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 こんな世の中間違っている。
 
 専門学校を卒業して、半年でデザイナーという花形職業を辞めた負け犬の遠吠えである。
 
 旭理人。それが彼の名前だった。
 服飾の専門学校を卒業し、小さい頃からの夢であったアパレルデザイナーの狭き門を叩いた旭の心は、自信と、若さ特有の優越感で満たされていた。
 己の力で、夢をもぎ取ったという自負があったのだ。頑張れば、何にだってなれる。そうやって己の達成感を全面に出して、自分はなんでもできると勘違いしていたのだ。
 末尾に長音符のつく、憧れを抱くものが多い職業には特別感がある。自分はその辺の、チープな妄想からスタートしたものとは違うのだ。安い妄想のままで終わらせず、きちんと胸を張って服飾を学び、専門士の資格も得た。
 だからこそ、期待もしていた。夢だって抱いていた。己のブランドを立ち上げるという壮大な夢を胸に抱いて、社会に羽ばたいた。
 
 その半年後、夢と希望に溢れた旭の大舞台は、あっけなく閉幕したのである。
 
 
 
 
「前の会社を半年で辞めていたから心配していたけど、うちの会社が君の気質にあったみたいでよかったよ。」
 
 珈琲とレトロな蓄音機から奏でられる昭和歌謡がご自慢の喫茶店で、旭は勤めているアパレルメーカーの営業担当に呼び出されていた。
 
「あはは、まあ伸び伸びとやらせてもらってます。」
 
 おかげさまで、と付け加えて微笑む。その笑顔に、前のような快活さは見られない。
 
「真顔で言われても、ねえ?」

 困ったように笑われる。そんな顔をされても、旭だって困るのだ。膝の上に乗せていた手を握り込む。
 喫煙ができるからと言われてここに呼び出された。苦手とする上司を前に、どういった態度を取るかなんて専門学校でなんか習っていない。燻されるかのように煙に巻かれながら、処世術ってなんだっけなあと乾いた笑みが漏れた。
 
 勤めていたデザイナーを辞めた後、仕事として選んだのは販売員であった。結局服が好きという気持ちからは離れられず、直接のニーズ把握ができるから、と前職を引きずったまま再就職をしたのだ。
 半年、頑張った。頑張って、頑張って、報われないものがあるのだと知った。
 及第点だ、よく頑張ったな。そう、自分で自分を褒めることで慰めとしたあの日。旭は初めて、自分の夢から逃げたのだ。
 
「今の職場はどう、慣れた?」
「みなさん、ほんと良くしていただいて。」
「そうかそうか。みんな優しいから、旭君も伸び伸びと仕事ができているみたいでよかったよ。」
 
 細く長い煙が、ゆっくりと吐き出される。研修先で配属されてから、薄々はこうなるだろうとは思っていた。
 研修先である現在の職場にはなんの不満もない。あるとしたら、今日のように営業がアポイントメントなしで現れるくらいだろうか。
 
 
 旭くん。エマージェンシーコールだ。奴が店回りにくる。
 
 遡ること一時間前。きっかけは、店長のそんな言葉であった。
 額面通りの言葉に、店の中は瞬く間に慌ただしくなった。
 今回の生贄は?大丈夫、売り上げは取れている。みんな、忙しいふりをしろ。トイレに行ってきます、あ、俺は入金に行ってきます。
 
 アットホームな職場は一転して、蜘蛛の子を散らしたかのような有様だ。しかし皆はやはりプロであるからして、一様に笑顔を顔に浮かべたまま、それぞれが機敏な動きで四方に散る。もはやこれは刷り込まれた回避行動の一つに違いない。
 その後、訪れた営業によって指名された栄えある生贄は、ストック整理に勤しんでいた旭理人に決まったのであった。
 
 カロリと鳴く氷に、現実に引き戻される。汗をかいたアイスティーは、飲めぬまま水嵩だけが増えていた。 
    
「じゃあ、本題だけど。」
 
 煙草の匂いが染み込んだ指で、ブリーフケースから書類を取り出す。旭は喉の渇きを堪えるように、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
「接客も個人売も申し分ないし、一皮剥けてみたくない?」
「はい?」

 意を汲み取ることが出来なくて、旭は思わず首を傾げた。この営業は回りくどいのだと聞いていたが、どうやらその評価は本当なようだった。
 一度で理解できなかった旭の反応がお気に召さなかったらしい。おほん、と一つ。わかりやすい意図を含んだ咳払いの後、口を開く。

「単刀直入にいうと、百貨店に新規出店する外資系ブランドのスタッフとして立ってもらおうかなあって。」
「え、誰がですか。」
「旭くん。十四日後にはもう店頭に立ってもらう予定だから、よろしくね。」
「えぇっ!」
 
 意図を汲み取れぬままの方が、どれほど良かったか。
 声が大きいよ。そういって嗜められたが、何も響かない。研修先である現在の職場から移動になるというのは予測していた事ではあったが、まさか外資系ブランドに移動になるとは思っていなかった。旭が何も言えないことを、良い意味として捉えたらしい。営業はにこりと笑うと、期待しているからと肩を叩いた。
 
 思ってたんと違う。素直な言葉が口から溢れ出かけて、慌てて飲み込む。旭の内心を反映するかのように汗をかいたアイスティーだけが、寄り添ってくれている気がした。
 こうして、前職を辞めてからきっかり一年後。昇格という人身御供、もとい誰もが知る有名ブランドのオープニングキャストとして、旭は送り出されたのであった。
 
 
 
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