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「わ、すごい…」
「ミハエルじょうず、赤ちゃん抱くの、優秀ですね」
「ほんとですか?ふふ…こんばんは、」
 
 ミハエルがナナシに教わりながら乳児を抱き上げると、白魚のような指先をそっと握らせる。頬を薔薇色に染め、形のいい二重を緩ませながら愛でる姿はとても絵になっていた。のだが、
 
「サディン、ひっどい顔してる。」
「うるさいぞウィル。」
 
 サディンはというと、早速乳児に負けたのが悔しかったらしい。時間も遅いしもう寝ようと自室へと促したつもりだったのだが、ナナシの腕の中から聞こえていた愚図り声にミハエルが反応したのが運の尽き。癒してもらう前に、ミハエルが乳児に癒されるという絵面になった。
 
「はあ…。」
「ミハエルと一緒に寝るつもりだったのにって?」
「お前に関係ないだろう。」
「同衾すんの構わねえけど、ヤるなら防音しとけよ。」
「だから…、そんなつもりは…!!」
 
 ウィルもエルマーも、標的はサディンになったらしい。だる絡みがすぎる。サディンは二人の間から抜け出すと、そっと乳児に構うミハエルの元へと近づいた。
 
「ミハエル、いい加減そろそろ寝るぞ。もう遅いし、俺だって疲れてる。」
 
 そう言ったサディンは、ムン、と唇をつぐんだ。なんだ今の。言ってしまったことは覆せないのだが、なんというか、すごく大人気ないことを言った気がする。もしやこれがジキル達が言っていたことだろうか。ミハエルはポカンとした顔をしたし、ナナシもサディンのらしくない発言にびっくりとした顔をする。
 
「え、えと…はい、そうでした。ナナシさん、おやすみなさい…。坊や、また明日ね。」
「はあい、赤ちゃんはナナシが見ておくね。ミハエル、ゆっくり眠るするしてください。」
 
 なんだか亭主関白かのようなことを宣ったサディンはというと、背後から笑いを噛み殺すかのようなエルマーとウィルの存在に辟易していた。うるさい、わかってるんだよ。多分これが嫉妬だということなんて。
 
 頬を染めたミハエルは、恥ずかしそうにしてサディンの袖口をキュッと摘む。そんな可愛らしい様子に、心の中の自身は忙しなく暴れているというのにも関わらず、表面上は見事なポーカフェイスで取り繕う。致し方あるまい。こうでもしなくては、ただの嫉妬深い狭量な男というレッテルを貼られてしまうじゃないか。ただでさえ歳が離れているのに、そんなカッコ悪い奴だなんて思われたくないのが本音だった。
 階段を軋ませながら上がった2階。サディンの自室であるその部屋に、ミハエルが足を踏み入れるのは2回目であった。
 
「わ…、」
「何、そんなに俺のベットが気になる?」
「…なんだかちょっと、ドキドキします。」
 
 顔を赤らめながら、そんなことを宣う。サディンはにやけそうになる口元を押さえると、その華奢な背中にそっと手を添えた。
 
「そんな意識されると、こっちも色々考えちまうんだけど。」
 
 そっと背中に寄り添いながら呟いた言葉は、ミハエルの耳に正しく拾われたらしい。薄暗いのに、体温が高くなったのがわかる。ああ、こういう素直なところがたまらないのかもしれないなあと思った。
 
「ね、寝ますよサディン…、疲れてるんでしょう?」
「ああ、なんだお預けか。」
「や、やめて…ちょっと、僕…心臓が止まりそうになってるから、こ、これ以上は…っ」
 
 くつくつ笑うサディンは、ミハエルの反応を見て満足そうに笑う。ちゅ、と小さなリップ音を立てて後頭部に唇を落とすと、ビクンと固まる体の横を通り抜け、ベットに横になった。
 
「寝るから、ミハエルが装備脱がして。甘えてもいいんだろ。」
「い、イチャイチャというやつですか…っ」
「ふは、お前もそんな俗っぽい言葉使うんだな。」
 
 言い慣れないのが聞いててわかる。ぎこちなく言葉を紡ぐ姿が、面白くて仕方がない。
 二人分の重さに抗議を上げるかのようにベットが軋むと、ミハエルはサディンの横にペタンと腰掛けた。こちらが心配になってしまうほどプルプルと震えながら、サディンの肩の辺りに飾られたフィブラを外して外套を脱がせる。中に着ていた鎧代わりのギャンべゾンをちまちまと脱がして薄手のインナーのみにすると、今度は下肢に手をかけてベルトを引き抜いた。
 
「えっち。」
「ヘぁ…っ…」
「ブフ…ッ」
 
 サディンから揶揄われ、つい間抜けな声が出てしまった。じわじわと顔を赤らめ、ボトムスのファスナーを中途半端に開いていた手を、まるで降参ですと言わんばかりに顔の両側に持ち上げた。
 
「下着だけで寝て欲しいんなら、期待に応えなきゃな。」
「わ、ちょっ…!」
 
 なんだか不穏な気配を感じ取り、ミハエルは慌てて顔を背けた。数秒後、僅かな衣擦れの音とともに、頭にはサディンの温もりが移った衣服が投げ落とされた。
 
「あ、悪い。」
「わ、っ…、」
 
 なんの反省もしていなさそうな声色に今日も振り回される。ミハエルはわたわたと衣服をかき集めながら振り返ると、そこにいたサディンの姿に小さく息をつめた。
 
 薄暗い夜の一室。心もとない月明かりが、その均整のとれた体の輪郭を朧げに浮かび上がらせる。サディンは枕に背を預けながら、まるで野生の獣を彷彿とさせるような金色の輝きをその瞳に湛えてミハエルを見つめていた。
 ああ、なんてずるい人だろう。口の中が乾く。飢えにも似た感覚がミハエルの体をゆっくりと支配していくと、どうやら顔に出ていたらしい。サディンはゆっくりと両手を広げた。
 
「どうぞ。お前の好きにしていいよ。」
「え、」
 
 甘やかな悪魔の囁きが、ミハエルの脳内に毒のように浸透する。甘えてもいいだろうと言ったサディンが、今度はミハエルの番だと言っている。
 
「よ、るも…遅いですし、」
「いいこはこんな時間まで起きてないだろ。」
「ぼ、僕は、今悪い子ですか。」
「さあ、確かめてみないとわかんねえな。」
 
 片眉を上げて、どうする?と問いかけてくる。ミハエルは、サディンが望むなら悪い子になるのもいいかも、と思う。頬を染めながらおずおずとそばに近寄ると、そっとその胸板に頬を寄せた。
 とくん、とくん。サディンの規則正しい心臓の音が、そっと伝わってくる。
 頬を胸板につけたミハエルが、ほう…と吐息を漏らした。落ち着くと言わんばかりにそうやって甘えてきたものだから、サディンは生殺しだなあと、そんなことを思った。
 
「てっきり雄の部分でも見せてくれるかと思ったんだけどな。」
「人様の家で…、こんなことをしている時点で僕は悪い子ですから。でも…、サディンの匂いが…好きです。」
「そう。なんかちっと変態臭えな。」
「へ、変態じゃないですし…!」
 
 男らしい腕が、優しくミハエルを抱きしめた。今までベットに入って、服を脱いだらやることは一つしかなかった。でも、ミハエルは違う。照れながらも、こうやって自分の今できる最大限の勇気を振り絞ってサディンに触れてくるから、なんだかそれが健気でかわいい。
 意地悪を言った自覚はあるのに、こうして勇気を出してミハエルなりの男らしさを見せてきたのだ。胸板に当たった小さな耳が火傷するほど熱いのは、流石に面白すぎるけれど。きっと指摘してしまえば、この甘やかな時間が終わってしまうかもしれないと思い至って、サディンは口にはしなかった。
 
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