狼王の贄神子様

だいきち

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 白い小さな花が、風に吹かれて漣のように揺れる。ユキト村の、静かな森の中にヨギの墓を作った。
 あれから、ヘルグは実に鮮やかにヨルグを拘束した。ダイアウルフと通じていたことを、勇気あるウェンべ村の一人の女性が証言をしてくれたのだ。彼女は、腹にヨギの子供を孕んでいた。村で見つけた小さな幸せを守ろうとして、ヨギは不器用に生きたのだ。
 ヨルグに彼女の妊娠がバレて仕舞えば、人質に取られかねない。ヨルグがヨギを始末することになれば、きっと彼女も無事では済まないだろうと思ったのだ。
 だからヨギは村の異変を知らせるために、東門へ向かう熊獣人の企みを知りながら、種を素直に売ったのだ。ハニがいる場所が東門だと知っていたからこそ、一縷の願いを込めて静かに助けを求めた。イヘンアの花は絶やさなければいけない。ヨギは己の体を犠牲にして、イヘンアに取り込まれた。
 魔物化することで、村の問題を明るみに出したのだ。ヨギは最後まで、ハニのかっこいい兄貴分だったのだ。

「ヨギのお嫁さんは、ユキト村で一緒に暮らすことになった。知らなかったとはいえ、ウェンべ村で問題が起きた以上は暮らしづらいだろうしな」
「……ヨギ、家族ができたんだ」
「ああ、彼女は強いぞ。今にふたつの村を引っ張っていく存在になるだろうよ」
「すごく、かっこよかった。……俺、あんなに笑えないよ、きっと」

 一人じゃないもの。毅然と振る舞い、笑顔を見せた彼女の言葉はきっと忘れることはないだろう。
 だからハニは、ヨギが守った守りたいものを守ることにした。東門にはハニがいる。きっとなんとかしてくれる。そう思って、ヨギは縋ってくれたのだ。ヨギの知ってる、かっこいいハニにいつなれるのかはわからないけど。

「ハニ‼︎ と、ヘルグ隊長……、もう城に戻りますけど、準備はいいですか?」
「ユクアレス、俺はハニのスレイヤで一緒に帰るから、もうお前たちは先に下がっていい」
「え、あ……。わかりました」

 帰還の準備を終えたらしい。報告をしにきたユクアレスが、気遣うようにハニを盗み見る。その瞳は、妙な噂を流されるだろうことを予測してのものだ。ハニは目元の涙を袖で拭うと、ヨギの墓を背にしてユクアレスへと振り向いた。

「俺なら大丈夫だから」
「でも」

 微笑んだハニへと、ユクアレスが何かを言いかけた。ハニが周りからどんな扱いを受けているか、ユクアレスは近くで見てきた。心配の色を宿す瞳を見つめ返したハニの目元を、ヘルグが覆い隠した。

「ユクアレス、聡明なお前なら何が真実かは理解できるだろう」
「ぇあ、っ……そ、そう、ですね」
「ちょっと、なん……」

 ヘルグによって、ハニの襟元を伸ばすようにして晒された噛み跡を前に、ユクアレスはわかりやすく顔を染める。どちらが執着をしているかなんて、その噛み跡の深さで一目瞭然だ。
 その意味を知るのは、肉食獣人のみ。上擦った声を漏らして、慌てて立ち去るユクアレスをハニが視界に収めたのは、もうその背中が小さくなるころだった。

「ああ……なんか悪いことした気がする」
「そうか、俺は気分がいいけどな」

 パタパタと揺れるヘルグの尾っぽがハニの尻を叩く。事後、気絶するように抱き潰したハニを甲斐甲斐しく世話をしたヘルグは、二人きりになると輪をかけて素直になる。
 大きな手のひらがそっと腰を撫でる。ユクアレスの見えなくなった背中を探すように、遠くを見つめていたハニの耳元へと顔を近づけると、ヘルグは労わるような声色を向けた。

「辛いなら俺が手綱を握るから」
「耳元で甘く囁くな」
「あいてっ」

 ハニの拳が、しっかりとヘルグの腹の中心へとめり込んだ。腹を撫でながらハニを見れば、わかりやすくうなじまで赤く染めている。ヘルグが緩みそうになる口元を隠すように手で覆えば、少しだけ顔色に不機嫌を乗せたハニが見上げてきた。

「……また、ヘルグとここにきたい。いい?」
「ここに住んでも構わないけど」
「……し、職場遠くなるから……それはちょっと困る」

 たっぷりと悩んだらしいハニの言葉に、ヘルグは小さく笑った。遠くから蹄の音が聞こえてきて、二人して顔を上げた。見れば、スレイヤが軽やかな足取りでこちらに向かってくる姿があった。
 引きずっている紐には杭が絡みついたままだ。どうやら、いいかげんに待ちくたびれたらしい。抗議するように嘶きながらハニの前まで駆け寄ると、鼻先をハニの頭に押し付けた。

「わかったわかった、待たせてごめんって……何、どうしたスレイヤ、あ、ちょっと待って」
「わかってるんじゃないのか? 彼女は俺たちを応援してくれてたようだしな」
「は? それはなんのはなし、わあ、お前どこの匂い嗅いで、っ」

 まるで己の子供の体調を検分するかのようだ。普段はおとなしいスレイヤの、入念な匂いの確認にようやく意味を理解したらしい。スレイヤは顔を上げると、満足げに鼻息を鳴らした。
 ヘルグの大きな手が宥めるように鼻先を撫でると、その手を押し返すように甘える。手綱から杭を外して跨ると、ヘルグはハニへと手を伸ばした。

「おいで」
「……俺の特等席」
「どうぞ背もたれにしてくれて構わない」
「そういう意味じゃない」

 握り返した手が、軽々と華奢な体を引き上げる。ヘルグによって測られたかのように足の間に収まると、ハニは手綱を握るヘルグの腕に囲われた。
 厚みのある胸板に、言われるがままに背を預ける。暖かくて、存外悪くないかも知れない。
 オアシスの瞳が、そっとヨギの墓へと目を向けた。白く小さな花に囲まれるその場所は、随分と昔によく遊んだ場所だった。
 陽光があたって朝露が輝くこの場所を、ハニは目に焼き付けた。
 
「行ってきます」

 それは、新たな決意の言葉にも似ていた。



 
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