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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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 結局大林は、律儀にも榊原の食事に最後まで付き合ってくれた。
 弱みを握られてはいえど、ここまで素直だと、榊原としても不安に思ってしまう。この子、本当に大丈夫だろうかと。
 榊原の職業柄、会話の舵取りをするのに必要なのは、相手の感情の機微に対する観察眼である。食事中も何度か顔色を伺うように、大林の様子を気にしてはいたが、会話の流れが出来上がるにつれて、徐々にその警戒感も薄れていったように思う。
 大林の榊原に対する先入観のようなものが消え去ったからだとも思うが、本当はもっと単純で、性的な下心なしでの普通の食事が功をそうしたのではと思っている。

「じゃあまた、って言ったんだよな。」

 帰宅後、榊原は昼間のことを振り返るようにぼやいた。散らかった部屋をそのままに、また大林が見たら発狂しそうなだらしの無い格好をしている。
 広い部屋にドカンと置かれたソファの上、スウェットに下着のみで、ソファの背もたれに足をかけて寝そべる。家に着いたら、もうおしまい。取り繕った榊原から、いつもの榊原に戻るのだ。

 またって言われたあの時、思わず、二度目があるのかと柄にもなく浮かれた。半ば拉致気味に付き合わせた、昼食での距離の詰め方はやはり間違ってはいなかったらしい。
 己の言動に一拍あけ、顔を真っ赤に染めた大林が、まさかの言葉にポカンとしている榊原を前に、だってまたお店くるでしょ。という取り繕った言葉のおかげで、随分と気兼ねがなくなってしまった。
 じわじわと、己の言動を振り返った大林が、帰る!と、まるで逆ギレをするかのように宣ったことも含めて、榊原の感情はいい意味で動いた。
 帰り際、彼の細い手首を掴んで、次の約束も取り付けた。彼自身、自分が言った手前、断るのも変だと思ってくれたようで、こんなに行動と感情が真逆な人がいるのかと思うくらい、ものすごく嫌そうな顔で、わかったと言われたのだ。今思い出しても面白い。
 その手に握らせた榊原の名刺は、捨てていないだろうか。またの次回を取り付けた手前、せめて捨てるにしろ連絡先を登録してくれていればいいのだが。

「どうなるかは、君次第とでもいえば良かったかな。」

 あの、自分よりも一回り小さな手のひらの温もりを思い出す。榊原はむくりと起き上がると、ふむ、と一つ頷いた。
 なんだか、高揚感がすごい。まるで合否発表を待つかのようだ。どちらにせよ、あの気ままな黒猫にも似ている彼を手名付けるのには、なかなかに骨が折れそうなのも事実である。
 しかし、形成が不利な方が男は燃えるのだ。口端を小さく歪めて笑うと、榊原は飲み終えた缶ビール片手に立ち上がった。
 風呂でも入って、少し早いが寝る準備でもしようと思ったのだ。リビングの電気を落とす。テーブルに放置したスマートフォンの画面が、榊原の背後でチカリと点灯した。







「マジで信じられん。」

 本当に手渡されるとは思わなかった、大林の掌に握りしめられた鈍色に光るそれ。
 あの、榊原の脅しじみた二回目の邂逅の日の夜。絶対にやめておけと頭ではわかっていたのに、元来の自己犠牲精神というか、それとも謎の度胸があの時にはあったのかは知らないが、大林は榊原に連絡先を教えてしまったのだ。しかも、自分から連絡をした。本当に愚か者だ。

「もつ鍋の代償がデカすぎる。」

 とか言っているくせに、大林の榊原宅訪問はこれで二回目である。しかも二回目にして、家主不在。なんというか、いなければいないで気は楽なのだが、一度目の限界集落冷蔵庫事件で生意気を言ってしまった分、なんとなく尻の座りが悪い。
 鈍色のそれは、言わずもがな榊原宅の合鍵である。先日榊原が取り寄せたバターナッツカボチャなる珍妙な名前のカボチャで作った煮っ転がしと、ロマネスコを茹でてタルタルソースに和えただけの副菜が実に感動されてしまい、その日の終業後に合鍵を渡されたのだ。
 大林がケツを叩いたおかげで、ようやくキッチン周りの家電も充実した。フライパンだって二つもある。ちゃんとおたまもフライ返しも、わざわざ探さなくていい位置に置かれているし、今回はパキパキうるさいプラスチック容器じゃなくて、きちんとした保存容器でもあるタッパーも、戸棚の中に発見した。

「おお…職場環境が二回目にして改善されている…」

 少しだけ榊原を見直した。本当に、モデルルームもかくやと言わんばかりの何もない、というか炊事道具が菜箸くらいしかないという地獄のようなラインナップは抜け出せたようだ。仕事の合間を縫って、ここまで用意してくれたのは大変だっただろう。そんなことを思って感謝をしようと思ったが、そもそものスタートラインが一般的とはかけ離れていたのだ。大林はぶんぶんと首を横に振ると、甘やかしてはいけないと、もう一度今は不在の家主に対しての認識を改める。

 大林は、ひとまず鞄をリビングの椅子に置くと、持参してきたエプロンを身につけた。実はこれもわざわざ買ったのだ。普段家で炊事をするのに、エプロンなんて一切つけない。しかし、なんで榊原の家ではつけているかというと、これは単純に仕事として割り切るためのスイッチというか、まあそんなもんである。
 キッチン周りの環境改善の確認は済んだ。となるとまずは部屋の掃除から始めたい。料理は全部の家事が終わったらやればいい、気分的に、その方が美味しいものをつくれそうな気がする。このルーティンは大林の日常のスタイルを取り入れさせてもらった。

「金持ち怖…俺んちの寝室くらいあるんですけど…」

 失礼します。といない人に許可を取って、まずはウォークインクローゼットを開けた。榊原から、掃除道具はここにまとめてあると聞いていたのだ。
 本当は炊事だけでいいと言われたのだが、飯炊きだけで五万はもらいすぎだと大林の良心が痛んだのだ。なので、やるならしっかりと家政婦として扱ってくれと己から申し出た。
 ラックには、大林が販売をしたイタリア生地の店舗限定スーツもあれば、夜会にでも行ってるんですかと聞きたくなる燕尾服、モーニングコートなどの上流階級じみた勝負服の他に、百貨店でも取り扱っている店舗が少ない名のあるコレクションブランドの服や、靴、そして親しみやすいプラスチックケースの中からはみ出したネクタイやら、床に落ちているのブランド物のベルトも見てとれる。
 流石に衣類はきちんとしているが、小物はなんでこんなに雑に纏めているのだろうか。ネクタイを買った時の箱も、今にも崩れ砂くらいに積み上がっている。
 謎に開いたプラスチックケースの下段、大林は掃除機をかけるにも、まずは床に散らばったそれらをどうにかせねばならぬと、スマートフォンを取り出して、その惨状の写真を一枚撮影した。

「…ここの箱、全部ケースに突っ込んでいいですかっと、」

 念のために、榊原に私物を触っていいかの許可とる。そんなものはいらないとは言われているし、好きに過ごしていいという、なんともホワイトなことを言われているのだが、大林のこの行動には、ほんの少しの嫌味も含まっている。
 あんたの部屋マジで汚いな。と言わん張りの写真の添付メッセージには早速既読がついた。お願いします。とすぐさま返事が返ってくると、榊原はついでにと、手を合わせて上目遣いをしているようなウサギのスタンプも貼り付けてきた。シンプルにイラつく。
 大林はエプロンのポケットにスマートフォンを突っ込むと、深く重いため息を一つ吐いたのであった。


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