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「んん…、…?」
 
 指の間に、何かが挟まっているような気がする。ミハエルは心地よい疲労感に引き摺られつつも、その違和感を辿るかのようにしてゆっくりと目を覚ました。
 
「……どこ、ぉ…?」
 
 ふわふわとした思考の中、なんだか少し熱っぽいなあと思いながら、ぼんやりと天井を見上げる。温かみのある木目の天井は、自分の家ではない。ゆるゆると重たい手を小さく揺らしてみるも、しっかりと握りしめられているのでなかなかに取れない。仕方なく、そちらに首を向けた時。ミハエルの美しい緑の瞳はゆっくりと見開かれた。
 
「さ…、」
「ン…」
「……、寝てる…?」
 
 枕元のミハエルの顔のそばで、サディンが頬をベッドにくっつけたまま眠っていた。目元のクマがすごい。顔が近くて、ドキドキする。なんだ、これは一体どんな状況だ。指が絡まりながら繋がれたそこがじわじわと熱くなって、その熱がゆっくりと全身に回る。ただでさえ熱がある気がするのに、これでは余計に熱が上がってしまう。
 
「きれい、」
 
 その整った顔に、触れてもいいだろうか。ミハエルは頬を染めながら、空いている左手をゆるゆると動かした。
 
「いっ…、?」
 
 筋肉痛のような痛みがじくんと走った。感覚的に、腕は折れている気はしない。ならばなんで、と不思議そうに腕を動かして、ミハエルの脳裏に忘れていたはずの光景が蘇ってきた。
 
「あ、」
 
 ぽろりと声が漏れた。じくんと首や、肩が痛みを放つ。つま先からじんわりと体温が下がっていき、ミハエルの緑の瞳は不自然に揺らいだ。
 
 素肌を撫でるのは、鱗だ。恐ろしくざらついた鱗が身をこそげ取っていく。笑いながら、まるで威嚇音のような音を出しながら、ミハエルの肌を鋭い牙が撫でていく。繋いだ手が震える。足を大きく開かされ、足の間を何度も擦り上げられた。腹の中に押し込まれた圧迫感を思い出して、ついできた熱い何かが注ぎ込まれた。
 感覚が蘇ってきた、全部、全部覚悟の上だった。だって、ミハエルは大人になりたかったから。サディンの隣に、並びたかったから。
 
「ひ、っぅ…」
 
 小さく引き攣った声が漏れた。サディンの目がゆっくりと開かれる。小さく声を殺して啜りなく声が頭上から聞こえて、まるで冷水を浴びせられたかのように一気に覚醒した。
 
「ミハエル、」
「っ、…っひ、ン…っ…う、ぅー…」
「ミハエル、ミハエル落ち着け。」
「ひぅ、ぁ…っ…や、やだ…ぁ、っ…う、ぅー…っ…」
「ミハエル…、ああ、くそ…ごめん、ごめんな…」
 
 寝具に顔を埋めて声を殺す姿が、酷く辛かった。サディンはまるで顔を背けるように小さくなるミハエルの体を抱き寄せると、ゆるく抵抗するその腕を無理やり背中に回させてキツく抱きしめた。小さな体を胸元に押し付け、背中を引き寄せて、そのやわらかい髪に鼻先を埋める。
 細い体だ。腕の中の熱い体温から、熱が出ているのは明白だった。だけど、サディンはミハエルが身じろごうとも決してその身を離さなかった。やがて、ようやく観念したかのように細い腕が自身の背中に回ると、ようやくサディンはホッとした。すがって、泣いてくれたからだ。この小さくて儚いサディンの幼い大切は、なんでも一人で頑張ろうとする。その縋り付く腕の力が強まったのを感じて、サディンの目頭も熱を持ってしまった。
 
「ミハエル…ミハエル、ああ、…ミハエル…!」
「ひ、ッく…うぁ、あー…っ!」
「頑張った、頑張ったなミハエル、ありがとう、ありがとうな…、」
「さでぃ、…っ、く、うぇ…っ、ぼ、僕っ…が、がんばっ、ひぅ…う…っ…!」
「わるかった…!お前に、お前ばかりこんな、頑張らせちまって、本当に、っ…!」
 
 サディンの声が震えている。ミハエルはボロボロと溢れる涙で視界が見えづらいまま、泣いているのだろうかと思ってゆるゆると顔を上げる。ミハエルの大好きな、サディンのきれいなお目目が、溶けそうなくらいに濡れていた。かわいそう、ミハエルの大切な人がこんなに泣いてかわいそう。自分も涙と鼻水でえらいことになっているのに、ミハエルはその小さな手のひらでサディンの頬を優しく包むと、そっと親指の腹で目元を撫でる。
 
「な、かな…っ…ぃで…っ、やだ、わら、って、ほし…」
「ッ、」

 泣かないで、痛いことないよ、大丈夫?そんな声にならない気持ちが、その指先を通して伝わってくる。サディンはたまらなくなった。この歳の離れた大切は、自分よりも俺を心配するのかと思ったら、もう、たまらなくなってしまった。胸の奥底に仕舞い込んで、ずっと隠してきた心の扉が、ぎい、と歪な音を立ててその口を開けようとしてくる、だめだ、開くな。それは閉じていなくてはいけない場所だ。
 ミハエルはサディンの頬から髪に手を滑らせて、指先を通した。瞳を濡らしたまま、金色の宝石の中に自分が写っている。ああ、こうしてそばで触れられることができるのが、こんなにも嬉しい。小さな頃の自分よりも、近い距離だ。そんなことを思って、嬉しくて嬉しくてふにゃりと笑う。泣き笑いだ、サディンはその目をゆっくりと見開くと、その心の中の扉が、大きな音を立てて壊れたことを悟った。
 薄暗い部屋で、その影が濃くなった。ミハエルの細い手首を両手で握ると、ミハエルの一呼吸を奪うかのように、その唇を押しつけた。 
 
「っんぅ、…ンー…っ…、」

 ミハエルの大好きなサディンの顔が近づいて、そして微かな濡れた感触と共に柔らかな唇が重なった。ミハエルはびくりと肩を揺らしたが、何が起こっているのかわからないまま、その初めての感触にばくんと心臓を跳ねさせた。掴まれた手首が、少しだけ痛い。ぬるりとしたものが唇に這わされ、呼吸をしようとして微かに開いた唇から、熱い舌が侵入してきた。
 
「ン…っ、ンふ、…ぁ、っ…!」
「ミハ、エル…っ…、」
「は、…ンっ…」
 
 ねえ、どうしてそんなに苦しそうに名前を呼ぶのですか。そう聞きたくても、今はただ貪られるかのようなサディンの口付けを受け止めるのに必死で、どうしようもできない。ミハエルの頭の中は何も考えられないほどに沸騰してしまった。これが、こんなに、狂おしいのがキスなのだと、初めて知った。
 サディンの手が離されて、その長い腕がミハエルを抱きしめる、胸の前で小さく縮こまった腕の行き場がない。飲みきれない唾液が端なく口端から溢れるのを感じながら、気がつけばミハエルは、サディンによってシーツに体を押しつけられていた。
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