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「マイアが殺された…?」

 あれから、サディンは地下牢に向かった。マイアに話を聞くためである。しかし、いざこちらへと来てみれば、何やら看守やら医術局の面々が慌ただしくばたつきながら出てきたので、何事かと思ったのだ。

「言葉の通りさ、元々団長が片腕潰しちまったからってのもあると思うがね。」
「死因は。」
「それは今から調べるよ。なにせ、俺もここに来て知らされたばかりでね。」

 疲れた顔でジキルが言う。石造りの地下牢の、看守用の木のベンチに腰掛けながら項垂れると、サディンはマイアの遺体が回収された牢の前に立った。

「…?」

 何かが鼻をかすめる。これは、獣の匂いだろうか。サディンは狭い牢の扉をくぐって中に入ると、その血が散らばった一箇所にそっと近づいた。

「花の香り…なにかの、フェロモンか?」
「フェロモン?」

 サディンの言葉に反応を返したジキルが顔を上げる。そっと地べたをなぞって手についたその体毛の一摘みを手に取ると、ゆっくりとジキルに目を向ける。

「ジキル、これはなんの毛かわかるか。」
「…見せてくれ。」

 ジキルがサディンの指に摘まれた体毛を手に取ると、くん、と匂いを確かめる。人狼でもあるジキルの嗅覚は鋭い。難しい顔をしながら手のひらにそれを乗せると、指の腹で体毛を押し付けるようにして硬さを見る。

「俺と違って、セリアンスロープってえ事はわかる。」
「セリアンスロープ?」
「んだあ、知らねえのか?俺ら人狼は狼になるっつうよりも、ベースは人のままで変化する。それと違ってセリアンスロープっつのは、亜人だけど完全に動物の姿を取れる奴らのことを言うんだ。」
「…なるほど。」

 なんとなく、ならばサディンもセリアンスロープの中に入るのだろうかとも思ったが、サディンの場合は親が神聖な人外枠で、しかも龍だ。獣型ではあるが、セリアンスロープはサディンのように様々な要素を持っていない。これで鱗だの角だのをもつセリアンスロープに出逢えば、また話は変わるだろうが。

「…毛質が柔らかくて、長えな。俺らはもうちっと固くてワイルドだから、多分…ああ、同じ犬科だとは思うんだがなあ。」
「市井じゃかぎ慣れない臭いってことか?」
「ああ、珍しい匂いがする。」

 ふんふん、と鼻を近づけながら宣うと、ジキルはぴくんと反応した。顔をあげると、奥の牢に瞳を滑らせた。微かな物音を聞いたらしい。微かな血の匂いを嗅ぎ取ると、その場の空気が張り詰める。

「…あいつ、またやりやがった。」
「あいつ?」
「ああ、もう面倒くせえなあ。」

 嫌そうに顔を歪めたかと思えば、ジキルは一番奥の牢へ駆けた。看守がひとり立っていたが、異変には気が付かなかったらしい。サディンと共に険しい顔で近付いてくるのにぎょっとすると、慌てて避けるように体を壁際へと貼り付けた。

「おまえ、きちんと見てろと言ったろう!」
「は、いや、とくに異常はないかと!」
「バカ野郎、なに囲ってるか理解しやがれ!!」
「え、ええ!?」

 看守の胸ぐらを掴んで怒鳴るジキルの腕を離させる。恫喝するなら実情を見てからだ。ジキルは振り払うように胸ぐらから手を離すと、小走りでそこに近づいた。

「マリー!!」
「ああ、なるほど。」

 ジキルと同じ若い人狼が赤い血溜まりを作る。どうやら己の手首を噛み切ったらしい、口元を真っ赤に染めたマリーが、ぺたりと床に座り込んで呆けている様子だった。
 ジキルはそれを認めると、瞳に剣呑な色を灯した。ざわりと魔力が張り、グルルと威嚇音のような声を漏らすと、同じく人狼のマリーはビクリと体をはねさせた。

「お前!!誰の許可を得て自傷をしている!!」
「ひぅ、あーーーっ!!ご、ごぇ、ごぇんなさ、っ!!」
「あ、おいジキル!」

 まるで獣のように吠えたジキルが、扉を乱暴に開け放つと、マリーの体の上にまたがった。顔の近くで吠えたジキルに怯えたらしい。頭を抱えるように小さくうずくまると、ジキルはマリーの肩口にがぶりと噛み付いた。

「きゃぅ、あっ!!」
「ジキル、やめろ!」
「これは人狼のやり方だ!!団長は口出すんじゃねえ!!」
「ひ、ひぅ、う…っ…!」

 小さく震えながら縮こまる。ジキルはどくどくと血が流れるマリーの細い手首を鷲掴むと、その手を締め上げて高い位置に上げた。

「いいか、俺がお前のボスだ。お前が俺の群れに入ったのなら、俺の言うことを聞け。俺に許可なく己を傷つけるんじゃねえ。わかったか!!」
「は、はい…っ…」

 ポロポロと涙を溢しながら、怯えた顔をするマリーの様子に、サディンが渋い顔をした。ジキルの唇を舌で舐め、許しを請う様子は完全に雌のそれだ。人狼の群れは下のものを支配し、教育をする。ジキルのマウントは、間違いなくそれであった。

「ジキル、お前いつからマリーの主になった。」
「ここに来たときからだ。こうでもしねえとこいつは安定しなくてな。」

 マリーを組み敷いたまま、ジキルが目線だけでサディンを見る。マリーは怯えながらもその首筋に頬を擦り寄せると、薄い肩を差し出した。
 そこにはいくつもの噛み跡があった。その後に重ねるように、ジキルががぶりと牙を立てる。マリーはその牙が食い込む感覚にふるりと身を震わせると、うっとりとした顔で甘い吐息を漏らした。

「犯罪くさいな。」
「ほっとけ!」

 ジキルが言うには、寂しさを感じると自傷に走るらしい。不安定な心境で、狭く冷たい檻に閉じ込められたマリーがこうした行為に走るのは二度目らしく、ジキルは面倒くさそうにしながらも、ぐすぐすと泣きながらジキルの服を握りしめて離さないマリーが満足するまで好きにさせている。

「マリー、お前に聞きたいことがある。時間をもらえるか。」
「…あのときの、騎士さま?」
「ああ、ミハエルがお前を心配していた。そんな姿を見たら、あいつは真っ先に治癒するだろうな。」
「治癒…そうだ、僕、リンドウに教えてもらう約束だった…」
「リンドウではない。ミハエルだ、覚えろ。」

 サディンの声のトーンの低さが怖いのか、マリーはジキルの服を握りしめると小さくうなずいた。

「…ジキル、治癒は出来るか。」
「俺ら人狼は治癒が得意じゃねえよ。出来なくもねえが、まあ…」
「…ミハエルに頼めたらいいんだがな…」

 ため息を吐くサディンに、ジキルは傷つけられたマリーの細い手首を握る。じんわりとした手の暖かさが徐々に広がって、マリーの手首の傷がゆっくりと癒着すると、とりあえず血はとまった。

「ああ、俺にはここまでしか出来ねえわ、無理無理。」
「仕方ない、俺がやる。」
「や、やだ…僕このままでいい、」
「そのままじゃ痛いだろ。」
「…いいの。」

 マリーが己の手首を隠すように胸に抱き込む。意味がわからないといった顔でサディンがジキルを見ると、ボリボリと頭を掻きながらなんともいえない顔をしていた。

「なんつーか、俺ら人狼は主従関係結ぶと他の雄の魔力を嫌がるんだ。まあ、雌なら構わねえんだけど。」
「主従関係?おまえ、マリーと結んだのか。」
「ああ、慣れねえ環境にパニクって話になんなかったしな。」

 大きな手でわしりとマリーの頭を撫でる。大人しく撫でられながら、頬を染めているマリーを見る限りは、マリーにとってのジキルへの思いはそれだけではなさそうだった。
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