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第6章 憤怒の憧憬
38話 憤怒を消し去る傲慢
しおりを挟む「⎯⎯こんばんは、昼間ぶりですねスタッガルド侯爵夫人?」
教会へと足を踏み入れた俺は、1人嗤う女に声をかけた。
昼間見た少し神経質そうな様子とは、正反対の様子。
左目で見るアーシャ・スタッガルドは、ユーリの時と違って人間を逸脱してはいない。
本人の意志だからか、長年積りに積もったものだからか、それとも悪魔ごとに別種の能力を持っているのか、黒い靄みたいなのは顕現していなかった。
ゲームではどうだったのだろうか?
完全に契約を交わした時点でシナリオが発生するのか、それともその後何年も擬態した上で発生しているのか。
「…………貴方」
声に反応して、アーシャ・スタッガルドが俺の方へと振り返った。
「僕は⎯⎯」
「知ってる、私、貴方の事を知ってるわ。貴方、リュート・ウェルザックでしょう? 有名だもの、勿論知っているわ。ウェルザック、そうよ。そう言えば、あの女は今ウェルザックの所にいるのだっけ? いるのよね、私知ってるから隠さなくていいのよ。確か、貴方は強力な空間魔法を使えるのでしょう? 丁度いいわ、私を貴方の家へと連れて行ってくれないかしら?」
昼間は挨拶も出来なかった事を思い出し、名を名乗ろうとしたが、アーシャ・スタッガルドは知っていると矢継ぎ早に話を続けた。
「……何の為に?」
答えは分かっている。
けれど、あまりに楽しそうな笑顔で頼んでくるので、聞き返さずにはいられなかった。
「そんなの、決まっているわ。あの女とアレを殺す為よ。殺して殺して殺すの。当然でしょう? だって、あの女は私にそうしたもの。だから、私も同じだけの苦しみをあの女に与えるの。まぁ最も、あの女はアレを殺したところで、別に何とも思わないかも知れないけれどね。でも、絶対に殺すわ。安心して。今の私には力があるもの。その次は、シュトロベルン公爵ね。あの穢れた血を引くものは、全て殺さないと……ねぇ、私早くあの女とアレ|《・・》を殺したいの。早く連れて行ってくれないかしら?」
「……アシュレイは兄様、レイアスと仲良くしたいと思ってますよ」
アーシャ・スタッガルドは、最早それしか頭にないのだろう。
瞳を狂気的に爛々と輝かせるだけで、アシュレイや将軍の事は完全に頭から消えている。
「アレを、アレをその名で呼ぶなっっ!!! レイアスは、あの子のモノだっ!!」
アーシャ・スタッガルドは、いきなり怒鳴り散らした。
先程まで俺に笑みを浮かべていたのに、今は憤怒と憎悪を向けている。
……あの子?
アシュレイの話をしようとしたのに、アーシャ・スタッガルドは兄様の、レイアスの名に反応を示した。
「あの子が誰かは存じ上げませんが……僕は兄様達の方が大切なので、そのお願いは聞けませんね」
交渉は決裂。
向こうが引かないのなら、戦うしかない。
「そう……邪魔するなら貴方も死んでっ!!」
アーシャ・スタッガルドの腕から、激しい炎を纏った何本もの剣が俺を指し貫こうと飛来してくる。
「っ、“シールド”」
予想していなかった攻撃に、俺は咄嗟に無属性の防御壁を張った。
防御壁によって阻まれた剣が、カランカランと尾とをたてて床に落ちる。
ユーリの時みたいな、黒い靄じゃないのか……っ!?
ユーリの時と同じなら、靄に対し光属性の魔法は有効であったが、アーシャ・スタッガルドの腕を突き破って現れたあの剣は実態がある。
光属性のホワイト・サンクチュアリも効果はあるだろうが、実態を持っている以上完全に防ぎきれない。
完全に結び付いている悪魔は、思った以上に厄介であった。
「あら、固いのね……でも、私の、私達の怒りは、憎悪は、もっともっと強いのよっ!」
詠唱なしの攻撃が、続けざまに放たれる。
どうやら先程の攻撃は、全力ではなかったらしい。
先程よりもずっと、炎の勢いが激しい。
「“シールド”っ!?“テレポート”」
俺の出した防御壁に亀裂が入り破られようとしたのを、寸前で転移魔法を発動させて何とか回避した。
「危なっ!」
俺が居た場所には何本もの剣が突き刺さり、火柱が上がっている。
「避けるなっ!」
いや、避けるから。
避けなければ、間違いなく致命傷だ。
休む暇なく、放たれ続ける攻撃をテレポートを発動して避けた。
教会の中は、最早ボロボロだ。
いつ倒壊してもおかしくない程に壊されている。
……将軍に気付かれないように、大きい魔法は使わないようにしてたけど。
これだけバカスカ暴れられればそれも無意味だ。
もう既に気付かれていても、不思議ではない。
邪魔をされる前に……一気に片をつける!
「……今から、俺の固有魔法で貴方のその力を消し去ります」
こうして態々宣言する必要は本来ない。
けれど、ユーリの時とは違い、アーシャ・スタッガルドには恐らく代償が必要となる。
「けす? 消すですって、やっと、やっと、復讐出来るだけの力を持ったのに、屈辱に耐えなくてもよくなったのに!? それを、消す? あなたに、貴方にそんな資格なんてないわ!!!」
俺の言葉が更に火に油を注いだのか、全方位へとアーシャ・スタッガルドは攻撃を放った。
「っ、貴方は自ら望んで、その力を手にしました。故に──」
なんとなく、予感はあった。
アーシャ・スタッガルドを見た時から。
「五月蝿いっ、死ねっ!!」
滅茶苦茶に放たれた剣をテレポートでも交わしきれずに、左腕をかする。
ジュワッと肉の焼ける音がして、腕に激痛が走った。
ほんの少しかすっただけで、この威力なのだ。
直撃したら、ただでは済まない。
「────貴方は、その悪魔と結び付いた感情、記憶を全て失なう」
そして予感は今、確信に変わった。
自分の魔法だから分かる。
悪魔と深い所で結び付いたアーシャ・スタッガルドは、その記憶と感情まで失なう。
つまり、アーシャ・スタッガルドの最愛の人の記憶も消えてしまうと言うことだ。
「貴方は、お前は、お前も私から大切なものを奪うというのっ!? 何も、何も知らない癖に、何不自由なく育ったお前が私から奪うと言うのかっっ!!?」
アーシャ・スタッガルドが、血反吐を吐くような叫びを上げる。
その姿は実に憐れだ。
「えぇ……貴方のその怒りは最もだと思います。逆の立場なら、俺もそうするでしょうから」
「ならっ!」
「でも、俺は貴方ではないし、絶対に譲れない……守りたいものだってある」
だから、俺は固有魔法を使う。
俺の行動は間違ってはいないが、実に非道で傲慢だ。
既にボロボロのアーシャ・スタッガルドに、更なる追い打ちをかけ止めを刺すようなものだ。
それでも、それでも俺はこの選択が最善だと信じているから──
「“我は清廉にして潔白、白き魂を持つ者”
“我は公正にして純白、邪悪を祓う者”
“今ここに星の導きのもと、邪悪を焼き払わん”
“アストラル・ファイア”」
教会内が、白い焔で包まれる。
アーシャ・スタッガルドは何とか防御しようとして、それが出来ないと悟るとその顔を絶望で染めた。
この魔法を使うのは、2度目だ。
悪魔に対して、この魔法は非常に有効であった。
「いや、いや、止めてっ! 止めてよっ!!? 消えてしまう、あの人が、あの子がっ! やめて、奪わないでっ、スレイ、スレイヤっ!!」
アーシャ・スタッガルドは焔に包まれながら、必死に懇願した。
けれど、俺が魔法を止める事はない。
「……恨んで、憎んで、赦さなくていいですよ。僕は貴方にそれだけの事をしたのだから」
俺は自分の望み、兄様やアシュレイの為にアーシャ・スタッガルドを犠牲にした。
それは間違いなく咎められるべき事であるし、赦されない事だ。
「やめ、やめて……スレイヤ、奪わないで、……レイアス……」
アーシャ・スタッガルドに根付いた悪魔を燃やし尽くしたのか、糸が切れたかのようにパタリと床に倒れた。
俺はアーシャ・スタッガルドを運ぶ為に、彼女にそっと近付く。
「⎯⎯彼女に触るな」
伸ばした腕を、男の声で俺は止めた。
「スタッガルド将軍……早いですね」
将軍は祭壇の奥、裏口からその姿を見せた。
既に就寝していたのだろう、寝着にガウンを纏っただけの姿であった。
そして何より、以前は身に付けていた眼帯をつけてはいなかった。
俺の背中に、冷たい汗が流れる。
次は将軍との闘いになるのかな……話を聞いてくれるといいんだけど。
「……別に貴殿と事を構える気はない。悪魔に取り憑かれる人間には、破滅しかない。アーシャは……彼女は命があるだけましだろう」
将軍はアーシャ・スタッガルドの頬を伝う涙を拭うと、そのまま彼女を抱き上げた。
此方から将軍の表情は見えない。
本心からそう思っているのかは、判断しがたかった。
「……ずっと見ていたんですか?」
将軍の口振りからすると、今来たばかりではないようだ。
「アレだけ派手に暴れればな……私は彼女の気持ちが、痛い程によく分かる。私も同じ思いを抱いているのだから……だが、アシュレイの気持ちも分かるからな……スレイヤは私にとってもかけ換えのない友であった────だから、決して感謝などしない」
「……当然です。貴方達にはその権利があります」
将軍の言葉に俺は頷いた。
当然だ。
俺は、アーシャ・スタッガルドの大切なものを奪った。
「……もう夜中だ。貴殿の親も心配するだろう。早く外に居る者と共に帰るといい」
「……外?」
俺は首を傾げて、入ってきた扉を見る。
誰か外に居るのか?
「……アシュレイの、あの子の親としては感謝している。私はずっとアーシャにも、あの子にも何もしてやるが出来なかったのだから……」
将軍はそう俺に言い残すと、アーシャ・スタッガルドを抱き抱えたまま裏口から出ていった。
その背中はひどく寂しそうだ。
「……俺も帰ろう」
あの家に。
母様達の所に。
俺は入ってきた扉から外へと出た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
此処に入る直前はポタポタと降る位であったのに、いつの間にかザーザー降りへと変わっていた。
「…………外に居るって、兄様の事だったんですか」
扉の横に立っていたのは兄様だった。
雨に濡れるのも構わずに、教会の壁へと背を預けていた。
「……リューが心配でね。迎えに来たんだ」
「そう……ですか」
「うん」
兄様は俺に何も言わないし、聞かなかった。
そのまま2人の中に、沈黙が流れる。
「……帰りましょうか?」
「そうだね……帰ろう」
俺達はその後言葉を交わす事なく、屋敷へと2人で帰ったのであった。
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