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しおりを挟む「動きたく無いなあ。」
今は、足が痛いから、ゆっくりしていたい。そんなことを呟いて、誰もいないのに独り言を口にした自分に少しだけ笑った。
困ったり、本当にどうしようもなくなった時に、笑う癖がついた。前の職場ではそれを気持ち悪いと言われたんだっけかと思い出して、また口元が緩んだ。二回目は、成長しない自分への侮蔑も含まれる。
いいか、と思ったのだ。
だって、ここには旭しかいない。情けなく泣いても、咎めてくる人は誰もいないのだ。だから、言ってもいいかと思ったのだ。
「は、…」
吐き出された呼気が、白く溶けて夜に消える。あの夜キスをしたことを思い出すように、震える指先で唇に触れた。今は乾いて、少しだけカサついている。
「す、きです。」
消えてしまいそうなほどの、細い声だった。頑張って、言葉にした一言。抱え込んだ思いをぎゅう、と詰めた。好き、の二文字。
今まで、言いたいことがあっても口にせずにいた。だけど、今は違った。一人だから、余計に言いやすかったのかもしれないけれど、それでも、きちんと言葉として吐き出すことができたのだ。
もし、二文字が具現化したら、一体どんな色で、どんな大きさなのだろう。具現化して、その中に旭の柴崎への気持ちが全部詰まっていたとして。
もし、そうなったら、旭はそれを土に埋めて、種をまいて、花を植えよう。そういう弔いをすれば、気がすむかもしれない。そんなくだらない妄想をした。そのせいだろう、気持ちが融解して、ぼたぼたと地面にシミを作る。ぐちゃぐちゃだ、全部。旭はただ、柴崎にとっての良い後輩で入れればよかったのに。
「嫌だ、ぁ…っ…」
一度言葉にすると、もうダメだった。この気持ちは普通じゃない。なんで、こんなふうにしちゃうんだろう。俺、また逃げてる。
だって、ただがんばったご褒美に、カフェに行っただけじゃないか。寒いし、手も悴むし、仕事だって満足にできないし、そんなこんながないまぜになって、ぐるぐると澱む。
柴崎の隣に立てない自分が、内側で痛いと叫んでいる。
昔からそうだった。自分が欲しかったものでも、一歩引いたところからでしか見れない。仲間はずれにされないように、本音を隠して、いらないと言って譲るのだ。向こうが気を遣わないように、自分には必要じゃないと理由まで作る。その代わり、嫌いにならないで、ひとりにしないでと媚を売る。これが一番当たり障りがない。
それに、人のものは取ってはいけない。旭が欲しがったことで、周りが不快になるのなら。それは最初から旭のものではないのだ。
いつも不器用で、こんな感じ。自覚しているのに直らない。ああ、ごめんねって言えてない。柴崎さんに、ごめんねって、
俯くようにベンチに腰掛けたまま、ゆるゆると拳を上げた。振り下ろし、座面を叩く。重くて鈍い音がして、それがベンチの抗議のようにも聞こえた。
旭のそばに寄り添ってくれるのは、お得意のネガティブばかりであった。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。胸の中の澱みを吐き出したくて、口から漏れた吐息は熱を持っていた。
柴崎さんと再会しなきゃ、こんなぐちゃぐちゃにならなかったのに。嫌いだ、こんな、俺の情緒をぐちゃぐちゃにする柴崎さんなんか。そんな八つ当たりをしたら余計に苦しくなった。
ヒック、と肩を震わしながら、ぐしりと前髪を掴んだ。恋愛って、簡単じゃない。辛くて苦しくて、本当に嫌になる。こんなことになるなら、最初から優しくしないで欲しかった。いつも消えたくなるタイミングで現れて、そばにいてくれる。雑に見えるような扱いも心地よくて、楽しかったのだ。
一つ一つ、消せたら良いのに。口を覆う。情けなく声を上げて泣いてしまいたい。身も蓋もなく、そう出来たらどんなに良いことだろう。
風が一際強く吹いて、旭の足の間を枯れ葉が滑っていく。そろそろ帰らなくちゃ、いつまでもここにはいられない。泣いた顔はマスクでも買って誤魔化そう。そう思って、その枯れ葉の行き先を見つめるように顔を上げた時だった。
「んなとこで、何してんの。」
目線の先に、スエードの皮に包まれたつま先が見えた。風に混じって、覚えてしまった香水の香りが微かに香る。
「…、」
「っ待ってば!」
ガタンと音を立てて、ベンチから立ち上がるとともに、駆け出そうとした。旭の咄嗟のその動きを遮ったのは柴崎だ。
コートの上から、無骨で大きな手によって手首を包まれる。
「ぃやだ、っ」
「あぶね、っ」
「ひ、っ」
振り払おうとして、力むために踏み込んだ足が砂利の上を滑った。かくんと膝が崩れ、引き寄せられるままに腕を強く引っ張られる。
どん、と背中がぶつかって、腹に回された腕によって、暴れる旭の体は拘束された。
「ゃだ、…帰る、離せよ!なんで、ここに来るじゃねえよ!」
「うるせえ、俺がどこに行こうがお前に関係ねえだろうが。」
香水の香りが強くなる。柴崎の体は冷えていて、夜の匂いが強かった。泣き顔を見られたくなくて、ひたすら顔を下げて隠す。柴崎は抱きしめる腕の力を強めながら、そっと旭の肩口の顔を埋めた。
「いやだっていうな、俺から逃げるな。結構傷つく。」
ボソリと呟かれた。切実な色が滲むその言葉に、旭の喉がひきつれる。くぅ、と情けない音が鳴って、柴崎の手の甲に涙が落ちた。
背中が熱い、寒くない、鼻腔をくすぐる柴崎の安心する香りが、容赦なく涙腺を叩くのだ。
「泣いてんの。」
「泣いてない、っ」
「見せて。」
「嫌だ、」
鼻声だし、手の甲に涙を零したし、それで泣いていないと言い張るのも無理な話だというのはわかっている。だけど、柴崎の前ではやっぱり矜持が邪魔をするのだ。
柴崎の掌が、ゆっくりと旭の小さな顎に触れる。乾いた指先が涙の筋を撫でて、その目元にたどり着いた。
「嘘つき。」
柴崎の掌が、優しく頬を撫でた。親指が唇に触れて、下唇を柔らかく押す。喉が震える。
柴崎は、まるで、外気の寒さから守るように。そして、もう逃げられるのはごめんだとばかりに、強く抱きしめた。薄い体が小さくなって震えている。可哀想で可愛くて、柴崎はその肩口に顎を乗せると、その濡れた旭の頬に擦り寄るように顔を寄せた。
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