼る事を嬉しく思っていた。琥珀ももう十八だ。十六夜からは奔放がすぎると小言を貰うが、人の血を引いているせいか実に物事の捉え方が柔軟であった。

「今宵は月が見事だなあ。どら、美味そうに焼けた。」
「それどっからくすねてきた?」
「保冷庫。天嘉が明日の晩のおかずにすると言っていたな。」
「それバレたらやばくね?」
「やばいな。だからバレぬ前に小腹を満たそう。」

 バレないようにと言ってる割に、なんで七輪を出してきたんだと思ったが、美味そうに焼けた秋刀魚の香りには誰も抗えぬ。琥珀はよいせと起き上がると、胡座をかいて箸で身をほぐす。ちゃっかり箸まで二膳用意している当たり確信犯である。

「琥珀は、なんで早く番を欲しがる。」
「…俺も親父から引き継いだろう、総大将。」
「おお、若いものに席を譲らねば、新しい風は吹かぬからなあ。」
「おう…、まあ、うーん…」

 蘇芳はくすりと笑うと、大きな手で琥珀の頭をわしりと撫でた。物心がつき、仕事を任せられ、思い悩むのは成長の証だ。奔放な部分はあるが、生真面目にもこうして相談をしてくる分可愛げがある。
 まだ答えの出ぬままでも、胸のつかえを吐露したかったのだろう、真面目で不器用なところは嫁にそっくりだと思った。

 まくりと秋刀魚を喰らう。息子の成長も噛み締めているせいか実にうまい。十六夜は放任主義にも程があると宣うが、蘇芳はこれはこれで実によろしいと思っていた。

「なーーーーー、それって明日の晩飯じゃね。」
「げっ、」
「天嘉…!!」

 蘇芳のしたり顔をいとも簡単に崩す事の出来る番の、怒気の滲んだ声が二人の間に落とされた。油の切れたブリキのごとくの動きで振り向く。湯上がりの天嘉は白い肌を蒸気させ、腰のあたりで緩く結んだ帯を遊ばせながら仁王立ちをしていた。

「湯冷めするぞ、どれ、こちらにおいで。俺が温めてやろうな。」
「おい秋刀魚の件許してねえぞ。」
「俺はあとから知ったから一枚噛んでないぞ!」
「秋刀魚食っちまったら同罪なんだよ琥珀くん。」

 にっこりと笑った天嘉が、どかりと蘇芳の膝に座る。結局座椅子にするらしい。座り心地の良いように蘇芳を動かしているあたり、やはりうちはかかあ天下だなあと思う。

「明日罰として買ってきな。こはの好きな魚でいいから。」
「まじでか。」

 ならば鱒一択に限るとばかりに意気込むと、それが面白かったらしい。天嘉は小さく吹き出して笑った。
 


 翌日のことである。

「ご、ごめんくださぁい!」

 昼頃に、玄関から元気な声が飛んできた。ツルバミは昼餉の準備を天嘉と共にしていたので、おやまあ一体どなたかしらと枚掛けで濡れた手を拭きながら、ぺたぺたと足を動かして客人を出迎えた。

「おやまあ!睡蓮殿ではございませんか。もうお怪我はよろしいので?」
「ツルバミ殿、はい。ええっと、天嘉殿はご在宅でしょうか。」
「ああ、居られますよ。お呼びしましょうか?」
「いいえ!ええっと、えっと、あ!鱒!!」
「鱒?」

 睡蓮は、慌てて背負ってきた籠を下ろすと、そこから縄で尾を括られた鱒をずるりと取り出した。随分と立派な大きさのものである。ツルバミの背丈ほどはありそうなそれを、睡蓮は昨日の礼として持ってきたのであった。

「まあ、なんと見事な鱒でしょう!もしや手当のお礼でしょうか。」
「僕、危うく唐揚げになるところを助けてもらったので。」
「ああ、そうですか。しかし、琥珀殿が市井しせいへ鱒を買いに出掛けておりましてな。まあ、こちらを今晩頂いて、買われたものは干しましょうか。いやしかしご立派。」

 ツルバミが抱きしめるように鱒を持つと、嬉しそうに相好を崩す。天嘉が鱒好きなせいか、実に様々なものを作る。こんなに大きな鱒なら、天嘉殿に申し上げてふらいにしてもらいましょうと宣う。

「ええっと、そうしたら僕が琥珀に言ってきましょうか、今晩の鱒は確保できたって。」
「いえ、二匹あっても良いくらいですから。」
「あ、あー…そ、そうですよね…」

 本音は琥珀に会いに行ける口実を得たと思ったのだが、うまいこと行かない。睡蓮はへにゃ、と長いお耳をへたらせると、これ以上長居しても変に思われるだろうと思い、その場を辞することにした。

「いいじゃん。なら琥珀に鱒以外の買ってこいって御使い頼もうかな。」

 睡蓮の耳がピンと立つ。琥珀の母である天嘉がひょこりと顔を出したのだ。

「天嘉殿!」
「おや、もうお腰はよろしいのですか?」
「よろしいかよろしくねえかだったらよろしくはねえけどよ。」

 天嘉が籠を背負おうとしていた睡蓮を見て、ツルバミの抱きしめた鱒に目を向ける。なるほど息子に会いに来たのだろうなあと思うと、どうやらそのにやつきが顔に出たらしい。睡蓮は気恥ずかしそうに顔を籠に埋める。
 どうやらツルバミは、睡蓮が琥珀を好いていることを知らないらしい。ならばお節介でもしてやるかと手招きをすると、睡蓮にはそこで待つように行ってからツルバミに囁く。

「琥珀に会いに来たんだよ。睡蓮、どうやらアイツに惚れてるらしい。」
「ハッ、な、なんとっ、ツルバミは無粋を申し上げるところでした…!!」
「親としては息子の恋路の応援をしてえわけ。ツルバミ、わかるよな?」
「皆まで仰いますな、このツルバミ、しかと天嘉殿のご意向を汲み取りました故。」

 ツルバミは自分の胸を水掻きのついたちまこい手の平でぺちんと叩くと、げこりとひと声鳴いてみせた。しかし問題は睡蓮の足である。昨日怪我をしたくせに、どうやら元来の生真面目さから休むということを知らぬらしい。行きは坂道があるし、ならばどうするかと思ったときだった。

「話は聞かせてもらった。」
「おや、なんでお前がでてくるのですか。」
「なぜなら、俺は可愛い子の味方だから!!!」

 どん!と胸を張った蘇芳家のチルド担当、雪風を操る宵丸が、まるで遅れてきた主人公かのごとく堂々と登場した。なるほど確かに宵丸なら雪風を纏って空も飛べる。しかしそれだけでは終わらなそうだが。天嘉は宵丸かぁ、と思ったが、単にこいつは人の恋路に首を突っ込むのが好きなだけなのだ。

「ということでお顔を拝見、」
「あ、こら!」

 天嘉が止めるまもなく、宵丸がにこにこしながら玄関へと躍り出た。宵丸の美しい灰銀の目が艶を帯びる。天嘉とツルバミが引き戻そうと引き換えしたのだが、結局間に合わなかった。

「ぴゃっ」
「お初にお目にかかる、可愛い御方。俺は宵丸。以後お見知りおきを。」
「す、睡蓮です…え、だれ…」

 突然現れた美丈夫が、目があった途端に跪いて睡蓮の抱きしめた籠を放り投げて手を握りしめる。投げられた籠はというと、ゲコぉ!!という悲鳴と共にツルバミの上に落ちてきた。

「ああ、なんという、雛菊のような可憐な可愛いさ!!なんっで琥珀!?俺だってなかなか伊達男だと思うんだけどどうですか!?」
「ひぃっ!か、かっこいい、と、おもますっ」
「ならばお近づきの印に接吻せっぷんをどうっ」
「お前は床に接吻をどうぞ!!」
「ぅぶぇっ!!」

 ビビらすんじゃねえ馬鹿!と宵丸の襟元を鷲掴んで放り投げた天嘉は、お耳を抑えて縮こまった睡蓮と、籠に閉じ込められていたツルバミを救出すると、床に転がった宵丸の股の間ぎりぎりに思い切り足を振り下ろした。

「ぎょえっ!!よ、よよ、嫁ちゃん…!?お、男の尊厳潰そうとするのは良くないと思うんだけど!?」
「やかましい。だーーーからお前に睡蓮を合わせたくなかったんだわ!おら!!協力すんならするで引っ掻き回すな!!人の恋路邪魔する野郎は金玉むしりとるぞ!」
「ぎゃっ、ちょっ、だめだめ最近つかってな、アーーーーーー!!!」

 断末魔のような悲鳴を上げて、宵丸が天嘉に容易くのされる。睡蓮はぽかんとしたままその様子をみつめると、やはり総大将の嫁はこうも腕っぷしが強くなくてはならないらしい。そう改めて思い直すと、やれやれ困りましたとツルバミが枚掛けで冷や汗を拭いながら近づいてきた。

「天嘉殿は誠にわんぱくが過ぎる。仕置の一貫にしても、殿方の股間を弄るなどいけません。」
「え、でも宵丸さんしんでますけど…」
「そりゃあ誰だって睾丸握りつぶされたらああなりますとも!」

 ぞっと顔を青褪めたツルバミが、げこげこ叫ぶ。たしかに。睡蓮も同じ男なので気持ちはわかる。きらきらとした雪風が宵丸に纏っているが冷やしているのだろうか。天嘉はむすくれたままどかどかと戻ってくると、ぱんぱんと手を叩く。
 なんだろう?と、首を傾げてことの成り行きを見つめていた睡蓮だったが、ばさりと大きな羽の音がした。背後に降り立ったらしいそれがちょこちょこと跳ねながら睡蓮の横に並ぶと、それは実に大きな化烏であった。


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