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「正直、ネクタイもらってもなあ。」
「あんたね、営業妨害だからそういうこと言うなっての。」
 
 一万三千円代のネクタイが大人のお姉様方にちらほらと売れ始め、平日のキングスパロウの売上の主軸となっている。
 日に七本売れるだけで大きいのだ。それなのに、柴崎ときたらこれである。旭が苛立っているのも無理はない。まあ、理由はそれだけではないのだが。
 
「どうよ、この間のポップ効果出てる?」
「おかげさまで。ネクタイピンとセットで売れたりしてる。」
「カフスは?」
「カフスは微妙。」
 
 ふうん
 時のない返事をした柴崎が、何やらメモを取っていた。どうやら紳士服売り場で雑貨メインの集積売り場を作るのに、聞き込みをしているらしい。売り場の端の方では、洋次が好奇心に満ちた目で柴崎を見つめている。どうやら彼女の真相を聞きたい心づもりのようだ。旭からしてみたらやめてくれの一言であるが。
 
 閑散期に入った売り場は静かなもので、時折カップルが冷やかしに入店してくるくらいだ。気を配って雑談をするというのも変な話なのだが、一日中気を抜かずにいろというのも無理な話なのだ。
 現に柴崎はフロア周りとかいって事務所からこちらに出てきて退屈を凌いでいる。
 
「旭はもらえる予定あるの。」
「何を。」
「バレンタイン。」
「あるわけねええええ…」
 
 彼女だっていないのに。若干こめかみがひくつく。あんたと違ってモテないのだと言い返してやろうとしたのだが、どうやら洋次が好機と見たらしい。そそくさと柴崎に近づいてくると、ニコニコ顔で絡んでくる。
 
「柴崎さんはどうなんすか。三階のこれと。」
「何、三階のこれって。」
 
 小指を立てて、先端をくい、と曲げる。仕草は完全に親父である。柴崎はというと、キョトンとした顔で首を傾げると、意図を測りかねているようで、旭に説明を求めるように視線を送ってくる。
 
「…三階の彼女ですよ、あんた告られて彼女できたって、もっぱら噂になってます。」
「告られて?三階の彼女?だれ。」
「やだなあもう、しらばっくれないでくださいよ。そんな色男柴崎さん以外いないじゃないですかあ。」
 
 柴崎はポカンと口を開けたかと思うと、再び旭の方を向く。やめろ、なんでいちいち確認をするようにこちらを向くのだ。ふい、と顔を逸らして、旭は柴崎の目線から逃げる。しかし、後から女々しいことをしたと気がついたが、もう遅い。柴崎はそんな後輩の態度に眉を寄せはしたものの、洋次の無言の催促に耐えかねたらしい。しばらく押し黙ったのだが、やがて重々しい口調で、違う。と訂正をした。
 
「告白ったって、酒の席だし。好きです付き合ってくださいとかじゃねえよ。」
 
 面倒臭そうな声色でそんなことをいう。酒の席、という言葉に、旭が小さく反応する。洋次はその説明だけでは足りなかったらしい。掘り下げるようにその先をねだると、辟易とした顔で反応を返す。
 
「告白で付き合ってくださいじゃないってなんなんすかあ、それってつまりどういうこと?」
「だから、もうその話は終わってんだって、付き合ってねえし。それだけ、お前は人の恋路大好きな女じゃねえんだから、あんま突っ込んで来んなって。」
「柴崎さんのケチ!もう知らない!」
「いやお前は俺の彼女か。」
 
 くだらないやりとりで盛り上がっている二人とは別で、旭はというと、やはりまだ己の中で消化しきれないものを感じていた。夕方四時の立礼の音楽がなり、旭が柴崎の背後を通り通路側にたつ。柴崎に彼女がいないというのがわかったところで、どうでもいいはずなのに、それでも胸の奥のモヤつきは消えずに気持ち悪いままだ。なんだろう、しかしその答えを追求してはいけないことだけはわかっている。
 柴崎がそっと旭の隣にくる。自分の横に並ばないでほしい。柴崎の身長から見下ろされるのは、まだ苦手意識があった。
 
「不機嫌、なんかあったんか。」
「ないっす。」
「ないっすって、女子の一日目見てえな顔してる。」
「………。」
 
 無言で柴崎を睨みつける。今理解した、柴崎は完全に己のことを揶揄って遊んでいるのだと。何がいけないではない。多分この人に足りてないのは俺に対しての心配りだ。
 
「…すまん、今の嘘。」
「ちっ」
「マジでごめんって、っ、イッテ!馬鹿おま、容赦ねえ…」
 
 流石に言いすぎたと思ったらしい。取り繕う柴崎になんだか腹がたって、元の動的待機に戻る際に、ふくらはぎに一発蹴りを入れてやった。これくらいは許してほしい。こんな奴に旭はずっと悶々としているのかと思っていたら、なんだかイライラしてきたのだ。
 柴崎のせいで己の情緒が振り回されるのは看過できない。通路を通ったお客様に、二人して笑顔でご挨拶をきちんとしたのは完全に習性だが、柴崎に至っては蹴りを入れられたふくらはぎを摩りながらであった。
 
「あれ、柴崎さんがいる。」
「てんちょ、こいつマジでバイオレンス。」
「何、うちの旭がなんかしましたかね。」
「なんもしてないです。セクハラ嗜めただけですし。」
 
 休憩から戻ってきた北川が、不思議そうに首を傾げていたが、柴崎と旭のやりとりがカジュアルなのはいつものことなので、ハイハイだけで済ませる。うちの子にちょっかいかけるから噛まれるんですよ。とまで付け加える北川に、旭は無言で頷いた。
 
「ちぇ、悪もん俺かよ。と、お疲れ様です柴崎です。」
 
 渋い顔で文句を言っていた柴崎のピッチが、ピリリとなった。切り替わるかのように顔つきが変わる。先ほどのやりとりはなんだったのかと思うほど、耳心地の良い明朗な声で受け答えをし、引き継ぎをしながら店を後にする。去り際にチラリと背後を振り返り、旭に目線を送ると、顎を軽く浮かせるようにして挨拶をして出ていった。
 
「何あれ今のかっこえー!」
「……。」
 
 隣で、洋次が興奮したようにはしゃぐ。
 ずるい。旭はグッと唇を引き結んだ。
 
 なんでそんなかっこいいことすんの。さっきまであんなに情けなかったくせに。
 旭の心の叫びは顔に出ていたらしい。横から顔を出した北川がボソリと呟く。
 
「柴崎さん、めっちゃモテるからな。」
「あんな仕草、遊んでなきゃできないっすよ。」
 
 北川と洋次の言葉に、旭はふんすとため息で返した。そんなもの知ってる。いくらでも知っている。この間なんて、知りたくないことまで知る羽目になったのだ。まあ、結局彼女はいなかったらしいが、それでも旭は柴崎のタチの悪さに関しては、誰よりも一番自分がよくわかっているという自負があった。
 
 
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