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いい子でいたかっただけなのに
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雷によって焼かれた木の根から醸し出される、焦げ臭い匂いが辺りを包み込む。
夜空は曇天の隙間から徐々に月が顔を出し、争いの終わりを柔らかく照らしている。
焼けた地べたに高下駄のまま降り立った蘇芳は、その焦げた木を蹴り分けるかのようにして、ゆっくりと炭になったそれに近づいた。
顔に刺さった釘を通してその身を焼かれたやまのけを見下ろすと、もう動かぬ歪な体を、地べたに擦り付けるようにして踏みにじる。やまのけの焼かれた体からは、天嘉に対する不愉快な執念を感じる。男の生き霊を宿し、女の見た目を有するそれが蘇芳には何かわからない。わからないからこそ、己の知らぬ化け物が嫁を害するのが許せなかった。
草履の下が熱い。砕くように何度も足で崩してやれば、この体もやがて山の養分となるだろう。
「……、」
この黒い亡骸のように、蘇芳の身の内に燻る収まらぬ怒りも酷く醜い。ゾリゾリとした独特の足音を立てながらニニギが小屋から出てくると、苛立ちを隠そうともしない蘇芳に辟易とした顔をした。
「あんたの旦那が未だお冠だ。面倒臭いからさっさと宥めておくれよ。」
「すお、…ッ…、俺、」
おぼつかぬ足取りで、天嘉は駆け寄った。やまのけはもう退治されたというのに、酷く体がざわめいている。この感覚が、蘇芳の荒ぶる気からくるものだと理解すると、天嘉は居ても立っても居られなくなってしまったのである。
縋り付くように、蘇芳の体に抱きついた。しっかりと離さぬように布地を鷲掴みながら、その胸元に顔を埋める。ゆっくりと蘇芳の背中に回された天嘉の細腕。その腕が微かに震えていることに気がつくと、そっと労わるように手を添えた。
「終いだ。お前を怯えさせるものなど、もういやしないさ。」
「か、雷…っ…、け、怪我は…?」
ひぐ、と晒した泣き顔で、蘇芳の体を心配した。終わったのはわかっている。もう怖いのが居ないというのも、目の前でそれらを見ていたからわかっている。だからこそ、今そんなことはどうだってよかった。
天嘉は、あんな恐ろしい力を発揮し終えた蘇芳の体の方が心配だった。
自分よりも一回り小さな手のひらを忙しなく動かして、ヒックと声を漏らしながら蘇芳の体を検分する。なすがままに触られながら、面の下の蘇芳の表情は、そんな番いの必死な様子を前に、表情を晒せぬほどの間抜けな顔になっていた。
狢もニニギも、いの一番にそんなことを宣う天嘉が面白くて、呆けている蘇芳の様子を後でからかってやろうという心積もりになるくらいには、一部始終を楽しんで眺める。
だって、蘇芳は総大将だ。はなからやまのけなんぞに負けてやるつもりもなかったし、誰もが蘇芳の勝利をいとも容易く想像し得た結果だったのだ。当たり前を心配するなんて奇特なものはいない。そう思っていた。
「お前が平気なのか、」
「俺じゃなくて、お前が…っ!」
「何をいう。野暮な首の痣までこさえておいて。」
「っ、いて…」
蘇芳の大きな手のひらが、その赤く擦れた首元に触れた。細首のそれは痛々しい。手や足にも同様の擦過傷を認めると、蘇芳は天嘉の涙を拭うように親指で目元を擦る。その無骨な両手で、涙で濡れた天嘉の頬を包み込む。蘇芳でさえも、まさか己を二の次にして心配されるなど思っていなかったようであった。
「それやだ、」
「む。」
「お面つけたお前嫌い、やだ。」
「……。」
涙目で不満そうに見上げてくる天嘉に言われて、渋々面を外す。だって、嫌だったのだ。それは有事の際につけると、戦の時につけると言っていたから、天嘉はそれはかっこいいけどつけて欲しくないなあと、この面の存在を知ってからずっと思っていた。
蘇芳は言っていた。総大将になってからはつけていないと。それを、天嘉がつけさせてしまった。その事実が許せなかった。
ごちん、と天嘉の額が蘇芳の胸板にくっついた。まるで頭突きのような勢いだったものだから、蘇芳は小さく息を詰めた後、けほんと噎せた。
「…、天嘉。」
「き、嫌いだ…、それ…」
天嘉が運んできてしまった災難だ。蘇芳の大切なお山に、天嘉が迷惑をかけたのだ。だから蘇芳にそんな野暮な面をつけさせた。
自分の身だって碌に守れない。だから天嘉は大人しくしていようと思ったのだ。それなのに、これはないだろう。悔しくて悔しくて、つい箍が外れてしまった。
「お、俺…ちゃんといい子にしてたんだよ…っ、お前が、帰ってくるまで、いい子にしてたつもりだったんだよお…、っ…」
「ああ、わかっている。お前は拐かされたのだから。」
「俺、何も、できねえもん…っ、だから、迷惑、かけたくなかっ…た、のに…」
ごめんなさい、そう言って、天嘉は子供みたいに泣いた。何もできなかった。何もできないとわかってからは、天嘉は自分なりに一生懸命貢献しようとしていたのだ。
蘇芳が守ってくれるなら、天嘉は上手に守られたかった。手間をかけさせないように、蘇芳に負担がかからないように、上手に生きたかった。
身を震わして泣いている天嘉を見下ろしながら、蘇芳はトクトクと優しく響く己の鼓動を感じていた。腹に子を宿してくれただけでも十分だったのに、己の迷惑にならないように生きたかったと宣った。迷惑だなんて微塵も思うことはなかったというのに、健気にいらぬ気を遣っていたと知ると、蘇芳はそれが愛おしくて仕方がなかった。
妖かしのように、自身を守る術もない。人間という異なる種族で、それも本来ならば孕むことのない雄である。無理やり手篭めにして、受け入れてくれただけでも満足だったのに、天嘉はこうして弱い自分よりも己の体を気遣ってくれるのだ。
だから蘇芳は、顔を真っ赤にして、今腕のなかにいるこの特別な存在を、改めて噛み締めてしまった。
「参った。お前には殆参ってしまった。」
「蘇芳、」
「ああ、泣くな。目が溶けてしまう。お前はそんな身重の体で夫の心配をするなど、一体どこまで愚かで可愛らしいのか。」
顔が熱い。情けない顔を見られたくなくて、その体を抱き込んだ。その小さな頭を撫でながら、鼻を啜って大人しくなった天嘉の小さな頭に口付けた。
「帰ろう、もう夜も明けるしなあ。俺は疲れた。お前と共にゆっくりと眠りたい。それが贅沢なことだと、お前が教えてくれたからなあ。」
「うん、…っ、ぅ、ん…っ」
言葉は出なかった。天嘉は鼻水と嗚咽を飲み込むのに忙しかったからだ。こくこくと顔を赤くしながら何度も頷く天嘉を見て、蘇芳が赤べこのようだなあと余計なことを言った時だけは、うるせえよと返したが。
あれからしばらくして、予期せぬ出来事で滞っていた枯木の霊の相談事であるが、思わぬ方向で解決の運びとなった。
天嘉が絶対安静を言い渡されて、大人しく床についている時に漏らした、まじモンの怪異とか、逆に神様的なもんを見せれば悪さしねえんじゃねえかな。という何ともざっくりとした提案に、やる気を見せたニニギの一言がきっかけであった。
「祠を壊しやがったんだろ?なら天罰が降ったっておかしくはないよ。怪異の想像ったら恐ろしい見た目の方が信憑性もあるしねえ。」
と、己の見た目を駆使して驚かせてやろうと言ったニニギに、枯木の霊は言った。
「いや、やはり山を司る怪異、ないし神様と一口に申しましても、山ならばやはり樹木でしょう。それならば我々枯木の霊が束になって脅かした方がよろしいかと。」
とやる気を見せた。天嘉は見舞いにきた二人のやりとりを聞きながら、そこはうちの旦那じゃねえんだなあと思ったのだが、なんだか二人が楽しそうなので、何となく口を挟むのもなあという感じである。
山神とは呼ばれていないが、麓の人間たちからはそんな扱いを受けている蘇芳はというと、座布団を枕がわりにしながら夜勤明けの惰眠を貪っている。
「やるのはいんだけどさ、ニニギ、絶対人食うじゃん。やめろよ洒落になんねえから。」
「信仰心は畏怖からくるんだよ天嘉。指の一本や二本無くなっちまったって支障はないだろう。」
「現代っ子には大有りだろ。とにかく、やるんなら俺もついてくからな。現場監督的な意味で。」
「それはならぬ。」
下の方から蘇芳の声がしたかと思うと、むくりと起き上がる。寝こけていたくせに天嘉の参戦を聞いた途端止めに入るあたり流石である。
蘇芳はくありと欠伸を一つ。ぼりぼりと懐に手を突っ込んで掻きむしる姿は、実に総大将には似つかわしくはない。
「まずニニギ、お前が出るのはダメだ。お前を外界まで連れて行くのに骨が折れる。そして枯木よ。お前もだめだ。火でもくべられてみろ。そこで終わりだろう。」
ニニギも枯木の霊も、それを言われると何とも言えないといった具合だ。蘇芳はやれやれといった顔で影法師を呼び出すと、誰もが想像しなかったことを宣う。
「お前がやれ。本性を晒して構わぬ。日頃の鬱憤を存分に晴らすが良い。」
「本性?」
体を波うたせて驚いている影法師をよそに、天嘉は不思議そうに聞き返す。この優しい妖かしの本性が気になったからである。
天嘉の視線に気がついたのか、もじりと照れ臭そうに身じろいだ後、影法師はふるりと身を震わせた。ぷよぷよと半透明の黒い球体がいくつも飛んできて、天嘉があっけに取られている目の前でどんどんと吸収していく。もしかしてこの球体は、屋敷に散らばる影法師達だろうか。ようやくその答えに行き着く頃には、影法師は全てを吸収し終え、その身を波打たせながら変化を始めた。
「な、な、な…」
「影法師は屋敷を飲み込んで結界を張るからなあ。本性は結構大きいぞ。」
「おいおい、これって影鰐じゃないのかい?こんな妖かしに屋敷任せてるなんて、随分と遊び心があるじゃないか。」
呆れた声で話すニニギの言葉に、思わず天嘉も呆けたまま中身のない相槌をする。影鰐と呼ばれた元影法師は、赤い眼を輝かせた大きな鰐のような体躯を晒すと、その赤い眼で天嘉を見下ろした。
「す、すげ…なんちゅうメタモルフォーゼ…かっこよ…俺のバイブスがぶちあがろうとしている…」
「何一ついっていることがわからん。が、興奮していることだけは理解した。」
蘇芳が慣れたようにあしらうと、影鰐はシュルシュルとその大きさを縮ませた。影に質量はない。だからこそ変化も自在らしく、蘇芳は手を差し出すと、その腕に這わせるようにして影鰐を肩に乗せた。
「山にピッタリだろう、こいつなら危害も加えんし、ただ少し追いかけてやるだけで構わんさ。」
「山に鰐いねえけどな。でもあり得なさすぎて逆に信憑性高めんのかな…。」
どうやら自分達の出番はないらしい。つまらなさそうに不貞腐れるニニギと、致し方ありませんなと肩をすくめる枯木の霊の姿に苦笑いをすると、やる気を見せる影鰐の顎を撫でてやる。小さくなった水掻きのついた手で天嘉の手のひらに己のそれをぺたりとくっつける姿は、任せておけと言われているような気がした。
夜空は曇天の隙間から徐々に月が顔を出し、争いの終わりを柔らかく照らしている。
焼けた地べたに高下駄のまま降り立った蘇芳は、その焦げた木を蹴り分けるかのようにして、ゆっくりと炭になったそれに近づいた。
顔に刺さった釘を通してその身を焼かれたやまのけを見下ろすと、もう動かぬ歪な体を、地べたに擦り付けるようにして踏みにじる。やまのけの焼かれた体からは、天嘉に対する不愉快な執念を感じる。男の生き霊を宿し、女の見た目を有するそれが蘇芳には何かわからない。わからないからこそ、己の知らぬ化け物が嫁を害するのが許せなかった。
草履の下が熱い。砕くように何度も足で崩してやれば、この体もやがて山の養分となるだろう。
「……、」
この黒い亡骸のように、蘇芳の身の内に燻る収まらぬ怒りも酷く醜い。ゾリゾリとした独特の足音を立てながらニニギが小屋から出てくると、苛立ちを隠そうともしない蘇芳に辟易とした顔をした。
「あんたの旦那が未だお冠だ。面倒臭いからさっさと宥めておくれよ。」
「すお、…ッ…、俺、」
おぼつかぬ足取りで、天嘉は駆け寄った。やまのけはもう退治されたというのに、酷く体がざわめいている。この感覚が、蘇芳の荒ぶる気からくるものだと理解すると、天嘉は居ても立っても居られなくなってしまったのである。
縋り付くように、蘇芳の体に抱きついた。しっかりと離さぬように布地を鷲掴みながら、その胸元に顔を埋める。ゆっくりと蘇芳の背中に回された天嘉の細腕。その腕が微かに震えていることに気がつくと、そっと労わるように手を添えた。
「終いだ。お前を怯えさせるものなど、もういやしないさ。」
「か、雷…っ…、け、怪我は…?」
ひぐ、と晒した泣き顔で、蘇芳の体を心配した。終わったのはわかっている。もう怖いのが居ないというのも、目の前でそれらを見ていたからわかっている。だからこそ、今そんなことはどうだってよかった。
天嘉は、あんな恐ろしい力を発揮し終えた蘇芳の体の方が心配だった。
自分よりも一回り小さな手のひらを忙しなく動かして、ヒックと声を漏らしながら蘇芳の体を検分する。なすがままに触られながら、面の下の蘇芳の表情は、そんな番いの必死な様子を前に、表情を晒せぬほどの間抜けな顔になっていた。
狢もニニギも、いの一番にそんなことを宣う天嘉が面白くて、呆けている蘇芳の様子を後でからかってやろうという心積もりになるくらいには、一部始終を楽しんで眺める。
だって、蘇芳は総大将だ。はなからやまのけなんぞに負けてやるつもりもなかったし、誰もが蘇芳の勝利をいとも容易く想像し得た結果だったのだ。当たり前を心配するなんて奇特なものはいない。そう思っていた。
「お前が平気なのか、」
「俺じゃなくて、お前が…っ!」
「何をいう。野暮な首の痣までこさえておいて。」
「っ、いて…」
蘇芳の大きな手のひらが、その赤く擦れた首元に触れた。細首のそれは痛々しい。手や足にも同様の擦過傷を認めると、蘇芳は天嘉の涙を拭うように親指で目元を擦る。その無骨な両手で、涙で濡れた天嘉の頬を包み込む。蘇芳でさえも、まさか己を二の次にして心配されるなど思っていなかったようであった。
「それやだ、」
「む。」
「お面つけたお前嫌い、やだ。」
「……。」
涙目で不満そうに見上げてくる天嘉に言われて、渋々面を外す。だって、嫌だったのだ。それは有事の際につけると、戦の時につけると言っていたから、天嘉はそれはかっこいいけどつけて欲しくないなあと、この面の存在を知ってからずっと思っていた。
蘇芳は言っていた。総大将になってからはつけていないと。それを、天嘉がつけさせてしまった。その事実が許せなかった。
ごちん、と天嘉の額が蘇芳の胸板にくっついた。まるで頭突きのような勢いだったものだから、蘇芳は小さく息を詰めた後、けほんと噎せた。
「…、天嘉。」
「き、嫌いだ…、それ…」
天嘉が運んできてしまった災難だ。蘇芳の大切なお山に、天嘉が迷惑をかけたのだ。だから蘇芳にそんな野暮な面をつけさせた。
自分の身だって碌に守れない。だから天嘉は大人しくしていようと思ったのだ。それなのに、これはないだろう。悔しくて悔しくて、つい箍が外れてしまった。
「お、俺…ちゃんといい子にしてたんだよ…っ、お前が、帰ってくるまで、いい子にしてたつもりだったんだよお…、っ…」
「ああ、わかっている。お前は拐かされたのだから。」
「俺、何も、できねえもん…っ、だから、迷惑、かけたくなかっ…た、のに…」
ごめんなさい、そう言って、天嘉は子供みたいに泣いた。何もできなかった。何もできないとわかってからは、天嘉は自分なりに一生懸命貢献しようとしていたのだ。
蘇芳が守ってくれるなら、天嘉は上手に守られたかった。手間をかけさせないように、蘇芳に負担がかからないように、上手に生きたかった。
身を震わして泣いている天嘉を見下ろしながら、蘇芳はトクトクと優しく響く己の鼓動を感じていた。腹に子を宿してくれただけでも十分だったのに、己の迷惑にならないように生きたかったと宣った。迷惑だなんて微塵も思うことはなかったというのに、健気にいらぬ気を遣っていたと知ると、蘇芳はそれが愛おしくて仕方がなかった。
妖かしのように、自身を守る術もない。人間という異なる種族で、それも本来ならば孕むことのない雄である。無理やり手篭めにして、受け入れてくれただけでも満足だったのに、天嘉はこうして弱い自分よりも己の体を気遣ってくれるのだ。
だから蘇芳は、顔を真っ赤にして、今腕のなかにいるこの特別な存在を、改めて噛み締めてしまった。
「参った。お前には殆参ってしまった。」
「蘇芳、」
「ああ、泣くな。目が溶けてしまう。お前はそんな身重の体で夫の心配をするなど、一体どこまで愚かで可愛らしいのか。」
顔が熱い。情けない顔を見られたくなくて、その体を抱き込んだ。その小さな頭を撫でながら、鼻を啜って大人しくなった天嘉の小さな頭に口付けた。
「帰ろう、もう夜も明けるしなあ。俺は疲れた。お前と共にゆっくりと眠りたい。それが贅沢なことだと、お前が教えてくれたからなあ。」
「うん、…っ、ぅ、ん…っ」
言葉は出なかった。天嘉は鼻水と嗚咽を飲み込むのに忙しかったからだ。こくこくと顔を赤くしながら何度も頷く天嘉を見て、蘇芳が赤べこのようだなあと余計なことを言った時だけは、うるせえよと返したが。
あれからしばらくして、予期せぬ出来事で滞っていた枯木の霊の相談事であるが、思わぬ方向で解決の運びとなった。
天嘉が絶対安静を言い渡されて、大人しく床についている時に漏らした、まじモンの怪異とか、逆に神様的なもんを見せれば悪さしねえんじゃねえかな。という何ともざっくりとした提案に、やる気を見せたニニギの一言がきっかけであった。
「祠を壊しやがったんだろ?なら天罰が降ったっておかしくはないよ。怪異の想像ったら恐ろしい見た目の方が信憑性もあるしねえ。」
と、己の見た目を駆使して驚かせてやろうと言ったニニギに、枯木の霊は言った。
「いや、やはり山を司る怪異、ないし神様と一口に申しましても、山ならばやはり樹木でしょう。それならば我々枯木の霊が束になって脅かした方がよろしいかと。」
とやる気を見せた。天嘉は見舞いにきた二人のやりとりを聞きながら、そこはうちの旦那じゃねえんだなあと思ったのだが、なんだか二人が楽しそうなので、何となく口を挟むのもなあという感じである。
山神とは呼ばれていないが、麓の人間たちからはそんな扱いを受けている蘇芳はというと、座布団を枕がわりにしながら夜勤明けの惰眠を貪っている。
「やるのはいんだけどさ、ニニギ、絶対人食うじゃん。やめろよ洒落になんねえから。」
「信仰心は畏怖からくるんだよ天嘉。指の一本や二本無くなっちまったって支障はないだろう。」
「現代っ子には大有りだろ。とにかく、やるんなら俺もついてくからな。現場監督的な意味で。」
「それはならぬ。」
下の方から蘇芳の声がしたかと思うと、むくりと起き上がる。寝こけていたくせに天嘉の参戦を聞いた途端止めに入るあたり流石である。
蘇芳はくありと欠伸を一つ。ぼりぼりと懐に手を突っ込んで掻きむしる姿は、実に総大将には似つかわしくはない。
「まずニニギ、お前が出るのはダメだ。お前を外界まで連れて行くのに骨が折れる。そして枯木よ。お前もだめだ。火でもくべられてみろ。そこで終わりだろう。」
ニニギも枯木の霊も、それを言われると何とも言えないといった具合だ。蘇芳はやれやれといった顔で影法師を呼び出すと、誰もが想像しなかったことを宣う。
「お前がやれ。本性を晒して構わぬ。日頃の鬱憤を存分に晴らすが良い。」
「本性?」
体を波うたせて驚いている影法師をよそに、天嘉は不思議そうに聞き返す。この優しい妖かしの本性が気になったからである。
天嘉の視線に気がついたのか、もじりと照れ臭そうに身じろいだ後、影法師はふるりと身を震わせた。ぷよぷよと半透明の黒い球体がいくつも飛んできて、天嘉があっけに取られている目の前でどんどんと吸収していく。もしかしてこの球体は、屋敷に散らばる影法師達だろうか。ようやくその答えに行き着く頃には、影法師は全てを吸収し終え、その身を波打たせながら変化を始めた。
「な、な、な…」
「影法師は屋敷を飲み込んで結界を張るからなあ。本性は結構大きいぞ。」
「おいおい、これって影鰐じゃないのかい?こんな妖かしに屋敷任せてるなんて、随分と遊び心があるじゃないか。」
呆れた声で話すニニギの言葉に、思わず天嘉も呆けたまま中身のない相槌をする。影鰐と呼ばれた元影法師は、赤い眼を輝かせた大きな鰐のような体躯を晒すと、その赤い眼で天嘉を見下ろした。
「す、すげ…なんちゅうメタモルフォーゼ…かっこよ…俺のバイブスがぶちあがろうとしている…」
「何一ついっていることがわからん。が、興奮していることだけは理解した。」
蘇芳が慣れたようにあしらうと、影鰐はシュルシュルとその大きさを縮ませた。影に質量はない。だからこそ変化も自在らしく、蘇芳は手を差し出すと、その腕に這わせるようにして影鰐を肩に乗せた。
「山にピッタリだろう、こいつなら危害も加えんし、ただ少し追いかけてやるだけで構わんさ。」
「山に鰐いねえけどな。でもあり得なさすぎて逆に信憑性高めんのかな…。」
どうやら自分達の出番はないらしい。つまらなさそうに不貞腐れるニニギと、致し方ありませんなと肩をすくめる枯木の霊の姿に苦笑いをすると、やる気を見せる影鰐の顎を撫でてやる。小さくなった水掻きのついた手で天嘉の手のひらに己のそれをぺたりとくっつける姿は、任せておけと言われているような気がした。
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