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揺るぎなく、揺れて、まだ曇り硝子を見ている

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「お姉ちゃん殺そうとしたあの男、上京してデビューするらしいよ、ってかもうしてる」
「あれは殺すとかじゃなくて仕方ないことだよ。彼は川の流れが変わることがわかってたから助けなかっただけで。それよりもなんで美咲がデビューのこと、知ってるの? 」
「田舎だもん。役場に垂れ幕がかかってる」
「まじ? 」
「まじ、へへっ、なんか夢より夢みたいだよね、お姉ちゃん、殺そうとしたのに、どの面さげて病気の〇〇ちゃんに向かって歌います!! なんて言えるんだろう。お姉ちゃん、脅迫したら? あいつの実家200万のカーテンしてるんでしょ? あの田んぼのところに建ってるお城みたいな家なんでしょ? お姉ちゃんに『カーテン200万もするんだから汚さないでください』ってあのババア、お姉ちゃんがあのカーテンのところでセックスでもすると思ったのかな? 」
「美咲!! 」
「あっ、ごめん。ヤバっ、ここお店だったね」
「醤油は甘口? 辛口? 」
「私は甘口でいい。ガリはてんこ盛りにしといて」
 回転寿司で隣のテーブルには家族連れがいるのに、妹の美咲は大きな声で私の元彼の話をしていた。たまに実家からふらりと私のところに遊びにきていた。そして、まるで泥棒みたいにクローゼットの中を漁っては服とかバッグとか手にとって『これ、頂戴!! 』って私が返事をする前にキャリーケースに詰めようとしていた。
 母は私には厳しかったけれど妹には脱力したように何をしても『いいよ、いいよ』で甘やかせて育てた。その結果がこれだ、緩んだ蛇口みたいに思ったことを思うままにどこでも誰にでも遠慮せずに口にした。小さな子供みたいに時にはチュッパチャップスやペロペロキャンディを舐めながら外も歩いていた。

「あっ、そうだ、お姉ちゃん、私、結婚するかも」
「なに? 彼ができたの? 」
「アプリでね、マッチした人で別居婚でもいいって。こっちに家も建ててくれるって言ってるの」
「家? 」
「そう。お母さんと一緒に住む家。タイプじゃなかったけどお金持ちで『こっちに家を建てて別居婚でよければ』って私が言ったらすぐに『それでもいいです』って返事がきて、どれだけもてないんだよ? と思ったけど、もてすぎる人も困るから妥協しようと思う」
「会ったの? 」
「まだ会ったことない。でも決めたから」
「そっ」
「なんだ? びっくりしないの? 美咲みたいな馬鹿に先を越された? って馬鹿にしてるんでしょ? 内心」
「馬鹿にしてたらどうするの? もう絶縁する? 」
「絶縁はしない。しないけど、でも、でもね、なんか今日で最後の気がする。さっきからなんだろう? お姉ちゃんの様子がおかしいのはわかってるよ」
「縁起でもない想像はしないで。でも、ごめん、少し当ってる。私さ、今の部屋を来月で解約してしばらく旅するんだ」
「なんで? 」
「いつか話すよ。とにかくしばらくは会えないと思うから」
「本当になんで? なんで? 何か私に隠し事してる? 」
「それより、食べ過ぎるとお腹壊すよ? 今日もバスで帰るんでしょ? 」
「私が結婚するかもしれないから急に妬んでるの? 」
「そんなことじゃないよ。とにかくいつか話せるときが来たら話すから」
 結局、そこから妹は怒ったみたいにサイドメニューのパフェやフライドポテトを無心で食べて、私がレジで会計をしている間に店から出て高速バスのバス停へと歩いていった。
 私は後を追わなかった。

 バス停とは反対側の川沿いを歩きながら私は母に電話をした。
「お母さん? ごめん。今、美咲には話したから。詳しい話は絶対にしないで」
「わかった。小夜、ごめんね。あなたに嫌な思いをさせて」
「ううん、仕方ないよ。それが美咲の性格だから」
 美咲には話さなかった。
 半年前、別れた彼から弁護士を通して連絡があった。爆サイというサイトで彼になりすまして私のことを書いたコメントがあるということ。それが日々投稿し続けられているということ。開示請求する前にそれはもしかして、私の近しい人ではないか? と。
 私は弁護士に教えてもらったサイトを見た。コメントの言葉を見てすぐに美咲だとわかった。その理由も。多分、私を困らせたいんだ。私の実の母が美咲の母を苦しめたように。私も少し大人になったから、それは仕方のないことだと思えた。怒りよりも寂しかった。妹が離れてゆく。あの日、川で浮き輪をもったまま流されたように、私はみんなと離れてどこかへ流されてゆくのではないか? とも思った。

 母は私の出産と同時に亡くなって、どんな話を父と育ての母がしたのかはわからない。私自身も10歳になるまで育ての母が実の母だと思っていた。
 父の愛人の娘だと知ったのは同級生の和人くんから
「母ちゃんたちが話してたんだけど、お前の本当の母ちゃんって死んだの? しかもさ、おじさんの浮気相手だったの? 」
とまるで宿題を聞かれるような軽さで上履きを脱ぎながら下駄箱の前でその言葉を聞かされた。

 10歳は大人でもないけど全くの子供でもない。私は帰宅して庭で草取りをしていた母に聞いた。
「私のお母さんって死んだの? 」 
 母は慌てたのか、ぐるぐると巻いてあるホースの上に尻もちをついた。
「誰かから聞いたの? 小夜(さよ)? 」
「ってことは本当なんだ? お母さんとは別のお母さんがいたんだ? 」
「ごめんね、小夜。本当のお母さんは亡くなってる。そのときにお父さんと話し合って小夜を私達が育てることにしたの」
 ゆっくりと立ち上がっておしりについた土を払いながら、帽子のひさしを少し上げて真顔で言った母の顔を今でも覚えていた。
 美咲も、そんなふうに誰かから突然、言われたんだろう。私が本当の姉ではないこと。しかも父の浮気相手の子だと。母が美咲にどんなふうに話をしたのかはわからない。いつ知ったのかも。

 弁護士に彼と直接話がしたいことを伝えるとその夜、彼から電話があった。
「久しぶり」
「うん、本当にごめん。妹の書き込み、あなたの名前になってるから本当に迷惑だよね? 」
「妹さんには? 」
「言ってない。私のことが好きで同時に憎いんだとも思う。私と仲良くすると母が苦しむのもわかってるんじゃないかな? 」
「複雑だな。おじさんは? 」
「単身赴任というか、ほぼ出張。もしかしたらまた浮気してるのかもしれないし、父だけどとても遠いの」
「なぁ? マネージャーしない? 」
「マネージャー? 」
「俺がデビューしてるのは知ってるよね? 」
「うん」
「多分、売れることはないと思うけど、貯金はあるから給料は払える。妹さんと離れたほうがいいと思うのならしばらくマネージャーをしてくれないか? 俺は小夜もわかってると思うけど、誰も信じてないんだ。だからこそ、マネージャーは少しでも気を許せるしっかりした人を探してる」
 別れた彼のマネージャーをするなんて考えてもみなかった。
「私にもできること? 」
「簡単じゃないから逆にいいと思うんだよ。今の小夜にとっては」
「それはよりをもどすってこと? 」
「わからない。流れでそうなるかもしれないけれど、今は少し違う。本当に助けてほしい、片腕として」
 彼にそう言われてから、仕事のこと、借りていたマンションのこと、いろんな手続きをしていった。美咲とも今日、こんなふうに別れることも私の中では想定内のことだった。
 
 明日、とりあえず私は東京へ行く。
 その先はまだまだ霧がかかって見えなかった。
 夜更け、キャリーバッグに荷物を詰めていると美咲から
「お姉ちゃん、ごめんなさいって思う気持ちとどうしても──っていう気持ちがあって…… 」
とラインのメッセージが届いていた。

 母の命とひきかえに生きている私。
 小夜という名前は母の手帳から父が見つけてつけたと聞いている。
 夜空みたいに、亡くなった母、育ての母、父、美咲、そして、私、デビューする彼の気持ちが私の中に広がっていた。

 とりあえず、私は明日、いやもう今日、東京へ行く、そのことだけは確かだった。
 








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