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ヒュトーの尻尾 

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「ぷゎっ!」

 突如として降り注いできたお湯に、シグムントは珍妙な声を上げるハメになった。
 なんとも大胆極まりない眠気覚ましである。顔に張り付く髪をかき分けるようにして視界を開けば、どうやら浴槽の中にいるらしい。頭上には、鬼の形相をしたイザルが仁王立ちで見下ろしていた。

「おはようクソ野郎。まずは説明をしやがれ」
「せ、説明?」
「お前の腰についてる立派なもんの話だ」

 未だ状況は飲み込めぬままだ。シグムントは不思議そうに首を傾げる。腰についている立派なもの。と褒められて相応しいのは、イザルの方じゃないかと思ったのだ。記憶に新しいイザルの聖剣を思い出して、シグムントがじわ、と頬を染める。そのまま己の目の前にある、衣服に隠されたそこに目を向けると、もじりとしながら口を開く。

「俺はイザルのように自己主張は強くはないからなあ」
「ついてんだよ俺よりも自己主張が強いもんが」
「イザルの男性器よりも……?」
「俺のちんこの話は微塵もしてねえ!」
「ひゃいんっ」

 スパン! と鋭い一打が頭上に降ってきた。しかし、叩かれたシグムントよりも勢いよく転んだのは、イザルの方であった。
 浴槽の縁に手をかけ、恐る恐るイザルを見下ろした。そこには白くて長いシグムントの一部が、イザルの足に絡みつく姿であった。

「あ、尻尾!」
「それだよそれ!」

 ようやく合点がいった。確かに、シグムントの腰についている尻尾は立派な太さを持っている。
 痛む頭をさすりながら起き上がるイザルの目の前では、まるで生き別れの弟のように尾を抱きしめるシグムントの姿があった。
 イザルが呆れた目を向けるのも仕方がない。まるで甘やかされるように、尾はシグムントの頭を撫でられている。

「俺の長年の相棒が現れて驚いている。どうしてなのだろう」
「お前もわからないんかい!」

 白い蛇の尾の先端は、尾の先を震わせるようにしてイザルを威嚇している。先程お湯をかけて起こしたせいか、どうやら敵認定を受けているようだった。
 本体よりも自己主張の強い尾を前に胡座をかくと、イザルはうんうん頭をひねるシグムントの尾を鷲掴んだ。

「ふぁっ」

 突然な尾への刺激に、シグムントの口からは甘やかな声が漏れた。しかし、漏れたのは声だけではない。濡れた口元から飛び出した小さな火球が、イザルの顔の横を掠めるように勢いよく通過した。背後でジュウッと水蒸気が上がる。浴室の壁に防火魔法がかけられている当たり前を、イザルは初めて感謝した。
 
「ぁぅ……」
「…………」

 浴室の中を、しばしの間静寂が包んだ。シグムントは小さな手で口を押さえたまま硬直し、イザルは尻尾を掴んだまま動けなくなっていた。尾の先端だけが、元気にビチビチと動いている。

「……お前今魔法放ったか?」
「で、出ちゃった……」
「出ちゃった……じゃねえ。お前、魔力ねえって言ってなかったか⁉︎」
「ま、待て、確かめるからもう一度出してみてもいいか!」
「ちょ、水張るからそこにだせ!」

 シグムント自身も、何が起きたかは理解していないようだった。
 わたわたと浴槽から転がり出るシグムントと入れ替わるように、イザルが浴槽へと湯を溜める。頬を染め、ワクワクとした様子でイザルからの許可を待つシグムントは、犬のように揺れる己の尾っぽをよしよしと宥めすかしていた。
 そうして、漸くある程度の湯を溜め終わったイザルが、シグムントへと目で合図をするように振り向いた。

「よし……っ!」

 ふんすと意気込んだシグムントは、深呼吸をひとつ。真剣な表情を見せる。いつものふくふくと笑うシグムントからは、想像もつかぬほどの凛々しい顔である。小さな牙を見せつけるように、口を開けたまま浴槽を睨みつける。しかし、待てど暮らせど、シグムントの口からは火球は放たれることはなかった。

「……おい」
「んん、うん、うんっ」

 訝しげなイザルの視線に耐えられなくなったらしい。ぎこちない咳払いをしたシグムントが、照れ臭そうに宣った。

「頑張ってみたが、でなくなってしまった!」
「ああ⁉︎」
「さっきの一発でガス欠というやつだ」

 でへ、と照れ臭そうに笑い、力の抜けるようなことを宣った。どうやら先程の一打で魔力は尽きたらしい。手のひらを胸元に添えて、シグムントが体内の魔力の流れを確かめる。一体、どうしてそんなことが唐突に出来るようになったのか。どうやら思い当たる節があるようだった。

「イザルの魔力を分けてもらったからかもなあ」
「あ?」
「ほら、あれだ」
「あれ?」
「くっ、」

 シグムントが、く、と言葉を区切った。唇をもにょもにょとさせ、言わせるな馬鹿者! と言わんばかりにイザルの腕を叩く。その仕草になんとなく腹が立って、イザルはお返しにシグムントの膝をごちんと殴った。
 
「ひ、膝はいけない!」
「うるせえまだるっこしいしてねえでさっさと言え」
「だ、だからくちあいっこをしただろう! あ、あの健康管理でイザルの魔力が譲渡されたのだ! お、おそらく……」
「はあ?」

 頭が悪いせいか、くちあいっこなどと妙な言い回しを使う。シグムントの言葉が本当なら、おそらく口付けではなく体液交換をしたことがきっかけだろう。イザルは冷静に判断すると、はたと気がついた。

 角を奪われてから、魔力を持たぬ空の器になったシグムントが行使できるのは、マッチ一本分の初期魔法のみ。炎が一番扱いやすいのは、それがヒュトーの属性魔法だからに違いない。しかし今放たれた魔力を見る限り、その残滓はイザルのものである。

「……ふうん?」
「え? 不運?」
「なんでもねえ、ちっと面白えなって思っただけだ」

 悪い顔をして笑みを浮かべたイザルに、シグムントは心なしかゾッとした。本能的に何かを敏感に察知したのだろう。笑みを浮かべるイザルを前に居心地が悪そうに肩を縮める。

「依頼、お前もついてこいや。魔物には詳しいんだろ」
「あ、ああ、ああもちろんだ。役に立てるのなら活用してくれ」
「仕事は明日からだ。今日はもう寝よう。お前のその尾っぽはしまえるのか」
「む、これなら気にしなくてもいい。多分そのうち消える」

 よかった、イザルは普通だ。もしかしたら嫌な予感といのは俺の勘違いだったのかもしれない。
 シグムントは肩の力を抜く。言葉通り、白い尾は役目を果たしたかのように徐々に消えていく。本性の一部顕現も、一時的なものだったらしい。両方の角があった際はコントロールもできたのだが、今は無理だ。
 尾が消えてホッとするシグムントとは裏腹に、イザルは己の予想がおそらく正しいだろうことを知ってニヤリと笑う。シグムントの珍妙な体質を前に、これは使えるかもしれないと思ったのだ。
 イザルは指先をシグムントへと向けて、生活魔法で濡れた体を乾かしてやった。そして、手首を引くようにして浴室から出ると、再びベットのある部屋へと戻ってきたのである。
 シグムントとしては、大いに恥ずかしいことをしてしまった、記憶に新しい場所だ。気まずそうに顔を赤くしている当たり、初心うぶだが意識はしているといったところだろう。
 イザルは、やっと持つべき危機感の一つに気がついたかと呆れたように溜め息をひとつ漏らすと、薄い背中を押すようにして、ベットへと突き飛ばした。

「うわぁっ!」
「俺がお前の魔力タンク代わりになるのは癪だが、つまりはそう言うこったなあ」

 ギシリとベットが軋んだ。シグムントが慌てて体を起こそうとすれば、華奢な体を押さえつけられる。先程の嫌な予感は、どうやら当たっていたらしい。シグムントは油が切れた機械兵のようにぎこちない動きでイザルを見やると、向けられた魔王のような笑みに小さく悲鳴を上げた。

「い、イザルまて、寝るんだよな! さっきで俺の健康はわかっただろう! ああ言うのは定期的にやるもので、っ」
「さっきと状況がちげえだろう。もう一度メンテナンスする必要があると思わねえか」
「ま、また、またメンテナンスするのか⁉︎」
「どこまで魔力が貯められるのか、試して見る必要があるだろう。おっと、尻尾はコントロールしてくれよ。何、悪いようにはしねえから」
「悪い予感しかしない、う、うわー‼︎」

 情けないシグムントの悲鳴が上がった。
 魔力補充に体液が有効というのなら、性欲解消のみならず。シグムントの体に魔力を溜めて己の補助に回ってもらい、荒稼ぎをすることができるだろう。イザルの悪い笑みの意味は、まさしくそれであった。
 本人の気が付かぬ有用性は、イザルだけが知っていればいい。哀れにも、シグムントは皮算用の尊い犠牲になったのである。
 
「あ、ほ、本当にまっ……」
「さあ、お前の許容量を教えてもらおうか」
「あっあっあっ、い、あーーーーっ‼︎」
 
 せっかくボタンを留めたシャツも嬉々として剥ぎ取られる。今にも討伐されてしまうかのような錯覚を抱きながら、シグムントはイザルによってメンテナンス名目のセクシャルハラスメントを、長時間受ける羽目になったのであった。

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