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 それから三日後のことである。シスが無事に潜入を果たしたと言うことを聞いたミハエルは、空き家でその時を待っていた。男娼として、再び市井に繰り出すためである。この場には、サディンも共にいた。サリエルから挿入はされなかったにしろ、この日に向けてどうやれば怪しまれないかということを実践で教え込まれたミハエルは、カルマやジキル、そしてサディンがいる前でも臆することなく、その白磁の素肌を惜しげもなく晒した。
 これが決意の表れだと、まるで見せつけるかのようにして。
 
「ミハエル、お前…」
「これから、僕は知らぬ殿方に触れられるのです。素肌を晒すことに怯えていたら、その時点で任務は失敗ですよね。」
 
 サディンたちに背を向けたまま、用意された薄絹を纏っていく。まろい尻に布面積の少ない下履きを纏う姿が目に毒で、カルマもジキルもあわてて目を背ける。
 サディンはピクリと眉を反応させる。その身から、サリエルの魔力を感じたのだ。まるで春の温もりを抱くかのような柔らかなミハエルの純粋な魔力に混じって、スパイスのようなそれをわずかに纏う。それは、ずっと見てきたサディンだからこそわかるものだった。
 
「え、」
「団長?」
 
 気がつけば、ミハエルの手首を握りしめていた。戸惑ったように見上げるミハエルのチラリと見えた胸元に、赤い花紋。頭の後ろがじわりと熱を持つ。知らない感覚に、サディンは動揺した。
 今、己の体を染めようとしているこの渇望感はなんだ。歯が疼く。それは、自分の知らないところで勝手に大人になろうとしたミハエルに対する行き場のない怒りだった。
 
「…しくじるなよ。」
 
 気がつけば、思ってもいないことを口にしていた。ごまかすにしても、もっと何かあっただろう。ミハエルが小さく息をつめる。頭の痛そうな顔をしたカルマとジキルだけが、本心じゃないだろうと言うことを理解していた。
 
「この任務が終わったら、」
「ん?」
「…僕は貴方から身を引きます。」
 
 掠れた声で呟いた言葉に、サディンは体温が奪われていくかのようであった。ミハエルが俯いたせいで、顔までは見られていない。それでも、その言葉はサディンの思考を鈍らせ、唇を震わせるのには十分すぎた。力の緩まったサディンの手を優しく離すと、ミハエルはその横を通った。そのまま部屋を出ていくと思っていたのだが、ミハエルは机に置いておいたインベントリから小さな包みを取り出すと、そっとジキルの前に歩み寄る。
 
「あの、これ…」
「え?」
 
 間抜けな声が漏れた。ジキルの下で、あられもない格好をして、顔を赤らめたミハエルがおずおずとラッピングされた化粧箱を差し出す。驚きすぎて受け取れないままでいると、ミハエルが無骨なジキルの手のひらをとって、そっと載せてきた。
 
「お、お母さんと焼きました…、クッキーなんですけど、お口に合うかどうか…。」
「くっきぃ…?」

 団長にでもなく、俺に!?顔が怖いと言われて、あまりモテた試しがないジキルは、まるで告白かのようなシチュエーションでお手製のものを渡してきたミハエルに、引き攣った声で復唱した。カルマは息を止めていた。なんだかミハエルはいい香りがするし、それになんでこんなことになってるのだか訳がわからなさすぎて、息を殺して空気に徹する他はなかったのだ。
 
「あ、あの…お、お耳を…」
「は、はい…お、おみみ…はい…」
 
 潤んだ瞳で、こしょこしょ話をするかのように背伸びをしてジキルの耳をねだる、爆音で飛び跳ねまくる心臓のあやし方がわからないまま、怖いからサディンの方は見ないでおこうと意識をしながら身を屈ませた。
 
「お、おひざで…粗相をしてしまったお詫びです…。」
「……、あーー…、」
 
 肩に手を添えて、囁くようにそう言われた。
 どうやらあの日の夜のことを言っているらしいということはすぐにわかった。ミハエルはどうやらずっと謝りたかったらしい。目元を赤くしながら恥ずかしそうにする姿が可愛いのだが、非常に心臓には悪かった。
 人狼にとって、ヨガっておしっこ漏らされるのなんて褥でのステータスにしかならないのだが、まああれはサリエルの仕業でもある。ジキルはようやく意味を理解したのか、理由が明確になった途端落ち着いた己の心臓に呆れながらも身を離すと、小さく頷いた。
 
「それ、後で団長にもいっておいてな。俺の玉袋のためにも。」
「ジキルは何を言っちゃってるの!?」
「ア痛っ」
 
 突然玉袋など抜かしたジキルの頭をカルマがひっ叩く。だって仕方ないだろう。サディンによって引きちぎられるフラグは、今きっと立ってしまったのだから。
 ミハエルは、ちろりと背後のサディンに目配せをした後、小さくごめんなさいとジキルに行ってから、軽い足音を立てて階下へと降りていってしまった。
 
「ジキル。」
「オウッフ」
 
 底冷えするかのようなサディンの声がぽつりと落とされる。もしかしないでも、先ほどのごめんなさいは説明はしたくありませんという意味か。
 明らかにわかりやすく嫉妬を滲ませているサディンから見えない位置にクッキーを隠す。カルマに手伝ってもらって腰にくくりつけているインベントリにしまってもらうと、ぎこちない笑みを浮かべた。
 
「ミハエルはなんていっていた。」
「ウッス、粗相した詫びだっていってました。」
「…律儀だな。まあ、あいつらしいと言えばそうではあるけど…。」
「え、それマウンっぐへぇっ…!」
 
 マウントですかと続けようとしたアホなジキルの腰のインベントリを思い切り後ろに引っ張って転がしたカルマは、何ごともなかったかのようにへにゃりと笑う。
 
「んで、俺のコウモリ達に偵察させるならいつでも出せるよ。する?」
「また過保護と馬鹿にするのだろう。」
 
 顰めっ面をして小さく呟いたサディンにニンマリと笑うと、それを是と捉えたカルマがご機嫌に窓辺に歩みを進めた。もうすぐ時刻は夕闇があたりを覆う頃合いだ。気まずい空気は早々に仕事モードへと切り替えるのが、不機嫌なサディンとやていくための知恵である。ここ数日で体得したそれを、まさか直近で使うことになるとは思わなかったが。
 カルマはかパリと口を開けると、小さな友人達を呼ぶように、あたり一体にコウモリにしか聞き取れない音でハウリングをする。ざわりと木々の葉がちぎれるように宙に散らばったかと思うと、音もなくカルマに近づいてきた数匹がそっと窓枠に集まる。
 
「じゃあ、何かあったら知らせて。あとはよろしく。」
 
 優秀なカルマのお友達。物言わずとも各自が理解をしてくれているので実に楽である。連絡用の一匹を残したまま、カルマが再び夕闇の空へと放つと、カルマによってうまく宥められたサディンは、そっと窓に身を隠すようにしながらミハエルの後ろ姿を見送った。
 
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