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名無しの龍は愛されたい

エルマーの告白の話 

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 きっかけは、サーシャの一言であった。

「エルマーおじいちゃんは、ナナシさんになんて告白したの?」
「ブフっ」

 孫娘でもあるサーシャは、学校の夏休みを利用して遊びにきていた。どうやら思春期らしく、学校内では恋人のいる生徒は夏休みの甘いひとときやらを楽しんでいるようで、最近のサーシャの話題といえば、エルマーの苦手な恋バナばかりであったのだ。

「告白、告白されたのかお前!?」
「私の話はしてないじゃん。告白はされたことあるけど、今はおじいちゃんの話をしてるの!」
「告白されてんじゃん、サディンは何やってんだあ!」
「だから、今はその話じゃないじゃんってば。」

 おじいちゃん、とは呼ばれているが、エルマーは相変わらず容姿は変わらないし、性格も丸くはなっていない。今も可愛い孫娘に手を出そうとしてきた輩がいると聞けば、年季の入ったナナシの虫取り網片手に出て行こうとするくらいは、孫にも子供にも甘かった。
 二人のやりとりの横で、同じく夏休みで遊びにきていたサジの愛息子でもあるロズウェルが、年頃の女子のようにテーブルに肘をついて、前のめりで問いただす。

「えるおじさま、学校ではロマンス小説が流行っているんですよ。サーシャは愛読者だから、乳臭いガキの恋愛よりも、大人な恋愛に興味があるんです。」
「それだと私が変態みたいに聞こえるからやめなさい。」
「何言ってんの。ナナシさんとえるおじさまの甘やかな関係を、前のめりでお父上に伺っているの。ロズウェルは知っているんだからね。」
「おい、うるさいなあ!そういうのは言わない約束でしょうがっ!」

 エルマーを挟んで、ロズウェルもサーシャも実に話題に花を咲かせている。間に挟まれたエルマーは、ちょっとだけやつれた顔で苦笑いをしていた。
 キッチンの方から、香り豊かな紅茶の匂いが漂ってきた。ナナシが唯一まともに入れることができる紅茶は、生前のトッドによって教えてもらったものだった。
 
「二人とも、元気で何より。だけど、ナナシはエルマーに告白されたことないですよう。」

 のんびりとした口調で、ナナシがトレイに乗せた紅茶を持ってキッチンから姿を表す。エルマーは二人の話題から逃げるためにそそくさとナナシのそばに寄ると、零さないようにと片手でトレイを受け取った。

「ウッソだろ。言わなかったっけ。」
「言ってないよう、ナナシはいっぱい好きって言ったけど。」

 遥か昔のことではあるが、エルマーは自分で自分に驚いたようだ。あんなにナナシに好き勝手しておきながら、告白をしていなかったのだから。
 おそらく若さもあったのだろう。ナナシもさして気にしている様子はないが、それに待ったをかけたのは、話題に花を咲かせていたサーシャとロズウェルだ。

「嘘でしょ。おじいちゃん体から入るタイプだったの。」
「信じられない。こんな可憐な人に告白もしないで手篭めにしたんですか。しかも、相手の好きの上に胡座をかいてどんと構えていただなんて。」
「待てお前ら、というかサーシャは体からとかいうんじゃない。」

 学校内では可憐な二人組で通っている二人だが、身内の中だと素が出てしまう。二人して可愛らしい顔を渋く歪ませると、侮蔑混じりの視線を向ける。
 年頃の二人とはいえ、そんなに身内の恋愛が気になるのだろうか。エルマーは若干物怖じしながらも、助けを求めるかのような瞳でナナシを見つめる。

「おい、お前からもなんか言って…。」
「ナナシ、たくさん好きって言った。でも、エルマーはうんしか言わないもん。ふんだ。」
「ナナシ、まさか根に持ってんのか。まて、だってもう結婚してっから、」
「おじいちゃん。言葉にしなくても察しろっていう男の離婚率、高いらしいよ。」

 この間、お父さんもお母さんにそんなことして一週間は口を聞いてもらえなかったんだからね。サーシャの声で、そんな爆弾を投下された。
 なるほど、先日までサディンが今にも死にそうな顔で医術局に通い詰めていたのにはそんな理由があったとは。エルマーは離婚の二文字がよほど恐ろしかったらしい、ぎこちなく隣のナナシを見つめれば、ロズウェルが行き場のなくなった紅茶をさっさと回収して、自分達の分をしっかりと配膳した。

「ナナシは、今でもいいよう。告白。」
「えっ」
「いいじゃん、ナナシさんもそれで許してくれるって言うんなら、告白しちゃえば。」
「うちのお父様なんて、毎日母様に愛を囁いてますけどね。人目も憚らずに。」

 いや、お前の母さんはセックスの導入だって人目も憚らねえじゃねえか。エルマーはそんなことを思ったが、ロズウェルが意地悪く微笑むのを見て、しっかりとサジによって魔女らしく育て上げられたなあと改めて認識した。
 コツン、とナナシの肩がエルマーに当たる。目線を下げれば、唇をチョンと尖らせて少しだけ期待しているような、そんな様子であった。
 豊かな尾が、ふさふさと床を撫でるようにして揺れる。孫たちがいなければ、抱え上げて寝室に直行したくなるほどに可愛らしい。

「うっわ。すんごい顔してる。ロズウェル、サジさんに写真送ろう。こんなおじいちゃんは滅多に見られない。」
「サーシャ、写真なんて生ぬるい。ここはお父様の撮影機で動画をとって後世に残しましょう。タイトルはエルマーさんの愛の告白で。」
「うわセンスない、そのタイトルはセンスないわ。」
「お前ら俺を差し置いて勝手に話を進めるんじゃない。」

 やめなさい。エルマーはしっかりと二人を嗜めるが、あまり効果は期待できない。ロズウェルが取り出したアロンダートの魔法道具は、動画を撮りいつでも見られるようにするものだ。絶賛売り出し中で、今やその収入で更なる発明品を嬉々としてこさえているらしい。エルマーは知っている。その発明品の中に、夜を楽しむものがあることも。それはサジが監修しているらしく、エルマーも二度ほどお世話になった。
 閑話休題。話が逸れた。そして、最も逸らしたい話題は未だ誤魔化せないまま、ついにはロズウェルが撮影準備を完了させやがったのである。

「ナナシさん、喜ぶだろうなあ。えるおじさまからの愛の告白。」
「嬉しい。えるからの愛の告白。結婚してるけど、初心に帰っちゃうかもですね。」

 ふんす、とナナシの方が意気込んでいる。エルマーはもう逃げられそうにもない。渋い顔をして、ちろりと寝室を見る。いつもならギンイロが紅茶の匂いに誘われて出てくる頃なのに、今日に限って出てこない。どうやら先日ロズウェルとサーシャが結託して、ギンイロをリボンで装飾しまくったのがよほどトラウマになったらしい。ちろりと緑の瞳が光り、扉の隙間からエルマーと目はあったが、その目をスッと細めると、器用に前足で扉を閉めた。
 
「…あいつ、ぜってえ知っててやってんな。」

 巻き込まれたくなくて確実に逃げたに違いない。エルマーは、きゅうっと唇を引き結ぶと、サーシャを見る。

「告白したことねえから、わかんねえ。」
「そんなおじいちゃんに、これを貸してあげましょう。」
「うわ、持ち歩いてんの。」

 エルマーの反応は想定済みだったらしい。したり顔でサーシャが頷くと、己のインベントリからやけに装飾の仰々しい本を取り出した。読書なんかしないエルマーは、分厚いそれを受け取ってなんともいえない顔をしたが、ロズウェルの反応からしてサーシャの愛読書であるらしい。いくつか本の中には栞が挟まれており、ナナシは興味深そうにエルマーの腕にピトリと頬をくっつけて覗き込んでくる。

「なんて書いてあるのう?」
「…こりゃあれか。若いやつの中で流行ってるロマンス本ってやつか。」
「文盲じゃなければ読めると思いますよ。特に、その栞が挟まってるとことかサーシャのおすすめです。」
「お母さんの本棚からかっぱらってきました。」
「サーシャのじゃねえじゃん…。」

 どうやら夢見がちなミハエルのものらしい。エルマーはその情報だけで胸焼けを起こしそうだった。
 ミハエルの恋愛脳というか、ロマンス主義というか、なんというか。まあとにかくすごいのだ彼は。サディンと夜を共にするときも、本棚から気に入りの本を持ってきて、その中の臭い一文を、サディンに読ませているらしい。その代わりに好き勝手していいようだが、おかげで自分の息子がバカになってしまったのではないかと、心配になる程甘い睦言ばかりを囁くものだから、エルマーは本当に己の息子が頭の病気を患ったのではないかと、一時期頭を悩ませていたことがある。

「これさ、どこまで読むんだよ。セリフ長くねえ?」
「なにい、読んで!ナナシもじ読めない。」
「嘘こけ、絵本くらいなら読めるだろ。」
「やだ、えるが読んでください。」
 
 ゆらゆらと尾を揺らしながら、ナナシがおねだりをする。エルマーは腕にナナシをくっつかせたまま本のページを指でなぞると、ううん、と咳払いをひとつした。

「ジョナサンは言った。」
「おじいちゃんそこからじゃない。」
「ジョナサンってだあれ。」

 まるで砂糖のように甘い二人のやりとりにを、恍惚とした表情で見つめていたはずのサーシャの思考が素早く切り替わる。ロズウェルは口を押さえて震えている。どうやら笑うのを堪えているらしい。笑い声がサジに似て治安が悪いのを気にしているようだ。

「その括弧の中のセリフを読んで、学習して!そんでナナシさんに告白してメロメロにして!」
「メロメロにしなくてもメロメロだもんよ。」
「えるおじさまがメロメロっていうの最高に面白い。」

 ナナシはめろめろ?と首を傾げている。人の感情を抽象的に表現する語彙はまだあまり理解していないが、なんとなく楽しそうだということはわかったらしい。

「エルマー、めろめろするですか。ナナシのこと。」
「くっそ可愛い聞いたかオイ。」
「聞いてた聞いてた。」
「撮ってる撮ってる。」

 ロズウェルもちゃっかりと仕事をしていた。
 サーシャは仕切り直しだと言わんばかりに立ち上がると、エルマーの手をむんずと掴んだ。どうやら仕込みに行くらしい。監督直々のご指導である。ミハエル仕込みのロマンス主義は、己の理想とするカップルに向けて遺憾無く発揮される。ナナシさんはそこにいてとしっかりと待てを言い渡すと、ぐいぐいとエルマーを引っ張って寝室に連れて行く。

「身内だから許されるけど、絵面やばい匂いしかしませんねえ。」
「ロズウェル、そういうこと言っちゃダメ。」
「はーい。」

 エルマーも微妙な顔をしているので、同じことを思っているらしい。しかし孫娘相手に強く出ることも出来ないまま、結局は寝室へと素直に連れ込まれた。
 扉を開けてすぐ、ギンイロがサーシャを見上げてギョッとした顔で飛び跳ねた。すまんとは思わない。むしろお前も道連れなんだよという治安の悪い目線で微笑むくらいはした。

「いいですかおじいちゃん、好きな人を手篭めにして、両思いだったから結婚できてるんですよ。」
「なんで急に敬語?他人行儀寂しいからやめてくんねえか。」
「つまり、普通の人はお互いの気持ちを言葉に乗せて差し出すの。それが恋愛の醍醐味なんです。お分かり?」
「サーシャちゃん俺の話聞いてないよね?」

 八割ほどは聞いてないです。と強かな笑顔で返された。息子に似ている。
 
「おじいちゃんさ、想像してみて。ナナシさんが自分に、好きです付き合ってくださいってモジモジしながら言ってきたらどうよ。」
「捗る。」
「いやそういうんじゃなくて。」

 捗るのはわかる。うん、と頷いたサーシャは、オホンと咳払いをひとつした。
 想像してみなさいと真剣な顔で言われる。エルマーは、あまり想像力はないが、ナナシのことならいくらでも想像することができる。その上等な顔を真剣なものにすると、口元に手を当てて目を瞑る。黙っていれば、本当に顔面がいい。サーシャは身内の顔面偏差値が高い弊害で、学校に行ってもその審美眼に叶う異性がいないのだ。

「……そうさな。」

 エルマーの頭の中には、まだ腹の膨らみが目立たないナナシが立っていた。銀色の美しい髪の毛がふわりと風に煽られ、緊張からか濡れた目元を赤らめながら、その形のいい唇を小さくつぐんでいる。
 その手は行き場がないようで、服の裾を握り締めながら、エルマーの前でモジモジとしてる。

『あ、あのぅ…』

 少しだけ掠れた、男にしては少々高めの声色が耳朶をくすぐる。エルマーは、今すぐにでもその腕の中に華奢な体を閉じ込めて、薄い唇を言葉ごと貪ってやりたかったが、グッと堪えた。
 ヒック、と小さく喉が震えた。緊張しすぎて、泣きそうになっているらしい。赤く染まった頬が情事を連想させる。たまらず歩み寄り、その薄い掌をそっと握りしめる。

『だ、だめだよう、な、ナナシは、ぇるに、い、いうする、ことあるのに、っ』

 握り締めたナナシの手のひらの体温が、じんわりと己の手の内側に浸透する。小さな掌は、腹に添えられたまま、体の距離を詰めたエルマーの腕の内側で、ついには縮こまるように握り締められる。

「何も言わなくても、腹の子供の責任は俺がとる。」
「おじいちゃんの告白の妄想が不埒すぎる。」
「なんでだあ!!」

 エルマーの妄想の中では、ナナシは妊娠してしまったことをエルマーに告げるという設定だった。己の雌が自分の子を孕むという最高のシチュエーションに心が躍ったのも束の間で、それも孫には即座に却下をされた。

「さっきまで、本当に、本当に心の底から私のおじいちゃんかっこいい最高って思ってたのに、なんで付き合ってくださいの告白が妊娠の告白になっちゃうんですかねえ。」
「好きな雌が孕むんだぞ、最高に捗るシチュエーションだろうが。」
「私のロマンス本にはそんな爛れた設定ありません。求めているのは前段階です。付き合って、イチャイチャして、そこでお父さんが生まれるんです!!!」
「そしてお前も生まれたなあ。」
「話がそれちゃうから戻してもらっていいっすか。」

 サーシャが可愛らしい顔をサディンのように歪めてエルマーを見る。こうしてみると本当にエルマーの遺伝子は強いなあと思う。
 とかく、エルマーが思っているよりも、もっと端的に愛を囁くらしい。好きです付き合ってくださいが一番スタンダードらしいが、サーシャはエルマーのポテンシャルを信じてるからねと言って、変な方向に応援をしてきた。

「んなこと言われたってしたことねーもんよ。愛してるはいうけど。」
「愛してるは言ってんのになんで好きですっていうのは言わないのかー!!お父さんもおんなじ!だからお母さんもむくれるんじゃん!」
「んだあ、難しいことわかんねえって、そういうの得意じゃねえしよ。」

 どうやらサディンもエルマーと同じらしい。ミハエルの、好きだよって言ってみてください。というおねだりに照れ散らかして、愛してるは言っているんだから、そんなものいらないだろう。などと最高に最悪な回答を返してしまい、一週間口を聞いてもらえなかった。
 そんなにいいいものなのだろうか。好きだよ。というのが。

「好きだよ、付き合って。って言われたら嬉しいんだよ。なんも難しいことないじゃん、いうだけなんだからさあ。」
「そういうけどよ、男らしくねえじゃん。」
「男らしくなんていらないんです!!男は好きな人の前では無様になっていいんです、これは常々お父さんにも言ってるのになんで私はおじいちゃんにまで言わな」
「わかった、わかったから。」

 一体ミハエルとどんな本を嗜んでいるのだと、エルマーが辟易とした顔をする。チラリと目を通した一文には、臭いセリフで、野花を片手に夕焼けを背景にして愛を囁くシーンが端的に語られていた。
 ジョナサンは簡単に好きを吐けるが、エルマーは無理だ。だってその言葉数に収められる気がしない。好きとかそういうんじゃなくて、ナナシの細胞の一粒まで愛を囁ける自信しかない。

「あ、戻ってきた。うわ、エルマーさんめっちゃ顔やつれてる。あの短時間で一体何があったの。」
「ダラスとやり合った時よりも疲れた。」
「大袈裟すぎる。」

 ナナシが、尾を振って出迎えてくれる。少しだけソワソワしているのは、期待をしているからだろう。エルマーは一仕事終えたと言わんばかりに紅茶を煽るサーシャを置いて、ずかずかとナナシに歩み寄り、その体をぎゅむりと抱きしめた。

「ふぉ…どうしたのう?」
「そんなに、好きだって聞きてえ?」
「っん、」

 エルマーの唇が、ナナシのふかふかのお耳にそっと口付けた。腕の中で小さく身を震わせると、ナナシはその頬を薄く色づかせて、小さく頷いた。
 
 エルマーがナナシのものだっていうのは、一生変わらない事実だ。死ぬ時だって一緒だから、きっと未来だって重ねることができるだろう。それでも、エルマーから貰った沢山の愛情の中に、告白だけは含まれていなかった。愛しているという言葉も嬉しいが、どうせなら、ナナシだけの上等な雄に乞われてみたいというのが本音だった。
 跪いて、手の甲に口付けをする様な、そんなアロンダートのようなことはしなくていい。エルマーらしい言葉を欲しかったのだ。
 
「わ、わがまま?ナナシのほしい、悪いこ…?」
「ぐっ」

 きょと、と見上げて、そんなことを宣う。腕の中で可愛いが渋滞を起こしていて、エルマーはそれを深呼吸することでなんとか飲み下した。俺の嫁が、今日もこんなに可愛らしい。神様、どうしてくれると虚空に向かって睨みつけたが、そもそも腕の中にエルマーの神様がいたのだ。
 ゆっくりと体を離す。それでも、その華奢な肩に両手は添えたまま。
 珍しく真面目な顔をしたエルマーが、その整った顔でナナシを見下ろすものだから、その白い頬はじわじわとさらに色づく。カサついた親指で、そっと頬を撫でる。指の背でナナシの長い髪を耳にかけてやると、エルマーはその掌でナナシの両腕を撫でるようにして、その小さな掌を己の節張った手で包み込んだ。

「あんま、こういうの得意じゃねえ。」
「うん、」
「…そんで、初めていうからクッソ下手くそだ。」
「…う、うん、」

 ナナシの目の前で、エルマーの顔がじんわりと色付いた。珍しく照れているようで、ナナシの掌を包み込む大きな手の内側が、少しだけ汗ばんでいる。
 緊張が伝わってくるのが嬉しい。手のひらから鼓動が伝わってくるのが、嬉しい。

「好きだから、お、俺のもんになって。」

 ボソリとつぶやかれた素直な言葉。本当に、聞く人が聞けば素っ気なくも聞こえるだろう。
 それでも、エルマーは顔を逸らさずに、しっかりとナナシの目を見て言った後、唇を小さく噛んで細く息を吐いた。顔の熱を覚ましているかのようなそれに、ナナシは漏れそうになる声を飲み込んで、柔らかく掌を握り返す。

「え、える、える、」
「き、聞こえてた?もっかいとか、そういうのなし…ちょ、あんま顔見るな。」
「やだ、ナナシにお顔見せて、こっち向いてほし、」
「やだ、ぜってえやだ!」

 赤い髪が映り込んでしまったかのように、耳まで真っ赤に顔を染め上げて、背を向ける。そんなエルマーの背中にくっついて、ナナシはブンブンと尾を振り回す。ナナシのエルマーが、こんなにも可愛くなってしまう言葉だったなんて、知らなかったといわんばかりに、ナナシは飛んで跳ねてと忙しなくエルマーに甘えてくる。
 そのうち諦めたのか、エルマーがナナシの体を再び腕の中に招き入れると、片手で顔を覆ったまま、マジで勘弁してくんない…。と聞いたこともないような声で宣うものだから、その様子を息を殺して見守っていたサーシャとロズウェルは、無言で互いの拳をぶつけ合った。

「いやあ、言えるじゃん。見てるこっちが気恥ずかしくなっちゃった。」
「お父様のように、美しい睦言もいいですけど、えるおじさまのような粗野な告白も、また違った趣がありますねえ。」
「おいこら誰が粗野だって?」

 ご機嫌なナナシを首にくっつけたまま、顔の熱が下がらないエルマーはむすりと冷めてしまった紅茶を啜る。
 サーシャはというと、ロズウェルと共に動画の確認をしたのち、実に満足そうな顔で頷いた。というか、撮っていたのか動画。エルマーは引き攣り笑みでそれを見つめる。
 孫娘によって盛大に阻止をされそうなので取り上げられないが、切実に公表はやめていただきたい。取り上げるための別の手を探さねばと思考を巡らせていれば、サーシャとロズウェルは二人して立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。夏休みの自由研究も終わったし。」
「自由研究なんてしてたか?」
「してたよ、不器用な男がどうやって告白をするのかの研究。」

 サディンに似た不遜な笑みで、サーシャがエルマーを見下ろした。その背後でしっかりと撮影に使った魔道具をインベントリに突っ込んだロズウェルが、手早く転移の陣を組み上げる。

「おあ、お、おま、まっ、」
「じゃあねおじいちゃん。これをもとに一冊本を認めなきゃだから、またね。ナナシさんもバイバイ」
「はあい、またきてね。」

 じゃ。そう言って、ワナワナと震えるエルマーを置いて、二人は姿を消してしまった。転移魔法なんて、あの若さで使える奴なんてそうそういないだろう。と、一瞬変な方向に関心をしてしまったが、今はそれどころじゃない。エルマーは陸に打ち上がった魚のようにハクハクと下手くそな呼吸をすると、がたん!と大きな音を立て、椅子を倒して立ち上がった。

「ミュクシル!!!」
「はわ、」

 悲鳴混じりの絶叫でミュクシルを召喚すると、エルマーは椅子を蹴っ飛ばしながら表へ出る。その一連の行動にぎょっとしたナナシは、見たこともないくらい慌てるエルマーを追いかけて窓に取りすがる。エルマーは、ナナシを置いて早々にミュクシルに跨って飛び出して行ってしまった。
 絶対に二人の行き先なんてわかっていないだろうに、ナナシは呆れたような目でその背中を見送ると、寝室からチャカチャカと足音を立てて出てきたギンイロが、ナナシの隣でお利口にお座りをする。

「オイカケル?」
「ううん、きっと、ご飯までには戻ってくるよう。」

 そんなに恥ずかしかったのかなあ、などと呑気に宣うと、ナナシはギンイロと共に庭先に降り立った。エルマーの背中は見えなくなってしまったが、ナナシは少しも寂しくはない。だって絶対に帰ってくるし、それにエルマーからまたひとつ宝物をもらってしまったのだ。
 くふんと一つご機嫌に笑うご主人様を見て、お利口な単眼の妖精は、ハカハカと笑うように舌を出してその顔を見上げる。

「おじいちゃん、もう行った?」
「サーシャ、えるからかうのよくないですよう。」
「いやあ、実に見ものでした。この場面も含めてバッチリ録画済みです。」

 屋根の上に転移をしてやり過ごしていたらしい。孫娘とロズウェルが庭先に降り立つと、ご機嫌にそんなことを宣う。
 全く二人して随分と現金に育ったものだ。ナナシはくっついてくるサーシャの頭を撫でてやると、後でその動画をナナシにもくださいと、しっかりと念押ししたのであった。



 夏休み後、サーシャの通う学校では、新たなブームが巻き起こったという。
 それは、粗野な男子が一途に一人の想い人に恋心を貫くというお話で、その本はひっそりと図書室に追加されて、瞬く間に広まったのだ。
 火付け役は、未だ謎のままであるという。しかし、そのおかげか、学校の男子には男らしさを競い合うものも増えたらしく、一部の生徒からは伸びしろを期待するような話がちらほらと出ているらしい。
 ちなみに原本と動画はミハエルがしっかりと鍵付きの本棚に仕舞い込んでいるらしいが、そのことをエルマーは知らないまま、サーシャが来るたびにご機嫌取りをしているらしい。




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