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13 空をわたる

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「おい、宝。あの狼、あっさり香蘭の体からはなれてったけど。これでもう、香蘭の件は解決なんじゃないのか?」


 そうだ……。宝君は、わたしから狼を祓うためにつぼ湯に……。


「……ダメだ……」


 宝君がうめいた。


「……ぁのぉぉかみにとって、香蘭ちゃんの体は、ぼくにとっての、土車と同じ。霊体でぃるかぎり、ぉぉかみは、香蘭ちゃんなしで、この世にはとどまれなぃ。だから、かならず、また、もどる……」


 また、もどる……?


「……じゃあ……なんのために……わたしの体から出たの……?」


 ザワ……。


 山の木立がゆれた。天狗の団扇のように。


「あのね……。あの狼……人間に裏切られて、殺されたの……」


 わたしは自分の肩を自分で抱いた。


「香蘭、あいつの気持ちわかるのかよ?」


「……うん。さっき山で狼にかこまれたときに、狼の感情がわたしの中に流れこんできたから……」


 パキ。


 小枝の折れる音がした。

 闇に染まるお寺の石灯篭のそばから。


「あの狼はね、人間に猟犬としてつかわれてたの。千匹獲物を捕らえたら、その猟師の命を取っていいって、約束されて」


「……猟師の……命を……?」


「そう。だけど、千匹目の獲物を捕らえた日。狼は自分の主人に、猟銃で殺された。猟師は直前で、死ぬのが怖くなったんだと思う。だから、殺されるかわりに、ぎゃくに狼を撃ち殺したの……」


「ぉぉかみは恨んでいるんだね……人間を……。約束ははたした……なのに殺された……」


「お、おいっ! けど、オレらには無関係だぞっ! あいつを殺したのは、オレらじゃないっ!」


「だけど、早矢……ぉぉかみにとっては、人間は全員、『人間』だ……」


 早矢のひたいの真ん中を、汗が伝っていく。目の間を通って、鼻の先へ流れ落ちる。



 しげみから、灰色の影がおどりでた。

 影が、空を跳ぶ。

 わたしたちの頭上を通過したとき、三角に立った耳が見えた。

 耳まで裂けた口から、とがったキバがむきだされる。


「わっ!」


 ぺたんと尻もちをつく。


「香、蘭ちゃん……っ!」


 餓鬼阿弥が身をのりだした。だけど、体に力が入らず、そのまま、また、地面にぺしゃっと倒れこむ。


 ガサ。


 狼は、川も道路も横断して、反対側の民宿の裏のしげみに消えた。



 また、じょぼじょぼと川音だけが、きこえてきた。


「な、なんだったんだ、今の……?」


 早矢があごをうわずらせる。


「ぉぉかみは……人の頭の上を三回とびはねてから、襲ってくると言われてる……」


「三回……?」


「最初をふくめて、今ので……二回目。……また、来る……」


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