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「なんか、落ち込んでる?」
「そんなふうに見えますか」
あれから、一日が過ぎた。今はティティアが食事の練習をする時間である。ロクが磨き上げたカトラリーを小さな手で握りしめたまま、小柄な主人は夕焼けの瞳にロクを映す。
「なんとなく。ロクがぼうっとしてるの珍しいから」
「……ああ、すみません。じゃあ次は茹でた芋を食べやすくすくってみてください」
「それ、さっきもやった。やっぱり疲れてるでしょ」
「すみません……」
中庭にある東屋の中。苦笑いを浮かべるティティアを前に、ロクがバツが悪そうにする。見れば、芋を崩すことなく取り分けられていた。
あれだけ苦手意識を抱いていた食事も、カトラリーをうまく使えるようになってからは、きちんと楽しいと思えるようになったらしい。妊娠しているからというのもあるだろうが、少しずつ肉も口にできるようになってきた。
もう、ロクが気にかけることもなくなるのかもしれないと思うと、少しだけ寂しくもある。
「ねえ、今日は練習をここまでにして少し話さない?」
「このあとは検診では?」
「ウメノに予定が入って、夕方に変更になったんだよ。アモンが生で使わなきゃいけない魔物素材を焼いちゃったみたいで、急ぎだからって素材調達の依頼しに行くんだって」
「ああ……なるほど……」
ということは、ティティアの腹に塗るための緩和剤の材料をとりに行ったらしい。薄い腹が膨らむにつれて引き攣れる皮膚を馴染ませるための塗り薬は、クインビーの蜜蝋を使うのだ。それをアモンが溶かしたというのなら、随分とウメノは怒ったことだろう。
「アモンがいつになくちまこくなってたの、ちょっと可愛かったな」
「ああ、きっと罰に魔力を絞られたんでしょうね……アモンの炎は上等な増幅剤になるそうですから」
「何作ってるの?」
「残りの芋を使ってターメイヤもどきを」
茹でた芋の残りに、フリヤに分けてもらった香辛料を入れる。細かくした乾燥肉を混ぜれば、ティティアの好きなターメイヤの種になるのだ。あとは揚げるだけで完成する。夕飯の前にでも調理場を借りればいいだろう。
カトラリーを片す音がして、ティティアが重ねた皿を持ち立ち上がる。ロクに頼めばいいというのに、こうしてできることは己で完結するティティアは、やはり王妃としては変わっている。
「俺が持って行きますよ」
「俺がやる。というか、一緒に調理場いこうよ」
「じゃあ、そうしますか」
にかりと笑う。嬉しそうなティティアの手からすかさず皿を受け取ると、その足で調理場まで向かうことにした。
膨らんだ腹を撫でながら、ぺたんこの靴でロクの隣を歩く。そんなティティアよりも、ミツの方が小さいのだ。きっと二人で歩くのなら、己がミツを抱いて歩いた方がいいのだろうなというとこまで思考が飛んで、また少しだけ落ち込んだ。
「この間さ、ミツのとこ行って来たんでしょ。ロクは何買ったの」
「…………」
「待って、俺もしかして聞いちゃいけないこと聞いた?」
すごい顔色してるよ。少し慌てたティティアが、ロクの顔を見てギョッとする。
思わず己の手で確かめるように顔に触れると、ますますティティアを心配をさせてしまったようだ。当たり前である。普段、ロクはこんなことをしない。体調まで心配をされてしまい、観念するように口を開いた。
「……別に大したことではないんですが」
「うん……」
「ミツに好きな人がいるようで……」
「……えっと、ミツに?」
ミツから貰えるはずだったクッキーの話をすると、ティティアはわかりやすく頭を抱えた。
どうやら、ロクには見えていない話の先が見えているような、そんなそぶりである。小さな手が、慰めるようにロクの背中を優しく叩く。きっといい母親になるだろうなと、ロクは関係ないことを思ってしまった。
「わかんないけどさ、まだ振られてはいないんじゃないかな。だって、ロクの気持ちは伝えてないんでしょ?」
「……惚れ薬を使うほどの相手がいるんですよ」
「いや、まあ……というか、惚れ薬ってあるんだ。俺知らなかったや……」
「鬼族には効きませんけど、あるにはありますよ」
とは言っても、体温が上がるとかそんなものですけど。調理場の扉を開けながら宣う。おそらく、常連で薬屋のマチが悪ふざけで仕入れたものに、ミツが騙されたのかもしれない。仮にそうだとしても、結果は変わらないだろうが。
皿を洗えば気持ちはスッキリするのに、今回の汚れはなかなか落ちそうもない。黙りこくれば気が滅入ってきた。再び顔色を悪くするロクを前に、布巾を準備していたティティアが慌ててロクの手に触れた。
「お、お皿ヒビ入ってるから俺が洗うよ」
「そんなことさせられませ、あ」
「あーー……」
パキンと音を立てて、ついに割ってしまった。皿を洗うだけで割れることもあるんだと妙なところで感心をしているティティアに、ぎこちなくすみませんと謝罪した。ロクだって、まさか割れるとは思わなかった。というか、初めて割ったのだ。
皿の破片で手を傷つけるほど、柔な体じゃない。心配そうな顔で手を覗き込むティティアに大事無いことを告げると、困ったような顔で見上げられた。
「いつものロクらしくないよ。だって普段はもっとしっかりしてるじゃん。相談、カエレスにもしてみようよ。俺も一緒に行くからさ」
「相談を、カエレス様に?」
「だってロクも俺のこと相談されたことあるんでしょ。ならいいじゃん、ほら。お皿しまったらいこ」
なるほどおあいこというわけか。果たして国王相手にそんな事が許されるものなのかと思ったが、ティティアがやる気を出した以上断るのも不自然だ。おそらくカエレスはティティアからのヨシヨシを期待して、必要以上に親身になって気にかけてくれるだろう。そんなことが容易く想像できて、ロクは少しだけ遠い目をした。
「そんなふうに見えますか」
あれから、一日が過ぎた。今はティティアが食事の練習をする時間である。ロクが磨き上げたカトラリーを小さな手で握りしめたまま、小柄な主人は夕焼けの瞳にロクを映す。
「なんとなく。ロクがぼうっとしてるの珍しいから」
「……ああ、すみません。じゃあ次は茹でた芋を食べやすくすくってみてください」
「それ、さっきもやった。やっぱり疲れてるでしょ」
「すみません……」
中庭にある東屋の中。苦笑いを浮かべるティティアを前に、ロクがバツが悪そうにする。見れば、芋を崩すことなく取り分けられていた。
あれだけ苦手意識を抱いていた食事も、カトラリーをうまく使えるようになってからは、きちんと楽しいと思えるようになったらしい。妊娠しているからというのもあるだろうが、少しずつ肉も口にできるようになってきた。
もう、ロクが気にかけることもなくなるのかもしれないと思うと、少しだけ寂しくもある。
「ねえ、今日は練習をここまでにして少し話さない?」
「このあとは検診では?」
「ウメノに予定が入って、夕方に変更になったんだよ。アモンが生で使わなきゃいけない魔物素材を焼いちゃったみたいで、急ぎだからって素材調達の依頼しに行くんだって」
「ああ……なるほど……」
ということは、ティティアの腹に塗るための緩和剤の材料をとりに行ったらしい。薄い腹が膨らむにつれて引き攣れる皮膚を馴染ませるための塗り薬は、クインビーの蜜蝋を使うのだ。それをアモンが溶かしたというのなら、随分とウメノは怒ったことだろう。
「アモンがいつになくちまこくなってたの、ちょっと可愛かったな」
「ああ、きっと罰に魔力を絞られたんでしょうね……アモンの炎は上等な増幅剤になるそうですから」
「何作ってるの?」
「残りの芋を使ってターメイヤもどきを」
茹でた芋の残りに、フリヤに分けてもらった香辛料を入れる。細かくした乾燥肉を混ぜれば、ティティアの好きなターメイヤの種になるのだ。あとは揚げるだけで完成する。夕飯の前にでも調理場を借りればいいだろう。
カトラリーを片す音がして、ティティアが重ねた皿を持ち立ち上がる。ロクに頼めばいいというのに、こうしてできることは己で完結するティティアは、やはり王妃としては変わっている。
「俺が持って行きますよ」
「俺がやる。というか、一緒に調理場いこうよ」
「じゃあ、そうしますか」
にかりと笑う。嬉しそうなティティアの手からすかさず皿を受け取ると、その足で調理場まで向かうことにした。
膨らんだ腹を撫でながら、ぺたんこの靴でロクの隣を歩く。そんなティティアよりも、ミツの方が小さいのだ。きっと二人で歩くのなら、己がミツを抱いて歩いた方がいいのだろうなというとこまで思考が飛んで、また少しだけ落ち込んだ。
「この間さ、ミツのとこ行って来たんでしょ。ロクは何買ったの」
「…………」
「待って、俺もしかして聞いちゃいけないこと聞いた?」
すごい顔色してるよ。少し慌てたティティアが、ロクの顔を見てギョッとする。
思わず己の手で確かめるように顔に触れると、ますますティティアを心配をさせてしまったようだ。当たり前である。普段、ロクはこんなことをしない。体調まで心配をされてしまい、観念するように口を開いた。
「……別に大したことではないんですが」
「うん……」
「ミツに好きな人がいるようで……」
「……えっと、ミツに?」
ミツから貰えるはずだったクッキーの話をすると、ティティアはわかりやすく頭を抱えた。
どうやら、ロクには見えていない話の先が見えているような、そんなそぶりである。小さな手が、慰めるようにロクの背中を優しく叩く。きっといい母親になるだろうなと、ロクは関係ないことを思ってしまった。
「わかんないけどさ、まだ振られてはいないんじゃないかな。だって、ロクの気持ちは伝えてないんでしょ?」
「……惚れ薬を使うほどの相手がいるんですよ」
「いや、まあ……というか、惚れ薬ってあるんだ。俺知らなかったや……」
「鬼族には効きませんけど、あるにはありますよ」
とは言っても、体温が上がるとかそんなものですけど。調理場の扉を開けながら宣う。おそらく、常連で薬屋のマチが悪ふざけで仕入れたものに、ミツが騙されたのかもしれない。仮にそうだとしても、結果は変わらないだろうが。
皿を洗えば気持ちはスッキリするのに、今回の汚れはなかなか落ちそうもない。黙りこくれば気が滅入ってきた。再び顔色を悪くするロクを前に、布巾を準備していたティティアが慌ててロクの手に触れた。
「お、お皿ヒビ入ってるから俺が洗うよ」
「そんなことさせられませ、あ」
「あーー……」
パキンと音を立てて、ついに割ってしまった。皿を洗うだけで割れることもあるんだと妙なところで感心をしているティティアに、ぎこちなくすみませんと謝罪した。ロクだって、まさか割れるとは思わなかった。というか、初めて割ったのだ。
皿の破片で手を傷つけるほど、柔な体じゃない。心配そうな顔で手を覗き込むティティアに大事無いことを告げると、困ったような顔で見上げられた。
「いつものロクらしくないよ。だって普段はもっとしっかりしてるじゃん。相談、カエレスにもしてみようよ。俺も一緒に行くからさ」
「相談を、カエレス様に?」
「だってロクも俺のこと相談されたことあるんでしょ。ならいいじゃん、ほら。お皿しまったらいこ」
なるほどおあいこというわけか。果たして国王相手にそんな事が許されるものなのかと思ったが、ティティアがやる気を出した以上断るのも不自然だ。おそらくカエレスはティティアからのヨシヨシを期待して、必要以上に親身になって気にかけてくれるだろう。そんなことが容易く想像できて、ロクは少しだけ遠い目をした。
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